2010年12月25日

映画「ノルウェイの森」と「海炭市叙景」メモ

忘れてしまわないうちに最近観た2本の映画について、ツイッターを基にメモ風にまとめておきます。

「ノルウェイの森」12/12・シネマズ木場

予想以上に、言葉・セリフに引きずられない、感情をきちんと表現した映像・映画になっていた。ネットにアップされた感想をざっと見ると、原作のファンによる否定的なものが多いようだけれど、私はいいと思った。
私は原作者の才能には敬意を表するものだけれど、その饒舌な文体にはときどき付いていけない。『ノルウェイの森』は面白い小説とは思うが、上巻くらいでこれは私には無理だと思って、あとはセリフを中心に飛ばし読みをしてしまった記憶がある。それ以来、『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』など以外は、多く英訳で読んできた。英訳の方が日本語の文体の饒舌さに振り回されず、文章と自分の間に適度な距離が生まれるから。
そんな私が見たからか、この映画はコンパクトにまとまると同時に、ある「高さ」を実現していると思えた。
日本人監督が撮ったら、キャスティングや全体のリズムなど、目もあてられないベタな映画になったかも。直子の速足と斜面の上下動、緑の穏やかでゆっくりした、平行移動。直子は肌のあれまでアップにされ、緑はソフトに映される。
松山ケンイチさんはニュートラルな感じを出してよし。菊地凛子さんの若作りはちょいと苦しかったとしても、直子と緑のコントラストは見事。ロングの風景もよかった。直子の狂気を強調し、緑の原作のキャピキャピ感を採用せずに、透明な若い女性として描いた、その成功。


「海炭市叙景」12/25・渋谷ユーロスペース

予想していたこととは言え、生活に疲れ気味の身にはこたえる映画。しかし、いやな感じはなく清冽なものを観たという印象。このコマーシャリズムの時代に、よくこんな重い映画を製作できた。スタッフと函館市民、関係者に脱帽。
「海炭市叙景」を観ながら思ったのは、原作者は作品に、登場人物に声を上げさせたかったのではないかということ。生活に閉じ込められた日常では、なかなか上げることのできない声を。
作品の枠組み、構成を崩してでも、作品や登場人物に声を上げさせ、そして作品を完成させる。中上健次さんやつかこうへいさんならできたかもしれないが、この原作者の端正な作風ではそこまでは持っていけなかったのではないか。
人生に絶望し、世界の冷たさを観、世界は冷たいゆえに美しいと、小説『ヒマラヤ杉に降る雪』(邦題は『殺人容疑』です。ひどすぎ)の主人公が最後に、自分を取り戻す、そんな展開が未完の「海炭市叙景」にありえたのかどうか。

  *   *   *

映画「ノルウェイの森」はグローバル、「海炭市叙景」はローカルという批評があるようだけれどおかしい。前者は愛、狂気、60年代の青春を、後者は人間の生、生活を描いて、ともにグローバルに理解される域にある。  

Posted by f4511 at 18:18Comments(0)TrackBack(0)

2010年12月14日

最近読んだ本の感想から

黒川創『かもめの日』(新潮文庫)

黒川さんのことは編集者・書評家として長く知っているけれど、小説を読むのは初めて。
「かもめ」という語をコードに、チェーホフの『かもめ』、宇宙飛行士テレシコワのメッセージ、チェーホフをモチーフにした、登場人物による短編小説、そして今を生きる人々のそれぞれの人生が時には絡み合いながら、織り上げられていく。
群像劇として、私はロバート・アルトマン監督の映画(「プレイヤー」「ショートカッツ」など)を思い出したりしたのだが、全体に登場人物の存在感が淡いと思える。全体を読み終えて印象に残るのは、自分が乱暴した少女のことを覚えていない、ラジオ局のADの「森ちゃん」くらいか(この女性を傷つけても何とも思わない若い男性像は、たまたま観た映画「森崎書店の日々」でも印象に残った)。
知的に構成された作品とは思うが、心を動かすパッションのようなものは稀薄だ。


佐々木中『切りとれ、あの祈る手を--<本>と<革命>をめぐる五つの夜話』(河出書房新社)

身内意識、仲間意識、エリート意識にしばられた現代日本文学やジャーナリズムの押しつけてくる、何がいいものかという価値観は、途方もない抑圧なんじゃないかと思えてならない私に、ひとつのすっきりした説明を与えてくれた。
「読む」こと、写すこと、訳すことの途方もなさ、魔にとらわれることによって始まる「書く」ことが革命を引き起こす。その「書く」ことは世界の9割が文盲であっても、0.1パーセントの可能性に賭けて行われなければならない、読み書くことで殺されるとしても。作家や哲学者の名前を列挙して、彼らがいてくれなければ「何をして生きていたらいいのかもわからなかった」というひと言に震えるように共感した。
やわらかい語り下ろしで、ルターを初めとする西洋宗教史や思想史などの門外漢でも読み取ることができる本になった。編集も秀逸。


町田康『人間小唄』(講談社)

町田さんの本はかれこれ10冊以上は読んできた。『きれぎれ』『実録・外道の条件』『パンク侍、斬られて候』『告白』など、「やられたな」と苦笑しつつ拍手した本も少なくない。
でも今回はスカじゃないかな。復讐相手を逃げられない時空に閉じ込めて突き付けた「短歌を作る」「ラーメンと餃子の店を作って成功させる」「暗殺」という3つの条件に沿っての箱書きで、突き当たった壁を破ってくる、いい時のパワー、スイングが感じられませんでした。
出版社の記念出版という期限に合わせての、熟さないままの速成だったのかもしれないし、あまりにもたくさんの本を書きすぎて枯れてきたのかもしれません。これから町田さんの本を読み始める人には勧められません。


津田大介+牧村憲一『未来型サバイバル音楽論--USTREAM、twitterは何を変えたのか』(中公新書ラクレ)

ムーンライダーズが幾多の移籍を経て自分のレコード会社を立ち上げたときは「大丈夫か」と思ったし(ライダーズ・オフィスの解散を経て、ほとんど宅マネ状態になったときも心配したが)、晩年の清志郎さんがレコード会社はもう力がない、これからはライブとツアーで手売りだと言ったときには、彼にしてもそうなのかと驚いたが、この本のていねいな分析を読むと、大げさにいえば、音楽をめぐる世界の構造が大きく変化しているのだな、ということが分かる。
私は出版社で編集の仕事をし、プライベートで詩を書き発表している人間だが、ネットでの曲のサンプル公開、リスナーとのダイレクトなやりとりが、中間業者抜きのビジネスになってくという音楽のあり方は、参考になりつつ、音楽と文学の違いの大きさも感じる(たとえば詩をめぐるネットの活動は、ショップなど、あれこれ試みられてきたが、ほとんど成功事例がない)。音楽は環境を充たすものとしての力が文字よりも圧倒的に強いということだろう。
「一人1レーベル」、CDは五曲入り、千円でいい、といった話も面白かった。

  
Posted by f4511 at 11:00Comments(0)TrackBack(0)