2008年05月
2008年05月16日
感覚を味わう
この頃は、新天地でらーめん屋さんをときどき散策。週に一回くらいだけど。
お昼は食べない習慣でしたが、健康診断で予想よりも低すぎた事も御座いまして。
自分の理想を実現した塩らーめんを日々探しています。
目でものを見るときは、見ている物の方に注目しまうけれど、
食事をしているときは、味そのものを楽しんでいるように感じる。
感覚の対象を観察して知ることよりも、感覚そのものを味わっていきたい私としては、
食べる事は、見ることよりも遥かに、自分の感覚をより間近に感じさせてくれる。
その点ではやっぱり、音楽は食事と似ていると思う。
(音楽を聴いているときは、この楽器のメーカーは何だろう?、とか考えないしね)
舌は決して肥えてはいないけれど、美味しければ幸せです。
(何でも美味しいと感じる舌が馬鹿な人と、
味にうるさいけど、本当に美味しい味を知っている舌の肥えている人と、
どっちが幸せなの?、って聞かれると、困ってしまいますけど。
カップラーメンで満足してしまう人は、本当の美味しさを知らない不幸者なのか、
それとも、カップラーメンで満足できない人の方が、むしろ可哀想なのか)
*
ちょっとここで小噺を。
ある二人のコーヒー好きがいました。
二人はいつも一緒に同じコーヒーを堪能していました。
ところがある日、二人ともコーヒーが嫌いになってしまいました。
一人がいいます。「ぼくはもうこの味が嫌になってしまった」。
もう一人が言います。「いつもの味なら美味しいはずなのに、違う味がする」。
二人はいつも同じ様に同じコーヒーを飲んでいたはずです。
はてさて、二人のどちらが誤っているのでしょうか。
それとも、どちらかが正しいというわけでもないのでしょうか。
*
澄み切った青空に見とれていたら、哲学者がやってきていいました。
「きみは空が青いと自分では感じているが、きみが感じている青さには、
青い“感じ”が伴っていないかもしれないよ」
ある人が真剣に悩んでいます。
「ぼくは自分の感覚を感じたいんです。空の青い“感じ”を、砂のざらざらした“感じ”を。
空は青いし砂はざらざらしているけれど、生々しい“感じ”を味わえているような気がしないんです!」
お坊さんがやってきて諭しました。
「いやきみ、きみはちゃんと、自分の感覚を現に感じているんだよ。
自分では満足していないけれど、空が青いと感じる事が、まさにその“感じ”なんだよ」
感覚を味わう事って、何なんでしょうね。