2013年07月03日

ノート(24)

六月 日

 なくなったベニサン・ピットに代わって、演劇プロジェクトTPTが新たに設けた常打ちスペース近泉ピットで「ダンシング アット ルーナサ」(ブライアン・フリール作、常田景子訳、亘理裕子演出。今回は人名が多そうなので敬称略)を観る。
 一九三六年のアイルランドの片田舎で暮らす、収穫祭ルーナサのダンスに加わるには薹(とう)の立った五人の独身姉妹と長兄の暮らしを、女性の一人の私生児(舞台上では大人の姿)の回想的ナレーションをはさみながら描く。
 教師をしながら家にお金を入れるまじめな姉、ウガンダでハンセン病患者を助ける活動を長年してきて、現地の異教的な価値観に浸かってしまった兄(マラリア熱で言葉の記憶がはっきりしない)、いつも忘れたころにやって来るセールスマンをしている私生児の父(彼は義勇軍としてスペイン戦争に行くが……)。没落していく家族の姿が淡々と描かれる様はチェーホフの芝居を思わせる。そう言えば、日本人によるチェーホフの傑作舞台「三人姉妹」もTPTによる上演(一九九六年)を観たのだった。
 ケン・ローチ監督の涙なしには観られない、一九二〇年代のアイルランド独立戦争を描いた映画「麦の穂をゆらす風」を思い出したり、オーウェルが大英帝国の豊かさに溺れていないで、ファシズムに対して立ち上がろうと言った、その敵側に日本はいたんだよなあとか、チェーホフの芝居に出てくる娘たちに期待を抱かせながら戦争に行ってしまう青年将校たちは日露戦争に行ったんだよなあと思ったりしながら、それでもいまどきの日本では書かれなくなった(観ていないだけ?)きっちりしたリアリズム演劇がきっちり演じられていることに好感を持った。観てよかったです。



七月 日

 森下の古書ドリスで見つけた、林富士馬さんと富士正晴さんの共著『苛烈な夢 伊東静雄の詩の世界と生涯』(一九七二年、現代教養文庫)を買ったのは、伊東さんへの興味ではなくて、震災後、少しずつ読み続けている富士さんがどんなことを書いているかに興味があったから。
 富士さんは詩の師である竹内勝太郎さんが亡くなった後、野間宏さんらと出していた同人誌「三人」で竹内さんの追悼号を出す。たまたま富士さんの弟さんの通う学校で伊東さんが教鞭をとっていて、生徒から「乞食」と仇名される詩人だということなので、弟にその追悼号を売りに行かせたのがきっかけで、伊東さんが富士さんの家に遊びに来たのが一九三五年のこと、伊東さんが『わがひとに与ふる哀歌』を出版して少しした頃だった。訪れてきた伊東さんは近作だという詩を原稿用紙に書いて朗詠しはじめる。

 孔雀の悲しみ 動物園にて

蝶はわが睡眠の周囲を舞ふ
くるはしく旋回の輪はちぢまり音もなく
はや清涼剤をわれはねがはず
深く約せしこと有れば

かくて衣光りわれは睡りつつ歩む
散らばれる反射をくぐり……
玻璃なる空はみづから堪へずして
聴け! われを呼ぶ

 この後、新作ができると富士さんに読ませて感想を求めるという関係が、富士さんが出征する前まで続いたようだ。この本では、富士さんが三十歳くらいの時に深く付き合った伊東さんの詩を、還暦に近い歳になって読み直すという趣向だけれど、辛口の批評、愛情深い賛意などが各詩編について率直に書かれていて面白い。伊東さんの詩も一回ちゃんと読んでみようと思わされた。ひとつ書きとめておきたいのは、伊東さんにとって朗詠が大きな意味を持っていたのではないかという指摘、黙読すると不自然な詩でも、朗詠によって作者の格別の思いが表現されていたのではないかということ。これは読みのポイントになるかも。
 戦後、肺の病気と闘い続けた伊東さん。桑原武夫さんと富士正晴さんによって編まれた選詩集『伊東静雄詩集』(一九五三年、創元社)は伊東さんの死に間に合わなかった。その本からは、詩人自身の生前の意志によって、七編の戦争詩は除かれている。



七月 日

 梨木香歩さんの小説を読むのは三冊めくらい。この『僕は、そして僕たちはどう生きるか』(理論社)はタイトルから分かるように、吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』(一九三七年刊行、現在は岩波文庫ほか)の本歌取り的な作品ですが、ぼくは『君たちはどう生きるか』は読んだ記憶はありますが内容は覚えていません。
 主人公のコペル君(『君たちはどう生きるか』と同じ)は一四歳、親の仕事の関係で一人暮らし。染織をやっている叔父のノボちゃんが清浄ヨモギがほしいと言うので、登校拒否を続けている同級生のユージンの家を訪ねることになる。ユージンの家はもともと農家で、なくなったおばあさんが自然破壊に反対していたため、広い敷地にさまざまな動植物が豊かなのだ。そしてユージンの従姉のショウコ、その先輩のインジャが登場して、その一日はコペル君にとって特別な一日になっていく。
 細かいプロットはネタばれになってしまうので書きませんが、人は群れを必要としていること、しかし群れに入って安心してしまうことで他人を平気で深く傷つけてしまうことがあること、それは言いかえれば群れから離れて生きる力が必要だが、まったくの一人では生きられないということ、そうしたメッセージが戦前の軍国主義時代の少年少女の熱狂やボーイスカウトとナチスの関係、徴兵忌避して山の中にこもっていた人のエピソード、現代のAVの女性観、徴兵制の復活にどう抗うかといった話などを含みこみながら読者に送られてくる。名前は出ていないが現代の現実にいる表現者や教育者の批判は手厳しい。
 現代をどう生きるかというテーマを明快に割り切りすぎずに、主人公コペル君の迷いを辿るように書いているのが印象的だ。これは今を生きる十代たちが大人に薦められるのではなくて、自分で見つけてほしい本だと思った。自然の描写も豊富です。


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