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歴史と遺構

2010年01月29日

国内最古の自家用蒸気自動車が2月21日にまで「HAKODATE男爵倶楽部HOTEL&RESORTS」のロビーに展示される事になったので見てきました。普段は北斗市当別町の男爵資料館(トラピスト修道院そば)に展示(入館料がかかります)されている物です。

展示されているロコモビルは、1902年(明治35年)4月にアメリカから輸入された8台のうちの1台で、当時横浜船渠(せんきょ)の社長をしていた川田龍吉男爵(男爵いもの普及で有名)が2500円で購入し通勤に使ったそうで。つまり川田男爵は日本で初めて自動車を通勤に使った人物ということになります。

ロコモビル川田男爵はその後、函館船渠(いまの函館どっく)の社長に就任し、市内の自宅と七飯町の男爵いも農場の往復用にロコモビルを函館に持ち込みました。



操作レバーガソリンエンジンを搭載し現在の自動車の基礎になったT型フォード(フォード・モデルT(Ford Model T))が1908年の発売なので、ハンドルやアクセルの操作方法は馬車の流れになってるのかな。



バーナーロコモビルの燃料はナフサで、ボイラーで蒸気を発生させて出力は3〜4馬力、速度は20〜40km/hだったそうです。
このロコモビルは1908年頃に故障して、その後男爵いも農場の倉庫に放置されていたのですが、1978年にNHKの取材で発見され1980年にボイラを現在の規格に合わせて新造した以外は当時の部材を用いて復元しました。写真は新造するに当たって交換された元のバーナーです。



下回り後輪車軸に大きなギアが付いているので、蒸気エンジンからの動力伝達にはチェーンを用いていのかな。
写真中央の上に新造されたバーナーが見えます。



タイヤタイヤの側面に3.00-21とあるので、MTB風に解釈すると幅3インチで径が21インチってことでしょうか。



車体当時の人達は、白い煙をモクモク吐いて走るロコモビルを「へっつい(かまど)」が走ってると驚いたそうです。
ちなみに新橋〜横浜間に日本初の鉄道が開業し蒸気機関車が走ったのは1872年でした。



写真のロコモビルは、2009年に日本機械学会の「機械遺産No.35」に認定されました。

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2009年08月21日

突然ですが、袋澗ってご存知ですか?袋澗と書いてフクロマと読みます。
先日の戸井線のアーチ橋と本州への最短地点(2009年08月19日)で船揚場と紹介した施設ですが、どうしても気になって、ダメ元と思い戸井支所に問い合わせをしてみました。

そしたら、なんと!町史付きで回答を頂きました。
その回答によると、この船揚場のようなものは、鰯(イワシ)一時保管すための施設で「袋澗」というものだそうです。

町史によると戸井町の鰯漁は、文政年間から始まり明治33年から昭和14年まで40年間も大漁が続いたそうです。

しかし現代のように設備が整っていなかった時代の事、海がシケて鰯を沖揚げ出来なくて海に棄てる事があったそうです。

そのような事態を避けるために網元によって造られたのが、この「袋澗(鰯をつめた袋網を入れた澗)」なんだそうです。

町史によると、戸井町で最初に「袋澗」を造ったのは、小柳吉太郎氏で明治42年(1909)で、氏が若い頃に鰯漁の出稼ぎに出た後志地方で見たものを、地元に帰ってから見よう見まねで造ったそうです。

以後、汐首岬周辺には石田玉蔵氏が明治44年、吉崎吉松氏が大正5年、境氏(名不詳)が大正6年、西崎吉太郎氏が対象7年、吉崎岩吉氏が大正12年に「袋澗」を造ったそうです。
ちなみに、オレが汐首岬で写真に撮った「袋澗」は、戸井支所の担当者さんが町史や土地の所有者、周辺住民への聞き取りなど調べてくださって、大正12年に吉崎岩吉が造ったものではないだろうかという回答を頂きました(支所としての正式な回答ではありません)。

余談ですが、「袋澗」は2006年(平成18年)2月17日に水産庁が発表した「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれています。

その他にも、戸井管内には鰯の置き場所と防波堤の役目を果たす高い石垣など多くの産業・土木遺構が残されています。

もし戸井のアーチ橋を見に行く機会があったら、是非とも海岸部分を見て周ってください。異国情緒に溢れた函館山周辺の西部地区とは違った歴史を感じることが出来ると思います。

袋澗
戸井支所のパンフレットより「袋澗」を抜粋
(戸井支所産業建設課様の使用許諾を頂いています)




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2009年08月19日

戸井線は、津軽要塞の一部をなす汐首岬第一・第二要塞へ兵員物資の輸送目的で昭和11年(1936)着工しました。
しかし戦局の悪化とそれに伴う資材不足から、で昭和18年(1943)に全線29.2キロ中、2.8キロを残して工事は中断。したがって廃線ではなく幻の鉄路と言われています。
終戦直前の7月には、青函連絡船を沈めに来たアメリカ海軍機(空母ランドルフとバターンから出撃)が、ついでに津軽要塞も攻撃して戸井町でも住民が犠牲になりました。

敗戦によって戸井線の必要性も失せたことから、戦後は工事が再開されることも施設が維持管理されることも無く放置されたままになり、昭和46年になって戸井線全線は土地を含めて国鉄から自治体に無償譲渡されました。

しかし、鉄が不足していた戦時中に建設されたために、橋脚や陸橋のコンクリートは鉄筋の換わりに木材や竹が使われていたり、コンクリート自体も粗悪なうえ長年風雨と潮風に晒されてきたため非常に脆くなっていて、専門家からは崩壊の危険性が指摘されています。

近年、戸井線のアーチ橋を産業遺構にという話が有ったのですが、当時の戸井町は「補修にお金が掛かるので、むしろ廃物を押し付けた国に撤去をお願いしたい」という回答だったそうです。財政難に喘ぐ自治体としては常識的な判断ですが、マニアとしては残念な気持ちも有ります。
旧戸井線のアーチ橋


そんなワケで、いつ何時撤去されるかもしれない戸井線とその遺構を今のうちに写真に収めて、自分の目にも焼き付けておこうと片道20数キロを走ってきたのが先週の土曜日。
翌日曜日は北斗市の沖にある津軽要塞の遺構を見に行こうとしたんですが、子供がアーチ橋に興味を示したので2日連続でアーチ橋見学になりました(苦笑)

函館市内から戸井町にあるアーチ橋までは全線歩道がありますし、車道も広く路肩もご覧のとおりの広さ。交通量も少ないので自転車で走るには楽なコースです。私も土日は大勢のローディーとすれ違ったり追い抜かれたりしたので地元の自転車乗りにはお馴染みのコースなのかな。
下海岸の道路事情


とにかく、一人で走るのも良いですし、子供と一緒でもコースはアップダウンの無い平坦な海岸線なので無理なく走れると思います。ただ、道中コンビニの無い区間が長いのでトイレには注意が必要です。
水分補給は、道中の数箇所に自動販売機あるので心配は要らないと思います。

あと、海岸線を走るので天気の良い日には日焼けや日射病に気をつけたいですね。また、海岸沿いは風が強く吹く場合があるので帰りの時間にも気を配ったほうがいいかも。実際、私が戸井町まで往復したときは、往路が弱い追い風、復路は強い向かい風で往路の1.5倍くらい時間が掛かりました。

さて、アーチ橋までたどり着いたら、数分余計に進むと北海道と本州の最短地点(17.5キロ)である「汐首岬」です。晴れた日には対岸の青森県大間町がクッキリ見えます。
尚、周囲には車を停める場所がありません。というか、カーブの頂点に看板があるため路肩に車を停めてると非常に危険です。が、自転車であれば歩道に停める事ができます。
汐首岬


この看板の下には、ご覧のような船揚場のようなものがあります。車道からは階段があるので明らかに人が使う施設だとは思うのですが、船揚場にしては周囲に大きな岩があるし水深も浅いようです。コンクリートの一部が朽ちているし、斜路は石畳なので最近作られたものではないようです。古い遺構であれば是非とも用途や作られた年代なんか知りたいです。
謎の船揚場


当日は周辺集落のお祭りがあって、地元の方々が踊ってたり、出店なんかもありました。写真は「トトロとネコバス」だと思うんですが、このネコバス・・・目の部分に電球がハメてあってちょっと怖いです(笑)
トトロとネコバス


この汐首岬から更に先に進むと、1929年に出来た素堀りのトンネル「日浦洞門」を経て市内唯一の活火山「恵山」へとつながります。

今年中には「日浦洞門」へ行きたいと思っているのですが・・・。

【追記】
船揚場の正体が判明しました。
袋澗とは?(2009年08月21日)


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2008年07月26日

滅多に見られない函館中華会館(関帝廟)の内部が4年ぶりに公開されたので見てきました。
内部は撮影禁止になっていたので残念ながら写真はありません。

清朝末期に中国から呼び寄せた大工、彫刻師、漆工によって建てられた建物は、その材料のほとんども中国から持ってきたという徹底ぶり。

内部は中庭のある回廊形式(現在中庭には屋根が付けられている)で、関帝壇を境に左右対称の造り。

戦災で焼失し戦後に再建された中華会館はあるが、清朝末期に建設されたままの姿が残るのは全国でも函館中華会館一箇所のみ。

今年は四川大地震のお見舞いと、北京オリンピックを控えてのキャンペーンもあり4年ぶりに公開中。

今後は会館を管理運営する函館華僑の高齢化、入館者の減少による運営費の赤字、筑後100年近く経ち建物に傷みが見える、加えて中国本土にも修繕を行える者が絶えているのでこのまま静かにしておきたい。
以上のような理由から、今年の公開期間を逃すと次はいつ公開されるか見通しが立たない状況です。

そんなわけで、もし函館に来られたら、函館山の夜景(いつでも見れる)より中華会館を見学してください。

函館中華会館

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