2019年10月28日

みんなでDQN



 まわりに馬鹿がいると、人はそれで安心してしまって馬鹿であることに平気になる。

 入学試験の偏差値の低い高校に入ってしまい、まわりにまじめに勉強しようという仲間がいないということに気づいた時、人はどういう行動を取るのだろうか。もちろん、そういう高校に入学したということは自分も周囲同様に「成績が良くない」という属性を持っているわけで、同じレベルの人が同じ高校に集まるような仕組みが世の中には存在する。 そういう「勉強しない高校」の中で、自分だけはがんばって勉強しようとすることはなかなか困難である。まず先生が生徒を期待していない。「どうせこいつらはみんな劣等性だ」というレッテルを貼ってることも多い。玉石混交の中から玉を見つけ出すことができるオレのような教師は世間にはほとんどいない。名伯楽はめったに存在しないわけで、もしかしたらすぐれた才能があったかも知れない多くの生徒は、そのまま埋もれて、DQN候補生となっていくのである。

 三田紀房の「ドラゴン桜」という漫画がある。この作品は受験生の持つメンタル的な部分に踏み込んでよく書かれている。目標を持たないとどうにもならないし、もちろん東大を目標にしても誰もが東大に入れるわけではなく、そうして必死で勉強すること自体は絶対に無駄ではないからオレはこの作品を応援している。

 しかし、現実の生徒たちはどうか。努力を最小限で済ませようとするものがあまりにも多いのである。予習してきて授業中を受け、授業中にもきちっと話を聞いて理解し、そのうえでまた復習するという段階を踏んで学習できている者はあまりにも少なく、多くの生徒たちは予習復習どころか中心の「授業集中」という段階からできていないのである。

 勉強しないまま、努力しないまま大人になれば必然的にDQN化する。入学試験の学力偏差値の低い大学ほど、喫煙率が高く、中退率も高く、大麻吸引率も高いそうである。つまりはDQN度が高いということなのだ。高くないのは正社員就職率くらいである。DQNでもいいと思い、あるいは自ら望んでDQN人生を歩もうとしている馬鹿がどれほど多いことだろうか。

国民全員がDQNになってしまえば、DQNであることが普通であり、もはやきちんと努力して教養なマナーを身に付けている側の方が少数派になってしまう。馬鹿の正義というものがまかり通るようになり、世の中の様々な仕組みが「馬鹿標準」となってしまうのである。公共施設をすべてDQN対応にしないといけないということは、どれだけインフラ整備にゼニがかかるかわからない。本当に大変なのである。

 ちょっと10分や20分参考書を眺めただけですごく勉強をした気分になってる人たちは、必死で集中して努力するという受験勉強とは生涯無縁である。なぜなら彼らには「集中力」「努力」という才能がもともと存在しないのである。頑張れることもまた大いなる才能なのである。そういう素質も持たない人だって世の中には大勢いるのだ。

 馬鹿ばかりの集団を見ているとオレはその集団にスローガンを与えたくなってしまう。きみたちの行動にピッタリなスローガンを与えてやるよ。

     みんなでDQN!



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