前の『人権擁護法案について』で、主にこの法案が規定する
『組織』の問題点について触れたが、ここでは『差別』について
考えたいと思う。
弱者救済と差別〓
人権擁護法案にきな臭さを感じて以来、差別とは何なのかを自分なりに考えているのですが、今回も差別に関して書いてみたいと思います。一応、〓としたのは〓までは考えているからです。
学生無年金訴訟、元学生側逆転敗訴 東京高裁-----------------------
弱者救済と差別〓
さて、今回は在日韓国人・朝鮮人高齢者無年金訴訟について取り上げますが、1回目の学生障害者無年金訴訟と同じような視点で見ていきたいと思います。それでは、朝鮮新報の記事とそれを支援する方々のページから国の反論部を引用します。
京都・無年金高齢者
最近人権擁護法関連で大荒れだな・・・・・・・・そりゃねーあんな法律が通ったら普通にまずいでしょう?「人権擁護法によって差別がなくなる」と推進派の方々は主張しているようだが・・・・・差別ですか?そんなもん克服しようとして始めてなくなる物ですだが差別はいけ...
人権を考えるにあたり、興味深いエントリを発見したのでご紹介。カレーとご飯の神隠し「◆私が人権擁護貌に反対する理由」上記エントリでは、人権擁護貌を反対する理由として「被差別者の事を考えているから」と述べており、根拠として、「どうして差別はいけないのか?→人
私は「正義」は語らない。
これはblogを書く上で、常に心がけていることである。
常に「利益」か「事実」か「法」に基づいて語るようにしている。
奇麗事も語らない。
私が自らを「偽悪者」と公言してはばからない由縁である。
正義とは常に甘美なものである。
人と
主旨人権擁護法案に関わる、主にブログ上でのやりとりをまとめるページです。まだまだ不十分ですので、協力よろしくお願いします。追記1:人権擁護法案について独自のカテゴリーを作ってあるブログについては、現在のところそのカテゴリーだけの紹介となっている場合があ...
仕事が忙しくて、ネットとBlogほったらかしてるうちに、「人権擁護貌」反対運動がなんか微妙な方向へ向かってる気がする。 昨日のテレビタックルで放映された集会での映像でも、天然なのかわかっていてなのか(多分わざとだと思うけど・・・天然ならさらに?だし)安部さんは
大分前に某所で目にしてから危機感を覚え、サイトトップに大手まとめサイトのバナーを張っていましたがあまり深くは考えていなかったなぁ、と関連サイトを回っていて思いました。 確かに人権擁護法案は問題だと思います。ただ、反対を必要以上に煽り立てようとしているサ
よーしパパ人権擁護法案推進しちゃうぞー。 匿名で潜伏しつつ各所で議論かましてきた結果そうなりましたので各位よろしくお願いします。 (このエントリの半分は感情でできてます。)...
いつも見てます。文章に共感を得ました。
個人的な結論だと、差別はとっとと「風化」させるのが賢明です。
それに加えて、
『被差別者に対する差別をやめよう。』というのは、無意識のうちに
『(世間一般から見ると、) 彼らは、差別されて当然である。』といってるのと同じです。
『だからしょうがないけど、私達の側が努力して差別をなくしてやろう。』
↑おそらく、こういう思考回路でしょう。自称、「正義の味方」でしょうね。
…よくもまぁ、優越感に浸りたい方が多いようで。
カリー様の記事を読むとなぜだかホッとします、とても聡明そうで。
…これはやはり、高校生に対する無意識の内の侮り、差別ですか?あぁ、そうですか。(笑)
私の地元の話ですが、親の世代から子の世代へと受け継がれつつ、
差別は今でも存続しつづけています。
村八分という風習が未だに残っている田舎で、慣習に逆らうのは、とてつもない
勇気を必要とします。そして父親に「あそこの人と付き合うのは止めなさい!」と
強く怒られた場合、小さい子供に何が言えるでしょう?何も知識の無い状態で
そんな現実に直面したら、なおさら多くの人々は波風立てない方を選ぶでしょう。
もちろんその時、自分は「家族のために」「会社のために」正しいことをしていると
信じています。その慣習に逆らった場合、差別の矛先は自分たちへ向かう訳ですから。
だからこそ、もっと踏み込んだレベルで「なぜ彼らが差別されているのか」という
歴史的経緯と、それが「いかに理不尽なことであるか」を、私たち全員がきちんと
理解しない限り、差別はなくならないと私は思っています。
私が生まれ育った東京下町は元々は部落の名残だったりします。
今ではそんな痕跡なんて影も形もないですけどね。
(幕末から明治維新の際に階層撤廃に努力した偉い人がいたかららしいですが)
関西では「被差別者に対する特別待遇」があってそれが結局利権になって差別を存続させる結果になってますし広島では解同に教育者が殺されてます。
解同や総連、民潭みたいな左翼組織の活動は被差別者(とされている人たち)のイメージを低下させるだけで、差別撤廃にはむしろ逆効果にしかなってませんね。
『実録!部落民』
http://d.hatena.ne.jp/somali/20050304
http://d.hatena.ne.jp/somali/20050329
かつて大阪の「部落」内部に暮らしておられた方のblogのエントリです。
管理人のsomaliさんは、「特別扱い」を拒否して「部落」を出た方です。
法案はともかく、普通の「内部」の方がどのように感じているのか、
知っておくことは大切だと思うのです。
当事者以外でどんなに白熱した議論をしていても、
何かが欠落してしまうのではないかと思ったりします。
私はこれを読んで優先席の問題を思い出しました。
優先席を設けることでお年寄りなどを保護するというのは、カリーさんの仰るような論理により、本当にその人のためにはならないというものです。
結局決まりごとを作ることで保護しよう、という考え方はどこかおかしなところが出てきてしまうものなのでしょうね。
>私見ですが、東北地方の農村部では部落に対する差別意識というのがほとんどないはずです。
>これらのところでは、部落=集落=地区として使われており、今でも「○○部落で熊が出ました」なんて放送が流れるようです。
>「部落」という言葉へのマイナスイメージが無いんですね。みんな部落なんです。
北陸の田舎でもこんな感じですね。
『部落』 は普通に使っておりますし、 変な教育もありませんでした。
ですから、ネットで初めて知った時は驚きましたよ
自分で差別を煽って、こいつら何やってるんだ? ってな感じで
それからですかね。彼らに対して、差別心というか警戒心を持ったのは。
同じく山形出身の人間です。両親の実家が郡部の山奥で集落の単位を普通に○○部落と言っている(今もです)ので部落についての認識はカリーさんと同様でした。大人になって山形から出たときに初めてそういうものがあることを知り逆に差別意識が芽生えちゃったんですよね・・・
寝た子はそのまま寝かせて置いた方がいいのにと思うんですが。
世の中には、口では「差別はいけない」と言いながら、実際は本当に差別がなくなっては困る人たちがいるんでしょうね。この法律を可決しようとしゃにむに推進してるのが同和利権と深く繋がってる野中−古賀ラインだったり在日信者の多い創価学会だったりするのからすると、この法律の本当の狙いは「差別の固定化」ではないのか。
カリ−さんの文章を読みながら、ふとそんなことを考えてしまいました。
大阪の出身なわけですが、初めて差別を知ったのが学校で見せられる同和のビデオだったのですよね、中学高校と年に1回くらい見せられてうんざりしていたのを思い出します。
毎年同じようなビデオを見せられしかも感想文を書かされる(戦争反対ビデオも似たような感じでした)あまりにもムカついたので感想文にこんなものを見せるから差別が起こる、僕はこれを見せられなければそんなものがあること事態を知らなかった。という内容のものを書いた記憶がありますw
先生にも同じようなことを言った記憶がありますが、「親から教えられる子もいるから正しい知識を付ける方が良い」みたいなことを言ってましたねぇ。一理あるなぁと、ただし寝た子を起こす可能性もあるわけだからどっちがいいとも言い切れないものがあります。
いつも見てただけなのですが、今回はすごく共感するところが多かったので。
今回の法案は、作ったところで根本的な差別の根絶には繋がらないと思います。
法で罰せられるということになったら、確かに表向きの差別は減るかもしれませんけど、差別をする人たちは自分達のテリトリーに被差別対象者をいれたくないっていう気持ちが強くなって、水面下では更に差別が酷くなる気がします。
そもそも、差別する人っていうのは何を考えてそうしているのか分からないですね。
昔からの風習とかもあるんでしょうけど、差別することに意味があるとは思えませんし、逆に弊害しかありません。
差別なんていう概念を、法という形で残す必要性は全く無い、そう思います。
はじめまして。以前からオチさせてもらってました。
私がこの法案に反対なのは、この法案が被差別者を救済するものではないからです。この法案自体どちらかと言えば、弱者保護救済の為というよりも、差別者とみなした人への罰則を与えると言う色が強いため、どうしても特定の勢力に利権として利用されてしまうでしょう。
そもそも差別を定義する事自体が難しいのですから、法案を修正するにしても一朝一夕の議論で解決できるようなものではないと思います。少なくとも今の状況では人権を擁護する為のものとは言い難いですから、言論弾圧法案とでも言った方が一番しっくり来ると思います。後にそう言われないよう、安易に法案を通すことなく、キッチリ修正するなり廃案にするなりして欲しいと思います。
人権擁護法案は差別利権の温床になりうるから反対、と言ってしまうべきでは?
沖縄でも村落のことを部落と言いますね。差別的な意味合いは全くなしに。
いわゆる部落差別は西日本地域に多く、東日本や沖縄ではあまり見られないので、この問題の認識には出身地域による差があります。
>人権擁護法案は差別利権の温床になりうるから反対、と言ってしまうべきでは?
それを言うと、感情的な反対派の意見になってしまいますよ。
カリーさんがそういう意見でないのは、plummetさんのページを見れば分かりますよね。
例え話です。Aさんは企業の人事部で働いています。新卒社員の選考で誰を役員面接に
上げるかの話し合いになったとき、Aさんは候補者の中で最も聡明で、礼儀正しかった、
B君を推薦しました。すると、上司にこう言われました。
「B君は出身に問題があるからやめとけ。何かあったとき、キミの責任問題になるぞ」
さて、もしあなたがAさんだったら、この時、上司に対して異議を唱えることができますか?
まして何の知識もない人間が、自分の身を賭して(←ここが重要)、A君を守れるでしょうか?
今回の法案は、この上司の言う「何かあったとき」の「何か」に理由を与えてしまう
可能性があるので、私は反対しています。でも、この問題に無関心な人がいる限り、
「風化」することは、おそらく、ないと思っています。
もちろん、この問題は島崎藤村の時代から議論されてきていて、そして未だに結論を
見ていないわけですが。
>ゼリーさん
>今回の法案は、この上司の言う「何かあったとき」の「何か」に理由を与えてしまう
可能性があるので、私は反対しています。
同意です。この法案が法として存在してしまうと、そう言った発言や行動をとる時のハードルが上がってしまうと思います。
発言、行動はできるだけ自由に―しかし覚悟と責任をもって―なされるべきだと思います。それゆえに覚悟と責任を過剰に要求する事になる可能性のあるこの法案に俺は賛成できません。
しかし、差別の被害者は存在するのですし、その被害を抑え、解消すべきだと言うのは当然です。俺はそれは法のもとの平等と言う原則から、司法に委ねるべきだと思います。で、裁判の費用や期間がネックなれば、そちらをまず改善するべきではないでしょうか。
カリーさん、ご無沙汰しております。
関連のあるエントリを2件ほどT/Bさせて頂きました。
人権擁護法案に関する素晴らしい考察を拝見し、何か溜飲が下がる思いがしました。
差別で問題になる同化とか同和の問題ですが、これらの言葉の意味は「同じになること」という部分で共通しています。
同じになるということは、仰るように、良くも悪くも特別扱いしないということだと思います。
気の置けない付き合いが自然にできること、それが重要なんだな、とよく分かりました。
あー、「ちびくろさんぼ」が絶版になった時カリーさんが言ってるような事を感じたねえ。
言葉狩りをして何の意味があるのかねえ。
人権擁護法案ですか…。
最近の反対派の意見は感情先走りしすぎだし誇張が多過ぎる気がするので嫌な感じがしますが、
俺の意見としては他の反対派がどう言う主張をしていようが、危険をはらんでいると考えているので反対です。
韓国は日本に対して賠償金を求める気マンマンですし、日本の有識者と言われている人でも払った方がいいと考えている人がいます。
俺としては何馬鹿な事を言っているんだと思いますが、相手の方からしてみればこれは「正当な理由」な訳です。
続き
被差別団体がどうのこうのと言う以前に、何らかの制約を加えない限り、人の意見には偏りが出るのは当然です。
主観的な制約なんざゴミみたいなもんです。
過去の例ではこう言う解釈をしていたから安全だと言われても、次回も安全である保証などどこにも無い訳で。
人権等のデリケートな問題は、特に司法に任せるべきだと思います。
金が無いなら裁判用に補助金を出すなり、知識が無いなら各地に無料相談所を作るなり、時間が無いなら裁判制度を変えるなり。
反対派はこの法案が制定したら日本の未来は無いと言わんばかりだし、賛成派はこの法案が制定しなかったら被差別者の未来は無いと言わんばかり。
現在の法律では救えない又は救い辛い、救助すべき被差別者がいるのなら、その例を挙げて、こう言う差別を無くすためにどうするか…と言う議論をやるのが筋だと思うんですがどうなんでしょうねえ。
「正当な理由」→「正当な主張」
へと脳内変換おねがいしまつ _| ̄|○
北関東でも普通に部落の集まりなどといいます。
>こんな法案を作っても本当の意味で被差別者のためにはならないことは分かっているつもりです。
とカリーさんはおっしゃってて、それには大変共感するのですが
>でも人権擁護法なんて作ってまで”守ってあげる”必要があるんでしょうか。
と法を作ってまでと今回の人権擁護法案に対しての必要性の疑問を主題として表明なさっているにもかかわらず
なぜか『差別意識自体を風化させてしまえばいいんだ。』
といううような意見がコメント欄で醸成されているように見受けられます。
しかし、差別自体は厳然として存在するので、個人的になるべく差別自体を意識しないようにするのと同時に差別自体についての思考を止めるべきではありません。
僕の印象からの暴論かもしれませんが、上記の言及をお許しください。
今回のカリーさんのエントリーに関しては、いくつか反論があります。つまり、このエントリーでの主張を一般論としてしまうには、問題がありすぎるということです。
まず、考えるべきことは、日本の現在の事情のなかだけで言ってることなのか、それとも、世界規模で一般性を持つ考え方であるのかというのが明示されていません。そして、日本国内の問題だけにしぼったとしても問題はあると思います。
つづき。
まず、日本の国内事情に限って考えます。例えば、障碍者の問題。カリーさんは、
>私はその「特別扱い」が差別を生んでいると思うんですよ。
>何で特別扱いするんですかね。どうして法を作って守ろうとするんですか、救おうとするんですか。
と、おっしゃっていますが、障碍者はある意味「特別扱い」しなければ、人間らしい生活ができないのは、事実であると思います。普通の五体満足の人間が不自由のしない生活空間が、障碍者には困難な場合がある。
つづき。
数年前『AIKI』という映画を見たのですが、その主人公は交通事故で下半身が麻痺してしまい車椅子生活を送るようになり、生きる意味を見失いかけたが、「大東流合気柔術」という武道に出会い、再生していくというストーリーでした。障碍者の生活をかなりリアルに描いており、はっきり言って見るのがしんどかったです。
しかし、そのような現実がある。皆、自分の脚が不自由になり車椅子の生活を送ることなど、できれば考えたくない。なぜなら、それがとても苦しいことであるから。しかし、我々が彼らのことを意識して考えなくては、彼らは我々と同じような楽しみを味わう機会を得られないのです。
つづき。
私も足を怪我して、松葉杖を使ったことが何回かありますが、それは非常にしんどいものでした。慣れもあるのでしょうが、義足の人などが松葉杖を使って歩くということの困難さというものは、そういう実体験がないとなかなかわからない。車椅子でも、ちょっと傾斜や段差があるだけでもたいへんだそうです。
そういうことを我々は考えるよう努力しないと、わからないのです。日本もだいぶんバリアフリーが浸透してきましたが、それはやはり、その関係者が地道に訴えてきたということがあると思います。
>MMさん
同時に私は「行政上の優遇サービスや、雇用などで必要な処置があるのは分かります。」とも言っているんですけどね。
そうした処置を行政が指導しないと辛い面がありますから。
でもそうして「支えてあげる」政策と「守ってあげる」政策はまるで別だと思うんですよ。
後者には自立性がありません。
オーストラリアのアボリジニは、働かなくても十分生活できるだけの援助金がもらえます。その結果、働かない(それこそ昼間から酒を浴びるような)アボリジニが増え、大きな議論を呼んでいるそうです。
「守ってあげる」ことが彼等を自立できなくしてしまっているようなんです。そうなってほしくないんですよね、私は。
はじめまして。
>MMさん
過ぎたるはなお及ばざるが如し、です。ついでに言えば、及ばざるは過ぎたるに優れり、という言葉もあります。放任しすぎてもいけない。しかし障害者が何もしなくてもよい状況を作ってはいけない。調整の難しい問題です。
ただ貧しいからといって、何か施してやればいいという物ではない。天涯孤独な貧しいものへの援助は当然のことだが、五升の米を与えても三升を酒に換えて飲んでしまうものもいないわけではない。by福沢諭吉
>同時に私は「行政上の優遇サービスや、雇用などで必要な処置があるのは分かります。」とも言っているんですけどね。
それは私も読んでいます。ですからカリーさんが障碍者の問題等にまったく考慮していないということもないことはわかっているつもりです。
しかし、行政サービスなども民意が代議士等に伝わることにより実現するということでしょう? マジョリティにその問題が浸透しなくては行政も動かないというのが現実だろうと思うのです。その方法論のひとつとして人権擁護法のようなものはあってもよい。
私が今回の人権擁護法の反対しているのは、「差別言論の規制」があるからです。これは最終的に思想統制にならざるを得ないのでやめて欲しいと思っているのです。
アボリジニの問題は、障碍者の問題とは別だと思います。彼らは本来持っている能力が白人に比べ劣っているわけではないのですから。これはいわゆる「白豪主義」という人種差別により隔離されてきた結果なのではないでしょうか? きちんと調べてないので間違ってるかもしれませんが・・・。
アメリカ原住民(インディアン)やアフリカ系アメリカ人の問題にしても、これは明らかに人種差別によるものでした。そしてアフリカ系アメリカ人の差別に関しては、長い闘いを経て、自分たちが白人たちと対等の人権を得たということでしょう。南アフリカのアパルトヘイトがなくなったのも、つい最近のことです。
アフリカの黒人を拉致して連れてきて、自分たちの奴隷にするということは、当時のアメリカの白人としてはごく当然のことだったのです。植民地を作ってそこの原住民を自分たちのために働かせることも、当時は別に悪いことではなかったのです。それは「人権侵害である」と認識したのは、やはり誰かが「それはおかしい!」と叫んで運動したからではないでしょうか。
北朝鮮の拉致問題にしても、家族会なりがくじけずに活動してきた成果もあると思います。
ですから、「どうもしなくて良いんじゃないですか。」とは単純に言い切れないのではないかということが、私は言いたいだけです。
カリーさんこんばんわ。2点ほどコメントさせていただきます。
黒人差別なんかではすごかったらしいのですが、差別意識が虐待や暴行、殺人なんかまで正当化してしまうことがあったらしいですね。
「守ってあげる」のは、こういう場合の緊急避難として必要なのではと思います。
同和問題なんかではカリーさんのおっしゃるとおりだと思います。
ですから、同和や在日が争点になってのはなにか違うのではないかと。
>MMさん
>障碍者はある意味「特別扱い」しなければ、人間らしい生活ができないのは、事実であると思います。
これは誤解を与えるのではないかと思います。
脚に障害をおっている場合、歩行能力以外は補助を必要としません。
道具や環境、人的補助などでサポートし、「特別扱い」ではなく自立していくことが、障害者にとって最善の道と考えられるようになってきているようです。
はじめまして。こちらには初めてコメントさせていただきます。
いつもながら大人顔負けの鋭い洞察力と理路整然とした論理展開に脱帽致します。
>でもそうして「支えてあげる」政策と「守ってあげる」政策はまるで別だと思うんですよ。
このご意見に同意。
私の息子は重度の自閉障害児です。当然一人では生きていけません。知能自体は低くないので、日常の生活は自分でできるのですが、コミュニケーション能力に乏しく、まともな会話が成り立たないため、しばしば激しいパニックを起こします。そうなるともう手が付けられません。大人数人がかりでも抑止できないほど暴れまわるのです。
続きです。
自傷行為はまだいいのですが、物を壊したり、気に入らない相手に対して暴力もふるうので、それが1番辛いですね。今までさんざんまわりにご迷惑をかけてきたので、この子がせめて人様に迷惑をかける事なく自立できるよう、行政や福祉で支援して戴きたい、それが親としての切実な願いです。「法律で守ってもらう」より、授産施設などの充実で「自立の手助けをしてもらう」方が、本人にとっても親にとっても喜ばしい事だと思います。親がいなくなった後も、自立して他人になるべく迷惑をかけず、社会に適応できるよう指導してくれる、そんな支援サービスを提供していただけるなら、それ以上望むことはありません。
ことさらに「守る」事を強制するような法律は、カリーさんのおっしゃるように被差別者にとって自立の妨げにしかならない、と思います。
>MMさん
>ですから、「どうもしなくて良いんじゃないですか。」とは単純に言い切れないのではないかということが、私は言いたいだけです。
この最後の部分は私の言葉が足りませんでした。被差別者を「守る」ことについて「今以上には、」という意味でした。まだ至らないところは必要な措置を講ずるべきだと思います。
以前のエントリーのコメント欄でも書いたんですが、教育なり何なりでこの問題に触れることも必要だと思ってますから。
>鈴さん
でも今の日本で、差別意識から人を殺すようなことって考えられますかね?
差別に耐えられなくて自殺しちゃう人は居ると思いますが・・・。あまり実感が湧かないのが正直なところです。
>主婦さん
コメントありがとうございます。当事者の方にもご同意いただけるとは嬉しい限りです。
やはりまだ社会の理解などが得られない面や、必要な施設等が足りない面もあるんですね。
ちなみに本来必要とされたのは、そういう施設でひどいことが起きないようにする処置なんですよ。信じて預けたのにそこで酷いことが起こったら、主婦さんも堪らないですよね。
養護施設や刑務所などでの人権侵害を何とかしなさいよ、というのが、擁護法案の制定理由にもなっているパリ原則という国際社会の提案なんですね。
そこからなぜ差別から守るための法案になるのかが謎なんですが(汗
再度の書き込みですが。
今回の法案が言う、『被差別者』が多岐に渡り過ぎています。
このコメント欄を見た限りだけでも、
『肉体だけが一般と違う人々(義足や義手の使用者など)』
『精神的な、何らかの、問題(?)を持つ人々(主婦サマの言われる自閉症などの者)』
『歴史の中でいつの間にやら、差別されるようになった者(被差別部落出身者など)』
これ以外にも、非常にたくさんの方がいます。
これら全てを『被差別者』と、ひとまとめにしたままでの、議論の進展はないと思われますが?
>さーじさん
>これら全てを『被差別者』と、ひとまとめにしたままでの、議論の進展はないと思われますが?
そうかもしれません。
それぞれ状況が違いますからね。軽率でした。
カリーさんこんにちは。
よく考えるときちんとお話するのは初めてですね。
よろしくお願いします。
>でも今の日本で、差別意識から人を殺すようなことって考えられますかね?
広義の「差別意識」を想定すると、ホームレスに対する傷害殺人や、いじめがリンチ殺人に発展するものは、当てはまるんじゃないでしょうか。
>やはりまだ社会の理解などが得られない面や、必要な施設等が足りない面もあるんですね。
結局、国際社会から「人権後進国」と思われているのは当たっているんですよね。実際後進国だと思います。同和問題の様に、同一民族で宗教も関係なく差別が存在する国は世界的にも稀なんじゃないでしょうか。
人権擁護法案をもって「先進国」のフリをしても何の解決にもならない、中身が伴ってない、という事なんだと自分なりに解釈しました。
>J2さん
いらっしゃいませ〜。こちらこそよろしくお願いします。
>広義の「差別意識」を想定すると、ホームレスに対する傷害殺人や、いじめがリンチ殺人に発展するものは、当てはまるんじゃないでしょうか。
なるほど。ホームレス暴行事件なんてかなりありますもんね。
今回の法案でも「人種等」に「社会的身分」を含んでいるのでホームレスも保護の対象なのかなあ、と少し思いました。
>人権擁護法案をもって「先進国」のフリをしても何の解決にもならない、中身が伴ってない、という事なんだと自分なりに解釈しました。
その通りですね。他にやらなきゃいけないことがあるのに、この法案を作って解決したつもりにしちゃうのかもしれないですし。
親が鹿児島の片田舎出身ですが、集落・村落とか地域のまとまりくらいの意味で普通に「部落」言うですよ。もうほんと普通に。
同時に、教育方面や土木・民生方面での『同和団体』(あくまで括弧つき)のゴリ押しが強烈らしく同和御殿といわれる家が並んだり不自然に立派な道路があったりとか。そんで知り合いの気のいいおじさんおばさんは「あの連中は」と苦々しく話したり。農村では温かい人柄の人が不意にギラリと排他意識・差別意識を見せてくれてドキっとする一方、自分もそんなもんだろうなと思ったり。差別が残ってるからカウンターの運動も強くなりだからカウンターの差別意識も残り続け、みたいな。
自分自身はこの法案は危険でもないけど無意味だと思いました。部落叩きがひどくなるだけだろうと。
ちょっと横レス失礼します。
>同和問題の様に、同一民族で宗教も関係なく差別が存在する国は世界的にも稀なんじゃないでしょうか
まず、同和問題には日本人の宗教観が密接に関わっております。
神話時代以来の、死を穢れとして忌み嫌っていた慣習が、封建社会の
なかで制度化されたわけですから。
「同一民族で宗教も関係なく差別が存在する国」は、世界中にたくさん
あります。欧州における階級区分は最たるものだとおもいます。
だから「アメリカン・ドリーム」という言葉があるのではないですか。
・・・だから日本はだめじゃない。というつもりはないのですが、
ちょっと論点の飛躍を感じたもので。
M2さん>
>まず、同和問題には日本人の宗教観が密接に関わっております。
言葉足らずだったかもしれません。厳密には、「宗教の違いに起因する差別」ですね。ユダヤ教差別だったりアーミッシュ差別といったあたりです。
国際的には差別といって真っ先に上がるのは人種、次に思想宗教なわけで、日本が抱える問題はかなり特殊だしやっかいだぞ、と。言いたい事はそういう事でした。
あと私の不勉強かもしれませんが、極めて人権意識の高い欧州において残存する階級意識というのは、少なくとも「差別」とは別の問題として認識されているんじゃないでしょうか?
「世界でも稀」ってのは書いた時から「ちょっとおおげさかな」とも思っていた位なので撤回いたします。
J2さま。
>日本が抱える問題はかなり特殊だしやっかいだぞ
私は逆に、いたって普遍的な問題と捕らえています。少なくとも制度上の差別
は、明治維新とともに撤廃されていますし。
そもそも差別というものは、人間誰もが持つ「(自分と違うものに対する)
不安や恐れ」からくるものではないでしょうか?。感情に蓋はできませんから
いくら法律で規制しても無くなるわけ無いと思います。
長い時間で出来たものですから、長い時間が必要でしょう。
欧州における人権意識は、そもそも「差別する側の一握りの人間」から発達
したと認識しています。紀元前の民主国家にすら奴隷はいたわけですし。
表に出ない分、陰湿化してるみたいですね。
だいたいにおいて、われわれ日本人も差別される側だったわけですが、
こんにちの状況を考えればおのずと答えが出るのではないかと思います。
J2さま
欧州における白人同士の差別意識については適当なソースが
見つかりません。まあ、私は階層の存在そのものを差別と捕らえて
いますので、認識に差位があるかもしれませんね。
欧州における被差別民としてはロマ(ジプシー)が有名ですが
今回の例には当てはまらないですね。
↓参考までに、日本人の例を以下にあげておきます。
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200205/2002050500003.htm
M2さん>
確かに「差別」を普遍化すればおっしゃる通りだと思います。
私が言いたかったのは日本の「同和問題」てのは歴史的背景や言葉狩りによる「タブー」化、いびつな保護政策等によって他国には理解できない状況になってるんじゃないかな、という事です。
>私は階層の存在そのものを差別と捕らえて
いますので、
階級意識と人権意識が共存してる時点で、当事者である欧州人達は欧州人なりの屁理屈で正当化してるんでしょうねーと推測してみたまでです。
私もM2さん同様、「それだって差別やん?」と思います。
や、いろいろな問題提起をして頂き、勉強になりました。ありがとうございます。
J2さま
>他国には理解できない状況になってるんじゃないかな、
確かに、「制度上も建前上も撤廃されたが、確かに存在する」と考えると
事情のわからない人たちには説明しにくいかもしれませんね。
それは、「差別する?側」も「差別される(と感じる?)側」も、たとえば
国際裁判等では苦労するでしょう。
同和問題、というか昔の身分制度については、海外にも知られています。
その昔(もう10から20年も前でしょうか)海外のゲームメーカーが、
昔の日本を舞台にしたゲームをつくったとき、キャラクター区分に
エタ・ヒニンを設定してしまい、日本国内から抗議されたりして大騒ぎ?
になったことがありましたし・・・。
欧州事情については、先にご紹介したぺーじ以外にもいろいろありますね。
近代民主主義も発展途上といったところでしょうか。
こちらこそ、ありがとうございます。
人さまの掲示板で失礼しました。
考えてみれば、インドの不可触民や、中国の農村戸籍の人に比べたら
日本の被差別な人たちなんて逆に優遇されてるとも思うんですが。
まあ、相対化すべきものでもないですけどね。
法律とは、物事をどの様に処理するのかを定めたものです。
なので、法案を議論する場合、それは法案の趣旨は勿論
ですが、そこに書かれている「処理する方法」についても
問題にしなければなりません。
法律で規定された方法が趣旨に照らして合理的であるかどうか、
他の方法に比べて利点があるのか、
欠点はどうなのかについて議論すべきです。
趣旨に賛同したから賛成というのはおかしいし、
「反対するのは優しくない」という主張は、的はずれです。
この法案は、「人権を守る為の組織」さえ作ってしまえば、
人権を守れるはずだ。という何等問題を検討していない
丸投げの法律です。確かに「人権を守る為の組織」
があれば、きっと人権を守れるでしょう。
でも、それでいいの?
(つづきです)
「現行法では、xxの様な人々を救済出来ない。それらの人を
救う為にxxの権限を与えたxxの様な組織が必要だ」
という説明が一切無いのです。これさえ分かれば、
現行法で本当にxxの人が救えないのかとか、
救済するのにxxの権限が必須であるのかとか、
組織の形態はxxが最適であるのか議論出来ます。
しかし、これらの説明が無い以上、
いらぬ心配をするのは被害妄想とばかりに
非難する方こそ「優しくない」のではないだろうか。
>いろはさん
「優しくない」発言はカリーくんじゃなくて俺のものなんで、俺の日記でコメントするのが筋でしょう。どうぞいらはい。
ついでに言うと、「反対するのは」優しくないなんぞとは俺もカリーくんも言ってない。元の俺の発言を、リンクされてる先で確認してくれないとたぶん話は噛み合わないと予告。
って書こうとして気付いたけど、ずいぶん遅レスじゃん( つд`)ごめん。俺発言からのエントリーだからあんま顔出ししない方がいいかなぁと思って。
> plummet さん
陰口を言われた様で、気分を害されたのでしょうか。
すいません。
確かに、元はplummetさんの発言ですからね。
でも、私はこちらに書きたかったので。。。
悪気はなかったのです。
「現実としてある差別の救済」->「趣旨」
「予見される自分の身にかかる危険性」->「処理する方法」の問題
として、
「処理する方法」が気に入らなければ、
「趣旨」に係わらず「危険だから反対!」
と言っても、いいのでは?
と言う意味だったのですが。。。
悩んでいたから、どうだと言う事もないと思いますし。
>「現実としてある差別の救済」->「趣旨」
>「予見される自分の身にかかる危険性」->「処理する方法」の問題
「趣旨」=言葉、「処理する方法」=行動
よくあるよね、言うことは御立派だけども行動が伴わない(あるいは反対のことを平然とする)奴
そういう奴を皆さんは信じろ(「仮に」法律内容には問題がないのだから)と言われて信じるのかねえ?