午前10時頃の南延岡機関区 冬の朝陽を浴びて出発待機中のC6119 D51485はこれより整備清掃に取り掛かる 水色が注されて薄化粧された番号板 鈍く輝く砲金の煙室扉レバー ランボードサイドの真新しい白線がクッキリと浮き立ち標準型D51のプロポーションを引き締めている 煙突と給水温め器の金色のハチマキが煤けているのがちょっと残念 両機とも主灯がやや上向きに装着されているように見える 視認性に問題はないのだろうか 砲金製の煙室扉レバーは1972年に欠損 ありふれた鋼製に取り換えられてしまった
197201D51485C6119
1972年1月 日豊本線 南延岡機関区 D51485 C6119(元D511027) 

※C6119は日豊本線国分に長期間留置されていたがその後国分市内の公園に保存された 現状は残念ながらほぼ野晒し 朽ち果てるのを待つ有様のようである 


G鉄がD51485を最初に撮影した画像がこれ 午後の上り貨物列車と夕方の下り貨物列車は臼杵駅での入換作業がデフォルト 中学から高校までの数年間にわたって よくも飽きずに見物し続けたものだと我ながら感心する 砲金や真鍮製?の各部位はややくすんでいるように見える 
196909臼杵駅D51485
1969年9月 日豊本線 臼杵 D51485 上り貨物列車 入換作業中


1970年5月に鹿児島工場で履歴最後の全検を実施 前述した煙突と給水温め器のバンドや番号板それに煙室扉レバー各部位は磨きだしが行われ輝きを取り戻している 番号板には薄い水色が注され 殊のほか引き締まって見えた 臼杵駅を出発 津久見越に挑むため豪快な排気音を轟かせて加速中のD51485
197101
1971年1月 日豊本線 臼杵 6593レ D51485 


早春の西日がわずかに残る中 D51485牽引下り貨物列車が熊崎を出発する 20数両の貨車を牽引 ゆっくり加速していった 津久見越も宗太郎越も難儀な行路となるだろう 画像左端D51排煙の下に僅かに見える白煙は熊崎を出発 下ノ江へ向かう1532レを牽引するC57のものである 
197103くまさき
1971年3月 日豊本線 熊崎 565レ D51485 


南宮崎電化開業直前 佐伯駅駐泊所で待機中のD51485 後は僚機D51482 D51特有の小さなキャブがやや後に傾いているように見える 485号機の特徴ある外観の一つ 俗に「尻餅キャブ」といわれる所以である バイパス弁点検用のデフ下部切取は九州機の特徴 最後まで整ったプロポーションを維持していた 数日後にはさようなら列車を牽引 南延岡機関区所属D51の掉尾を飾ることになる
197404佐伯
1974年4月 日豊本線 佐伯 D51485 D51482 駐泊所待機中


ネコパブリッシング刊 DVD機関車表 より抜粋
D51485 国鉄小倉工場=[32] 1940-03-31(4/1?) S77.60t1D1T(1067)
車歴;1940-03-31 (4/1?)製造→納入;国鉄;D51485→配属;門司局→
1940-04-07配置[門鉄達231];鳥栖→1940-04-08使用開始→1945-11-17出水→
1948-07-01南延岡→1953-10-08借入;大分→1953-10-26返却→1970-05-16全検→
1974-04-25休車→1974-05-16廃車上申→1974-06-12廃車[工車203];南延岡→
1974-09-02貸与[工車695]保存;宮崎県延岡市「大瀬町児童公園」;D51485


九州生まれで九州育ち 生粋の九州のD51である 1948年7月 D519 12 880 899 そして1081とともに南延岡機関区へ最初に配属された6輌のD51たちの1輌でもある 南延岡機関区へ配属後は指定整備機関車として特に入念な整備清掃が継続して実施され 南延岡機関区の主として南宮崎電化開業まで走り続けたD51である 特集臼杵を走った汽車その7で D51485について大分機関区大分運転所の「生き字引」Y氏にお話しを伺っているので再掲する

この機関車は昭和15年3月鉄道省小倉工場での製造に際し、皇室からお下賜された銅製の花瓶を熔解鋳造して作成した安全弁を取り付けています。そのことから本機を含め12輌のD51は「恩賜の機関車」と呼ばれたんです。生まれも育ちも九州、九州の鉄道員皆が自慢のD51であります。南延岡機関区には昭和23年に配属。指定整備機関車にも選定されました。そして昭和49年4月24日日豊本線「蒸気機関車さようなら列車」の先頭にも立ちました。その後延岡の地で現在も大事に保存されているまことに幸運な機関車でもあります。(Y氏談) ※特集臼杵を走った汽車その7より 

Y氏のお話をそのまま再掲した 今回D51485アップに際して残りの11輌の存在が気になり調べてみたら意外な結果が判明した そもそも戦時下に大きく不足した金属を国民から供出するにあたり そのの範とするためもあり皇室が銅器を下賜 それを溶解鋳造して安全弁としたものである その結果12輌の「恩賜のD51」たちが誕生した 1943(昭和18)~44(昭和19)年にかけて製造されたD51たちの中から12輌に割り振られた 製造会社または鉄道省工場 番号 そして新製配属区の順に列記する 

日車D51846新津 日車D51847長岡 鷹取工場D51853吹田 浜松工場D51861吹田 汽車D51868福島 汽車D51869原ノ町 日立D51876浜松 日立D51877富山 三菱D51900長町 三菱D51901盛岡 川崎D51920新鶴見 川崎D51921高崎 の各機である 

戦況が一段と悪化 戦時型D51が出現する直前の製造で12輌ともいわゆる準戦時型D51である そして新製配属はすべて本州の機関区 かたや小倉工場製造のD51は1942年3月製造の547号機が最終 つまりD51485はいわゆる恩賜のD51ではない ※渡辺肇 D51形式の分類と現状 不定期刊 SL No2 交友社1969年 より

Y氏が記憶に基づき述べられたこととはまったく違う結論になってしまった がしかし 高等小学校卒業後鉄道省奉職が1942年 そして機関助士拝命が翌1943年 恩賜のD51たちが同時期に誕生している Y氏がすごした激動の時代の断片的な情報が重なり D51485の履歴に華を添える思い入れが高じた結果なのではなかろうか G鉄の推察である

2021年の暖かな春が到来した頃 G鉄の見立てをY氏にお話ししてみようと思っている しかしY氏の思い入れによる間違いと断定するのは簡単である 騎士が戦火を共にした兵馬を労わるのと同様に 大分機関区乗務員であるご自身が御したであろう美しき鉄の馬を慈しむそのお気持ち 誰が否定できようか 90歳をすぎてもなお 蒸気機関車を愛するY氏の思い入れは 南延岡機関区におけるD51485の履歴を汚すものでは決してない このことは申し添えておきたいと思う


D51485 D51485 D51485 D51485 D51485 D51485 D51485 D51485 D51485 


素晴らしい秋空 佐志生越を終えて15‰勾配区間を軽快に下ってきた 全検実施からまだ5か月 D51485の車体各部が正面から秋の陽射しを浴びて光り輝いていた 機関車運用などまったく気に留めることもなく やってくる列車を線路端でただ眺めていたあの頃を思い出す D51485に出会うと何だかすごく得をした気分 年少のトレインスポッターお気に入りのD51 それがD51485だった
197010目明踏切
1970年10月 日豊本線 佐志生 6593レ D51485 


臼杵駅で小休止した6593レ 今度は津久見越に挑む 板知屋大築堤先の切通ポイント付近を正確な排気音を刻んで小走りするような速度を維持してやってきた 線路端には露地菊が咲いていた 電化工事が進展 沿線のあちこちではすでにコンクリートポールが建ちはじめていた 
197011D51485
1970年11月 日豊本線 臼杵 6593レ D51485 


サミット重岡駅まであと1.5km 20‰R300の厳しい線形が連続する宗太郎越のハイライト区間 D51485が這うような速度で第3打水トンネルを飛び出してきた この先最後の難所である全長521mの第1大原トンネルが待ち構えている 機関助士がここから投炭を再開 蒸気圧を最大限に高めて大原トンネル内の無煙運転に備える 機関士は空転防止のため最大限の注意を払っているはず 撮影ポイントを求めて線路沿いに歩くと レールに沿って砂が白く積もっていたのを憶えている 乗務員にとってこの区間はまさに腕の見せ所である 
197110第3打水D51485
1971年10月 日豊本線 重岡 D51485 下り貨物列車


廃車後半年と経たぬうちに さもそれが当然であるかのごとく南延岡機関区からも近い延岡市内の公園に保存された D51485が南延岡機関区のシンボル機関車であった所以だと思う 保存から2年後の1976年9月 G鉄も訪ねてみた 上屋がない お決まりの厚化粧 公園の片隅に佇んでいた 
197609延岡市旭公園サイドD51
1976年9月 宮崎県延岡市 大瀬町児童公園 D51485

ゆるゆるの保存管理だが当時はこれが普通 キャブ立ち入りは自由 ナンバープレートだけでなくメインロッドも水色塗装 煙室扉レバーは黄銅色に塗装 夏の名残の強い陽射しの下 眠りについていた 
197609延岡市旭公園D51485
1976年9月 宮崎県延岡市 大瀬町児童公園 D51485


走行距離2720000km 「D51485の功績をたたえ みんなで大切に保存しましょう」とある 2000年代には缶胴内のアスベスト処理の問題で解体処分寸前のところを 鉄道OB会主導で延命 アスベスト処理はもちろん 荒廃した車体の再整備と屋根も設置され現在に至っている そして定期的な清掃整備活動も行われているようだ 南延岡機関区の主ともいえる美しきD51485 眠りに入って半世紀近くの月日が経過した 
_IMG9870
1976年9月 宮崎県延岡市 大瀬町児童公園 D51485


※別途項目を立てて 特集D51485を磨く をアップする予定です 次回はその18 D51505 以降D51567 D51714 D51871 と続きます


貨物列車が好き★4歳で覚えたアルファベットはD51のD★13歳の春から20歳の春まで南延岡区D51を捕獲採集 すべての画像に青春の思い出が詰まっている★分類整理考察が苦手なG鉄が大図鑑とはおこがましい 小学生の自由研究レベル以下のレポートである★50年遅れでやっと提出する夏休みの宿題 のようなもの ご批判ご叱責が少ないことを祈っている