開拓の第一歩は子弟教育  ●札幌市西区西野290

上手稲神社差咸臨丸の沈没が原因で二つに分裂した片倉家臣団のうち、三木勉を支持した47戸・241人が1875年(明治5年)に入植したのが上手稲です。

●札幌の学校の嚆矢

三木の凄さは、開拓地に入ると真っ先に学校を設けたことです。茅葺の間口4間、奥行き6間の自宅を私塾・時習館として開放し、「読・書・算」を自ら子弟に教えました。最初の入学者は7人。学校開設から4カ月後の9月に学制が公布されましたが、その時点で札幌にあった学校は時習館を含めて3校。札幌の教育史の原点といえます。

賊軍とされ開拓移民の道を選んだ片倉家臣団は、官途に就くことは絶望的でした。三木は教育を通じ子弟を育て、未来を切り開く人材をつくろうとしたのかもしれません。学校運営の努力が国に認められ、78年(明治11年)に時習館は公立上手稲教育所となり、その歴史は手稲東小へと受け継がれています。

●祖先の地の「白石囃子」響く

宮城・白石地方に伝わる「白石囃子」を演奏する「上手稲神社おはやし会」が95年(平成7年)に結成され、例祭などで子供たちが笛や太鼓の音色を響かせています。


●社殿と狛犬
社は1876年(明治9年)、旧片倉家臣団が創建。1965年(昭和40年)、都市計画により現在地に移転しました。キリスト教会を思わせるスリムな造り が印象的。手前右の白い狛犬は、北海道銘菓「白い恋人」で知られる石屋製菓(プロサッカー・コンサドーレのスポンサーです)が寄進したものです。
上手稲神社新旧狛犬























●祭神は天照大御神
上手稲神社本殿アップ























●社殿脇の狛犬 
時を経ているだけあって風格があります
上手稲神社狛犬2上手稲神社狛犬1



















●高い空 神社は小高い丘にあります。それだけに空が広く望めます。
上手稲神社鳥居


















■撮影日 2011・9・25