ちびちょろ
2011年02月09日
2010年09月10日
2010年08月27日
ちびちょろ空の旅!?
成田空港へは遊びに行ったり、私の会社の上司のお見送りに行ったり何度も足を運んでいますが、海外旅行に行く機会も特にありません。。。しかし、ちびちょろがついに飛行機の座席に座りました。
…といってもこれは『航空科学博物館』の中です。
コックピットでパイロット気分?も味わいました。
暑さもあり、第二子がまだ小さいこともあり、最近は徒歩圏内の公園、児童館、図書館、スーパーくらいしか行けずたまには違うこともしなきゃなぁと思っていたので、この日は飛行機の離着陸がよく見える公園に出かけました。片道1.5km程ですが、木のトンネルのある遊歩道を通るのでなんとかなるかなぁと。
途中和菓子屋さんでおやつの大福を買い、飛行機を見ながら食べ、帰路につこうとしたところ、おじさんたちがその道の並木に大掛かりな害虫駆除のスプレーをし始めたのです。まさか2人の子どもをつれて毒のシャワーの下を歩くわけにもいかず、少し時間が経ったとしても有害な成分が浮遊してそうで怖くて、逆の出口から出るしかなくなってしまいました。
さて、ここからどうやって帰るのやらよくわからず、でも近くに航空科学博物館があったような気がして歩きはじめました。目的地にはなかなか着かず、あとで確認したらそこから3kmはあったようです。
夏の暑い日、日陰になるものもない道を4km強、2歳児のちびちょろ、よく歩きました。生後4ヶ月の第二子もベビーカーの中で熱中症になってしまうのではないかとひやひやでした。
博物館に着くとまずは冷たいジュースを購入し、ちびちょは一気飲み、そして下の子も乳を一気飲み。。。
展示物も楽しんでいたけれど、飛行機の形をしたお皿にのったお子様ランチを食べている時は特にうれしそうだったなぁ。
成田空港の滑走路や飛び立つ飛行機を見ながらのランチは私もいい気分転換になりました。
…といってもこれは『航空科学博物館』の中です。
コックピットでパイロット気分?も味わいました。
暑さもあり、第二子がまだ小さいこともあり、最近は徒歩圏内の公園、児童館、図書館、スーパーくらいしか行けずたまには違うこともしなきゃなぁと思っていたので、この日は飛行機の離着陸がよく見える公園に出かけました。片道1.5km程ですが、木のトンネルのある遊歩道を通るのでなんとかなるかなぁと。
途中和菓子屋さんでおやつの大福を買い、飛行機を見ながら食べ、帰路につこうとしたところ、おじさんたちがその道の並木に大掛かりな害虫駆除のスプレーをし始めたのです。まさか2人の子どもをつれて毒のシャワーの下を歩くわけにもいかず、少し時間が経ったとしても有害な成分が浮遊してそうで怖くて、逆の出口から出るしかなくなってしまいました。
さて、ここからどうやって帰るのやらよくわからず、でも近くに航空科学博物館があったような気がして歩きはじめました。目的地にはなかなか着かず、あとで確認したらそこから3kmはあったようです。
夏の暑い日、日陰になるものもない道を4km強、2歳児のちびちょろ、よく歩きました。生後4ヶ月の第二子もベビーカーの中で熱中症になってしまうのではないかとひやひやでした。
博物館に着くとまずは冷たいジュースを購入し、ちびちょは一気飲み、そして下の子も乳を一気飲み。。。
展示物も楽しんでいたけれど、飛行機の形をしたお皿にのったお子様ランチを食べている時は特にうれしそうだったなぁ。
成田空港の滑走路や飛び立つ飛行機を見ながらのランチは私もいい気分転換になりました。
2010年05月30日
2010年05月23日
2010年05月16日
2010年04月28日
2010年04月24日
2010年03月14日
成田生活
トトとの別居生活が始まって早半年。年末年始を成田で過ごたっきり行けてなかったので、産休に入り落ち着いたタイミングで2度目の成田ショートステイをしてきました。前回は仕事が休みの時にいったので毎日遊んでいましたが、今回はトトはいつも通り仕事をしている生活で、そこに私とちびちょろが1週間加わった形。
午前中は畑で勝手に遊ばせてもらい、トトの昼休みに帰宅して昼食。トトは仕事に戻り、私とちびちょろは昼寝や晩ごはんの支度をするという流れ。
乗り物大好きなちびちょろは軽トラの後ろに乗っかってご機嫌でした。トトが今年初めて栽培に挑戦する「バターナッツ」というかぼちゃの種を一緒に蒔いて、数日後には発芽するところをちびちょろも見ることができました。発芽した苗を2つばかり八王子に持ち帰り、今家で育てています。本葉が4−5枚になったらじぃじの畑に定植させてもらう予定です。種まきから収穫、そしてそれを料理するところまでの経過をちびちょろに見せられたらいいなぁ。
家でラディッシュをサラダに入れたりしても食べないのですが、畑では採れたてのラディッシュにうれしそうにかじりついていました。かえるや虫を見たり、均したまっ平らな土の上に足跡をつけて遊んだり、普段できないことが色々できて楽しそうでした。
毎日たくさんの新鮮野菜があって、今日は何を作ろうかしら♪と考えるのが楽しい1週間でした。特に葉物は冬の最後の白菜やほうれん草もあれば、春らしい菜花やレタス類などもあり、種類豊富でした。作ったお料理はまた後ほどアップします。
午前中は畑で勝手に遊ばせてもらい、トトの昼休みに帰宅して昼食。トトは仕事に戻り、私とちびちょろは昼寝や晩ごはんの支度をするという流れ。
乗り物大好きなちびちょろは軽トラの後ろに乗っかってご機嫌でした。トトが今年初めて栽培に挑戦する「バターナッツ」というかぼちゃの種を一緒に蒔いて、数日後には発芽するところをちびちょろも見ることができました。発芽した苗を2つばかり八王子に持ち帰り、今家で育てています。本葉が4−5枚になったらじぃじの畑に定植させてもらう予定です。種まきから収穫、そしてそれを料理するところまでの経過をちびちょろに見せられたらいいなぁ。
家でラディッシュをサラダに入れたりしても食べないのですが、畑では採れたてのラディッシュにうれしそうにかじりついていました。かえるや虫を見たり、均したまっ平らな土の上に足跡をつけて遊んだり、普段できないことが色々できて楽しそうでした。
毎日たくさんの新鮮野菜があって、今日は何を作ろうかしら♪と考えるのが楽しい1週間でした。特に葉物は冬の最後の白菜やほうれん草もあれば、春らしい菜花やレタス類などもあり、種類豊富でした。作ったお料理はまた後ほどアップします。
2010年03月12日
急がば回れ
現在ちびちょろは2歳3カ月。気が向くとトイレで用を足すこともあり、たまにトレパンを使ったりもしているけれど、まだまだ成功率は低く、基本的にはおむつ生活。2歳くらいまでにはおむつなんて勝手にとれるもんかな〜と思っていたけれど、そうでもないみたい。保育園の同じクラスの誕生日の早い子はもう3歳になっているけれど、まだおむつが取れた子はいない。
そんな中、どこかのお店でもらったフリーペーパーの中に、「おむつなし育児」という記事があり、ちょっと衝撃的だったので、そこで紹介されていた『赤ちゃんにおむつはいらない』(編者:三砂ちづる 勁草書房)を読んでみた。
「おむつなし育児」とは赤ちゃんにまったくおむつを使わないで生活させるというわけではなく、「なるべくおむつを使わない」育児方法のこと。生後2カ月頃から、お母さんが赤ちゃんの様子を気遣ってトイレやおまるに連れて行き、できるだけおむつじゃないところで排泄させてあげるというもの。
その考え方や実践方法に加え、排泄に関する昔の日本の育児方法の聞き取り調査、現状との比較、インドネシアのおむつ事情の聞き取り調査など、とても興味深いものだった。
ちびちょろも生後半年でおまるに座らせてみたら上手にうんちをしたけれど、
おむつをしているのが当たり前だと思っていたから特にそれに注力してこなかった。この本を読んでみて、また、「おむつなし育児」や「ホーローおまる」とパソコンで検索し実践している人がたくさんいることに驚き、もっと早くそのことを知っていたらなぁと思う。
「おむつなし育児」は早くおむつを取るということを目標にしているわけではなく、赤ちゃんとお母さんのより密なコミュニケーションを促してくれたり、赤ちゃんがより快適に過ごせるということを目指すしている。
この本の中で言われていて妙に納得したのは、昔は1歳やそこらでおむつが外れていたけれど、その時期がどんどん遅くなっている現状というのは、便利な子育てグッズが生み出した弊害でもあるということ。紙おむつが主流になり、大人がその機能性に依存し、赤ちゃんの排泄をこまめに察知することをやめてしまう。また、あえて紙おむつ代節約のために頻繁に取り換えることをしなくなる人もいる(布だと漏れやすいから気をつけるし、1枚いくらというようなコストの心配もない)。等ということから、赤ちゃんは、さまざまな感覚の発達途上にあるのにも関わらず、おしめが濡れていることに慣れされてしまっている。そういう状態の赤ちゃんに、おむつ外しのためのトイレットトレーニングをする段階で急に排泄を自覚させようとしてもスムーズにいかないわけだ。
そして、このことはおむつのことだけではなく、子育て全般に言えることだと思った。今ちまたでは、子育ての段階ごとに、いかに手間をかけないようにできるか目線の商品が多い。「離乳食用ベビーフード」なども外出時のみ活用するなどの使い方であれば問題ないと思うけれど、それを常用してしまっては、食事を通して伝えるべき家庭の味や食習慣を伝える機会を自らなくしてしまっていることになる。離乳食時に家庭の味に慣れさせなかったら、いざちゃんとした食事を食べられる段階になったときに、新たに家庭の味に慣れる手間をかけなくてはいけなくなる。前に手を抜いてなければとっくりクリアしていたことにもう一度つまずいてしまう、ということが、食事、排泄、などなどさまざまな生活習慣において同様に起こりうると感じる。
あるひと時の「手間暇をかけないことを良いこと」とする価値観は大きな間違えで、本来あるべき子育ての流れや文化を断ち切ってしまう危険性があるんだなと思う。
母乳や哺乳瓶の乳首から飲むことから、コップで飲み物を飲むように切り替えるとき、その段階を細かくわけたトレーニングカップのようなものが売っている。母親が目を離していても、それを使えばこぼさずに飲めるから手間がかからない。でもそういった、その時しか使わない商品に違和感を覚えたし、これがなかった頃(昔)はどうやってたんだろう?と考えれた上で、そのようなものは購入しなかった。
ちびちょろが母乳や哺乳瓶で飲んでいる時期、少しずつスプーンで与えてみたり、コップで飲む練習をしたら何の問題もなく、コップから一人で飲めるようになった。もちろんほったらかしにしていては間違いなくこぼされるので目を離して勝手に飲ませるわけにはいかないが、そういう手間は惜しむ手間でもないと思う。
そして、好奇心いっぱいの子供に、コップを傾けたら中身がこぼれると実感させることも子育てにおける大事なプロセスのように思う。
子育てをしていると「自分のペース」とか「合理的に」とかうまいこといかないことばかりと感じることもあるけれど、ヒトの子育てって元来そういうものなのでしょう。きっちりこなそうとしないで、生活を「赤ちゃんモードにシフト」してしまうことが重要なのかもしれない。この本を読んで、Qちゃん出産前に大事なことにもう一度意識を傾けるきっかけとなってよかった。
Qちゃんと会えるの楽しみだなぁ。
(←はフェアトレード商品を扱う「ピープルツリー」で買ったQちゃんの洋服と自分のおやつ用のオーガニックハイビスカスティーと無添加ドライマンゴー)
そんな中、どこかのお店でもらったフリーペーパーの中に、「おむつなし育児」という記事があり、ちょっと衝撃的だったので、そこで紹介されていた『赤ちゃんにおむつはいらない』(編者:三砂ちづる 勁草書房)を読んでみた。
「おむつなし育児」とは赤ちゃんにまったくおむつを使わないで生活させるというわけではなく、「なるべくおむつを使わない」育児方法のこと。生後2カ月頃から、お母さんが赤ちゃんの様子を気遣ってトイレやおまるに連れて行き、できるだけおむつじゃないところで排泄させてあげるというもの。
その考え方や実践方法に加え、排泄に関する昔の日本の育児方法の聞き取り調査、現状との比較、インドネシアのおむつ事情の聞き取り調査など、とても興味深いものだった。
ちびちょろも生後半年でおまるに座らせてみたら上手にうんちをしたけれど、
おむつをしているのが当たり前だと思っていたから特にそれに注力してこなかった。この本を読んでみて、また、「おむつなし育児」や「ホーローおまる」とパソコンで検索し実践している人がたくさんいることに驚き、もっと早くそのことを知っていたらなぁと思う。
「おむつなし育児」は早くおむつを取るということを目標にしているわけではなく、赤ちゃんとお母さんのより密なコミュニケーションを促してくれたり、赤ちゃんがより快適に過ごせるということを目指すしている。
この本の中で言われていて妙に納得したのは、昔は1歳やそこらでおむつが外れていたけれど、その時期がどんどん遅くなっている現状というのは、便利な子育てグッズが生み出した弊害でもあるということ。紙おむつが主流になり、大人がその機能性に依存し、赤ちゃんの排泄をこまめに察知することをやめてしまう。また、あえて紙おむつ代節約のために頻繁に取り換えることをしなくなる人もいる(布だと漏れやすいから気をつけるし、1枚いくらというようなコストの心配もない)。等ということから、赤ちゃんは、さまざまな感覚の発達途上にあるのにも関わらず、おしめが濡れていることに慣れされてしまっている。そういう状態の赤ちゃんに、おむつ外しのためのトイレットトレーニングをする段階で急に排泄を自覚させようとしてもスムーズにいかないわけだ。
そして、このことはおむつのことだけではなく、子育て全般に言えることだと思った。今ちまたでは、子育ての段階ごとに、いかに手間をかけないようにできるか目線の商品が多い。「離乳食用ベビーフード」なども外出時のみ活用するなどの使い方であれば問題ないと思うけれど、それを常用してしまっては、食事を通して伝えるべき家庭の味や食習慣を伝える機会を自らなくしてしまっていることになる。離乳食時に家庭の味に慣れさせなかったら、いざちゃんとした食事を食べられる段階になったときに、新たに家庭の味に慣れる手間をかけなくてはいけなくなる。前に手を抜いてなければとっくりクリアしていたことにもう一度つまずいてしまう、ということが、食事、排泄、などなどさまざまな生活習慣において同様に起こりうると感じる。
あるひと時の「手間暇をかけないことを良いこと」とする価値観は大きな間違えで、本来あるべき子育ての流れや文化を断ち切ってしまう危険性があるんだなと思う。
母乳や哺乳瓶の乳首から飲むことから、コップで飲み物を飲むように切り替えるとき、その段階を細かくわけたトレーニングカップのようなものが売っている。母親が目を離していても、それを使えばこぼさずに飲めるから手間がかからない。でもそういった、その時しか使わない商品に違和感を覚えたし、これがなかった頃(昔)はどうやってたんだろう?と考えれた上で、そのようなものは購入しなかった。
ちびちょろが母乳や哺乳瓶で飲んでいる時期、少しずつスプーンで与えてみたり、コップで飲む練習をしたら何の問題もなく、コップから一人で飲めるようになった。もちろんほったらかしにしていては間違いなくこぼされるので目を離して勝手に飲ませるわけにはいかないが、そういう手間は惜しむ手間でもないと思う。
そして、好奇心いっぱいの子供に、コップを傾けたら中身がこぼれると実感させることも子育てにおける大事なプロセスのように思う。
子育てをしていると「自分のペース」とか「合理的に」とかうまいこといかないことばかりと感じることもあるけれど、ヒトの子育てって元来そういうものなのでしょう。きっちりこなそうとしないで、生活を「赤ちゃんモードにシフト」してしまうことが重要なのかもしれない。この本を読んで、Qちゃん出産前に大事なことにもう一度意識を傾けるきっかけとなってよかった。
Qちゃんと会えるの楽しみだなぁ。
(←はフェアトレード商品を扱う「ピープルツリー」で買ったQちゃんの洋服と自分のおやつ用のオーガニックハイビスカスティーと無添加ドライマンゴー)