「87歳になって……“てんでんこ”の教えを改めて痛感したよ」。苦笑いしたようだった。
三陸海岸生まれの山下さんは明治三陸大津波(1896年)で一族9人が水死、おばあちゃんを亡くした。自らも少年時代に昭和三陸津波(1933年)に遭遇した。そんな経験から日本共産党文化部長を務める一方で「地震と津波の研究」に没頭。藤村善行さんが仲介した「創価学会と日本共産党の和解(創共協定)」の大役を終え、党幹部を退いてからは災害史研究一筋の人生だった。
「てんでんこ」は「人のことなどかまわずに、てんでんばらばらに逃げろ!」という教え。たえず避難訓練をしていれば、すばやい集団行動は取れる。災害弱者も救える。しかし、一番必要なのは津波の恐ろしさを伝え続け、そして、いざ襲われたら一目散に逃げる! これが「てんでんこ」の教え。この言葉を全国に広めたのも山下さんだった。
彼が「点呼の悲劇」を話してくれた。在籍児童74人が死亡・行方不明となった、ある小学校では教職員の誘導で児童を避難させるまでに約40分間。点呼を取ったりして、手間取った。
15年前にも、20年前にも「点呼はするな! 安全な場所に着いたら点呼しろ!と教えて来たのに……」。87歳の津波研究者は涙をこらえているようだった。(専門編集委員)