2009年06月27日

最近読んだ本の感想から

メモ代わりにアマゾンに書いた本の感想から、若干手直しして−−

ドン・デリーロ『墜ちてゆく男』新潮社(読んだのは原書)

 現代アートにせよ、マネーゲームにせよ、何をモチーフにしてもつねに自分流の表現に仕立ててしまうドン・デリーロさん固有の世界は、9.11を題材にしてもやはり揺るがなかった。9.11で被災したビルから、長く離れていた妻のもとに帰って来た男を振り出しに、「墜ちてゆく男」をパフォーマンスとして演じつづける男、老人のぼけ防止のお話サークル、廃棄された古いパスポート写真をオブジェのように飾るアート・ディーラーは実はテロリスト集団「赤い旅団」のメンバーだったのではないか、そしてテロリスト側からも見た9.11のあの衝突、といったモチーフが散りばめられるけれど、最終的に9.11をカタストロフとして扱う作者の手際は、9.11以前と比べて少しのブレもないように思える(9.11でなくてもよかった?)。
 ドン・デリーロさんの、あまりにゲイジュツ的な世界は、それを受け止める確固とした文学サロンがあってのものでしょうが、もう少しモチーフの事件としての重さと葛藤してほしかった。


荒川洋治『実視連星』思潮社

「それは静かな夜/実視連星は/いつもの位置で軌道を止めていた/隣りの星に両手を伸ばして/叫ぶこともできた/ガザに生まれることも/できる/もしかしたら そのようになり/光りつづけるかもしれない」(表題作より)
 最近の荒川さんの詩集は、いつも読みながら「困ったな、全然わからないよ」と思わせられる。それでも何回か繰り返して読んでいると、本当は言葉で何かが伝わるということが、常識でも何でもなくて不思議なことなんだと思わせられてくる。ふつうの詩が比喩を駆使しているとすれば、荒川さんの詩は、その比喩にさらに比喩をかけるといった具合で、作者がどこで個々の詩を「できた」と思うのか、その手がかりは見えてこない。しかし、繰り返して読んでいくと、なぜか言葉をめぐる常識にしばられた目が洗われるような気もしてくるのです。
「編み笠の二人は すれちがう/長い道のりに雨は吹く/誰もが会わないきみに会いたい/いつも苦しい目玉に屋根をかけた ゆるしてくれ!」(「編み笠」より)


池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』朝日出版社

 高校生を聞き手にした講義ということで、自然科学にまったく通じていない私も楽しく読めました(たぶん、著者はおそろしく話がうまいんじゃないかな、とも思いました)。まず、データというものについて相関関係は因果関係ではないといった釘をさす話から始まり、脳と意志と行動の関係について、たとえば「手を上げる」と意図したときには、脳はすでに準備を始めていて、脳から「動かす」という指令が出た時には、人はすでに「動いた」と感じているなどという、考えようによっては恐ろしい話が次々に紹介されていく。だとすれば人間の意志は脳に支配された自由のないものなのだろうか。そのあたりぎりぎりまで話しておいて、まあ、脳も自分ですからって、慰められたような、いたわられたような。
 また、脳の、未来を予測しようとする性格は、このまま実験、知見を積み重ねていけば、時間とは何かという哲学の難問をあっさり超えてしまう可能性も感じさせられます。恐るべし。読者としてどこまで理解できたか心もとないけれど、何度も読め、読むたびにこちらの世界を広げてくれそうな可能性を感じます。


村上春樹『1Q84』新潮社

 それぞれの苦い生い立ちを抱えながら、小学生の時に強く手を握った青豆と天吾。青豆は天吾との20年たっても変わらない愛情を確信するまで、天吾は父との葛藤を乗り越えて青豆を探そうと決意するまで、というのが物語の主筋ですね。離れ離れの2人の愛情がクロスするあたりは胸を締め付けられる思いで読みました。
 そして2人の弱い人間を取り囲む世界、新興宗教の「リーダー」、傷ついた女性たちを匿う「老婦人」、正体不明の誘惑者「牛河」、そしてもちろん少女「ふかえり」と彼女の描く「空気さなぎ」の世界、、、小説は遠く深いところまで触手を伸ばしながら、弱い人間にとっての愛情の大切さをより強く打ち出しているようです。
 さまざまな謎を謎のまま投げ出しながら、この作品は終わったのか、それとも続くのか。「リトル・ピープル」との最終決戦のようなものはあるのか。最終決戦はないかもしれません。戦いはあるとしても、決着のつくものではないでしょう。リトル・ピープルと人間たちとの関係は、ある均衡を保ちながらけっして終焉することはないと思えます。そしてそれを知っている数少ない人々は「1984」ならぬ「1Q84」の、二つの月が見える世界(想像力の世界と言ってもいいかもしれない)に入り込んで、その均衡を守るために孤独な戦いを続ける。孤独なだけにより純粋な愛情に支えられながら。
 酔わせられ、勇気をも与えてくれる作品。ぶっちゃけ、やっぱり謎を残しすぎでは、という気もしますが、拾い読みで読み直すと、こう書くしかなかったのかとも思えます。


伊坂幸太郎『重力ピエロ』新潮文庫

 上手いものだなあ、と思いながら読ませられ、読み終わった後の「ん?」という感じが自分でなかなか説明できませんでしたが、「文学」とか「小説」だとかと考えて、作者のメッセージを受け取ろうとして受け取れないというのが、感想がうまく出てこない理由だったようです。
 レイプによって生まれた子供とその兄、血のつながりのない父、という構成、謎解きにつながる遺伝子の話、ちりばめられた引用(作者は文学作品の引用を多くすることで、若い読者に文学の遺伝子を与えようとしたわけではないと思いますが)、しゃれた会話、構えすぎていないけどちょっとくせのある「私」(兄)の語り、など、パーツはしっかりできていて、並べ方もうまい。でも全体として感情のようなものが伝わってこない。それは作者が「作家」というより、作品をプロデュースするようなスタンス、つまり「企画」書を完成させるようなスタンスで書いているからではないでしょうか。だからこの作品はきっと、映像化などで、俳優たちの具体的な身体を通してこそ生きてくる、そんな気がしました。  

Posted by f4511 at 09:12Comments(0)TrackBack(0)

2009年06月06日

すみれ通信 6/6

 お元気でしょうか。

 最近、明け方に眼が覚めるようになってしまって、いつもならぼんやりしてから仕方ねえなあと寝なおすのですが、今朝は5時ころ眼が覚めてふと昨日買った「ROCKIN'ON JAPAN 特別号 忌野清志郎 1951-2009」の続きを読み始めたらやめられなくなって、読み終わってそのまま家族が起き出すまでぼうっとしていました。
 清志郎さんが死んで、ニュース番組をいくつか見ましたが、音楽さえもともと好きでもない人々があれこれもっともらしいコメントをするのにうんざりしていました。お葬式(後で聞いたら仲のいい同僚は駆けつけて3時間待ちで献花したとのこと)でも有名人に弔辞を読ませていてしらけました。私としては彼の終生の仲間だったチャボさんやリンコさんの言葉を聞きたかったのですが、知名度の問題とかご本人たちの意向とか、あったのでしょうね。
 清志郎さんの死を知って、CDやカセットを聴いたりしましたが、特に大騒ぎする気持ちにはなりませんでした。私にとっては清志郎さんはもうすでに十分生ききった存在だったのか。記憶を辿ると、1970年前後、「ぼくの好きな先生」が売れるより前、文化放送の夕方の生の公録番組で「イエスタデイをうたって」などを聴いて、何か個性の強いのがいるなあと思ったあたりが最初で、その後はいろいろ聴いて1990年のRCサクセションの解散辺りで一区切り、ロック版の「君が代」(1999)も話題としては面白かったけれど聴いてみればこんなものかなという感じでした。「ROCKIN'ON JAPAN」の特別号は、清志郎さんの生前の長いインタビューを集めたものでしたが、清志郎さん死後のチャボさんのインタビューもあったので読んだわけです。過ぎてきた時代のなつかしさ、人と人の出会い方もそうですが、やはり「いいなあ」と思えるのは、音楽が好きな人間が音楽をやる、本が好きな人間が本を書くという、言ってしまえば当たり前のことができていた時代の記憶にふれられたことです。音楽も文学もいまや、好きでもない人々によって、手段、あるいはマーケティングの対象として扱われる時代になってしまいましたからね(林M子とかが「作家とか文化人とか偉そうにしてる人は何部売れてるのか言ってみなさいよ。私は万単位よ」とか啖呵をきってた頃が変わり目だったのかな--80年代半ば--)。
 自由に生ききった清志郎さん、あなたがもう少し長く生きていたとしても私は直接出会うことはなかったと思います。小野二郎さん(晶文社の創始者)のように出会いたくても出会う前に亡くなってしまった人々、出会えたのにいざいっしょに仕事を始める前に亡くなってしまった升川潔さん(すばらしい英語教師)のような人々の記憶の行列にあなたも加わったのだと思います。あなたの最初期の「あの歌が思い出せない」を私は一生忘れることはないでしょう。

 話は変わって、社員旅行で3泊4日ソウルに行ってきました。
 開発中のCD-ROM辞典をプログラムしている人と久しぶりに会い、食事し、先方の会社を訪ねるなどということもありました。いつもはお互いにブロークン・イングリッシュでメールのやり取りやチャットをしているだけの関係で、行き違いや意志の伝わらなさにストレスをため込んでいたのですが、直接会えばそれなりに気持ちがすっきりするところが少しではありますがありました。
 後は観光バスやタクシーや地下鉄で移動しながら、市内の名所旧跡やストリートを見物したり飲んだり食べたりしていましたが、韓流ブームや安い物価のおかげか、どこへ行っても日本人観光客ばかりで地元の人々も日本人慣れしていて、行く前は困ったらハワイの日系人のふりをして(笑)英語でしゃべるかなどと思っていたのですが、お店や屋台でも向こうから先に日本語で話しかけられるといった具合で、何か国内のコリアン・タウンを歩いているような気分でもありました。何だかなあ、楽ではあるんだけどなあ。

 それではまた。  
Posted by f4511 at 11:54Comments(0)TrackBack(0)