2019年02月08日

人種差別をしてるのは誰か?

 どうして黒人を連想するようなデザインや図案は差別なのだろうか。オレはそのことをものすごく不思議に思うのである。そうした感情を持つのは基本的に欧米の白人であり、日本では基本的にそのような発想はない。だからかつてのカルピスのロゴマークや、手塚治虫の漫画に登場する黒人の描き方を問題視することもなかったのである。ところがそれに対して「これは黒人への差別だ」といちゃもんをつける人たちが登場し、それらのロゴはなくなり、アニメ版の「ブラックジャック」はいつのまにか黒かった顔の皮膚の半分が青になっていたのである。

 今回の事例もそうした魔女狩りのようなものであるとオレは思っている。

 記事を引用しよう。

グッチ、「黒人差別」で謝罪=セーター販売中止 2/8(金) 6:22配信
 【パリ時事】イタリアの高級ブランド「グッチ」は7日、黒色のセーターが黒人差別に当たるとの批判を受けて謝罪し、販売を中止したと発表した。
 ファッション業界ではここ最近、人種差別問題が相次いでいる。
 問題となったのは、グッチが890ドル(約10万円)で販売した黒いタートルネックセーター。襟を口元まで引き上げると、大きな赤い唇が現れるようデザインされている。顔を黒く塗って黒人をまねる差別的な「ブラックフェース」を想起させるとして、インターネット交流サイト(SNS)などで批判が上がっていた。
 騒動を受け、グッチはツイッターで「今回の出来事を力強い学びの機会としていく」と表明した。 グッチ

 オレはそのセーターのデザインをとてもオシャレだと思った。タートルネックの部分を口元まで引き上げたときに、大きな赤い唇が現れるというのは面白いデザインであり、インパクトがある。黒いセーターが黒人を連想させるというのなら、他の色のセーターならOKだったのだろうか。その奇抜なデザインを評価するのではなくて「黒人を連想させるからアウト」というのは、そのような批判をする人の心の中にこそ「黒人を連想させるものは悪いもの」であるという価値判断が存在するからではないのか。

 外観の違いは優劣ではない。肌の白い人もいれば黒い人もいる。かつての日本は国際連盟で「人種平等宣言」を提唱したがアメリカやイギリスといった白人差別国家の反対に遭ってつぶされた。アメリカではその頃、ひどい人種差別が日常的に行われてたのである。アフリカから大量の黒人を奴隷として拉致して働かせた犯罪行為を行っていたことをオレは未来永劫にわたって忘れてはならない白人の汚点だと思っている。人間を奴隷として扱う発想というのは西洋文化の中に常に存在した。彼らが「差別」を騒ぎたてることは、そうやって主張することで、いかにも自分たちがすぐれた人権感覚を持ってるとアピールして過去の差別行為を糊塗してるだけである。あんたたち白人がいくらくだらないアピールをしたところで、過去の歴史の中で黒人を虐待したことやアメリカインディアンの土地を奪って虐殺したという事実は消えないのである。

 日本が満州国を建国した時、「五族協和」というスローガンがあった。五族とは日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人を指す。これは孫文の中華民国政府の提唱した「五族共和」のパクリであるが、満州国の国旗にはその五族を表す5色が使われていた。

 日本の植民地支配の特徴はその土地に住む人との共生である。住民を搾取の対象ではなく共に生きる仲間ととらえたからこそ、台湾や朝鮮半島には学校が整備され、住民は選挙権を持っていたのである。そこには人種差別という概念はほとんどなかったのではないか。相手を見下して差別することが基本だった欧米の価値観と、目の前の相手を尊重して交流しようとした日本の価値観は全く違うのである。

 今回のくだらない魔女狩りのように今後も世間では「黒人的なもの」が差別とされるのである。「黒人的なもの」を差別だと感じる人たちの心の中にこそ差別は存在するとオレは思っている。オレが美しくて素敵だと感じるものを、一方的に差別の対象とする愚劣な人たちがこの世には存在するのだ。



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exajoe at 07:02コメント(1)陰謀論  この記事をクリップ!

コメント一欄

1. Posted by 手ぬぐい親父   2019年02月08日 18:23
 タレントのグッチ裕三なら、お茶の間のテレビで時々お目にかかるが、高級ブランドのグッチは、経済的事情もあり関心も薄い。件の黒いタートルネックセーターは、黒い色ではなく赤い口部分が問題かも。黒人の特徴である厚目の唇が、意図的に赤で強調されていて侮辱と捉えられるのかも。

 今日(2/8)のテレビの情報番組でも、売り上げを伸ばすためか、時に悪ふざけもあると説明。衣服の感性は人によって違うが、少数でも不快を感じる人がいれば、再考の余地があるかも。誰もが心地よく着られる衣服でありたい。

 白人は黒人を差別してきた負の歴史があり、白人や黒人は差別に対しい敏感というのは仰せの通り。南北アメリカ大陸の奴隷制度、南アフリカの人種隔離政策(アパルトヘイト)など、多くの黒人の人権が蹂躙されてきた。すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である、という世界人権宣言が国連で採択されたのは、第二次世界大戦後で歴史もまだ浅い。

 差別とは「区別すること」だが、現代社会では「正当な理由がなく、劣ったものとして不当に扱うこと」が一般的。差別は許さじ、差別撤廃が正論となる。気になるのは、商品などで言われる「差別化を図る」という言葉。区別化を図るの意味だろうが、他を劣ったものとして不当に扱う、の意味では問題性を含むことになる。

 ほ ほ 蛍来い あっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ・・・の歌詞に差別性があるとすれば、「ほたるこい」の童謡も教育的ではないかも。もっとも、昭和の頃の野球ではベンチから、バッター バッター へぼバッター! ピッチャー ピッチャー へぼピッチャー! などの罵声の差別的ヤジが双方で飛び交っていた。ゲームの景気づけの言葉の遊び、笑って許して、ならば差別的問題性も宙に浮いた状況となる。和田アキ子も笑っていたりして。差別なるものも一筋縄ではない。

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