2012年01月27日

最近読んだ本の感想から

佐藤泰志『黄金の服』 (小学館文庫)

 佐藤さんの文庫化された作品、これで6冊目で完読。3編の中編からなる作品集だけれど、今回は佐藤さんの描く青春世界を楽しみ癒され酔うとともに、細部に宿るマジックのようなものを感じた。
 「光は眩しくはなかったが、海峡さえもが無数の発光体をまき散らしたようにきらめいていた」「どうすればそこまでたどり着くことができるのか見当もつかないほど、遠い幻のフェンスだった」といった外界の描写が心理と溶け合ってしまうような文章。「僕は確かに二十四だった。けれども妹がいうように、まだ若い年齢だとは思っていなかった」「二十四で、それが果していい事なのかどうなのか、そんなことは考えたくもなかった」若さのただなかから自分を突き放してみるような、老成した、しかしかっこいい文章。主人公が置かれている立場の行き止まり感にくらべて、ちっともこたえていないかのような主人公の心のたくましい動き。この辺りに、佐藤さんのマジックの種が隠れているのかもしれない。


島本理生『アンダスタンド・メイビー』(中央公論新社)

 「午後になって雨があがった空は暮れかかって、黄金色の光に満ちた表参道の並木道は、蜂蜜を垂らした紅茶の中のようだった。」「同じだ。誰も彼も。私を、私の中に置き去りにする。」「もっと、もっともっと強いものがやって来て、私を粉々にしてしまえばいい。」
 島本さんの本は『リトル・バイ・リトル』に続けて2冊目だけれど、こんな文章を読むと、少女の観点を失わないまま、世界をつかむグリップがぐっと強まっているのを感じてうれしくなる(日本語として変な文もいくつか見受けられましたが、それは編集者の責任でもあるような)。
 幼児虐待、新興宗教、田舎の中高生の生態、人の生き死に、写真を撮ること、心療内科、などなど現代のモチーフを盛り込んだ上下巻の長い作品を、箱書きに陥ることなく、ひりひりした痛覚を伝えながら、書き抜いているのが素晴らしい。大人の作品にはなりきっていないかもしれないけれど、今しか書けないものを書いた、読まされたという手ごたえがある。
 島本さん、次作が楽しみだ。


カルロス・フエンテスほか『パタゴニア/老いぼれグリンゴ』(河出書房新社) 

 フエンテスさんの作品を読むのは初めて(「老いぼれグリンゴ」)。晩年に革命期のメキシコに行き、行方の分からなくなった実在の作家アンブローズ・ビアスさんを主人公に、メキシコの一革命戦士と合州国から金持ちの家の家庭教師に来た女性の不思議な三角関係を描いたフィクション。
 と書くとロマンチックな小説に思われるかもしれないが、作風はバロックそのもの(カルペンティエールさんの小説もそうだったなあ)。織りなす鏡と夢のイメージ、入り組んだ生と死の関係、そして、光、音、色についての描写があふれる。最後の方にいたっては、言葉が言葉を語りながら飛び回る。おそらく原文で読むともっときらびやかで音的にも楽しめる趣向なのだろうけれど、そのバロックぶりが翻訳では再現しきれないのだろうところがちょっとつらい(かなり頑張られているとは思いますが)。だが、そのつらいところが、日本語圏の閉鎖空間の彼方から来た表現とも思えるところが面白い。
 「パタゴニア」は原書で読んでいるので今回はパス。


八木忠栄『「現代詩手帖」編集長日録 1965‐1969』(思潮社)

ぼくが「現代詩手帖」を読み始めたのは、1974年くらい。この本によれば八木さんは69年でいったん編集長職を引き、後にも従事した時期はあるがと書いているけれど、ぼくの人生を変えてしまった74年の12月号「現代詩年鑑75」も八木さんが編集長だった。
 という個人的事情はおいて、この本は八木さんの日録と雑誌の目次と編集後記をまとめたもの。ぼくは土地勘がまだあるから面白く読めたが、登場する詩人たちを知らない人々にはどう読まれるのかな。
 まあ、とにかく激務ですね。まだページ数が少なかったとは言え、社内のスタッフと相談しつつも(もちろん酒、酒、酒)、ほとんど一人できりもり。それを実現させたのは、八木さんの若さもあったろうし、詩へのピュアな情熱があってのことだろう。詩人たちも、もちろん原稿依頼を断ったりするのだが、引き受けると「あっ」というインタバルで書き上げたりもする。
 時移り、今は詩集などDTPやネットを使っていくらでも発表できる時代、つるんでわあわあ朗読会でもやっていれば詩人気分にひたれる時代。「自分は詩人」「自分はなんか偉い」みたいな人々が繁殖する時代。その現在において、回顧にとどまらず、参照できる要素はあるのかないのか、難しいですね。あるとすれば、ケンカしてでも、わが思いを突き詰めろというところかな、と思いました。
 清水昶、草森紳一、岡田隆彦、そして寺山修司、黒田喜夫、と言った名前がなつかしい。編集後記も、八木さんの詩人ぶりがあらわれているけど、60年代後半にして、終戦直後の「熱さ」に対する「荒廃」を語っている。だとすれば今は?


オルハン・パムク『無垢の博物館』(早川書房)

 傑作『雪』に続く新作小説。前作同様、定評があるという英訳で、と思ったが長さに気圧されて翻訳で読みました。
 遠縁の娘に恋をして、婚約者も捨て、彼女との愛の実現を求めて、すでに結婚してしまった彼女が両親と住む家を何年も訪れ続ける、良家の青年。その何年もの苦しい思いが、さまざまな角度から描かれ、ときには延々と続く描写に、読者も主人公とともに身もだえしながら読み続けることになる。
 そして描かれているのは、愛、であると同時に、現代トルコの貧富の差、不安定な政情、そして近代化によって変貌していくイスタンブールの町、人々の価値観、セックス観、風俗。それらすべてに哀惜を込めながら、彼女の家から盗み出す小物、当時を伝える絵画、写真などのコレクションによって、博物館を作ることを主人公は志すようになる。
 作者本人も実名で出てきて、前作『雪』を退屈な小説と言われた、などと書くお茶目な遊びもある。トルコ現代史に愛を込めた全体小説と、哀切なラブストーリーを同時に実現した佳品ですね。  

2011年12月04日

今井義行『時刻(とき)の、いのり』感想メモ

 巻末の田野倉康一さんの解説を除くと140ページ弱、しかし詩集にはめずらしい横組みで小さめの文字で110編ほどの詩篇がぎっしりつまっていて(一般的な詩集の3冊分以上?)、思ったより読むのに時間がかかった。その上、これらの詩篇はネットの「ミクシィ」で発表され続けたものだが、執筆とミクシィへの発表は今でも連日続けられていて、この本で読む今井さんの詩と、ネットで発表され続ける詩が、どこかでデジャヴュのように自分のなかでだぶってくるということもあり、読んでいる間は今井ワールドに漬かっている気分さえした。
 この詩集には2010年8月3日から2011年5月29日にまで書かれた詩が日付・時刻をともなったまま、「明日への抒情」「今日の詩篇」「明日への抒情 II」の3つのパートに分けて収録されているが、「今日の詩篇」では1日に多くの詩篇が書かれていて、4月27、28日の2日間では40篇近い詩が書かれている。短歌では啄木さんが夜を徹して多数の作品を書いたと言われていますが、詩ではちょっと聞いたことのない、恐ろしいほどのペースですね。
 そうしたペースで書き抜かれた作品はこちらに強い印象を焼き付けるというよりも、その早いペースで書き抜かれていくことで、日常の意味空間を踏み越えて解放される、そんな瞬間を実現していると感じました。

−−やわらかい綿がふりだして/遠くやわらかく/重なって/まっしろな野原がひろがったので/無免許で/野うさぎになる//走ってあげる//骨になるまで走ってやる (「無免許」2010年04月28日 「04」はこの本の表記、以下同)
−−野うさぎは駆けていく/まっすぐな直感で/あきらめないことは/生きる薫りへの/直感なのでしょう(中略)あたらしい時が訪れる/噂を聞きましたか/わたしは少し前に/聞いたところです/なんだか昂揚をした(「よろこんでみようよ」2010年05年14日)

 「野うさぎ」になって疾走する、書く、そのことは日常世界を脅かすものではありませんが、日常世界から忘れられる/日常世界を忘れる自由を実現しているものではあるようです。そして、その疾走によって、母や父をめぐって書かれた詩(「わたしのたからもの」「或る夫婦」など)も過度に感傷的にならず、セックスを取り込んだ詩(「セックス譚」「聖者」など)も本人との関係を読み込もうとするような視線をまったく受け付けずに走り抜けてしまうことに成功していると言えるでしょう。

 これはずっと前の記憶ですが、今井さんはザ・スミスのボーカルだったモリッシーさんと観客のスタンスとか、ロックの表現のありように関心を持っていたと思います。歌いながらステージからバラの花を投げるといったパフォーマンスと詩の表現は位相の違うものですが、今井さんは自分の声の出し方を見つけたのかな(いや、それはとっくに??)、という印象を持ちました。
  
Posted by f4511 at 09:58Comments(33)TrackBack(0)詩集の感想

2011年11月12日

最近読んだ本の感想から

島田雅彦『悪貨』(講談社)

 島田さんの小説はデビュー時の数冊を読んだきりだったので、かれこれ四半世紀ぶり? 手にした本は初版後3ヶ月の5刷なので、読者からは愛され続けているのかな?
 脇筋はいろいろあるけれど、主筋は2つ。貨幣社会を無化して乗り越えようという、元大学教授の経済学者が展開する、生協と宗教を合わせたような、自らの貨幣をも作り出す、反-日本の運動。そして、彼に救われ彼を信奉する青年が、中国の裏社会に入って偽札作りで彼を支援するという話。
 気になるのは、結局、島田さんは世の中よりも頭がよくて、しかも職業作家として生計も維持できている、というポジションから、半ば知的遊戯として書いているということ。だから、作者は頭がいい、それを喜ぶ読者も頭がいい、編集者も「これで儲かりそうでOK」という空間で、結局みんな、自分が「頭がいい」で、世界を鼻で笑うレベルで、読み書きされているだけの作品なのかと思う。だって、気持ちを込めて書かれた文章は1行もないでしょ。
 ま、こんなのが「ブンガク」だと褒められるのだとしたら、それこそ資本主義のゲームですよね。


マリオ・バルガス=リョサほか『ラテンアメリカ五人集』(集英社文庫)

 一口にラテンアメリカ文学と言っても、その作風は作家によってさまざま。個人的には図太い散文精神を持ったバルガス=リョサさんやレイナルド・アレナスさんらの作品が好きだが、おそらく翻訳ということもあるのだろう、コルタサルさんの長編などはいまだに完読できていない。
 この本はラテンアメリカの代表的な作家・詩人たちの短編を4編、オクタビオ・パスさんの詩と散文を収録している。個性的で、長すぎない作品をまとめて読めるのはよかった。
 幼い恋の思い出とメキシコの歴史をからめたパチェーコさんの「砂漠の戦い」と、少年少女の会話をポリフォニックにまとめたバルガス=リョサさんの「小犬たち」は、ラテンアメリカ文学のサンプルとも言える佳品。パスさんの詩はやはり翻訳では苦しいか。アストゥリアスさんの「グアテマラ伝説集」は、原語で読んだら、かなり音楽的で色彩豊かな文なのだろうと思わされる、壮大な天地創造物語。
 ラテンアメリカ文学を読みつけていない人にも薦められそう。


草森紳一『記憶のちぎれ雲 我が半自伝』(本の雑誌社)

 連載途中で草森さんが亡くなったものの400ページを越すボリューム。草森さんが大学卒業後、婦人画報社で編集者をしていた60年代に交流のあった真鍋博さん、田中小実昌さん、フリーになった後で出会った古山高麗雄さんらの思い出をつづっている。
 漢籍や歴史文書のからまない草森さんの文書はこんなにも読みやすかったのかと思いつつ、あっと言う間に読んでしまった。当時の雑誌などを調べれば分かることだが、と書きつつ、記憶のあいまいさを楽しむように、ある時ははげしく飛躍脱線していく。そして前記の3人に続く中原淳一・葦原邦子夫妻、伊丹一三(十三)さんの章(当時の奥方である川喜多和子さんも重要な存在として登場)では、思い出語りを越えて、人間の心の魔とでもいう領域に踏み込んでいく。あの時あの人はなぜあのような表情をしたのか、何を考えていたのか、記憶をもとに想像力が働くままに踏み込む筆致がいい。
 小説は終わったと言う草森さん流の小説にも読める。


莫言『牛 築路』 (岩波現代文庫)

 莫言(モーイエン)さんの小説を読むのは、同じ岩波現代文庫の『赤い高粱』以来なので、数年ぶり、2冊目。
 文革時代の農村の人々と役人、および果てのない道路工事につかせられた男たちをそれぞれ扱った中編2編。と言っても、どちらも出だしはリアリズムなのだが、文革時代の悲惨さを描くといった展開ではなく、うねるような、どこかコスミックな物語宇宙に力強く飛び込んでいき、読者をぐいぐいと引っ張っていく。そのきっかけになるのは夜空の月や畑の描写、そして何よりも人間に蹂躙される牛や犬の流す血、そしてその臭いか。とくに「築路」では工事の人夫らをまとめる男が豆腐売りの女に懸想して、喧嘩をした人夫をけしかけてその女の家の番犬をつかまえさせてみんなで食ってしまうという主筋に、男たち一人一人の来歴が書き込まれ、そのひとつひとつの物語がまた小宇宙をはらんでいるといった具合で、アジアの貧乏小説で終わらないところに凄みを感じた。
 登場人物たちはよくしゃべる。その話し言葉の勢いもどこかでリアリズムを越えてしまっている。


野呂邦暢『夕暮の緑の光 野呂邦暢随筆選』(みすず書房)

 野呂さんの本を読むのは初めて。1937年生まれというから、詩人の清水哲男さんと同じくらいの年回り。そして70年代に評価されながら80年に急逝というから、一番氏が活躍されていた頃は、こちらは現代詩や合州国のモダニズム文学に溺れていた頃で読まずじまいだった。
 仕事体験、苦労話、郷里の話、古本屋さんや自作をめぐる話。どれをとっても乾いた光がたたえられていて、湿っぽさもなく、心地よいままにこちらの心が救われていくようなところがある。
 あれっと思ったのは、編者の岡崎さんが10年以上前から「すごくいい」と騒ぎ続け、近年再評価にいたった佐藤泰志さんとの共通点のようなものが感じられたから。どちらも郷里にこだわり、さまざまな仕事をし、水分をたたえたような光を放つ作風で、貧しさからみみっちくなるところがない矜持をも感じさせてくれる。岡崎さん、また「鉱山」掘り当てちゃったなと、その愛情深さとセンスにも感謝。  

2011年10月01日

2冊の詩集を読んでのメモ

 辻和人さんの新詩集『真空行動』(七月堂)一読しました。今までの辻さんの詩集に比べて肩の力が抜けてて(抜けすぎ?という説も)つるつる読めた。何か、ちょっと楽しげな私小説かミニコミを読んだ気分。日常の風景に不思議を見る第1章「隙」(今までは、その「不思議」の描写にひねりが加わって--加わりすぎて?--ああ、こういう作者も世の中にはいるのだなあと、やや疲れさせられたこともあった)と野良猫たちとの付き合いを語る第2章「猫」。
 ちなみに「真空行動」とは、有り余る「エネルギーを発散するために夜中に猫が「大運動会」を催すこと」とのこと。ディスプレイに書き続けた、孤独な青年(失礼?)の独り言のようでありながら、辻さんを知らない人が何の予備知識もなく読んでも、嫌な気にならずに読めるんじゃないかな。
 ちなみに辻さんは頭も良くて、ジェントルで、美男(元?)です。誰か「おそ松くん」に出てくる小池さんの奥さんのような素敵な人が、猫つながりで、辻さんの前に現れちゃったりすることを望みます。
 
      *

 薦田愛さんの詩集『流離縁起』(ふらんす堂)読了。着地点を求めないかのように、あふれる言葉については意見が分かれるんじゃないかな。ぼくの感じたのは、言葉が届く他者の不在。老婆が出てくる連作「石積み」でも、老婆になりきる部分と、老婆の説明的描写とが勢いを打ち消しあうように交互に出てきて、言葉の豊富さとは裏腹に、作品が拡散してしまう印象も受けた。
 おそらく薦田さんは表現するにあたって他者を必要としていないのかもしれない。また他者の表現をも。類縁的に想像するのは、天澤退二郎さんの悪夢的にねじれる世界、朝吹真理子さんの幻想の物語への定着、また老婆については三島さんの『近代能楽集』など。それらは確実に読者に届くサムシングを持っているのだが。
 薦田さんは本を読むと影響されてしまうとか言ってた気がするけど、どんどん読んで影響受けて、その影響を突き抜けるというのがいいのでは? そうした試行錯誤を経て、他者、読者も見えてくるのでは? いずれにしても、不思議な表現だ。「読む」→「自分も書く」という、文学をめぐる積み重ねの歴史を離れてどこまでも一人歩きしてしまうような表現。今度は(大リーグ「妖精」ギプスをはめて)20行くらいの短い詩をたくさん読ませてほしいです^^^  
Posted by f4511 at 13:59Comments(6)TrackBack(0)詩集の感想

2011年09月18日

福間健二詩集『青い家』を読む

福間さんの夏に出た詩集『青い家』(思潮社)はA5判の500ページになろうかという大冊。7月に刊行された際に送っていただいて、通読するだけで2ヶ月近くかかっている。通常の詩集の場合だと、これはちゃんと読もうと思った場合は2回半は読んで感想をまとめることにしているけれど、とりあえず1回で、メモを書き始めてみよう。
全体は1Aから6Bまで、音楽のLPで言えば6枚組みの構成になっていて、それぞれに章タイトルが付けられている。その構成意図までは、まだとてもとても踏み込めない。とりあえず自分なりに引っかかった詩行を取り出してみる。

書くことがなくても書く。
それしか手はないというのに
夜、靴をなくしたまま歩いていた。(巻頭の「青い家」より)

まちがいだらけの神話は脱ぎすてた。
春には
弱さゆえに折れない枝や
生意気さゆえに柔らかい葉となって
揺れる内面を共有する。
でも、「いくばくかのみじめな秘密」を別々にかくしている。
この夢、滅びる樹の見る夢のなかに。
(「折り込まれた夢」の最後のパート「そしてこの地上に」より)

ぼくの読み方の癖かもしれないけれど、こうした意味ありげな部分に引っかかる。「書くことがなくても書く。/それしか手はない」とはどういうことか、本当か。「書くこと」がないことと「靴」がないことの平行感。「まちがいだらけの神話」とは60年代の熱い時代の何らかの幻想を指すのか。であれば、そこから再び来た「春」に「弱さゆえに折れない枝や/生意気さゆえに柔らかい葉となって/揺れる内面を共有する」ところまで来たというところか。「脱ぎすてた」という断言を記憶しておく。
そう言えば「古典的なPからは逃げまくっている」「ぼくはかれらの墓を掘る手を休めたまま、府中病院前のバス停で会った娘たちの気楽な挨拶のしかたをなつかしがったりしているのだ」(以上「P中毒」より)といった詩行もあった(「P」はpoem?)。同じ詩には「意見を言わないこと。この風景について意見を言わないこと。風景の一部になりきってしまうこと。それから自分をとりかえすのだ」という詩行も見られる。
「まちがいだらけの神話」「古典的なP」を脱ぎすてる、あるいはそれらから逃げまくる、という意志が感じられる。その手段のひとつが「意見を言わないこと」「風景の一部になりきってしまうこと」と言えるのかな。
かつての熱い時代には「意見を言」うことが「自分」の表現だった。その「意見」を言わないことで「自分をとりかえす」ということ。なぜなら「意見」を言うということに「まちがい」があったから。



福間さんの詩はいつもぼくのこうした読みをすり抜ける。ぼくに残されるのは、いつもうっすらと弱められた「意味」と、詩行の歯切れよさから来る、ここに詩があるはずだという印象だ。詩の「ひびき」と言ってもいいかもしれない。
この「歯切れよさ」や「ひびき」は、福間さんの朗読を聞くとはっきりする。福間さんの思考が、歩行のような(そして旅するような)リズムを持って刻まれているのが感じられる。そこで「意味」「意見」が伝わらなくても、伝わる何かはある。

どんな条件でも、コップのつくる影はおもしろい。
外に影を出すだけではない。それをどういいと言ったら
人にわかってもらえるか、を考える。
ここまではきた。
二十世紀のうちに。(「生きてるって感じさせて!」)

とすると、福間さんの詩は「意味」や「意見」の「影」なのだろうか、断定的な文の積み重ねによる歯切れのいい文体に埋め込まれているのは「影」? と思って、いや、と立ち止まる。散文的な「意味」や「意見」が伝わらないとしても、そこには福間さんの世界がある。「福間-カメラ」とでも言った視点が捕えてくる像、体験。それを「福間-ボキャブラリー」で量感をもって描き抜く。その質感は90年代くらいの作品は一貫していると思う。
だからずっと気になってきたのは、こちらの側でこういう読み方でいいのかな、という疑問がいつも残ること。「自分がまだものすごく古い物語のなかにいて/それを生き抜くための濃度を必要としている気がする」(「ジブリル」より)というその「古い物語」にいつまでも自分はとどまっているだけなのかな、という。その思いは「新しさ」ということへの疑問でもあるのだけれど、「新しさ」なんてものは、見極めるのにじつはすごく時間がかかるものなんじゃないかとも思えるので、今回もまた保留のまま。

青い家
ファンタジーで
夜を消すのではない。自分が夜になって

谷間の村から悪天候の都会に
戻ろうとするその途中
わたしは不器用に何人もの死者を起こしている。

痛みの形式を更新して
記憶のなかのやわらかい肉を食べる
かれらの冬

かれらの質問に答えない。
異種として出会うだけだ。
かかとに重心をおいて躓かないようにする。
(詩集の最後の「わたしたちの冬」より)

(補注)詩行の歯切れよさ、リズムを極度に圧縮して「ないもの」にしてしまったのが稲川方人さん(『聖-歌章』)で、詩行の歯切れよさ、リズムを解体してしまったのが高貝弘也さん(『半世記』)かと思う。  
Posted by f4511 at 10:01Comments(0)TrackBack(0)詩集の感想

2011年09月08日

原武史『滝山コミューン 一九七四』を読みながら(5)

ついに読み終わってしまった。ささやかな脱線をいくつか。ぼくが小学校高学年だった60年代後半は、まだ教育運動自体も未熟だった頃なのかと思う。先に触れた濱野先生も確かなイデオロギーにのっとってユニークなクラス作りをしたというよりは、手探りで面白いことをひたすらやっていたのではという印象がある。
 この本の原少年は有名進学塾に通い慶応義塾普通部に進む。すでに中学受験は過熱していたようだ。ぼくの頃はまだのんびりしていて6年の時、成績がいいから行かせてみようというようなノリで(親からすればもっといろいろな考えもあったのだろうが)、家からバスの時間を入れて20分くらいの大学の教室を借りて運営されていたローカルな進学教室に行ったら上位の成績なので、受けてみたらということで受験して開成中学に入ってしまった。倍率は約3倍だった。私立に入ったことは誇らしくもあったのだが、入ってからは強要される体育系気質(どなられまくっての運動会の練習や水泳教室)や坊主刈りにうんざりするのも早かった。数人の友だちができたことや音楽や読書の趣味でかろうじてしのいだが、今でも中学高校は自分にとって気持ちのいい経験ではない。と言うよりちょっと極端な言い方をすれば「忌まわしい」思い出である。
 大学を出て、やっと「学校」なるものから離れられたと思ったのも束の間、入ったのは辞書教科書の教育系出版社で、そこで高校の英語教科書を作ることになった。その仕事に面白さを感じられないまま、「元」超優等生で、開成批判を始めていた中高の先輩の伊藤悟くんと学校の問題を主に扱うミニコミを作り始めたり、その勢いで当時まだ内申書裁判の運動をしていた保坂展人くんのグループに参加したりした。
 先にも触れたように、自分の仕事に手ごたえを感じたくて、高文研や全生研の本を読んだり(原さんの紹介によれば、80年代に入って、極端な集団主義がやわらぎ、彼らの主張も、いじめなどを視野に入れるなど、軟化して口当たりがよくなってきた時期でもあったのだと思う)、英語教育の研究会GDMなどにも脚を運んだりしていた。ひとつ忘れられないのは、教科書裁判を組合でになっていた関係で、協力組織の一員として84年に日教組の教研集会に参加したこと。総会での国分一太郎先生の話は面白かったが、英語教育の分科会はひどかった。社会運動に直結する国語や社会と違い、英語分科会での発表はほとんどが判で捺したように教科書の悪口だった。「つまらない」「感動できない」それで、自主教材の導入の話になる発表はまだいい方で、悪口だけで終わってしまう発表も少なくなかった。自分の編集した教科書を名指しで批判され続けた同僚が、発表者に後で話しかけたところすごく驚かれていた。発表者にしてみれば、組合の援助も受け公休を取って、大して話すこともないまま教科書の悪口を言っていたら、当の出版社も来ているということを知ってショックだったのだろう。後は懇親会で、英語ができない英語の先生の愚痴を聞かされたことしか記憶にない。
 でも、これも牧歌的な思い出なのかもしれない。いまや大学でも、使える英語教育を、ということで英語資格試験対策やビジネス英語の授業の比率がどんどんあがり、原書購読などといった授業は、大学から止められるといったことが日常茶飯事になっている(ま、やっても読めない生徒も格段に増えているようだが)。このことは、自称詩人という立場から言えば、政治だけでなく、教育の場でも、言葉を軽んじる、なめている風潮が深く進行しているということに思えてならない。ま、昔はよかったという言い方はしたくありませんがね。

(ひとまず了)

  

2011年09月07日

原武史『滝山コミューン 一九七四』を読みながら(4)

もう少しでこの本を読み終わってしまうのがおしい。最終ラウンドでは、原少年が「秋季大運動会の企画立案を批判するなど、「民主的集団」を攪乱してきた」という罪で、小会議室に連行され、つるし上げられ、自己批判を迫られるが、逃げ出して追跡を交わし、片山先生に批判的だった千葉先生に救われるシーンが書かれている。しかし、その後も校庭で「4年の学級委員」から石を投げつけられるなど、この本には出てこない言葉だが「反革命分子」への監視は続いていた。あらためて書いておくけれど、1974年の小学校6年生の話である。
 歴史学者でもある原さんはこの本の初めの方で、1972年の連合赤軍事件を契機に「政治の季節」が終わって「私生活主義」の勝利へと至るという、小熊英二さんらの典型的な「戦後史観」を峻拒している。それは、ぼくなりの言葉で言えば「政治」がより「卑小」な空間にねじれながら入り込んで力を発揮し始めたということでもあるのかと思う(そんなことを詩集『少年日記』にも書いた)。実を言えばこの本を読むまで、全生研に対してそんなに悪い印象は持っていなかった。この本でも引用される全生研の論客の一人である服部潔さんの本も20代に読んでいたし、彼らと近い関係にあった出版社である高文研にも好感を持っていた。しかし、それは出版物を通してのことで、身近な問題としては、「民青」にはうっすらとした嫌悪感を感じていた。ひとつには在学していた大学の創立百年に向けて起業援助を積極的に導入したいとする学校側の動きに反対する一般学生の動きを懸命に封殺しようとしていた彼らの記憶があるからだし(学部の自治会選挙で敗北した時、同級生の民青の常世田智くんは「敵」である一般学生の中心人物たちの名前を警察に「売った」)、もうひとつには「党員」である峯村編集長が理想とする「赤い」高校英語教科書を実現するためにぼくを、20代に勤めた出版社を辞めさせるところまで追い詰めた(「心清らかな」編集活動を批判する「反革命」分子!)ということによる。共産党の地域における泥臭い活動には敬意を表するけれど、その辺、この本でも問題になっている学歴社会で、党も中心は有名大学、底辺は学歴のない真面目な人々と言う構図があるのかな? ついでに書いておくと、そのぼくが辞めた会社は教科書裁判運動発祥の会社で、ぼくは入社当時、教科書裁判運動と言っても「動員」「動員」でやってるだけで皆さん本当に真剣なんですか、という意味のことを労働組合の通信に書いて、集会で名指しで「馬鹿」にされたことがある。79年のことですが、政治の言葉がクリシェになっていると感じつつ、その批判の大真面目さに怖さを感じたものだ。しかし、教科書裁判運動そのものはやはり価値のあるものだっただろう。その流れから先にふれた峯村編集長が編集主幹の中村敬某有名大学教授と組んで、日本人兵はアジアの人々を銃剣に刺して戦争を楽しんでいたといったレッスン(事実確認をあいまいにしたまま、作っている本人たちは最高の教科書を作っていると酔っていたと思う。そして国会などで激しく批判され、そのレッスンを取り下げた)を含む英語教科書を作ったのはどうだったのかな?
(以下続く、たぶん--笑--)  

2011年09月06日

原武史『滝山コミューン 一九七四』を読みながら(3)

 話は戻って(まだ読み終わるのが惜しくて、読みかけのままですが)、原少年は週末に有名進学塾の四谷大塚に通っている。ライバル(?)の小林くんはなんと四谷大塚と日進を掛け持ちしている。中学受験の準備をしていますとは言えないような小学校の雰囲気の中で、原少年はむしろ四谷大塚に通うことに解放感を感じ、そこで得た歴史の知識を片山先生に愚弄されて憤りを感じたりしている(片山先生は代講に来た際に織田信長についての説明を生徒に求め、歴史的事実を述べた原少年を、教科書に書いてあることを言っただけと退け、織田信長を感情的に褒めた同級生を「自分の考え」を述べているものとして称賛した--この辺り、当時の全生研あるいは先生個人のファッショ的な体質を顕わにしていて笑える)。
 ますます全体主義化していく学年の雰囲気に違和感を覚える原少年を支えるのは、研究職でサラリーマンばかりの団地の父親とはちょっと違った個性を持つ父親が授けてくれた鉄道趣味(多摩地区から都心の進学塾の会場に通う途中であずさ2号などを垣間見る喜び)と初恋の胸のうずきだったりする。
 そして、そうした感情と、6年時の夏休みの林間学校に向けてさらに全体主義的な指導を強めていく片山先生の情熱に飲まれていく学校の雰囲気はまったく相容れないものになっていく。6年生全員を班に分け直して、林間学校を班同士の監視・採点の場所にするために、何度も開かれる準備の会、そこで全員で歌わされる「わんぱくマーチ」は、ナチズムの運動になぞらえられる。そして林間学校では本田路津子さんが日本語詞を書いた「一人の手」を歌わされる。本田さんの歌詞は、一人では何もできなくてもみんなが手をあわせればきっと何かできるという内容で、原曲の一人だけでは何もできないという苦さをきれいに拭い去った、あっけらかんとした「楽観」ソングだった。
 わざわざ林間学校まで行って、全体主義ソングなどを歌わされ、しかも班ごとの落ち度をグラフにして貼り出され、その上あらかじめ用意されていたとしか思えない林間学校の楽しい達成を書き出した壁新聞を読めと推奨される、こんな行事にどんな意味があるのか、原少年は泣きながら担任に訴えるのだが、少なくともその場では、片山先生が頑張っているのだからと相手にされない。大変だったね、原少年。そして、一握りの同級生を除けば、こういうことって、けっこう楽しかった体験としてしか思い出さないものなんだよね。ぼくは片山先生に出会わなくて本当によかったよ。「力のある」教師は生徒を民主主義者にもファシストにも、いかようにも作り上げることができるという話を読んだことがある。それをふまえて言えば、他者である教師にファシストに鍛え上げられる「喜び」を味わった生徒たちは、いつまでもその体験を「甘美」な思い出として持ち続けるかもしれない。
(以下続く、たぶん--笑--)  

2011年09月05日

原武史『滝山コミューン 一九七四』を読みながら(2)

 そうそう、書き忘れたけれど、金子くんのお父さんは、改めて調べると金子徳好さんと言って、日本機関紙協会勤務だったとのこと。ぼくの記憶では赤旗のスタッフで、後に党からパージされたと思うのだけれど、その辺はよく分からない。いずれにしてもベトナム戦争反対や、核廃絶のゼッケンをつけて通勤したという気骨の人。その影響で、金子くんも高校時代はばりばりの民青だったらしい。小学生の時、金子くんの家(社宅?)に行くと、狭いながらも、出たばかりの民生用のテープレコーダーがあったりして、ハイカラで文化的な家だったという記憶がある。そこにぼくと小澤くんは通って、歌いたい歌が少ないので、自分たちで勝手に「エイトマン」の主題歌(まだアニメになる前)などを作って歌ったり(「おお牧場は緑」の節で「おおエイトマンは東〜」とか)、誰かがプラモデルを買ってもらうと、その家に行ってみんなで組み立てたりして遊んだものだ。

 そうそう、金子くん自身が、小学校時代の担任だった濱野先生について書いている。
http://trackback.blogsys.jp/livedoor/kaneko_power009/51278966

 これを読むと先生を尊敬しているようにも感じられるけれど、30代になって会って話した時には、濱野さんは左翼じゃなかった、けっきょく目立ちたがり、やりたがりというだけだったんじゃないかという意味のことを言っていたと記憶する(それとも、そんなことを言っていたのは同席した3組出身の別人だったか? その話をしたのが金子くんの監督作品「いたずらロリータ。うしろからバージン」の封切日--1986年7月--、新宿で、という記憶ははっきりしているのだけれど))。ついでに書いておくと、随分たった後に、濱野先生は移動した渋谷区内の小学校で、授業のやり方などについて父兄から教育委員会に訴えられて出世の道を断たれ、校長職にはつけずに停年(鈴木志郎康さんの奥様の麻理さん情報)、その後亡くなった。
 回り道が長くなるけれど、濱野さんの指導だったのか、6年生の議論大会みたいなのが開かれた記憶がある。そこで覚えているのは3組の女子が、1組は担任の下田先生を「じいさん」と呼んでいてけしからんと主張したこと。下田先生は、癖のない、おだやかな先生で(「じいさん」と小学生に呼ばれても、40代後半くらいだったかもしれない)、その前の4、5年の時の担任が(4、5,6年はクラス変えなし)近藤という(親友の小澤くんに体罰をふるったので敬称なし)体育系教師で生徒たちがプール裏にあった何本かの石塔のてっぺんを飛び歩いているうちにドジな奴がこけて落ちて怪我して出血したというだけで、石塔で遊んだ生徒を自己申告させて、立たせて殴るなど嫌な教師だったので、1組の生徒は下田先生が担任になってほっとしていたというのが事実に近いと今でも思う。そして甘えて「じいさん」などと先生のいないところで先生を呼んでいたのを「先生最高」の3組の女子が、いま思えば涙ながらによくないことだと訴えていた。それに対して、1組は「じいさん」とか言っていてもぼくたちは先生が好きだなどと、答えの出ようのない反論をしていた記憶がある。
(以下続く、たぶん--笑--)  

2011年09月04日

原武史『滝山コミューン 一九七四』を読みながら(1)

 著者の原さんは歴史学者で、代表作でもある『大正天皇』(朝日新聞社)は読んだことがあった。ツイッター上でこの本が「信頼できる筋(笑)」で取り沙汰されているのを見て、同一人物かどうかも分からないまま、ネットで注文した(初版2007年、講談社)。まだ読んでいる途中だけれど、メモを書いておきたい。
 この本は1962年生まれの原さんが小学校時代を振り返ってまとめたノンフィクション。舞台は東京の多摩地区に60年代に建てられた滝山団地、そしてその団地建設に歩をそろえて新設された東久留米市立第七小学校、略して七小。時はタイトルにもあるように原さんが小学校高学年を送る70年代前半。中心になるのは原さんの学年の別のクラスの担任だった片山先生(仮名)。片山先生は日教組系の全生研(全国生活指導研究協議会)に属するばりばりの若い先生で、ハイキングやマラソン、星を見る会など課外活動を充実させる一方で、班活動による生徒の相互監視・採点、PTAを強化しながら、自らのクラスの生徒による代表児童委員会の役員の独占(本には出てこないけれど、「革命」された1クラスによる全校「革命」といったところでしょうか)、朝礼におけるロシア民謡の替え歌「鬼のパンツ」の歌と踊りの指導など、ほとんど全体主義、ファシズム的な指導を推し進めていた。

 まだ読んでいる途中なので、ここから先はとりあえず置いておく。ここから先はぼくの話。四半世紀前、会社を飛び出して、フリーとは名ばかりの半失業者生活をしていた頃、ぼくは何冊かのノンフィクションを書くか、出せたらいいなと思っていた。1冊は早川義夫さんが属していた劇団パルチ座とその指導者である平松仙吉さんの話(ジャックス時代の早川さんの歌詞は平松さんの台本からの流用が多くあるようだ)。もう1冊は『6年3組物語』という、自分の小学校時代の話(1955年生まれ、68年卒業)。ぼく自身は1組だったのだが、3組は濱野先生というエキセントリックな若い先生が担任で、天気がいいからと学校を出てハイキングに行ってしまうとか、生徒と泊り込んで新聞作りに燃えるとか、演劇を熱心にやるとか、型破りなクラス作りで学校内でもひときわ目立っていた。この濱野先生の3組からは、演劇の野田秀樹くん、映画監督の金子修介くん、画家の鈴木和道くんらが出た(その一方で、中学進学後「フツー」の学校生活になじめず、心を病んだ生徒もいると聞いた)。ついでに言うと、わが1組からは50を過ぎてなお詩を書いている私のほか、比較文学者の小澤萬記くん、4組からはフリーのコントラバス奏者の齋藤徹くんらが出ている。と言っても、まだ、みんなそれほど豊かでもなかったあの時代、自分たちが将来どんな人間になるのかなんて想像もできなかったはずだ。
(以下続く、たぶん--笑--)