2015年01月28日

サンプル系

◯ーー塾のような場所で皆が集まっていると、どっちが議論として主流になるかは分からないんです。(略)体育会系のほうがいいということになる可能性だって十分にある。僕はそこで、自分がずっと育ってきたその集団や社会の中では、それでもやっぱり近代的な自由とか平等とかいうものは、まあ表向きは良しとされるところがあったわけです。しかしもう少しその底のところに行ったときには、それが本当に良しとされるかどうかは、はっきりしない。そこには何か「ねじれ」のようなものがある。(長谷川宏さん「共にあって、学び始めること」『思想の科学 会報 178号』収録のシンポジウム基調講演。思想の科学研究会、2014・9)
ーー例えば塾の子で、自衛隊に行った子がいる。その子は知的に優秀な子ですが、どう考えて自衛隊に入ったのか、僕にはよくわからない。彼は我々の集まりも好きで、今はどこかの訓練所に行っているんですが、しょっちゅう帰ってきては塾にやってくるし、うちの嫁さんの葬儀の時も迷彩服で来たりする。「あの子どうなってんのオッチャン」とまわりの人に言われて、僕もどこかではその子とじっくりその話はしなければと思いつつ、どう切り込んでいったらいいかわからない。(同前)

◯ーー当時私が心配したのは、十九歳から二十歳にかけて野呂氏が体験した生きざまが(注: 自衛隊への入隊)、果して若者たちに受け入れられるだろうかということだった。あてになるのは自分ひとりの力のみで、がむしゃらに生きようとする熱い血のたぎりとそれ故の苦悩とが、たとえば大学へ進学することが当たり前になり、二十歳を過ぎても親の庇護を受けていられる若者たちに、この《草のつるぎ》がどこまで理解されるだろうか。更には、ぬくぬくとした形で文学の世界に入ったーー文学のみにしかすがって生きられず、そのために三度の食事もまともにとれなかったという類の者たちまで含めてーー人々に、この《草のつるぎ》が終始一貫して放っている哀しみにどこまで共鳴できるのだろうかと心配になった。(丸山健二さん。野呂邦暢さんの『草のつるぎ』解説。同題の文春文庫所収)
ーー野呂氏は依然として諫早の土地を動こうとしない。(略)地方において周囲を見渡した場合、さまざまな形はあるにせよ、社会に直接参加して生きている人ばかりで、信じられないようなことをして食べている者はなく、家に閉じこもって文学をいじくりまわしているような者は自分ひとりなのだ。だから、堂々と胸を張って名乗れない負い目をのべつ感じていなければならない。(略)小説を書く上で、その負い目こそが大切なのではないか、と私は考えている。大半の小説家たちが文化的な環境のなかに身を置き過ぎているのではないだろうか。(同前)

◯丸山さんの指摘は、長谷川さんの問題意識とはずれるけれど、反映している社会意識は共通。その逆転の仕方も含めて。民主社会の向こうに闇があるような、逆に土地に生きる人にとっては、個人性に依拠する現代の表現が異物であるような。
 ただいまの民主主義を守ろうというとんがった意識のブームは、それはそれで意味がある。でも、それとはちょっとそれたところから目が離せない。
 民主主義的な民間学者・市井の教育者と体育会系、自衛隊、ブンガクと自衛隊、地方の社会・世間と地域に供さないブンガク。後半について言えば、地方の社会・世間は開発や過疎などによって少し崩れてきている可能性もある(野呂さんの自衛隊入隊は1950年代、『草のつるぎ』の発表は70年代で、80年に40代で亡くなっている)。
 それでは日本社会が経済成長などによって、社会としても成熟したのかと言うと、そうでもなさそうだ。マンションの理事会で仕事をしたことがあるが、きょうびの理事たちゆえ、会計や建築、法務などに強い人びとが集まっていて仕事ができる。で、さて打ち合わせなどが一段落してひと息という段になると、ゴルフや経済などの話となり、民主党も朝日も金が分かっていない、やっぱ日経で、朝日はちょっと気分が悪いといった話になったり。そのなかでもY新聞勤務の温厚な紳士が最寄りの駅で、地下鉄遅延で駅員さんを執拗に怒鳴りつけていたり。
 とりとめがなくなってきたけれど、書いておけることを書いた。
  

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2015年01月24日

脱力系

◯ーー(注:沖縄国際大学に米軍ヘリが2004年に墜落した際に、米軍が日本の私有地にバリケードを作って日本人を立ち入らせなかった事件について)日本人にとって主権とは何かを考えさせるものだったけど、(注:パキスタン国内における米軍のビンラディン奇襲作戦が)パキスタンでナショナリズムを刺激したように、日本でも右翼の人たちを刺激しそうだよね。でも右翼が怒っている様子はあまり見えない。どうしてだろう。右翼の敵、左翼は、おしなべて沖縄米軍基地反対だからかな。(略)だったら日本人にとって主権とは、右・左のイデオロギーを超えて団結しなきゃならないシリアスな問題ではない、ってことだろうか。我々の主権意識というのはその程度かもしれない。でも、この不感症が“平和”の源かもね(笑)。(伊勢賢治さん『本当の戦争の話をしよう』朝日出版社)
ーー日本はどうしたかというと、アメリカのアフガン報復攻撃に対して即座に賛意を表明し、以来、民主党に政権が移るまで、海上自衛隊を、通称「海上阻止作戦」のため、インド洋に派遣しました。(略)日本人の意識では、この派遣が「参戦」という感覚はないようですが、「海上阻止作戦」は、実は、米・NATOの集団的自衛権のほうの下部作戦なのです。だから、国際法的に、日本は集団的自衛権を行使したのです。感覚的(日本の国内法的)にはそうじゃなくても、日本の外からはそう見える。なんか、日本らしいなー(笑)。(伊勢さん、同書)

◯10年ちょっと前、高橋秀実さんの『からくり民主主義』(新潮文庫。読んだのは親本、草思社、2002)を読んだ時(村上春樹さんの推薦あり)、米軍基地の問題や、諫早湾の干拓、若狭湾の原発などを取材して、「反対」の声と交付金でごね得という要素が同居しているさまを、これでもかというくらい読まされて、ムッときたけれど、今、思うと、全部ではないにしても、のんびりした時代の「先駆的」な内容だった?
 民族や貧富、あるいは性別などの差別感情などを抑制できないとか、金銭などのルールを守れない地方議員が増えているとか。統計の取り用もないけれど、一昔前の公務員就職にも似た、なったもん勝ち的なところがある? 想田和弘監督のドキュメンタリー「選挙」「選挙2」を見たり、出演している山内和彦さん自身の『自民党で選挙と議員をやりました』(角川SSC新書)を読むと、そんなに簡単ではない気がするけれど、これは神奈川の話なので、地域によってはもう少し楽だったり、逆に強固な地盤があったりするのかな。
 民主主義を、と騒いでも、地べたは今まで以上に緊張感を失くしている? いや、このずぶずぶ、いい加減でも成り立ってきたことに、「民主主義」という言葉でくくれない可能性がある? 投票率、笑えるくらい低いところに逆に。
 うまく言えないけれど、現在、ややその動きが目立つようになった、テーマ主義的なピンポイントの民主主義から、少しだけそらした目で世界を見つめてみたい。

◯伊勢賢治さんの『本当の戦争の話をしよう』了。国連やNGO、日本政府などの仕事として、世界各地で開発援助や武装解除などに深く関わり、現在では世界各地の大学で教鞭もとる伊勢さんが、福島の高校生を相手に行った集中講義を再構成したもの。
 第2次世界大戦後、アジアやアフリカの多くの植民地が、民族、そこにある社会とは違う旧植民地の枠組みに沿って独立した。その矛盾が冷戦期の大国の押さえ込みがゆるんだ今、分裂や戦争、内戦などとなって各地で起きている。
 旧宗主国(おもにEU)の責任じゃねとか、悪いのは現地をかき回した責任については知らないふりをする合州国ではとか、偽善じゃない? とか言っても止められない虐殺や流血を止めにいく、という仕事の紹介(きびしい失敗も)、日本人の自己イメージとはちょっとずれているかもしれない、いいイメージを活かしながら、軍事的に目立たない静かな貢献の道を探るといった提言がリアルでいいですね。
  
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2015年01月21日

参照系

◯ーーフィクションとルポルタージュの分類にわれらがこだわるのは、今日の社会がリアリズム万能だからだろう。なにがなんでも糞リアリズムの社会というのも、江戸っ子たちからみたら、一種異様かもしれない。(小沢信雄さん『悲願千人斬の女』収録、同名の評伝、筑摩書房)
ーー「葦原将軍」は、どうやらもう一個人ではなかった。枯渇した創造力の代わりを、それぞれの書き手が担いだした。時局認識や皮肉や空想をまんまと仮託できる器。何につけ天下御免の狂将軍で、じつは正気かもしれず、治安維持法このかたの言論封殺期に、なんという特権的キャラクターだろう。葦原金次郎の分身が、孫悟空のように世に散らばる。(「日本一の狂人」同書)

◯twitterやFacebookを見て思うのは、ずいぶん「酸欠」の平べったい日本になってきたなあということ。ま、そういう繋がり方しかできてないのかもしれないけど。でも、香港ほどの強さはなくても、民主主義ボーイズ・アンド・ガールズは体も張って頑張ってほしい。中高年のコックピット(ゲーマーズ、命令者)の一番病のRT中毒者、何もしていないことが自分で分からない? 街に出ないで、このネタ、歌にからめて、コラム一本書けるな、とか。前世紀の遺物はもういいよ。
 ユーモア、風刺を復権させて、言葉の裾野をひろげたいなあ。
 ザ・ニュースペーパーがテレビから干されてる現状が変わらないのに、言論の自由とか焦って言わないこと。 [メモ]http://youtu.be/oUDZc1vUvQ4

◯ーーこういうとき(注:学園紛争期)が足穂の出番である。戦後のブームと相似たことだ。軍国主義から民主主義への変り身や、体制と反体制の相互補完や、見渡すかぎり疑わしい世の大人どもから、飛びはなれて鬱然とそりかえっているアウトサイダー。A感覚を梃子にしてP中心の世俗の価値体系をほがらかにひっくりかえす、こんなジイサンがいたのかい。そうなら日本も捨てたものでもないかもしれない。(「超俗の怪物」同書)

◯中沢新一さんの『緑の思想論』(ちくま学芸文庫)とかブローデルさんの『歴史入門』(中公文庫)、柄谷行人さんの『世界共和国へ』(岩波新書)あたりを読むとすると、ベーシックなことを考えたくても、世界史の知識へ自分を接合しないといけないという、回り道をとらざるを得なくなる。その辺、面倒だなあと思えるくらいには自分(たち?)のアジアの地金が 見えてきた。どこに民主主義があるんですか? と言いたくなるくらい、言葉は威勢だけがよくて、中身はふわふわ。
  
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2015年01月19日

問題系

◯5年前に出て、まだ僕がうつ病の薬を手離せない状態だったこともあって、飛ばし読みしてしまった、鶴見俊輔さんの『新しい風土記へ』(朝日新書)と『思い出袋』(岩波新書)を家から持ってきてもらって、ゆっくりゆっくり再読。前者は対談集、後者は月一回で7年に渡って書き継がれた短章集。一見軽そうで、ゆっくり読むと、立ち止まらざるを得ない箇所につまずく。
 『新しい風土記へ』では、アジアの国境地帯で活動する中村哲さんやホスピスケアのある診療所を運営する徳永進さんの、裏付けのあるさりげない言葉。さらに、中国の日本研究者、孫歌(スン・グー)さんとの、竹内好さんの戦争中の、反動的ととらえられかねない文章に、抵抗の姿勢を見抜く姿勢、池澤夏樹さんの北海道や沖縄に移り住むことで、東京中心の世界観に毒されずに、そこに生きる人々の怒りを感じられるようになるといった指摘が、さっと読み飛ばせない重さを持つ。読み終わったと思わずに、何度もページを開いてみたい。

◯ーーメディアが急速に力を失っている理由は 、(略) 「誰でも言いそうなこと 」だけを選択的に語っているうちに 、そのようなものなら存在しなくなっても誰も困らないという平明な事実に人々が気づいてしまった 。そういうことではないかと思うのです 。
 内田樹さんの『街場のメディア論』(光文社新書)了。メディアを贈与と返礼という視点で捉え、ビジネスとしか考えられなくなっている現状を批判。僕も本や音楽にもらったものを、いまだに返そうとしている気がします。

◯ーー個別的な理由ではなく 、もっと根本的な理由でアメリカはイスラ ームと 「不俱戴天 」の関係にはまり込んでいる 。それはアメリカ主導のグロ ーバリゼ ーションはイスラ ーム圏が存在する限り成就しないからです。(内田樹さん『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』集英社新書、中田考さんとの対談より)
ーー国民国家 ・領域国家それぞれの主権と独立性を強化し 、隣国との利害の対立を強め 、国民同士が憎しみ合うように仕向ける 。つまり国民国家 ・領域国家を強化するという政策が選択される 。それがイスラーム圏におけるアメリカの基本的な戦略だと思います 。(同)
  内田樹さんとイスラム学者であり信者・活動家である中田考さん(最近ではイスラーム国に日本人学生の参加を仲介したことで話題に。[メモ]女子大量誘拐はボコ・ハラム)の対談『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』集英社新書)了。まずは理解する努力から。「国民国家 ・領域国家」という枠組みに押し込まれることによって、歪められてしまった、イスラームの他者に優しくなければ生き延びられない遊牧民文化のポテンシャルの高さを思う。ユダヤ教については、また別の本を、内田さん、出されているんですね。読まねば^o^

◯ーーにもかかわらず 、バブルが崩壊すると 、国家は資本の後始末をさせられる 。資産価格の上昇で巨額の富を得た企業や人間が 、バブルが弾けると公的資金で救われます 。その公的資金は税という形で国民にしわ寄せが行きますから 、今や資本が主人で 、国家が使用人のような関係です。(水野和夫『資本主義の終焉と世界の危機』集英社新書)
ーー財政均衡を実現するうえで 、増税はやむをえません 。消費税も最終的には二〇 %近くの税率にせざるをえないでしょう 。しかし 、問題は法人税や金融資産課税を増税して 、持てる者により負担をしてもらうべきなのに 、逆累進性の強い消費税の増税ばかり議論されているところです。(同)
ーー現在取りうる選択肢は 、グロ ーバル資本主義にブレ ーキをかけることしかありません 。ゼロ金利 、ゼロ成長 、ゼロインフレ 。この三点が定常状態への必要条件であると言いました 。しかし 、成長教信者はこの三点を一刻も早く脱却すべきものと捉えます。(同)
ーー金融緩和や積極財政が実施されますが 、日本の過去が実証しているように 、お金をジャブジャブと流し込んでも 、三点の趨勢は変わらないのです 。ゼロ金利は 、財政を均衡させ 、資本主義を飼い慣らすサインであるのに (略)。(同)
 水野和夫さんの『資本主義の終焉と世界の危機』了。中世史までを取り込んで、アベノミクスを批判し、成長神話を捨てての定常状態へのソフトランディングを提唱。西洋思想を引きずったピケティさんより明快かも(読んでないけど^o^)。
  
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2015年01月18日

イタリア、マイ・ブーム

◯ナタリア・ギンズブルグさんの『マンゾーニ家の人々』(白水uブックス)読了。マンゾーニが誕生し、成長し、19世紀のイタリアを代表する国民的文豪として名をあげていく第一部に対し、再婚した妻の病気がちな心身に引きずられるように、先妻との間にできた女子たちが次々に病む第二部。男子たちは経済的に破綻して、マンゾーニを苦しめる。オーストリア・ハンガリーの占領とイタリア統一へという激動の時代。第一部と第二部は人生の春と秋のような対比をなす。ひとつひとつが作品のような書簡を読み込み、伝記的事実をそえて再構成した見事な伝記文学。19世紀の貴族たちの理想主義?的な、嫌味ではない高貴な語りを、須賀敦子さんの清潔な訳が生き生きと再現している。

◯カルヴィーノさんの最初の長編小説『くもの巣の小道』(ちくま文庫)読了。自身のそれ以降のファンタジー系の作品とはまったく異なる、パルチザン体験をベースにしたリアリズム小説。少年ピンは娼婦の姉の客のドイツ兵からぬすんだ銃をくもの巣に埋める。地面にくもが巣を作るのは世界でここだけだ。程なくピンはドイツ軍に捕まるが脱走。転がり込んだのはパルチザン中でも最悪のボロ支隊だった。確たる思想もなく自分たちの利益を守るためにファッショに転向してもおかしくない群れ。その無秩序さと荒っぽさは日本で言えば「兵隊やくざ」的な? ピンが目にするのは怠惰、不潔、卑猥、武器マニア。上の命令に従って敵にやられないために出発する奴ら、うじうじと止まる奴ら。後から言うきれいごとにならないリアリズム。こんな生き生きとしたリアリズム小説を青年カルヴィーノが描ききっていたとは。その後、カルヴィーノさんは、ネオレアリズモの俗化の風潮や共産党への失望、彼を評価し、導いてくれた先達パヴェーゼさんの自死などをきっかけに、リアリズムを離れ、ファンタジー、アヴァンギャルドへとシフトしていく、その変貌も興味深い。

◯パヴェーゼさんの『月と篝火』(岩波文庫)読了。捨て子である主人公が孤児養育の補助金目当てに貧しい農家の下働きとして買われ、苦労を重ねたのちにアメリカに脱出し、財をなしてイタリアに戻ってくるが、葡萄などの農村の貧しさは変わらず、ファッショとパルチザンとして戦った人々もお金と宗教に回帰している。主人公の神話のような遍歴、ファッショとパルチザンとの二重スパイとして殺される、元の雇い主の娘。イタリアの映画に美しく切り取られそうな風景を背景にえがかれる物語は淡く苦い。そしてこの小説を書いて作者は自殺した。

◯ーー深い森と宿命の城とタロットの束がここまで私を連れてきてしまった、私自身の物語を見失うほどまでに、ひしめく物語のなかにまぎれこんだ一粒の塵埃と化すまでに、そしてほかならぬ私を物語の枷から解き放つまでに。(『宿命の交わる城』河出文庫)
ーー屋台の上にいくつかの品物を並べて、しきりにそれらを離したり、また寄せ集めたり、置き換えたりして、何らかの効果を測っている。幻術師、あるいは手品師、それこそはいまの私だ。(同)
 カルヴィーノさんの『宿命の交わる城』読了。二組のタロットを使っての二章だて。城、あるいは第二章の舞台である酒場に辿り着くまでに言葉を失った人びと。彼らにできるのはタロットを選び縦横に配列しそこに自分の物語を読むことだった。
 最後は絵画をモチーフにしたり、シェイクスピアの悲劇をタロットの配列で語ったりと、自分を捨てて自在に語り抜けている。

◯カルヴィーノさんの『アメリカ講義』(岩波文庫)読了。ハーヴァード大で予定されていた集中講義の草稿。ハーヴァードの学生でも各回ごとにプリントをもらってチューターと復習したくなるようなヘヴィーさ。見えてくるのは世界文学の深さ。日本で、これは「純」文学か否か、なんて言っているのが、しらけてしまうレベル。
  
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