2009年12月03日

自然と共に(23) 植物、多様なる戦略その8

safurann 人は今も昔も花と共に生きてきた。常に人によりそって咲く花は、心の支えとして、生きる希望として、その存在は計り知れないものがある。

花は宇宙に浮かぶ銀河

 花はよく宇宙にたとえられる。そこにミクロとマクロの違いがあるにせよ、共通するキーワードがある。それは彼らが作り出す無限を連想させる「円空間」の広がりである。だがその構造はというと、花ビラやガクの中心にオシベとメシベが配置されているだけの実にシンプルで自然な作りである。
oshiroibana だが壮大な宇宙を連想させる不思議さがあるのは何故なのか。メシベは銀河に浮かぶ太陽となり、周りを取り巻くオシベは宇宙空間に浮かぶ惑星となる。そんな思いにさせるのは進化の果てに到達したシンプルな花の形にあるのだろうか。
 確かに身近に咲いているアサガオやキクなどの花たちを、じっくり見ると、この世の究極の美がそこに見えてくる。その花たちが描く「円空間」はやがて宇宙の縮図となって実に神秘的な世界を創り出す。しばしば、その中に吸い込まれそうな衝動さえ感じてしまうのは私だけか。最早や言葉など一切無用な異次元の世界になる。

花の構造に秘めた戦略

matubagiku 花は生殖のために進化した葉である。そのため華麗さの裏では驚くほど冷静な戦略を練っている。いかに可憐に咲く花も、色艶やかに咲く花も一瞬、強かな顔を見せるのはそのためであろう。
 だが丹念に花の構造を見ると、多くがオシベとメシベは離れて配置されているし、成熟はというと、あえて時期をずらすものさえある。そこには明らかに自家受粉は避けたい思いが見える。確かに安易な近親交配では遺伝的リスクが多くなる。種を繋いでいく重要なキーワードが「遺伝の多様性」にあることを彼らも知っている。実に巧妙な戦略である。
marubaasagao たとえ人と花とは偶然の出会いだとしても、その華麗さは常に人々を魅了し、時には言葉を失うほどの感動さえ与えてくれる。そんな花の力に改めて感謝する。

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2009年12月01日

09年12月の表紙

oogarasuyama
大烏山

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2009年11月05日

小さな旅で

 地蜂に刺された。
 地蜂といっても地酒などの「地」とちがって地元の蜂というわけではない。
藪の中などで石や倒木の下に巣をつくる。一センチ余りで黒っぽい。
 うっかり踏みつけたりすると蜂の集団に追いかけられることになる。
 林道の斜面から薪になりそうな枯木をひきずり出そうとして右手を草の中につっこんだのだ。枯木の下に巣があった。
 夏場のように戦闘的におそってはこなかったが、その一匹に手の甲を刺された。
 すぐ傷をしぼって毒を出す。吸い出すのもいい。小さな蜂ならぷっくりふくれるほどですむ。
 夏にすずめ蜂にやられたときは右手が丸太のようになった。
 ことし二度目。「気をつけなさい」とつれあいにはしかられるが、毎日の散歩で枯木集めは欠かせない。台風がかけぬけて秋、夜は薪ストーブのお世話になっている。
 御正体山が霧をまとい天気のくずれる日があって季節は足を早める。薪に頃合いの枯木をみつけると、ともかく手が出る。
    ※
 小さな旅をした。
 「木曽路はすべて雨の中である」などと思いつつあるいた。
 半世紀も前、大阪のある保険会社の、会社と権力に抗した「例外的社員」ともいえる者たちのいわば「同窓会」の旅。
 時おりの小雨を心地よく感じるほどおだやかな馬籠、妻籠、奈良井の宿であった。
 心臓手術後五年をすぎたつれあいが馬籠峠をあるいてこえた。
 「下りだけかしら」などといっていたが峠に上りはつきもの、ゆるやかとはいえその坂をのぼりきった。
 八キロほどのハイキングとはいえ、養生の月日をふり返るに格別の思いであった。
 「介護人が遅れてどないすんのや」
 つれあいに遅れるわたしを仲間たちはひやかしてもくれた。
 宿では青春の宴。労働組合や青年運動のあれこれを昨日のことのごとく確め合う。
 わたしも酔いにまかせてか、町村合併に抗して独自の村づくりの最中にある道志村のことをくり返し話したようである。
 自民、公明のもとよどみきっていた国政にも話は及ぶ。いま選挙が政治を進める事態を実体験している有権者。「議員たるもの例外なく現場に足をはこべ」と声を大にして盛り上がる。

 しばらくは腰を下ろして花野かな
 小さな旅から台風に追いかけられて戻る。
 はがきが届いていて俳句が一つ。つれあいの古い友人、畑田久美子さんの作。彼女もご家族の不幸をのりこえられ好きな山登りを再開された由、乗鞍岳での一句。
 あちこちから元気を頂き、冬にむかう。

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2009年11月03日

自然と共に(23) 植物、多様なる戦略その8

 動けない植物にとって分布の拡大は大仕事である。彼らはそれを「風だのみ」であったり、「森の運び屋だのみ」であったりと多様な戦略を見せる.もちろん、自ら種を弾き飛ばす者もいるが「森の運び屋だのみ」は随分工夫がいる。彼らが喜んで運ぶには代償が必要であるからだ。決して、この世界も甘くはない。
 食べて運ぶ彼らには、種の外皮は甘く味付けするのが一番だが、十分な栄養だって用意しないといけない。ドングリなどは大事な発芽のための栄養を「森の運び屋」にあっさりあげるが全てを食べられても困る。幸いなことにリスやネズミは食欲こそ旺盛だが、保管場所を時々忘れる慌て者。その忘れる確率も全て見透かしているようだ。中にはきれいに着飾って運び屋の視覚に訴えるものもあるが、それもこれも如何に運び屋の好みに添えるかである。そうでなければ種を運んでもらえない。

◎トゲトゲ戦略とネバネバ戦略
 ホウセンカやツリフネソウ、スミレなどの種は頃あいを見てパーンと音を立ててきれいに飛び散ることをする。あるものは風に舞い、あるものは川の流れに運ばれる。その方がいかにも植物らしく優雅に見える。それに比べ「トゲトゲやネバネバ戦略」は見た目がいけない。そのため「バカ」などと罵られる羽目にもなっているが、不愉快で厄介者に見えても軽々しく非難などしてはいけないのである。植物が見せる一途な分布拡大のための努力と、ここはむしろ称賛すべきことである。
senndanngusa1 ところがセンダングサやオナモミ、ヌスビトハギなどの種は努力不足だったのかどこかでボタンを掛け違えたのか、運び屋が到底喜んで運んでくれそうもない種をつけてしまった。しかし分布拡大だけは彼らも他人事では済まされない。そのためにとった方法が運び屋に有無を言わせない「くっ付き戦略」である。トゲトゲやネバネバで実(種)を固めて、通りすがりの「運び屋」に強制的に運ばせる。それでもヌスビトハギやチヂミザサのネバネバ戦略は分かりやすいが、トゲトゲ戦略は植物にしてはいやに積極的で手の込んだ戦略に見える。「山の会」の面々も秋の山行きでこの戦略に引っかかり、くっつく種たちに閉口する。sendnanngusa2


◎強力なくっつき戦略
 センダングサは花よりも「くっつき戦略」にこだわる。既に花の時期には筒状花の一つ一つの先にV字型の鋭いトゲを準備している。それだけではない、更にそこには逆向きの鋭いトゲを付けて完璧な仕掛けで運び屋を待っている。
onamomiオナモミはというと、最初にトゲは食害を防ぐ武器として利用して秋には鋭さを増すことで「運び屋用」に変身、しかもひとつひとつのトゲの針先は念入りに曲げることで運び屋にくっついたら最後、どこまでも運んでもらえる戦略は整う。
そういえば私たちが重宝している「マジックバンド」のモデルが、このオナモミの実にあった。植物からの学びの一つがここにもある。




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2009年11月01日

09年11月の表紙

togakusi
戸隠山

ナイフ・リッジ 



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2009年10月05日

自然と共に(22) 植物、多様なる戦略その7

ニセアカシア陽射し光合成のためとはいっても夏の炎天下の強烈な陽射しは、彼らにも耐え難いものがあるだろう。実際、温度上昇は酵素を変性させ植物たちにとって命取りになるという。

しかし、照葉樹の葉は概して強い陽射し向きバージョン、表面は分厚いクチクラ層で覆われ葉裏の気孔は全開して備え万全。むしろ夏の炎天下は彼らを元気にしている。

しかし強烈な陽射に耐え難いのが、この地域の落葉する仲間。育ちが違う彼らの葉は、そのためか一様に軟弱に見えてしまう。ニセアカシア日陰温帯地域の環境は暑さ対策の本気度に差をつけたのだろう。そのため強烈な陽射しの下で、多くの葉はなす術も無くただうなだれているのをよく見かける。そんな彼らにとって地球温暖化は更なる悩みの種に違いない。

私説、葉っぱの形は戦略 

葉の形は主に単葉、複葉、針葉に大別できる。その役目は第一に太陽光を如何に効率よく吸収するかであるが、しかし時には強烈な陽射しや、強風にもその場で耐えなければならない。そのため彼らの多くは一枚の葉っぱの形を複葉(小葉に分割)にする戦略に出たと私は見る。これを戦略だとすれば実に理に適っていて効率がいい話である。

ニセアカシア夜中日が陰ると葉を閉じるネムノキやオジギソウはマメ科の仲間、羽状複葉の形をとっている。彼らの小葉の動きは葉柄部分の膨らみ(葉枕)に仕掛けがあって、そこが体内時計や刺激に反応する動きだという。

ところが、ニセアカシアの小葉は直射日光の下では一斉に上向き、陰ると水平となる。夜には下向きにと、蝶の羽のように光の強弱を3変化させる。いずれも葉枕にその秘密があるというが羽状複葉の構造にも仕掛けがありそうだ。それは葉柄の上部に沿って掘られた一条の溝構造である。小葉同士も元は一枚の葉、行動は一斉にするのが常である。クズ陽射しそれらの動きを助け加わる重みも支える。実に周到な戦略に見える。先輩格の多くのシダ類が遥か昔からこの羽状戦略を選択してきたのも尤もな話に思える

同じように三出複葉(小葉三つ)のクズやヤブマメなども似たようなことをする。彼らは炎天下の直射日光に対して、風も無いのに小葉を上に折り曲げ、時には捻りを入れて暑さをかわす。もちろん陽射しが陰ると、元の平らの状態に戻っている。クズ日陰それは日差しを避ける人の手首の動きにもよく似ている。この話はいずれもマメ科の仲間たち。厳しい生存競争を勝ち抜いてきた彼らのお家芸は、根瘤バクテリア戦略だけではなかった。

25万種にも及ぶ維管束植物、それぞれの葉っぱの形は千差万別。一つとして同じものが見当たらない。何故、こうまでして植物の葉でさえも多様な形を示すのか?本当の理由は明らかでないが、自己主張は、意外に強い生き物に思える。



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2009年10月03日

協働の村

 

 「おい、砂利が届く。きょうやるぞ」

 村会議員から早朝の電話。山荘をぬけて御正体山の登山道につづく林道を補修しようというのだ。

 一部分だが雨のたびに流れて掘れて路面が溝になっている。

 ほどなく軽トラックが二台、ダンプ車を先導してのぼってきた。もう一人、少し若い村会議員もいっしょである。

 「みんなでやろう」に否はない。朝食も早くすませていたので長靴、軍手姿で合流。

 「道具はいらんよ」と、軽トラックにはスコップはじめひと揃いつみこまれている。

 村の男たちはなんでもできる。

 補修が必要なのは四十メートルほどか。ダンプが砂利を落としていく。

 「照らずになにより」と木の間ごしに空をあおいで若手議員。「家内のにぎったにぎり飯もあるから昼はいっしょだ。みんなの分もあるよ」と昔ながらの竹の背負いかごを軽トラックからおろす。

 万端ととのえたという感じで実にたのしげである。来合わせていた山荘の主、わたしと四人、「夕方までかかるかな」と長老村議の声で作業がはじまる。

 実はこれは「協働の村」づくりの一環。

 道志村は町村合併を選ばず独自の村づくりをめざしている。七月の村長選挙で村民は自立の村づくりを進める村長を支持した。

 「住民協働」はそんな村の柱のひとつ。

 「砂利の代金は村が出すよ。三万円ほどですむだろうよ」と若手村議、砂利業者や役場とかけあってきたようである。

 資材は行政が用意して労働力は関係す

る住民が出し合い汗を流す。いい構図である。

 ともかくも山積みの砂利にとりくむ。猫車ではこび鋤簾(じょれん)やスコップで掻きよせ掻きならす。

 昼、「なんとか道らしくなったな。さて、このままじゃ流される。固めるか」と長老議員。「バタバタが建設会社にあったナ」と若手議員。「借りにいくべ」となる。

 お茶のさし入れにきたつれあいも加わってにぎり飯を食いながらの相談。「バタバタ」とは小型の地固め機械のことらしい。

 議会の仕事で長老はひきあげる。残った三人、まさにバタバタと森にエンジン音をふりまきながら午後も汗する。

 見物にきた山荘の客人、「業者に出さんのですか」ときいてくる。

「村には金がないけナ、みんなでやるんじゃ」と若手議員がこたえ呵呵と笑う。「業者がやれば二、三十万円はかかる」という。

 

  雨の萩山は動かぬ姿かな

 

 新装なった路傍にゆれる萩の花、ふと蕪村の句を思い出す。かくて労働の一日は充実しつつ暮れる。

 その夜、「足腰痛くないかい。ビールがうまいじゃろ」と村議から電話。折りしも阪神タイガースも勝って、当然ビールはうまい。

 な村に、山も人も腰をすえている。

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2009年10月02日

09年10月の表紙

yarihyousi槍ヶ岳を目指し、
喜作新道を行く。

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2009年09月05日

草と花と

 向いの山荘の主人が森に来ている。
 彼はワイン通を自認し一家言もつ。そのワイン氏が森にこもって読書三昧である。仕事の第一線からひいて、これからが楽しみですと言っている。
 「ナポレオンの茸ですね」
 つれあいのもっているかごをのぞいてワイン氏が言う。散歩の途中での立話。わたしたちは雨の間をみて雑木林をのぼり藪にはじかれながら林道に出てきたところ。
 思いがけない収穫はたまご茸。赤い頭のかわいい美味なる茸である。
 「その茸でワインを…」とさっそく言う。ナポレオンがことさら好んだそうだ。そういわれてみれば幼菌の赤い頭は彼の帽子に似ていないこともない。
 実は久しぶりの収穫。ここ3、4年、群をなして頭を出していた林床にとんと姿をみせず、「藪が深くなったからか」などとあれこれ考えていたところ。
 期待せずふらりと林にふみこんでみると、目の前の落葉を押し上げた赤い頭。「あら、お久しぶり」とつれあいが声をあげる。
 十本ほどの収穫はまことに久しぶり。自然の巡りの確かさを教えてくれているようだ。泰然とした気分を頂きつつ袋にしまう。
 「わたしも探してみましょう」
 ワイン氏にも森の茸のポイントのあてがあるようだ。茸の季節がはじまった。

  宵月を蛍袋の花で指す

 大きめの鉢で育てているトマトがやっと身を丸くしてきたが色づかない。雨がつづく。雨にあたりすぎると青いまま実が落ちる。
 だから鉢ごと軒下に入れたり出したり手数はかけているのだが、なにしろ日光不足。
 天は昨今の人間の所業に対しなにか思惑があるのか、と思ったりする。
 仕方なく庭の草を刈る。
 立秋すぎても雨が多く草の伸びが猛々しく往生する。それを鎌で刈る。
 高齢で病気がちの隣りの山荘の持ち主も、八月の盆には森にくるので隣家の庭の草も刈る。汗がふき出し大変だが、楽しくもある。
 山百合は花はおわったが沙参(しゃじん)、蛍袋、節黒仙翁(ふしぐろせんのう)など趣の花のまじる草群である。
 小舎の庭の一角には吾亦紅、蓮華升麻(れんげしょうま)も咲いている。
 鎌でやるのはこの花たちを残すためだ。
 ところがこういう作業、つい勢いが余る。草を方づけるとけっこう花がまじっている。
 玄関の横の台の上に大ぶりのガラスの花入れを置く。切ってしまった花を活ける。
 吾亦紅、沙参は丈があるのですっきりと見映えがする。節黒仙翁の明るい色をそえる。
 バイクでのぼってきた郵便局の労働者が、「おっ、いいな」と汗をふきつつ眺めてくれる。句は中村草田男。汗しあとの夜、句のような気分になれるか。

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2009年09月03日

自然と共に(21) 植物、多様なる戦略その6

◎生存競争の実相
 私たちには、植物はまず「穏やかで平和的な生き物」であるという前提がある。しかし彼らも例外なく厳しい生存競争の場に晒されている。外敵から逃げることは不可能であるし、その場がもたらす環境からも逃れようがない。そのうえ何処で生きようが太陽光や水の争奪戦が付きまとう。時にはその矛先は異種間のみでなく群落の仲間内にも向かい、より熾烈な競争となる。図らずもそこで生涯を終えなければならない者が持つ宿命である。

◎昆虫との共存
 彼らは限られた環境下では、共存という選択肢だけが許されることを知っている。そのため昆虫たちにも多様な戦略を見せる。その代表格がお馴染の虫媒花や食虫植物である。
山桜の蜜腺 サクラの仲間などは更にバージョンアップを図り、花の外にも蜜線を用意してアリを呼び寄せる。もちろん害虫退治の見返りを期待してのことである。似たような例は他にもあるが、植物の世界は更に巧妙である。それは熱帯に生きるアリ植物たちが見せる手の込んだ戦略である。そんな話は熱帯だけかと思っていたら、この日本にも似たような例があるという。ダニを利用したダニ植物たちである、しかも身近なクスノキやカエデなどの葉にそれを見ることができるという。

クスノキのダニ室◎ダニ植物の戦略
 ダニ植物は目的とするダニに、葉などの一部に安全で快適な専用小部屋を用意して貸与する。そこに大家と店子の信頼関係を作りだす。住まわせたダニには家賃代わりに、ハダニなどの天敵を退治する役目を負わせる。排泄物や死骸はというと、貴重な窒素分として利用するという。ほぼ完璧な戦略である。彼らがその意味を解するかどうかはさて置き、虫コブのように寄生されて一方的に利用されることとは大きな違いがある。
この話は出来すぎていて、やはり専門家の間にも異論があるという。私も実はそれを知ったのは数年前、本屋の立ち読みがきっかけであった。その時は、何せ約25万種といわれる膨大な植物の世界の話、こんな戦略もあってもいいと妙に納得をした思いがある。
 それ以来、葉っぱの隅々を覗く癖が身についたお陰でやっとヤブニッケイの葉にダニ室を見つけた。
 生き物の世界は全て説明が付くほど単純ではないし、生態系の複雑さは私の理解など遠く及ばない。38億年という途方もない歳月。数千万種に及ぶであろう壮大な世界は今でも多くの謎を秘めたままである。 

参考文献:(塚谷裕一著・「植物のこころ」より)

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