2009年05月26日

ポール・オースター『マン・イン・ザ・ダーク』感想

ポール・オースター『マン・イン・ザ・ダーク』(Man in the Dark)
Picador, 2008, 2009(ペーパーバック)

−−そう言えば、オースターさん、どうしているかなと思ってチェックしたら、昨年出た新作(出てたことも知らなかった)のペーパーバックが出たことを知り、帰りに三省堂の本店で買いました。読み始めてすぐ、私としてはオースターさんの作品では一番好きな『リヴァイアサン』(翻訳は新潮文庫)を超える傑作かもしれないと思いました。
−−どんな内容なんですか。

−−物語の語り手はオーガスト・ブリル、彼は70代の引退した批評家で、今は娘のミリアム(バツイチの文学研究者)、孫娘のカーチャと暮らしています。カーチャは恋人をイラク戦争で亡くし、映画学校を休学して母親のところに戻ってきているという設定です。
 オーガストは娘に言われて自伝を書いているのですが、彼の頭にまといつく過去のこと(浮気、復縁、そして妻の死)や、ニューヨークの9.11やイラク戦争から考えをもぎ離すべく、眠れない真夜中にある物語を考え出し続けます。
−−物語が入れ子になるわけですね。ではその二重になった物語とは?
−−2000年の大統領選の後、ニューヨーク州が独立を宣言し、他の州もそれに加わり、ブッシュ率いる連邦と戦争状態に陥る。この戦争を終わらせるべく、「もうひとつの世界」から手品師オーウェン・ブリックがこの世界に連れて来られる。彼の使命はこの第2次市民戦争(第1次のCivil Warは日本語では「南北戦争」ということになっていますから、ちょっと翻訳者泣かせか)を考え付いて、続けさせている男を「もうひとつの世界」に帰って殺すこと、その男の名前はオーガスト・ブリル。
−−物語の作者を物語の中で殺す、というのは自殺願望につながるのでしょうか?
−−文学とはという問いの変奏という見方もできますが、物語上はそうですね。
 で、ブリックは「こちら側」、つまり9.11やイラク戦争のある世界に戻ってきたものの、妻にあなたは人を殺せる人間ではないと言われて静かに暮らすのですが、間もなく「物語」の世界からやって来た追っ手が彼に、1週間以内に「使命」を果たさなければ、彼と妻を殺すと告げます。そして彼は、彼が登場する物語の作者であるブリルに会うことにするのですが……。

−−そして入れ子になった物語と同時に、オーガスト・ブリルの体験、見聞として現代史が語られるわけですね。
−−60年代のニューヨークでの黒人暴動、ナチス、冷戦下の東西のスパイなどが、ブリルの回想として、彼の個人史とともに語られます。また彼と孫娘を結ぶものとして、おそらく作者自身の好きな映画の話も登場します。
−−「大いなる幻影」「自転車泥棒」、サタジット・レイ監督の「大樹のうた」、そして「東京物語」の短い紹介と分析がされていますね。

−−最後の3分の1ほどは、ブリルとカーチャの真夜中の対話の形になっています。その対話が目指すところは、恋人(最後はうまくいっていなかった)が軍事請負会社のトラック運転手としてイラクへ行き、拉致され殺害された(その「処刑」のシーンはインターネットで流された)カーチャの心の回復なのですが、そこは不眠症の彼女が深い眠りにつくというところまででとどめられています。
 私としては、彼が考えたブリックの物語がもう少し変奏があってもいいのではとも思うのですが、これ以上はネタばれがすぎるのでやめておきましょう。とにかく合州国で生きるということを正面から受け止めている点で、オースターさんの大切な作品のひとつであることは認めざるをえません。
  

Posted by f4511 at 21:39Comments(2)TrackBack(0)

2009年05月23日

カズオ・イシグロ『ノクターンズ 音楽と日暮れの五つの物語』感想

「書評のメルマガ」に書いた原稿から

----------------------------------------------

カズオ・イシグロ『ノクターンズ 音楽と日暮れの五つの物語』(Nocturnes--Five Stories of Music and Nightfall)
Faber and Faber, 2009/5
ISBN978-0-571-24499-7

−−今回はカズオ・イシグロさんの短編集『ノクターンズ』ですね。
−−はい。じつはスーザン・ソンタグさんのご子息による彼女の晩年の記録(邦題は『死の海を泳いで スーザン・ソンタグ最期の日々』)を読んでいたんですが、英語がすかした英語で主語と動詞も分からないくねくねした文体なんでうんざりして(私の力不足というだけかもしれませんが)、これは上岡伸雄さんによる翻訳(岩波書店)を図書館で借りて最初から読みなおすことにして、丸善に飛んで行って買ってすぐ読みだしたんですが、10ページほどで、イシグロ・ワールドというか、悲しみを漂わせながらしめっていない軽やかな文章の世界に傷を癒すように入っていけました。

−−再起を果たすために若い女と再婚して芸能ジャーナリズムにうけようとする老歌手ガードナーが、愛し合いながら離婚を決意した妻と、新婚旅行の地ヴェニスを訪れる。そこで出会ったギタリストに伴奏を頼んで、ゴンドラから妻に歌を贈ることにするという冒頭の「クルーナー(低音の流行歌手の意)」。
 壮年にさしかかった風来坊の「私」と、結婚して倦怠期にある同級生のカップルのほろ苦い交歓を描いた「降っても晴れても」では、「私」と危機を迎えたカップルの彼女を結ぶジャズの思い出がカギになっています。イアン・マキューアンだとドロドロになりそうな設定を作者は、喜劇的なエピソードで感傷を抑えながら、少しだけせつない黄昏のようなトーンで描いています。
 「モールヴァン丘陵」は丘陵地帯にある姉のカフェを手伝う、仕事の見つからない若いギタリストが、スイスから休暇でやって来た中年の流れの音楽家夫妻に励まされるが、好きな自分たちの音楽では食えない彼らの姿に人生の厳しさもを垣間見るという話。

−−何か、イシグロさんならいくらでも書けそうな抒情的な作品集のように思えてきますが。
−−ここまではそう感じるところもありますね。ただリアリズムでの会話の書き方もやはりうまいんだなあと思いました。
 でもそれだけでは終わらないところがイシグロさんなのかな。続く「ノクターン(夜想曲)」では、実力はあるがルックスに難ありのサックス吹きスティーヴが逃げた女房の男の金で有名な医師による整形手術を受ける。包帯が取れるまで療養している高級ホテルの隣室はやはり整形手術を受けた有名な女優で、彼女は先の「クルーナー」に出てくる歌手ガードナーの別れた妻リンディです(「クルーナー」ではウェイトレス上がりの奥さんに過ぎませんでしたが)。彼女はスティーヴの演奏を気に入り、夜中にホテル内を彷徨中に見つけた音楽賞の授賞式の準備された会場から年間最高ジャズ・ミュージシャンのトロフィーを盗み出して彼に与えようとするが……。スティーヴとわがままで人の意表をつく行動に出るリンディが二人とも顔に包帯を巻きつけたまま真夜中のホテルを走り続けるといった図はグロテスクのようでもあり喜劇でもあり、不思議な味わいです。
−−一人のピアニストをめぐる悪夢のような日々を描いた『充たされざる者』やクローン人間を主人公にしたSF風な『わたしを離さないで』の作者ならではでしょうか。あまり類を見ないという。
−−最後の一編は「チェリストたち」。ハンガリーからイタリアにやって来たチェリストの青年チボーが、合州国から来たベテラン・チェリストだというエロイーズに出会い、彼女の教えを受けてめきめきと腕をあげていくが、彼女は実は……。そして時が流れ、という青春の終わりのような物語です。

−−表現する者、探求する者の世界に関わろう、世界を救おうという思いが挫折していく『充たされざる者』や『わたしたちが孤児だったころ』(以上、本書以外はハヤカワepi文庫)のような切迫感はないですね。まあ、この2冊は、その切迫感を前面に押し出したところから、傑作とも無理のある作品とも評価が分かれるわけですが。
−−そうですね、この本は強烈な感情を秘めたというのではなく、淡い挫折感、抒情が全体に漂っていますね。作者にとって、前作『わたしを離さないで』から次の長編に向かうブリッジのような、一時の凪のような作品かもしれないし、どこかで時代の衰弱を反映しているのかもしれないけれど、私は好感を持ちました。
−−早川書房のホームページを見たら、もう翻訳が出るみたいですね、恐れ入りました(邦題『夜想曲集』とのこと)。
  
Posted by f4511 at 09:48Comments(2)TrackBack(0)

2009年05月06日

すみれ通信 5/6

 少し間が空きました。みなさん、連休はいかがお過ごしでしたか。
 私は映画を観たり、散歩したりで、のんびり休みを満喫しました。今日、天気が持ち直せば、真木(中3)と神宮球場にヤクルト戦を観に行って仕上げというところです。
 散歩に関しては、恒例の一箱古本市に妻と薫(大1)と出かけました。これは古本好きの有志が、谷根千(谷中・根津・千駄木)のあちこちのスポットに一人段ボール一箱分の古本を持ち寄って即売する年2回のイベントです。古本をひやかすのも楽しいのですが、下町の風景が残り、商店街も親しみやすい街をそぞろ歩くのが楽しいのです。
 4月の始めくらいから「歩く」ということを始めていますが、会社からの帰り道、家から歩ける範囲はだいたい分かってきたという感じです。昨日も両国橋(家から2キロくらいか)の辺りをうろうろしていました。下町を歩いていて喫茶店が見つからないときはファミレスでお茶かビールを飲めばいいことも分かってきました(本当はビールとウォーキングは合わないのですが)。
 
 あと最近は外国の人々とメール交換しています。ペンパル・サイトはグローバルなものでも、お互いのプロフィールを見て「好感度マーク」を送ることができるだけで、実際のやりとりはお金を払って正会員にならないとできないものばかりなのですが、無料でも1日3通までOKという良心的なサイトを見つけて始めています(だいたいの場合、やりとりが始まるとアドレスを教え合って、サイトを通しての制限つきメール送信は使わなくなるようです)。ついでにノリでいわゆる「出会い系」「セフレ系」のサイトも覗いてみましたが、お金をサイトに払わないとお互いにやりとりできない、そして多分、お金を払ってもサクラばかりで実際には会えないものがほとんどという印象でした。「フーゾク」のほうがやりとりがはっきりしているだけ「良心的」かと思えるほどで--体験してませんけど--小心者から小金をむしるだけというネットならではの世界みたいです。

 で、ペンパルの話ですが、お相手は今のところ、ロシア、ノルウェー、クロアチア、ポーランド、ブルネイ、中国、トルコ、イギリス、モロッコ、合州国の人々で年齢も高校生から私と同じ50前後までと多彩です。そんな彼らとたどたどしい英語でやりとりするのが(相手が英米人の場合はちょっと緊張)、夜や週末の時間のめりはりになりました。昨日は合州国の女子大生に「あなたはアジア系合州国人ですか」とプロフィールの写真を見てメール中に書いたところ、「モン族(あるいはミャオ族)だ」という返事がきてびっくりしました。モン族はラオス、タイなどに住む人々で、ベトナム戦争時に合州国に利用され、戦後難民化したりして合州国に受け入れられた人々が少なくないという民族です。
 こんなことを知ったのも、この連休に観たクリント・イーストウッドさん監督・主演の映画「グラン・トリノ」がまさに、イーストウッドさん演じる白人の頑固親父ウォルトと隣に越してきたモン族の移民の少年との交流を描いたものだったからです。少年の姉はウォルトに言います。モン族の女は大学へ行き、男は不良になる、と。そして不良になりかけた少年にウォルトは性格のよさを見出し、きびしいながらも暖かい手を差し伸べていく……。まあ、映画もよかったですが、そのモン族の若い女性とメールをやりとりすることになるとは楽しい偶然でした。

 イメージ・フォーラム・フェスティバルで観た鈴木志郎康さんと萩原朔美さんの共作「老鶯」は多摩美を退官した志郎康さんに萩原さんが贈った作品のようにも思えました。萩原さんは冗談めかして言います、気持ちが歳をとらない自分(たち)は「年齢同一障害」だと。観ている私の気持ちは歳をとっていないのか、考えると面白い気もしました。  
Posted by f4511 at 11:14Comments(2)TrackBack(0)