2005年11月23日

朴泰遠『川辺の風景』感想(やや長め)

−−今回は朴泰遠さん(パク・テウォン、1910−86)の小説『川辺の風景』ですね(作品社刊、原著1938、牧瀬暁子訳)。
−−ソウルの中心を流れる清渓川(チョンゲチョン)のほとりに暮らす人々の情景を50の短章で書きつづったものです。いわゆる主人公も、中心となる語り手も大きな事件もなく、川で洗濯するおかみさんたちの世間話に始まり、不幸な結婚に耐える若い女性たち、博打に明け暮れる男たち、奉公に出された少年たち、女給たち、乞食たち、故郷を捨ててソウルに出てくる人たち、商売に失敗してソウルを離れる人たちといった、訳者の解説によれば「ざっと数えても六〇人を超える」、おもに貧しい人々が川辺を行きかうパノラマのように作品の中を通り過ぎていきます。
−−ひとつの町を舞台にさまざまな人々が登場するというと、ウィリアム・サローヤンさんの『人間喜劇』(1943)やレイ・ブラッドベリさんの『たんぽぽのお酒』(1957)が思い浮かびますね。
−−1930年代のソウルが舞台の小説ですが、読んでいるときの感触はびっくりするくらい共通するものがありますね。そして、この『川辺の風景』では、ひとつひとつのエピソードが人物の感情をくっきり描き出しながら、しかも作者の分身のような人物が出てこない、作者の干渉が感じ取れないという点がさらに徹底しています。1930年代の作品としては驚くほど新しかったのではないでしょうか。

−−30年代と言えば、半島はすでに日本に統治・併合されている時代ですね。
−−日本語はかなり出てきますし、カフェーの女給さんの「源氏名」がハナコとかキミコとか日本名だったりはしますが、日本人は登場しません。貧しい市井の人々に寄り添うことによって半島独自の世界を打ち出す意図があったのかもしれません。
−−朴泰遠さん自身はどういう傾向の作家だったんでしょうか。
−−この作品と訳者あとがきしか手持ちの資料がないのですが、実験的なモダニズムの作家でありつつ、プロレタリア系の作家による批判に対しては、自分の方がリアルな世界を描いていると反駁することもあったようです。この作品を通して感じられるのは、表現の精緻さというのか、作品の破れ目から作者の主観が見えることもなく、描き抜かれている。男性作家でありながら女子どもの心情を描くうまさには驚かされます。
 主人公のない小説ですが、節目節目を支える人物として出てくる、床屋に奉公する町の事情に詳しい少年や、仲間と同居して暮らすことに生きがいを見出す、身寄りのない女給さんという、男女の視点がひとつの支えにはなっているようです。そして身分不相応の結婚をしていじめ抜かれる女性とか、夫の浮気と暴力に耐えかねて出戻りする女性、彼女を慕いながら嫁にもらえる経済力もなく、彼女の不実な夫を酒場でこてんぱんに打ちのめす青年らの心情がリアルに伝わってくる一方で、選挙に落ちた旦那がしたたかなお妾さんに翻弄され、そして、といった笑劇もたくみに組み込まれています。

−−朴泰遠さんは朝鮮戦争中に「越北」して、そのために88年に「解禁」されるまで「南」ではタブー視されていたようですね。
−−詳しいことは分かりませんが、南北分断以前から中国の古典の翻訳をしたり、「北」へ行ってからは伝記ものとか歴史ものなどを書いたりしていたようです。いずれにしても多作な作家であったとのことで、その全貌は分かりませんが、一種の「天才肌」の精力的な作家だったようです。この小説も、貧しい人々を描きぬいたといってもノスタルジックなものではなく、筆致は乾いているところがすごい(翻訳ですが)。地に足の着いたリアリティ、読みながら、ここで描かれた世界で自分も生きていたいと思わせる、傑作小説だと思います。


ちなみに、この小説の存在は、最近初めてメールをくださった方の日記的なブログで知りました。そのブログに出会わなかったら、たぶん存在にも気づかなかったでしょう。また、新聞書評などで見たとしても、読みたいとまでは思わなかったかもしれません。ブログの書き手の呼吸、姿勢で伝わってくるものによって、存在を気づかされた、本との幸せな出会いかもしれません。こういうことは本をめぐるブログがどんなに多くてもなかなかあることではありません。他では、最近やはり知り合いのブログで、これは読まねばと思わされて読んだテッド・ボサさんの『モンゴ ニューヨークのゴミをめぐる冒険』(筑摩書房)という、捨てられたもの、あるいは地中深く埋められたものから、様々な「お宝」を探してくる人々を取材したルポルタージュの快作、また別のブログで熱烈推薦されていた、これから読もうと思っているイランのマルジャン・サトラピさんの『ペルセポリス』 (バジリコ)くらいでしょうか。その辺、自分のことも含めて考えさせられます。  

Posted by f4511 at 09:45Comments(2)TrackBack(0)

2005年11月20日

最近読んだ本(11月前半)

『魯迅文集 6』(ちくま文庫)
山田風太郎『剣鬼喇嘛仏』(ちくま文庫)
大川内令子『金子光晴のラブレター』(ペップ出版)
朴泰遠『川辺の風景』(作品社)
けらえいこ『あたしンち 11』(メディアファクトリー)
清水哲男『黄燐と投げ縄』(書肆山田)
野村尚志『声かけてやりたい』(思潮社)
『竹内好集』(影書房)
中島敦『南洋通信』(中公文庫、誤植多し)
井上雄彦『リアル 5』(集英社)

会社行って帰ってきて、本読んで寝る、ひたすらその繰り返しの日々。
『川辺の風景』はひとのブログで偶然知った本だが、傑作小説。感想はあらためてまとめます。
『竹内好集』は著者の没後30年近くを経て今なお、日本の抱えている矛盾、インテリの存在、思想が国民に根を下ろしていないという亀裂を打つ。その仕事を継承している人間がほとんどいない、寒い日本の現在。  
Posted by f4511 at 15:18Comments(0)TrackBack(0)