というわけで、ちょっと否定的にこの話を扱ってみます。
従軍慰安婦はなかった言葉 文科相がメールを紹介(共同通信 7/10)
中山成彬文部科学相は10日、福岡市内で講演し、「従軍慰安婦」という言葉が戦時中はなかったことを強調する支援者からのメールを約10分間にわたって読み上げ、「真剣に考えてくれている。ありがたいことだ」と述べた。
中山文科相は6月に「従軍慰安婦という言葉はその当時なかった」と発言して、韓国などから反発を招いた経緯がある。
講演で中山文科相は「私が歴史認識を話すと良からぬ誤解を招くといけないので、手紙を紹介する形で皆さんのご理解を得たい」と前置き。カナダの大学院で学ぶ20代の日本人女性から届いたというメールを紹介した。
「その当時なかった」というのはその通りです。これに反発している人達は頭がおかしいとしか思いません。
ですが、
「当時はなかった言葉だから教科書に載っていたのはおかしい」というのは、文部科学大臣として、極めて軽率で問題のある発言でした。
そんな言論がまかり通れば、歴史教科書を一から作り直さなければなりません。
思い浮かぶだけでも、
英仏百年戦争。
20世紀になってから呼称されました。
鎖国。
江戸時代後半の「鎖国論」によって初めて出てきました。
藩。
これすらも江戸初期はない言葉です。
幕府。
藩と同じく、江戸後期にもたらされた言葉です。「鎌倉幕府」とか「室町幕府」なんてもってのほか、という話になります。
まあ、まだあるでしょうが数分で思い浮かんだのはこの辺なので割愛。
ですからこれらを消すのか、という話になってしまうわけです。
そういうわけでして、私としては、
「当時なかったのだから載せるべきでない」というのには全く賛成できません。
しかしながら、「他に相応しい名称がある」とか、「実態を表した名称ではない」といった
「相応しいとはいえない名称だから載せるべきではない」という主張であったなら、諸手を挙げて賛同していました。
というわけで、「当時なかった」ことを理由に教科書から消すのは無理ですよ、というお話です。
「事象を説明するのに相応しくない言葉」であることを強調すべきだと思います。
Posted by f_117 at 19:41│
Comments(16)│
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久しぶりの更新で嬉しい限りです。
死んだかと思(ry
実際のところ、死にかけてました(´・ω・`;
今日も早退して医者通いでしたし。
久しぶりの更新、お疲れ様です。
自分もてっきり死んだのかと(ry
でも、こういうサイトやっていると本当に某団体とかから
刺客が送られてきそうですね。月夜の晩は気をつけ(ry
微妙に既視感……。
この手の用語で一番楽しいのは「荘園」だったりします。一度お調べすることをお薦めします。結構死ねます。
このように突き詰めていくと、歴史学徒は歴史科目を教えられないという不条理な事態に陥っていくわけですな!(笑)
>kanjiさん
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
>小熊さん
あら、同じような感想を持っているなあとどこかで見かけたのですが、小熊さんでしたか(苦笑
荘園はきつそうです。実態が時代でまるで違いますしねぇ…。
>歴史学徒は歴史科目を教えられないという不条理な事態に
その上、教えた歴史もどんどん変わりますからねぇ(笑
日本最古のお金の名称が変わったりか、人類の誕生が数百年単位で遡るとか、教える側も大変だなあと思います。
どんな分野でもそうですが、知識の更新を怠るものは、それだけで専門の名を剥奪されるでしょう。歴史も決してその例外ではない、ということです。
歴史というと「既に確定したもの」という認識があるかもしれませんが、未来が不確定であるのと同じように、実は過去も不確定です。未来における新発見や新研究(あるいは捏造の露呈)が否定できない以上、未来において過去についての情報が更新されることは不可避だからです。事情としてはタイムマシンが存在するのと大して変わんなかったりします。
このようなことを言うと、「なんか変だ! 詭弁臭い!」とか言われるんですけどね(笑)。
カリーさん、おひさしぶりです。
日本中世史を一応専門とする僕が興味をひく話題を書かれていたので、ついつい書き込ませていただきます(笑)。
鎌倉幕府は、東国の幕府は「関東」、西国の六波羅探題は「六波羅」、総合的には「武家」と呼ばれていますね。
室町幕府の場合も、「武家」、京都の幕府は「京都」と呼ばれることもあったようです。
なお、「幕府」は、江戸時代初期には将軍個人を指す用法もあったようです。
だからなんだって話ですが、まあ、ちょっとウンチクってことで・・・(笑)。
でも、まあ、確かに我々歴史学者は、新しい専門用語を創造する職業でもありますね。「得宗専制」とか・・・。
私も「実態を表した言葉ではない」に賛成ですが、政府関係者がなかなかそういうふうには言いにくいのではと思います。徐々に、世間で従軍慰安婦の実態が、今まで言われた事と違うことが、浸透してからでないと、今の表のマスコミからはきつくたたかれるように思う。日本中の全ての老若男女がブログを見るようなら、話は別だが、私の友人にも、「あれはただの売春行為だよ」と説明しても、なかなか信用されなかった。
「実態に即した言葉に変えるべき」というのも、一律に適用すると問題ありますよ。
例えば「帰化人」。日本書紀でしたか、「帰化人とは、天皇を慕って日本に渡来した人のことである」とかいう記述があったと思います。現在は、「渡来人」という表記で統一されています。理由は「当時の先進国である中国から、後進国の日本に『帰化』するなんて、実態にそぐわない。先進国人が、後進国の支配者を慕って帰化するなどとは考えにくい」から。
しかし、「帰化人」という言葉からは、当時後進国だった日本の、中華冊封体制からの脱却の意志、有り体に言えば「独立国としての精一杯の強がり」が見て取れるわけです。実態に即して「渡来人」としてしまうと、当時の日本のそういった意志が、全く見えなくなってしまいます。
もちろん、「実態に即した」の「実体」ってのが、ホントに「実体」なのか、という問題も、これとはまた別にあるわけですが。
そういえば近現代史には「太平洋戦争」という大物もいたなぁ>用語
>はむはむさん
お久しぶりです。
鎌倉幕府=関東というのは、古典を読むと大抵そうなのですが、最初読んだときは驚きましたね。カルチャーショックでした(笑
>でも、まあ、確かに我々歴史学者は、新しい専門用語を創造する職業でもありますね。「得宗専制」とか・・・。
○○時代なんかはその典型ですね。
得宗も色々面白いです。段々と権力が(役職的な)下のほうに行く構図が。天皇→将軍→執権→得宗→御内人みたいに。
室町幕府のときもそうですが、こうした日本の権力構造は興味深いですね(話がどんどんずれてますが気にせずにw)。
>けんさん
確かに。政府としてはあれらを認めてしまっているわけで、だから森岡政務次官の発言を官房長官は否定しましたしね。
そういう面を考えるとこの発言も理解できなくはないのですが…去年の暮れの件と良い、すぐ撤回するのはどうもなあ<中山文科相
>のぅさん
そういう例もありますねえ。歴史用語は本当に難しいなあ。
まあ、「用語」にどれだけの意味を付加できるかというのは当然限界があるので、足りない部分は文章で補うべきなんですけど、その補っている文章のほうがトンデモだったりするのが困ったものです。
>小熊さん
対中華民国は日中戦争(支那事変)、対米国は太平洋戦争と分けて記述しても、東南アジアが宙に浮いてしまって(「太平洋戦争」にこれらを含む書き方が多いですが)、どうなのかなあって思ってます。
それを解消するために「アジア・太平洋戦争」という用い方をするくらいなら、もう「大東亜戦争」で良いだろうと思ってみたり。
>カリーさん
クリストファー・ソーンあたりは「極東戦争」なんて命名してました。なかなかそのものずばりを表す語を作るというのは難しいものです。
用語を正しく用いるためには、その用語の指し示す事象を知っていなければならないのですが、現在の教育ではそこまで手が回らないのが残念です。(ゆえに単語の持つイメージが先行してしまう)
>カリーさん。夜分遅く、どうもです。
本題からは全然離れてしまいますが、せっかくですので、もう少しうんちくを垂れますと、鎌倉幕府の将軍は、当時は頼朝以来、九代将軍の守邦親王まで、全員が「鎌倉殿」と呼ばれているわけですね。
ですから後世、「鎌倉に所在する鎌倉殿の幕府」という意味で、この政権は「鎌倉幕府」と呼ばれるわけです。
ごめんなさい。続きです。
同様に室町幕府も、三代将軍義満が、室町殿(=花の御所)に住んで、「室町殿」と呼ばれたから後世「室町幕府」と呼ばれるわけですが、それでは同じ京都に住んでいた初代尊氏・二代義詮が当時何と呼ばれていたかというと、「鎌倉大納言」なんですね。
で、室町殿に住む前の若い頃の義満も、「鎌倉宰相中将」と言われています。
京都にいるのに、鎌倉の名を付されているのも興味深いですが、さらに四代将軍義持は、室町殿ではなくて三条坊門殿(かつての足利直義の屋敷!)に住んでいたのに、なぜか「室町殿」なんですね。
こういうのがなぜ起こったのか、ちゃんと説明した人もいないですし、僕にもさっぱりわかりません・・・。