倭姫、神宮の礎を築く

式年遷宮の年に参拝しようと思いながら、その機会もなく時間だけが過ぎてゆきました。掘立柱に茅葺屋根。弥生時代の様式を伝える唯一神明造の社は、素朴さゆえに尊いものに感じます。私が初めて神社の御朱印をいただいたのは、伊勢の神宮です。カメラを持たずに参拝したため写真はありませんが、神詣でを始めた原点の御朱印を紹介します。日付の新しい御朱印を紹介したかったのですが…。正宮と別宮合わせて7社。印にある「宮」の書体も社ごとに異なり、見比べると面白いですよ。
朱印帳

















♦内宮 皇大神宮 祭神は天照大御神です。創建は約2000年前の11代天皇垂仁26年。それまでは宮中で祀っていましたが、垂仁の娘・倭姫がふさわしい地を求め行脚し、現在地の五十鈴川の川上を鎮座地に定めました。
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外宮から内宮行きバスに乗り参拝しました。本数が多いので安心です。内宮社殿を中心とした神域は93㌶。鎮座以来、一度も斧を入れたことがないそう。宇治橋を渡り参道に入ると、広さにびっくり。御朱印ブーム以前なのに、授与所に並んだのを覚えています。



♦外宮 豊受大神宮 内宮創建から500年ほど後、21代雄略天皇が天照大御神に神饌を献じるため、丹波から食物をつかさどる御饌都神(みけつかみ)として豊受大御神を招きました。御垣内の御饌殿では今日も朝夕の神饌が手向けられているそうです。
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初めて御朱印帳と御朱印をいただいた思い出深いお宮です。近鉄伊勢市駅から徒歩で参拝しました。対応してくれた巫女さんに「内宮のページを空けておきますね」といわれ、同じ正宮でありながら、朱印帳でも筆頭は内宮なんだな、と実感しました。



♦月夜見宮 天照の弟・月夜見尊を祀っています。天照が太陽神なのに対し、月夜見は夜之食国(よるのおすくに)を治める月光神です。月讀宮との違いは、月夜見宮は和魂(にぎたま)と荒魂を一つの社殿に祀っていることです。外宮の摂社でしたが、鎌倉期の1210年に別宮に昇格しました。
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月夜見。美しい響きです。外宮北の小路「神路通り」を抜けるとお宮です。小路沿いの家々の玄関には「笑門来福」の飾りがあったのを覚えています。小路横の小学校はまだあるのかな。子供の元気な声が聞こえる学校の校庭を左に眺めて歩き、境内に入ると静寂な空間が。その落差が記憶に残っています。



♦月讀宮 祭神は月讀尊。表記は違いますが、前述の外宮の別宮・月夜見宮と同じ、天照の弟です。異なるのは月讀尊の荒魂のみを祀る社があることです。内宮の荒祭宮には天照の荒魂、外宮の多賀宮には豊受大御神の荒魂。その流れで、月讀の荒魂を祀ったのでしょうか。
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内宮から循環バスを利用して参拝しました。最寄のバス停は「中村」。交通量の多い道路沿いに、一線を画すように茂る森に鎮座しています。参道入り口はバス停から徒歩5分ほどです。道路沿いにあるはずの入口が分からず、右往左往してしまいました。



♦瀧原宮 「大神の遙宮(とおのみや)」と呼ばれる内宮別宮です。天照の鎮座地を求め行脚していた倭姫が内宮創建以前に設けました。宮川の急流を渡れずにいた倭姫を土地の神・真奈胡神(まなごのかみ)が手助けし「大河の瀧原の国」へと案内。その美しさから建てたお宮が瀧原宮となりました。
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参拝はJRで。無人駅の滝原で降り、山間の道を歩くこと約30分。社務所下を流れる川で手を清め、お参りしました。凛とした静寂な雰囲気は伊勢の神宮で最高の印象を受けました。悲しいのは滝原駅に停まるJRの本数が少ないこと。帰りは1時間以上待ちました。




♦伊雜宮 国の重要無形民俗文化財「磯部の御神田の御田植式」で知られています。瀧原宮と同様、内宮の遙宮です。倭姫が内宮への供物を採る御贄地(みにえどころ)として創建しました。志摩は海産物豊かな土地で、万葉集に「御食国(みつけくに)」と歌われています。
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近鉄・上之郷駅が最寄り駅。「御神田」があるためか他の別宮と違いのどかな印象を受けました。一説によると、内宮と正統を争った歴史があるとか。まぁ、内輪の権力争いには興味がありません。倭姫が天照への供物の地を探し求めた健気さに心打たれます。



♦倭姫宮 大正時代創建の別宮です。天照が鎮まる地を定め、新嘗祭などの祭事、神職の職階を設けるなど神宮の礎を築いた倭姫を祀っています。神慮に奉仕する「御杖代(みつえしろ)」の役目を果たした功績をたたえるため、当時の宇治山田市などが請願し、1921年(大正10年)に許可されました。
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伊勢の神宮は、倭姫という一人の女性が創ったといえます。皇女でありながら、天照の鎮まる地を求め諸国を行脚した責任感と行動力、なによりも神宮の基盤を固めるため、神領や組織を定めたリーダーシップには目を見張ります。女性の力は時代を問わず偉大ですね。