2011年03月05日

最近読んだ本の感想から

黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)

ネット上で、友人・知り合いたちが、その闘病とこの本の刊行について語るのを見るまで、黒岩さんのことを知らなかった。愛書家たちがこぞってその早すぎる死を悼んだ黒岩さんの本を読まねばと思い手に取った。
思想統制の厳しい明治から戦前に至る時代の運動史を、その悲惨さは押さえながらも、堺利彦さんという人物の、檄文から翻訳、広告コピー、小説、ユーモアをまじえた随筆までこなしえた幅広い才能、そして現在の編集プロダクションにあたる「売文社」を興して仲間の活動家たちに仕事を回し、その運営にも手腕を見せた才覚を、膨大な資料を読み込んだ上で、読みやすい明晰な文章で語っていく。その力技にまず脱帽。
そして同時に自分もこの時代に何かしたいと気持ちがうずいた。やっぱり理想は必要ですよね。
社会主義の活動家にシンパシーを寄せる夏目漱石さんの姿が散見されるのも興味深い。


飯島裕子『ルポ 若者ホームレス』(ちくま新書)

これからは派遣が楽になりますよ、とリクルート社の社員が嬉々として語るのを、よく意味も分からないまま聞いたのは20年くらい前のことか。その頃は、働く側にとっても雇用機会が増えたと歓迎する雰囲気まであったと記憶する。それから段階を経て、小泉元首相の自己責任論のぶち上げといった強力な後押しもあり、企業にとって都合のいい雇用調整が来るところまで来たということか。
ホームレスが生まれるのは彼らの怠惰のせいでも、単なる不況のせいでもない。ホームレスは、この社会が構造的に生み出しているものだということが、この本でよく分かる。バイトでさえ長期に働く場合は社会保険にかけることが法律によって定められているというのに、正社員であっても企業側のごまかしによってその権利が与えられなかった若者たち、倒産(本当か? 偽装か?)だから賃金は出ないと放り出された若者たちを救うにはもちろん人々の善意が必要だが、それ以前に、この社会の構造を見つめなければならない。
国や自治体も対症療法だけでなく、労働のあり方を見つめ直す時が来ていると痛感しました。


西村賢太『暗渠の宿』(新潮文庫)

肉体労働をしながら、愛する小説家の押しかけ歿後弟子として、月々の法要も欠かさず、その作家の資料を集めて全集刊行を目指す一方、女にもてずに買春に明け暮れる男。そんな彼がソープの女に騙されたり、やっと女性と同棲を始めたものの、今度は彼女が処女でなかったといったあれこれが気になりだし、あげくの果ては暴力をふるう。
どうやら私小説らしい作品。読んでいるうちは、ふむふむとそのやや破天荒な生活ぶりを面白がって読んでいたけれど、読み終わると、酔漢の与太話を聞いて一夜明けたかのように、残る印象は稀薄だ。おそらく、作品としてそれなりに整っているものの、たとえば車谷長吉さんの作品のような、作品として突き抜けてくるものがないのでは、と思う。
敬愛する私小説作家たちからの引き写しなのか、「おお根」「自分の精をつからす」「とうどう」「尚と」「はな」「言うがものはないよ」などといった古風な言葉が会話文の中にまで散りばめられていて、中には使い方が違うのではと思えるものもあり、そんな時、案外浅い気取り文学なのかとも思えた。その辺が、作品の中で(作者本人にとって?)、暴力が単なる暴力にとどまっていることにもつながっていると思う。


池澤夏樹『虹の彼方に』(講談社文庫)

失礼な言い方になってしまうけれど、池澤さんの小説よりも、コラム、書評、文学全集の編集といった仕事の方に目を開かせられることが多い。
この本は2000年から2006年にかけての雑誌の連載コラムに、折々の新聞などでの提言を組み込んでまとめたもの。国内では沖縄や北海道、海外ではヨーロッパなど、一箇所にとどまらずに移り続け、旅をさかんにし、そして内外の多ジャンルの本を読みこなしてきた池澤さんの視点が良い。
デジタル化し、コンビニ化した日本人の生活が失いつつあるものが見えてくる。そして、なしくずしに合州国に追随して右傾化していく日本の、じつは世界で孤立しつつある姿が浮かび上がってくる。ちらちらと読み返して、考えるためのヒントを拾い集めたくなる好著。
世界の警察になるよりは、世界の消防たれ、消防士は銃を持たないから、という提言はぱしっと決まって小気味よかった。


鶴見俊輔『かくれ佛教』(ダイヤモンド社)

鶴見俊輔さんの本はかれこれだいぶ読んできた。今回、語り下ろされたこの本は、そうした本とだぶる話題も多いが、繰り返しにとどまらず、かつてなく自分の心の深い部分、宗教心について踏み込んで語っているところが特徴。
軍国主義の時代に戦争を支持したキリスト教や仏教への反発を感じたけれど、個性的な仏教者たちとの交流、亡くなられた河合隼雄さんの著書の再読などを通して、心の深みにある、特定の神に帰依しない宗教心、「かくれ佛教徒」としての自分を認め、静かに肯定するに至る過程を話されている。国家、戦争に与しない、他をYou're wrong.と否定しない、本質としての仏教でしょうか。
ウィリアム・ジェームズさん、デューイさんらの多岐にわたる引用など、すべて一読で理解できたとは言えない。鶴見さんの思考を再考するインデックスとして、何度も立ち返ることのできる本と言えるのではないでしょうか。

  

Posted by f4511 at 17:54Comments(0)TrackBack(0)