Dreaming and ArtLife〜ドリーミングとアートライフ

聖なるガイドの授業。癒しの先にある新しい意識の状態。そして情報とエネルギーと意識のドリーミング(Dreaming)という謎。

オーラのスケッチ

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 解剖学では肉体の構造についての理解は進んでいますが、まだまだ物質的な側面にとどまっています。スピリチュアリティ「霊性」では、人は非物質的な存在であって、それは「霊」であると捉えます。どうしてそう捉えるのかというと、多くの人が心のどこかで肉体がそのままの自分ではないように思っているからでしょう。肉体が自分ではないので、肉体が死んでも自分はどこかで生きているのだろうと思うのです。こうしてあの世や生まれ変わりや幽霊といった概念を持ちます。

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2017年11月25日(土)・26日(日)東京SVAセッション・限定11名完全予約制!!

この度【東京】にてスピリチュアル・ビジョン・アート(SVA)の個人セッションを開催することになりました。
セッションは1人60分で、2日に分けて田町で行います。
ご希望の日時が埋まってしまう場合がございますので、できるだけお早めにご予約下さい。

●スピリチュアル・ビジョン・アート(SVA)につきまして詳しくはこちらをご覧ください。
http://www.pmcv.pw/

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ピリチュアル・ビジョン・シンボル

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 先日、いつものように素敵な方のスピリチュアル・ビジョン・アートを描いている時に、その方からこれからこんな活動をしようと考えているというお話しをお聞きしました。

 すると、目の前にその方がその活動をしている映像をパソコンで見ているビジョンが広がりました。そして映像の最後に一つのマークが見えたのです。

 後日、改めてガイドにマークのことを詳しく教えてもらいました。ガイドはマークの形、そこにある意味、そしてキーワードをスピリチュアル・ビジョン・アートを描いている時のように与えてくれました。そして一枚の絵が残されたのです。

 どうやら相手のビジョンが明確な時には実際に行う前に先にみることができるようです。ロゴマークは人にとってはコンセプトを形にしたものですが、ガイドにとっては幸せな時空の意図が姿をとったもののようです。続きを読む

この次元にいながら、どうして超次元のことを知ることができるのか

一なる霊としての「本来の自己」は全ての次元を超えた全一性という状態にあるため、たとえ思考が一つの次元に囚われていてその肉体の視点で理解できなくても、超次元のことはもともと知っています。

全一性においては空間に距離はなく、全ての時間はすでに終わっているので、このことをこの次元の肉体の視点で捉えることはできませんし、照明することも説明することも不可能ですが、すでに知っています。

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「光のゼリー」愛と命と光のドリーミング

昔ガイドに教えてもらったお話しです。
最近人に話すことがありまして、思い出して書いてみました。

『光のゼリー』

大きなボウルにまだ固まっていない大量の光のゼリーがあります。そして机の上にウサギとクマの型がありまして、そこにゼリーを流し込むのです。

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情報とエネルギーを使った癒しのシステム

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近年、さまざまな分野において人々はこの世界の一つの重要な謎に気づき始めています。ある者は最新の物理学から、ある者は分析心理学から、ある者は超心理学から、ある者は形而上学から、ある者はボディーセラピーから、そしてある者は神秘修行から…一つの重要な謎に気づき始めています。

どうやら古代の呪術師達や多くの宗教家も神秘哲学者も実は気づいていたのかもしれません。しかし、今になって多くの者があらためてその謎に気づき始めているのは、人類の進化における重要な時期に来たからなのでしょう。

この謎は一部の人達によって伝えられて来たかもしれませんが、別に隠してきた訳ではないようです。ただ広まらなかったのです。人々の興味は別なところにあったのか、別な者が政治的な目的のために歪曲して利用したのか、それともその謎を正確に記述する言語がなかったのか、知識が追いついていなかったのかでしょう。いつしかこの重要な謎は神話や記号や物語という形で歴史の影に眠ることになりました。

物語は時として脚色され、詩的で難解な表現を好む者達で美化され、その裏側の意図を解釈しなければ理解できないものとして暗号化されていきます。

そして、最初に多くの人に広めた者の言葉が強くのこり、その間違いを訂正するのは至難の技です。

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ドリーミングとは何か:チャクラ

人のオーラ、ドリーミング

ドリーミングを体に感じた時にはエネルギーが巡っているのを感じます。それは、ちょうどエネルギーの“高速道路”のようなものです。

ドリーミングは体の中にも外にも広がっているので、体は常に環境との相互関係を持っています。

体の中、正確には体とその周辺も含めたエゴの感覚が強くなる領域にあるエネルギーの高速道路には“中継地点”のようなところがあります。

そして、中継地点には中と外のつながりが強い大きなエネルギーが集まる部分と、特に中の連携につかっているような“道の駅”のような小さな部分があります。

大きなエネルギーが集まる部分はちょうど、よく言われているチャクラのようなものと似ています。小さな部分は経絡・ツボのようなものでしょう。

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ドリーミングとは何か:オーラ

人のオーラ、ドリーミング

オーラは生き物や物の付近にあるエネルギーのような何かです。これはとてもドリーミングに似ています。

ドリーミングを視覚的に捉えればそこには色があります。確かに色は何かを表していますが、何色が何の情報を表しているかは簡単にはわかりません。

ドリーミングにアクセスしてみると、その部分から景色や感覚や知識など多くの情報が伝わって来ます。なので、色だけで何かを判断するよりアクセスしてみた方がより多くの情報を得られます。

また、オーラは肉体とは違うように扱われていますが、ドリーミングは肉体そのものも含んでいますので、オーラは肉体の一部です。オーラも肉体もドリーミングですね。

この世は全てドリーミングの何らかの状態の現れでして、さまざまなドリーミングがそれぞれの形をとっているように見えているだけです。

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ドリーミングの観察:多次元ホログラム構造

オーラ、ホログラム、ドリーミングの多次元構造

ドリーミングは光の粒々として見えますが、光の粒々一つ一つはただの色のついた光ではありません。そこに何らかの情報があります。

光の粒一つに意識を向けると、それは箱が開けられたように、波紋が広がっていくように情報が開示されていきます。これは意識に直接送られてくる情報のようなもので、受け取った瞬間に分かります。しかし、言語化して人に伝えるには多くの時間が必要なくらい情報量も多いです。

どうやらドリーミングというのは多次元構造であって、一つの光の粒であってもそこに多くの情報が詰まっているようです。時間を超えてつながる情報のようなもので、過去も未来もそこに含まれているようです。

過去も未来も違う次元が無数につながっているけれど、意識はその間を自由に行き来できるようです。そして未来は意志による選択で変わって行くようです。そのことで未来は不確定であるように思えもします。

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ドリーミングの観察:光の粒々

オーラ、ドリーミングの姿

ドリーミングはただの色の光ではない。よく観察してみると、とても小さな色の光の粒々に見える。それはまるでスーラの点描画をもっともっと細かくしたような感じである。

光の粒々は視野いっぱいに広がっている。遠い、近い、大きい、小さいといったものはなく、隙間もない。オーラの大きさのことを言っている人がいるが、それはこの光の粒々の大きさのことではなく、同じ属性を持つ粒々の集合場のことであろう。

例えば、テレビの画面に映っている映像では遠いとか近いとか認知できているが、本当はテレビの画面は平面でRGBの光の粒でできているというのと同じである。しかしテレビの画素よりもドリーミングはもっと細かい。そしてRGBでもない。

あまりにも小さいので形は丸なのか四角なのか分からない光の点である。

その光の粒々自体が動いているのか、それとも電光掲示板の電球のように光だけが動いているのかはよく分からないが、直感としては粒々は動いていないのではないかと思う。でもあまりに小さい粒々だし、触れないので本当のことは分からない。

物理学では光というのは電磁波であって、電磁波には波の性質と粒の性質があるという。これは電光掲示板の考えで捉えてみると簡単に理解できることだと私は考えている。

じつは粒は敷き詰められていて動いていない。そこに動いているように見えるのはエネルギーの波だけである。電球に触ろうとすればそれは“粒”として観測され、エネルギーを捉えようとすればそれは“波”として観測されるというだけである。

そこに見えているのはエネルギーだけであって、流れているエネルギーは波として観測され、パターン化したエネルギーの集まりは物質として捉えられ、エネルギーの引き合いのようなものは重力として捉えられているにすぎないのだろう。そして真空にはぎっしりと敷き詰められた明かりが灯っていない粒々だけがあるのだ。

人はとにかく観測というものを客観的に捉えすぎるところがあるのかもしれない。目を閉じていて見えていなくても、一度目にした机の上のコップは“在る”と信じているのだ。観測しようがしまいが物質はそこに存在するという思い込みである。でも、本当にそうなのだろうか?

物理学者もその疑問を持ち始めているようだ。そのことをあえて表現するために「観測者効果」と表現してもいる。観測するのでそう見えるのかもしれない。そして、観測していなければ未知のままなのかもしれない。もしかすると、観測した時に過去も現在も一緒に作られているのではないだろうか?

粒々は動かない、ただ在るだけである。人が“見て”いるのはエネルギーのその時の姿であり、しかもそれは客観的なものではなく、自分の脳で作り出したイメージに過ぎないのだろう。

物質はエネルギーのパターンだけで実在していないと考えるなら、ボース粒子がフェルミ粒子に影響を与えるように見えたとしてもおかしくない。

ドリーミングは物理学ではまだ分からない。私の頭の中で作られているのか、それとも本当にそこにそのようにあるのかを知ることはできない。

私がどう考えていても、ここに見えているのは変わりない光の粒々である。

深瀬 啓介
●ドリーミング・セラピー ≫http://www.pmcv.pw/

ドリーミングに学ぶ:植物のドリーミング

Green Planet Cafe グリーンプラネットカフェの植物のドリーミング

地下鉄東西線の大町西公園駅が近くには、美味しい野菜が沢山食べられる植物園のようなカフェ
『Green Planet Cafe グリーンプラネットカフェ』がある。

そこでドリーミングをスケッチしてみた。店内で色を塗るのはちょっと大げさな感じがするのでよく観察して映像を記憶する

ドリーミングは形や文字や数字より簡単に記憶しやすい。
メロディーを思い出そうとする感覚に近い。
忘れてしまうこともあるが、感覚的な、抽象的な、映像の記憶である。

今日の店内の植物はとても元気…というか、はしゃいでいるようなメラメラ感だった。
色が爆発している感じである。きっと雨で湿気が多いのだろう。

植物は雨の日にはしゃぐ。良くも悪くもはしゃぐ。
以前、HB101という液体を母にもらって植物にあげた時の植物のはしゃぎようは凄かった。
ゴールデンボンバーが家に来るよりうるさいかもしれない!!

いつも彼らは恨みをもったりしないのが不思議に思う。
踏まれても、枯れても、彼らは怒らない。悲しみや寂しさや欲求はあるようだが、人とは違う。

人がハサミを持って近づいても特になにも変わらないが、「切ろう」と意識を向けた途端、いやその数秒前からすでに何かを感じているようではある。

彼らも防衛をする時はする。でも、それはそういう仕組みのようなもので、怒りや恨みなんかではない。
私も完全にそうはなれないけれど、見習おうと思っている…
でも、怒りや憎しみがあるのが人のようだ、それはそれで観察の対象となるだけだ。

ドリーミングは幻なのだろうが、私に必要なたくさんのことをを教えてくれているように思う。

グリーンプラネットカフェはいつも素敵なドリーミングで包まれている。
オーナーには植物に対する興味や愛情があるのだろう。

深瀬 啓介
●ドリーミング・セラピー ≫http://www.pmcv.pw/

ドリーミングへのアクセス:細かく観察する

ドリーミングへのアクセス

知り合いの男性のヨガの先生とお会いした時、初めて逆立ちのポーズを生で見ることが出来た。

私はヨガにはなってでないが、昔真似をしたことある。あの時は力技で、呼吸は完全に止まっていた。

先生のポーズはもっとしなやかで、呼吸も出来ていて、ゆったりとした動きで、重力を感じさせない。

印象に残ったのは、赤いオーロラの中に強いオレンジ色の層が重なったメラメラと立ち登る、身体を取り巻いているドリーミングだった。

胸からはシアン系の薄い青と黄緑色のグラデーションがメラメラしていた。先生の周りにはメラメラとしたものの破片のような小さなドリーミングがあったが、これらにはそれほど重要な情報はない感じだった。

一人の人のドリーミングを細かく描いてみた。たぶん、あの赤の中のオレンジ色にアクセスすると、何か重要なものが見れるかも知れないと思う。

ドリーミングには観察する人とそれを身にまとっている人に共通する、今必要な重要な情報というのが出てくる特性があるようだ。つまり、これは観察者によって変わるのだろうが、私は私以外の観察者になったことがないので正しくはわからない。

共時性(シンクロニシティ)というなら、そうなのかもしれない。相手と私の出会いは意味のある偶然の一致、いや必然の一致なのだと考える。そう考える根拠は、ドリーミングがお互いを引き合い、からまり合い、混ざり合い、情報交流をしているからである。

その場にいる誰もが、無意識的にドリーミングをつなげている。そのこに意識的に気づいている者もいるのか、強く結び付く者とは目が合うことがある。

逆に目があって何かピンとくるなら、その者とは何か共通のテーマがあるのか、補完しあえる関係になるのか、学びに適した相手なのか、とりあえず何か意味があるのだと考えて良いだろう。

深瀬 啓介
●ドリーミング・セラピー ≫http://www.pmcv.pw/

ドリーミングへのアクセス

ドリーミングへのアクセス

情報とエネルギーが一つであるドリーミング。これは宇宙を構成している要素であり、私たちの身体もこれでできている。

気やオーラという言葉を使わなかったのは、それらが「身体から出ているエネルギー」という意味が強いからである。

情報とエネルギーは一つであり、身体そのもの、物質そのもの、細かく言えば素粒子そのものを構成していて、さらにオーラのように身体や物のまわりにもあり、磁気のように空間を流れてもいる。

ドリーミングはオーロラのように光のカーテンや、光の線のようにも見えるし、光の層や光の霧のような塊にも見える。

そのドリーミングに意識を向けると、カーテンが開くように新しい層?が出てくる。その層は机の引き出しみたいなもので、私にさまざまなイメージを与えてくれる。このことを私は「アクセス」と言っている。インターネットのサイトにアクセスするのに近いからだ。

アクセスで得られるイメージは映像だけではない。音や匂いや温度、感情などもある。これは頭に浮かぶイメージというのとはちょっと違うもので、薄い白昼夢を見ているような感じでもある。

小さい頃、宮城県美術館で見たカンディンスキーの絵には音があった。音楽とまではいかないが、「ポーン」という木琴のような音や、「キーン」という鉄琴の音、複雑な響きのヴァイオリンのような音もあった。

ドリーミングの層は幾重にも重なっているようで、深くまでアクセスすると眠くなる。無意識に引っ張られるのだ。

ドリーミングにアクセスするとどうなるのか、それを簡単に描いてみた。

この人は全く知らない人である。ドリーミングは沢山あるので、今日のこの人のいちばん入りやすいものにアクセスしてみた。

そこには明るい光が差し込んでくる窓辺で食事をしている家族のような人たちの映像があった。窓からの光がとても柔らかくて、澄んでいて、長閑な朝の食卓みたいな感じである。

この人の今のテーマは“平和な団欒”?、そしてこの人をそこへサポートする色は“ペールオレンジ”、とても明るいオレンジ色である。もしかすると、家族と離れているのかもしれない。もしかすると、これはこの人の未来なのかもしれない。悲しい感じはなかったが、寂しい感じはあった。

もっと層があるようで、どんどん深くまでたどっていくと、そこに物語が展開し、様々な“シンボル”も現れてくる。


表現として“シンボル”とつかったが、客観的に観察できるような色や形という“シンボル”ではなく、ドリーミングにおける“シンボル”は直接ハートに伝わってくる信号の塊のようなもので、受け取った瞬間に知る。しかしそれをすぐに言葉にできないという意味での“シンボル”である。

深瀬 啓介
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ドリーミングを見る:視覚を解放する!

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昔からゴッホの絵の背景のウネウネは心象表現だとか聞いてそんなわけないだろうと思っていた。

これは言ってはいけないものだと思って黙っていたのだが、“あれ”はたぶんゴッホには本当に見えていたのだと思う。

スーラの点描画は、スーラ自身にはそんなふうに見えていた訳ではないらしいけど、あの粒々は絵の具を混ぜない新しい混色技法というよりも、ゴッホと同じ“あれ”を描いていたんじゃないかと思うくらい似ている。

“あれ”はオーロラに似ていて、流れ、動き、変化し続け、様々な色で、重なりあって、意識の向けようで姿を変える。私はこれをオーストラリア先住民の言葉を借りて『ドリーミング』と呼んでいる。

多くの人はドリーミングが見えないのか、見えていても意識から排除しているのか、嘘をついているのか、違うものとして見ているのか知らないが、どうやら見えていないだ。

本当に?? 見えない??

見えないわけがない、見えるけれど、意識から排除しているのだろう。そこでドリーミングを見るための訓練というのを考えてみた。実際にやってもらったところ、ほとんどの人が見えた。

コツは見えているものを“ゆるす”ことだ。

ノイズだと思い込んで視覚から排除しているドリーミングの光を、あえて見ようとするのだ。自分が見ているものを信じて、だた“ゆるす”のだ。

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ドリーミングの景色:きっとあなたにも見えている

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景色を見ているとあらためて不思議に思う。

生まれてからずっとこんな景色を見ていたけれど、今まで誰も“これ”に触れないし、子どもの頃に何度か大人に聞いてみたけれど誰も話さないので、“これ”については話してはいけないことなのだと勝手に考えていた。

でも、私には確かに“これ”が見える。見えるものを否定しようがない。

“これ”のことを今はドリーミングと呼んでいる。オーストラリアの先住民の考えから取ってきた名前だ。

世間ではオーラとか氣とか、そんな名前で呼んでいるようだ。

景色はとても小さな光の粒で出来ている。ドリーミングの景色を荒くすると、きっとPhotoshopのノイズを加えるというフィルターのようになるだろう。

しかし、ドリーミングの景色はノイズよりも細く、一つ一つに色がついている。まるで、もの凄く細かい点描画を見ているようだ。

光の粒であるドリーミングの景色自体をよく観察すると、これらは立体なのか、どうかはあまりに小さいので分からないが、微かに透明な“霧のようなもの”が動いているのが分かる。

この“霧のようなもの”には色の偏りがあるようで、あるものは緑色に、あるものは赤色に、またあるものはまだらな色で、べつなものはシャボン玉の虹色のようである。

霧のようなドリーミングには一つ一つ特性のようなものもあって、動きがゆっくりと硬いものもあれば、速くてスムーズなものも、ユラユラと同じところを漂っているものもある。

どこから現れるのか、どこへ消えるのか、そういうのはよく分からないけれど、生き物の周りには何層ものドリーミングがまとわりついているようだ。

生きていない物にもあるが、物のドリーミングは普通は生きているものと違う特性があるようだ。中には生き物と似たドリーミングを持つものもあることはある。

面白いのは、人が物に触れるとドリーミングの特性は一瞬で変わることである。それは物のもそうだが、同時に人のもそうである。別に人でなくても犬にも猫にも鳥にも同じことが起きるが、人が意識的に手で物を触った時は特徴的な変わり方をするようだ。

ドリーミングはどこにでもある。空を見てもある。大きな川の流れのようなものもあって、まるで天の河か光の帯のように綺麗なものもある。

人と物のドリーミングをさらによく観察してみると、人が意識を向けて物に触ろうとするほんの一瞬前にドリーミングの特性は変わり始めるような気がする。気がするだけで本当にそうかは分からない。

光の粒の景色はまぶたを閉じていても見える。以前、だったら目を閉じても動けるのではないかと試してみたが、ドリーミングのせいで目を開けている時の景色とは違い、超能力者のような透視能力など無いことが分かっただけだった。

この景色については話してはいけないことなのだろうが、これを読んでいるあなたもこの様に見えていることだろう。

私はここに書いてみたけれど、当たり前すぎて誰も気にしないのか、それとも人によって見え方が違うのか、私はいつも不思議に思っている。

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氣,オーラ,宇宙のエネルギー,霊的記憶?それは『ドリーミング』

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「ドリーミング」はアボリジニにとって地図としての意味、呪術的な意味、コミュニティとしての情報、神話など、さまざまな情報とエネルギーを一言で表している。

ドリーミングに似た意味を持つ言葉は世界中にあり、それらは氣、オーラ、マナ、プラーナ、宇宙のエネルギー、霊的記憶などと呼ばれている。

ドリーミングはまだスピリチュアルな手垢がついていないクリアな言葉である。一旦クリアな状態でこの情報とエネルギーに迫りたいと私は考えているのだ。続きを読む

樹齢千年!王様のオリーブ:RE OLIO エキストラヴァージンオリーブオイル

RE OLIO エキストラヴァージンオリーブオイル

1年前代々木VILLAGE by kurkkuで食事をした時に出てきたパンにつけるオリーブオイルの味が忘れられなくて、去年また代々木VILLAGEに行って念願のオイルを手に入れた。続きを読む

紋別の記憶:鏡に写り込んでいるのは潮見町と夕焼け

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データを整理していたら古い画像を見つけた。
20年も前の紋別の画像だ。

鏡に写り込んでいるのは潮見町と夕焼けである。
潮見なのに電信柱には汐見通と書いてある。続きを読む