2020年01月05日

教師という生き方について

 高校教師のオレはもしも高校3年生の担任を持っていれば年末年始はかなり大変なんだが、そうでもない場合は一週間はちゃんと冬休みが取れる。それが教師という職業のいいところである。そういうわけで年末からお正月は家の掃除をしたり、のんびりとテレビを観たり、母を連れて親戚の家に出かけたりするのだが、なんということもない非生産的な時間である。このような「特にこれといった予定のない余暇」というものを長く自分は持たなかったなあと思うのである。

 仕事をしていると常に何かに追われている。期限までに仕上げないといけないいくつかの作業を抱え、そして突発的に発生するさまざまな業務をこなしていかないといけないのである。もちろん今もやらなければいけない仕事がないわけではない。3学期の授業の計画とか、実力試験のこととか、あれこれと休み中にしないといけない仕事はある。

 しかし、あと何年か経てば、そういうことも何も考えなくてもよくなるのだ。オレはもうそろそろ、定年後の過ごし方というものを考えなければならないのである。セカンドライフというものをどうするかということである。

 今の仕事をしていて一番幸福な時間とはいったい何かというと、それは卒業生というか、元の教え子と語り合っている時間である。22歳で大学を卒業してからずっと高校教師として教壇に立ってきたオレは、これまでにもう数えきれないくらい多くの生徒を教えてきたのである。その中には今でもずっと年賀状を交換している人もたくさんいるし、フェイスブックなどでいつでも近況を確かめることができる相手もたくさんいる。

今のオレが現在に至るまでには多くの出会いがあり、その中には多くの恩師との関わりがあったことを無視できない。人生とは多くの偶然の積み重ねによって構成されているのであり、そのうちの一つでも欠けていれば今の自分はない。その中には多くの恩師との出会いも含まれる。

 「君は教師になるのなら国語を教えなさい」と言ってくれた恩師がいる。まだオレが京都大学文学部に入学して間もないころで、専攻も決めてなかったし、そもそも何の職業になるかさえも考えていなかった頃である。高校時代の少し変わり者だったオレを苦々しく感じていただろうある年配の国語教師は逆に「おまえは教師には向かない」とまで言ったのである。

 オレは自分の教え子の適性をきちんと見ぬけていけるだろうか。その可能性や将来性までを見通せる目を持っているだろうか。「キミは〇〇になればいい」とまで自信を持って言い切れるだろうか。

 公立高校の教員だった30年前に教えた女生徒で、英語も国語も苦手で短大の推薦入試を不合格になって帰ってきた生徒がいた。ある短大の栄養学科が化学一科目で受験できるということを知り、当時進学主任だった私は化学の教員に頼み込んで彼女を特訓してもらい、その結果無事に合格した。それから10年以上たって偶然書店で再会した彼女は「わたし、先生のおかげで今の仕事してるんですよ!」といきなり話してくれたのである。彼女は短大で取った栄養士の資格を活かして、クッキングスクールの講師になっていた。

 自分は多くの人のおかげでここまでやってこれた。ところが逆に自分は誰かのために何かできているのだろうか。これまでの教師人生の中でいったい自分は何ができたのだろうか。そんなことを自問自答するのである。

 オレが教壇に立つのもあと数年である。これから先関わることができる生徒もそれほど多くない。残った時間でいったいどんなことができるのだろうか。「先生のおかげで・・・」と言ってくれる教え子が、これからまだ現れるだろうか。



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