2011年10月01日

2冊の詩集を読んでのメモ

 辻和人さんの新詩集『真空行動』(七月堂)一読しました。今までの辻さんの詩集に比べて肩の力が抜けてて(抜けすぎ?という説も)つるつる読めた。何か、ちょっと楽しげな私小説かミニコミを読んだ気分。日常の風景に不思議を見る第1章「隙」(今までは、その「不思議」の描写にひねりが加わって--加わりすぎて?--ああ、こういう作者も世の中にはいるのだなあと、やや疲れさせられたこともあった)と野良猫たちとの付き合いを語る第2章「猫」。
 ちなみに「真空行動」とは、有り余る「エネルギーを発散するために夜中に猫が「大運動会」を催すこと」とのこと。ディスプレイに書き続けた、孤独な青年(失礼?)の独り言のようでありながら、辻さんを知らない人が何の予備知識もなく読んでも、嫌な気にならずに読めるんじゃないかな。
 ちなみに辻さんは頭も良くて、ジェントルで、美男(元?)です。誰か「おそ松くん」に出てくる小池さんの奥さんのような素敵な人が、猫つながりで、辻さんの前に現れちゃったりすることを望みます。
 
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 薦田愛さんの詩集『流離縁起』(ふらんす堂)読了。着地点を求めないかのように、あふれる言葉については意見が分かれるんじゃないかな。ぼくの感じたのは、言葉が届く他者の不在。老婆が出てくる連作「石積み」でも、老婆になりきる部分と、老婆の説明的描写とが勢いを打ち消しあうように交互に出てきて、言葉の豊富さとは裏腹に、作品が拡散してしまう印象も受けた。
 おそらく薦田さんは表現するにあたって他者を必要としていないのかもしれない。また他者の表現をも。類縁的に想像するのは、天澤退二郎さんの悪夢的にねじれる世界、朝吹真理子さんの幻想の物語への定着、また老婆については三島さんの『近代能楽集』など。それらは確実に読者に届くサムシングを持っているのだが。
 薦田さんは本を読むと影響されてしまうとか言ってた気がするけど、どんどん読んで影響受けて、その影響を突き抜けるというのがいいのでは? そうした試行錯誤を経て、他者、読者も見えてくるのでは? いずれにしても、不思議な表現だ。「読む」→「自分も書く」という、文学をめぐる積み重ねの歴史を離れてどこまでも一人歩きしてしまうような表現。今度は(大リーグ「妖精」ギプスをはめて)20行くらいの短い詩をたくさん読ませてほしいです^^^  

Posted by f4511 at 13:59Comments(6)TrackBack(0)