太平洋戦争末期、住民の要請で再建  ●大阪市東淀川区小松4

松山小松の地名は、松の茂る景観に感動した道真が詠んだ漢詩「小松」から生まれました。

小松経幾日 不変旧青々 
本是山中種 移乗水上庭 
同声沙石浪 仮蔭草茅亭 
将効貞心遠 大夫此地停

小松幾日をか経たる 旧の青々たることを変えず
本是れ山中の種 移し来たる水上の庭
声を同じゅうす沙石の波 蔭を仮る草茅(そうぼう)の亭
将に貞心を遠きに効(あらわ)さむとして 大夫此の地に停まれり

この逸話も道真左遷時のものです。901年(延喜元年)、淀川を下った道真はこの地に立ち寄り、「小松」の漢詩と一緒に自画像を住民に贈り、こう言い残したそう。「我が像ここに置くべし。この地に本心留め置くべし」。 これが遺訓となり、住民は道真没後に祠を設け、村の名を小松としたと伝わります。江戸期には小松天満宮と称したそう。1764年には社殿が修築され、前大納言揮毫の「天満宮」の額が掲げられました。現社名となったのは1871年(明治4年)、明治政府が天満宮の呼称を禁止してからです。

由緒ある社は1909年(明治42年)、廃絶となります。松山神社を含む7社が、神饌幣帛料供進社の大隅神社(大阪市東淀川区大桐5)に合祀されたのです。鳥居や灯篭は放置されたそう。地元は再建を求める請願運動を起こし、第2次大戦の戦況が悪化した1944年 (昭和19年)、再び天満宮が故地に戻りました。住民は天神さんに何を願ったのでしょう…。現在の拝殿はこの時のもので、別格官幣社四条畷神社の旧社殿を移築したそうです。77年 (昭和52年)には神門、玉垣、回廊を新築しました。

朱印の右上に「天神磐座奥宮鎮座」とあります。参拝したのが午後5時直前で、奥宮拝観は叶いませんでした。磐座が祀られているというのは、この地は天神さん以前から信仰の場所だったのでしょう。再度参拝し、目に留めたいですね。


●廃絶の憂き目を経ての再建。天神さんらしい華やかさ。拝殿は四条畷神社の旧社殿です。
松山 神門














松山 梅紋

















松山 社殿













松山 神門と社殿松山 神門梅紋





















●社の手前にある公園に鳥居があります。阪急相川駅からタクシーで天満宮に向かい、帰路は徒歩で阪急上新庄駅まで路地探検をしました。
松山 鳥居











松山 牛さん















松山 狛犬2これ松山狛犬1これ



















■撮影日 2014・9・6(Sat)