旅は徒然

あなたは僕の元気の素です。

み〜んな!『国宝』だぁ!!

この度の、第2回 元気の素『次世代フォーラム』に、ご参集いただきました皆様…北は北海道、南は九州、そして佐渡島 等々…日本全国より本当にありがとうございました。
ご登壇いただきました『西七条(京都)』『舞風台(福岡)』『風の村八街(千葉)』『カーサ月の輪(滋賀)』、そして『音羽山 清水寺 大西英玄様』…衷心より御礼申し上げます。
アンケートにもありましたが、勇気づけられたり、心が軽くなって「辛さ ≦ 希望」が湧いてきた方々が多くおられたとのこと。実に素晴らしいことで、僕も “我が事” のように嬉しかったです。

今回のフォーラムは、『元気の素』最後のイベントということで、スタッフの『高畑美穂さん』が中心になり、企画・立案・会場予約・出演交渉等々、全てをやってのけてくれました。
高畑さんが『元気の素』に務めてくださって約8年。
彼女はきっと「自らの “8年間” の集大成」を、あのステージで見事に表現し、或る “未来予想図” をも背景に投影しながら、僕らをプロデュースしてくれたのだと思います。高畑美穂さん…本当にごくろうさまでした。

僕も「元気の素の10年(達成と途中)を表現する」という “念願” が叶い…
嬉しい!嬉しい!ファイナルステージを終えることが出来ました。
最後の “スペシャル対談” で、英玄様は「この会(フォーラム)は、上野先生から皆様方への “YELL”(エール)ですね…」と言ってくださった。
そうなのです!(手前味噌ですが)この10年間…僕がさせていただいた「講座」や「セミナー」そして「定期指導」等は、全て『YELL』だったのです。

この時代…利己的で即物主義的な仕事ばかりを選ぶ人間が多い中で、こんな結論の出にくい、刹那的な…しかも子供(成長過程)に携わるのではなく、“老いていく時間と人生” に関わるのである。しかし、それゆえに“高い人間力”が必要なのが『介護』の仕事なのだ。だからこそ、「よくぞ!この仕事を選んでくれました(ありがとう!)」という気持ちで、毎回毎回…精一杯の『YELL』だったのです。ですから…講座や指導では少々厳しい事も申しました(すみません)。でもそれは、こんな “良質な人たち” が、後から泣いたり、後悔したり、事故やケガで残念な思いをしてほしくなかったからなのです。
※でも…相当!誤解されているのだろうなぁ「上野は厳しい (キツイ)」と。“ヒール役” なんか誰もしたくないですヨ (涙) しかし!誰かが言わないとネ。

僕が人前で講演・講義をするのを、“初めてお聴きになる” 英玄様が、そのことを分かってくださったことが大変ありがたく、と同時に「素晴らしい洞察力であるなぁ…」と、感動いたしました。そんな思いでお聴きしていたら、頭の中が真っ白になってしまい「(ひとまず)これで最後なんだなぁ…」と、この20数年間の様々なことを思い出し…胸が熱くなり “不覚にも” ファシリテーター役 を忘れて、英玄様の話を観客のように聴き入ってしまいました。(だから一部 “とんちんかんな話” をしてしまったぁ…大反省 m(_ _)m)
しかしながら、多くの皆様に喜んでいただけて、とても幸せな時間でありました。本当に、ありがとうございました。

歌舞伎の大好きな僕から言わせていただけば…(以前 Twitter に書いた)
「(中村)勘三郎さんの時も思ったことだが、『11代目 市川海老蔵』『六代目 中村勘九郎』『四代目 市川猿之助』(襲名順)たちは、ほぼ 同世代で “同時期”に…偉大な父や先代の名跡を継いで、今…必死に精進を重ねている。あんなにも才能豊かな役者さん(逸材)と “同じ時代” を生きている喜び。
お三方とも…いつの日か『人間国宝』となられるであろう。その“階段を上り始めた瞬間” を観ている誇らしさ…なんと幸福なことだろう。」と。
英玄様を観ていると、それと同じ“喜びと高揚感”を感じる。
若干34歳(お三方と同世代)で、将来…あの “大看板” を背負って立たれることを “天命” とし、日々…厳しい精進を重ねておられるのだ。そして彼もまた…今 “階段を上り始めている” 。実に頼もしく、素晴らしいことである。

さて、会場にお越しいただいた皆々様…
残念ながら (!?) 皆様や僕などは “国宝” には推挙されません(苦笑)。
しかし!確実に皆様方は…『 “国” の “宝” 』だ!!(間違いない!)
皆様!ご一緒に “同じ時代” を『生きてる 生きてく』( by 福山雅治…笑)
そして、この “ニッポン” を…さらなる!佳き国にしてまいりましょう。

既にご案内のとおり…
僕は、新年度から…「講座・セミナー等(主催)」を休止いたします。
介護界から…少しだけ距離をおいて “異分野” の仕事をしてまいります。
『CHANGE! CHALLENGE!!』
それゆえに、今後は “違うアングル” から、今まで以上に…皆様方を「応援」し「YELL」を送り続けてまいります。
『元気の素』と、共に過ごさせていただいた 10年間…大変幸せでした。
本当にありがとうございました。m(_ _)m


次世代次世代

あれから…

広島に『いい介護研究会(略称:E 研)』(代表理事:国清浩史氏)というNPO法人がある。メンバーはいずれも、『元気の素ケア学(E・F)』と『元気の素塾』を何度も受講してくれている、言わば『元気の素』の “愛弟子たち” だ。彼ら彼女らは、『元気の素』で学び、自らが習得した知識・技術・考え方等々を、自身の職場は元より、「未だ “この考え方” に出会わず…介護(仕事)をしている広島県内全域の “仲間たち” に届けよう!」という主旨で、2010年5月に設立された。

そのメンバーが、僕のブログ(2011.3.22『被災地へ…』)を読んで…
“心揺さぶられ” こんなメールをくれた。
(※これは、「あれから…」彼らとの…往復書簡です。)

《国清さんより 2011.3.25》
いつもご指導を賜りありがとうございます。
3月11日、未曾有の災害が東日本を襲いました。
広島に住む私たちは、それ以来、報道を通じて現地の状況を知るものの、自分たちはほとんど変わることなく生活が送れています。
この国難に私たちは何ができるだろう…今、できることを考えながら、一人ひとりが「普通の暮らし」を送れることの有難さを感じながら、ただただ被災地に想いを馳せることしかできていないもどかしさ、無力さを痛感しています。そんな時、上野先生のブログを拝見し熱い想いが溢れ出てきました。
「何かできること」‥間接的な応援でしかありませんが、今、この瞬間も、自分たちも被災者でありながら、必死にお年寄りを支えている自分たちの(少し厚かましいですが…)『仲間』に想いだけでも届けたい!
そして、出来ることなら、私たちと同じように、『元気の素』の指導を受け、頑張っている仲間や、元気の素と所縁のある施設や事業所へ届けたいという「想い」が溢れてきました。
決して、大したことはできませんが、自分たちがあげた収益を、元気の素のお力をお借りして、現地が必要としている形で届けらないかと思い、ご相談させていただきました。(本当は自分たちで答えを出すべきなのでしょうが…すみません。)
オフィシャルな機関を通じての寄付ではなく、『元気の素』という共通の具体を持つ『仲間』へ想いを届けたい!…どうぞ、ご検討、ご助言くださいますようお願い申し上げます。
『NPO法人 いい介護研究会』

《上野より》
ブログを読んでくださり「 “熱い想い” が湧き上がってきて…何かできないだろうか…」という電話をいただいたことを、とても嬉しく…僕まで “熱い気持ち” になりました。そして本日また、文章を読ませていただき、みなさんの “想い” を、より一層強く感じさせていただき、心を強くしたところです。
どこか、具体的な場所や支援内容が限定されれば「直ぐに!」ですが、もしなければ…ブログでもお分かりと想いますが、江澤和彦 先生が南三陸町に行っておられるので、状況報告をいただいて、判断したいと思っています。
その上で、来週早々からでも “何か” を始めましょう。
きっと、みなさんの尊い “想い” は、多くの人たちの “力” になるはずです。
ありがとうございました。
(以下、省略)

そんなやり取りを重ね、様々な模索をしながら、夏頃…彼らが下した断は、『被災地へ“上野イズム”を…プロジェクト(FUNレストテーブルを贈ろう!)』…だった。
これには “複線” があったようで…震災直前に、『FUNレストテーブル』が、世界遺産『清水寺』に設置されたことを “我が事のように” 喜んでくれたE研メンバーが「世界遺産なら広島にも。平和公園や宮島…いやいや、我らがマツダスタジアム(広島カープ本拠地)にも設置しよう!」と、盛り上がっていたところに「3.11」が起こった。
そこで、代表理事の国清さんの所属する『医療法人好縁会』が中心に、『ひとになろう!日本!2011 実行委員会』を主宰され、県内広域で「介護講座」を開催し、その収益金の全てを寄付(FUNレストテーブル寄贈)するということを決定してくださったのだ。

僕は、目頭が熱くなった。直ぐに…国清にメールを送った。
《上野より 2011.8.10》
(前略)ところで…介護講座の収益で、『FUNレストテーブル』を贈ってくださるそうですね。お話を聞いて、大変嬉しく思い…感激しました。
そして、国清さんがお盆明けに、現地へ行かれるとか…。
国清さんの人生にとって「被災地へ行く」ということは、人生観を大いに変える出来事になるでしょうが、迎える “東北の人たち” にとっても「国清さんが来る」ということが、大いなる転換の “きっかけ” になると思います。
※国清さんで良かった…(誰でもイイわけではありません)。
ぜひ!(僕らの分も)よろしくお願いします。

《国清さんより》
今、チャリティー講座への参加を呼びかけております。
何とか、被災地へ『FUNレストテーブル』を届け、一日も早く、人間らしい暮らしを取り戻していただく一助にしたいと思っております。そして、東北の復興に『新しい価値観』を見出してもらい、震災前の暮らしより、もっと幸せになって欲しいと思っています。
16、17日に、宮城県仙台市と松島などへ行く予定です。
出来る限り多くの現実と向き合ってきたいと思っております。
末長く、私たちに出来ることを続けていきます。
今後とも、上野先生のご指導の程、宜しくお願い申し上げます。

そして…
《国清さんより 2011.11.2》
以前、ご相談、ご報告させていただきました『被災地へ“上野イズム”を!』(表立っては、被災地へFUNレストテーブルを贈ろうとしていますが)
プロジェクトは、先日(10/30)、チャリティーイベントは全日程を終了しました。
延べで、約180人もの方が参加いただいた他、イベントへは参加できないので、寄付金だけでも…と申し出てくださる個人や法人もありました。
広島で、輪が広がり、新しい絆が芽生えているように感じております。
これも先生に頂いた“きっかけ”だと感謝申し上げます。
ただ、これからがスタートだと思っております。
8月に、仙台や石巻などを訪れ、趣旨を伝えると大変関心を持っていただけました。特に関心を示してくださった方々には、『新しい排泄介護の技術(中央法規出版)』を贈りました。
その後、10月中には、第一弾の設置施設と研修会の開催を決定する予定で、現地と調整していたのですが、石巻を中心とした地域で、避難所の閉鎖が決まり、現地は非常にバタバタしているとのことで、現在、現地からの返事を待っている状況です。
必ずや “上野イズム”(私では足りない面が多々ありますが…)を被災地へ届けたいと思っております。

《上野より 2011.11.14》
今般、(甚だ僭越なタイトルですが)『被災地へ “上野イズム” を…プロジェクト(FUNレストテーブルを贈ろう!)』のチャリティーイベント講座、大変ごくろうさまでした。そして、その取り組んでくだっさった、国清さん始め皆様方の “お気持ちと姿勢” に、唯々脱帽と…心から感謝をいたします。
きっと皆様の “蒔いた種” は、大きな実を結ぶと確信しています。
僕も次年度の「年間スケジュール」を決める時期になっており、来年は国清さんたちと「 “水やり” に行かせてもらう」計画を立てたいと思っています。


昨年の「3.11」…当時のブログにも書いたが、津波で襲われた三陸海岸沿岸等(岩手・宮城・福島)の “街” は、(老人保健法時代の)「機能訓練(リハビリ)教室・講演」等で、ほとんど仕事をさせていただいた所ばかりなのだ。本当にこの一年は “矢も楯もたまらず” 駆けつけたい気持ちでいましたが、既に年間スケジュール (2011/4/1〜2012/3/31)が決まっており、あの時点で “3日空いている日” がなく、実現できず悔しい…というか、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。(その後、例年のようにブログを書けなくなり…昨年は“元気の素主催講座”の収益を寄付することくらいしかできなかった)
「その分…必ず今年こそ!」と、12年度のスケジュール調整は概ねできた。

僕の『地域ケア論』を勉強してくれた方々から「復興するなら、“神戸のようなこと”(既成の都市計画で “界隈性” よりも “鉄筋コンクリートだらけ” )にはならないようにと、介護施設や病院だけではなく、“街づくり” には…ぜひ “上野イズム” を!」と、活動してくれています。
今月、贈呈先2箇所が決まり、今後も続けてくれるそうです。嬉しい! 
ぜひ!彼らと共に…今年は東北へ!!

幸せの意味

『風の村・八街ホーム』の “新町(増床)” がオープンして、ちょうど半年が経った。僕が監修をさせていただき、建物(はこ)や、設備(もの)、そして “考え方(ひと)” 等々、全て『UENO式』“ユニットケア” なのである。
(※いつか “改めたい” と思っているが、職員がそう言っている…苦笑)
『建物(はこ)』で言うと…全室「FUNレストテーブル付きトイレ完備」、浴室は…「1.5人浴槽 + 多機能3人浴槽」のみの組み合わせ(当然!ですが、“機械浴 or リフト浴” などはありません)。空間には、いろいろな工夫を凝らしており、全国各地の “ユニットケア施設” が陥っている最大の “弱点” を克服する “仕掛け” も施している( “それは” ?  企業秘密です…笑)。
『設備(もの)』では、前述の「FUNレストテーブル」が、全トイレ&脱衣場に完備され、浴槽には「FUN mo-ve」が設置され、そしてリビングには「間・EASER」が並び、ご利用者が「V6(Vehicle 6)」で…全館をスイスイと往来している風景は、実に “壮観” である(笑)。

しかし、この施設の一番素晴らしいものは、何と言っても『ひと(職員)』である。“本町(従来施設)” からのバックアップはあるものの、新町の “船出” は、主任(1人)とリーダー(2人)以外は、ほぼ “新人” ばかりでのスタートだった。その彼ら彼女らの “心の礎” は…全て『UENO式(上野の教え)』なのである(だから責任重大なのだ!)。
ただ日程の関係で、オープン前に数日間だけの授業しかできず充分に時間を取れなかったところを、施設の統括部長と “先輩たち(3人)” が、来る日も〜来る日も…復習研修を繰り返してくれて “上野イズム” を根付かせてくれたのである。若い新卒者がほとんどのメンバー構成であるにもかかわらず “愛弟子たち” は、この半年で、(偶然ではあるが)普通の施設が必ずする “何年か分” の経験を、すでに乗り越えてしまっていたのだ。しかも “志の高いヤツら” は言う事が違う!「苦労しました・辛かったです・泣きたくなりました・辞めたかったです…等々」という類の(弱虫)発言は全く無く、僕が「大変だったなぁ…みんな!よ〜く頑張ったぞぉ」と労うと、「先生からそう言われると、確かに “大変だった” んですねぇ。誉めてもらえて嬉しいです(笑)。でも、毎日毎日が乗り切ることに必死で、そんなことを(大変だと)思っているヒマがありませんでした。そしていつのまにか収束し解決していて…“このくらい” で良かったなぁと “みんな(仲間)” に感謝しています。」と、笑いながら言うのだ…しかも、職員誰に聞いても…さらに全員が「みんな(仲間)のおかげ」と言うのだ。スゴイなぁ!初々しい顔は、みんなオープン時と変わりはないが、実に逞しくなり…そして “素敵な顔” になってきた。
伸び盛りで勢いのある( “ゾーン” の中にいる)者たちには、世間が言うところのネガティブなことすらも、全てを取り込んでエネルギーや実力に出来てしまうのだなぁ…と、改めて感動した。「純粋に・邪念を持たず・pure である」ということは、ある種…何事にも代え難い “才能” だなぁ…と確信した。

ここでひとつ、エピソードを…(既往歴や現症状は割愛します)
拘縮(主に進展)の酷い60代の女性が、老健からストレッチャーで入って来られた。リクライニング車イスに乗せても、ほとんどフラット状態(腰・股関節・膝関節・足首関節…全てほぼ曲がらず)で…角度を上げれば “滑り台状態” であった。食事は胃瘻、排泄はオムツ、そして清拭のみ…と “典型的な” 拘縮寝たきりの方だった。当面…胃瘻も、オムツもしばらくは…やむなし(悔)。
しかし彼らは、「先生!お風呂だけは入れてあげられないでしょうか!」と訴えてきた。ただ前述のように、『風の村・新町』には、特浴もリフト浴もない(1.5人浴槽+多機能3人浴槽のみ)。そして上野は、このセットで「大丈夫!」と言ってきた。“UENO式 一直線” の彼らも、さすがに「どうしたら…」と “壁” にぶち当たったのだ。しかし「ムリです」ではなく「どうしたらできるでしょうか」という “前向き” だったのが嬉しかった。
常々…授業で言っていた (お風呂に)「入れるでしょうか?」ではなく、君たちが「入れてさしあげたい」か、どうかだ…と。専門的な話だが、進展拘縮の方のために「1.5人浴槽」を開発したので、何とかなる…と思っていたが、その方の拘縮は尋常ではなかった(1.5人浴槽に入らなかったのだ)。
そこで「 “しばらくの間” 3人浴槽で、2人で抱えて入れてあげてください」とスタッフにお願いをした。それが11月の指導の時で、僕は “しばらくの間” という時間に「答え」を出してあげなければならないのだ。以前、指導先でも同様のケースがあり、“3人浴槽:2人抱え” で改善された事例があったので、それに倣おうと思った。(中央法規「おはよう21」に掲載)

スタッフは頑張ってやってくれた。しかし…12月の指導の時も差ほど改善はなく、スタッフの顔は曇っていて「どうしたらいいでしょう」と問われた。お部屋に会いに行き、お姿を見せていただいた。
「何も悪いことをしていないのに…こんなに固く…苦痛でしょう、お辛いでしょう…」と、その方の “理不尽な” お姿に涙が出てきた。
「みんな…この方の “幸せ” って、なんだろうねぇ…」と呟いた僕の言葉に…スタッフは表情がこわばった。「この方は(今流れている)クリスマスソングも、ツリーもプレゼントも喜ばないよ…ましてや僕らの “拙い芸” も。生きていること自体が苦しく、悲しみの方が大きいのかもしれない。ここ(新町)に来たのも “意志” ではなかっただろうし…。でも、不本意だったかもしれないが…新町に来てくださったんだ。そして君たちに出会ったんだ。だから “ご縁” をつくろう!今まで辛かったけど、ここへ来て良かった…というご縁を」。「どうすれば…」と戸惑う若いスタッフたちに、僕は…「毎日お訪ねして、身体を触ってさしあげなさい。スタッフ全員、出勤時・退勤時に、お部屋に行って “握手” の代わりに、身体を撫でてさしあげなさい。最初はどう思われるか分からないけど…しばらく経ったら、きっと喜んでくださると思う。だって “皮膚は脳” なのだから。君たちの “この方への想い” が、必ず伝わるはずだ。そして、ご様子を見て “調子良さそうだなぁ” と思ったら、少しずつ…ゆっくりと…足首、膝関節、股関節を曲げてあげてください。
きっと、少しずつ…ゆっくりと…反応してくださるはずだよ…必ず。
ベッドにいる時間よりも、リクライニング車イスの時間を増やそう。角度も、少しずつ…ゆっくりと…毎日少しずつ…。」そう言うと、戸惑うスタッフの顔が…少しだけど微笑んでくれたような気がした。
そこで僕は(確率は低いが)関節等に改善が見られたら “即実行の作戦” も授けて、「頼むぞ!」という言葉と、スタッフの気持ちが “折れませんように” と祈る気持ちで…施設を後にした。
師走の夜空…見上げる「オリオン座」が滲んで見えた。

そして、今日が2012年初めての指導…というより、あれから1ヶ月だ。
ホテルに迎えに来てくれた主任が、満面の笑みで車から勢いよく降りて来た「先生!みんなが…やってくれましたよ!!」と。この1ヶ月…“何年分の大変なこと” があったにもかかわらず、スタッフみんなが…僕の言ったことを信じて “一心に” 頑張ってくれたそうだ。「先生…みんなを誉めてやってください!」と言う、主任の話を聞きながら…胸が熱くなった。
そして、とうとう「1.5人浴槽」に入れたそうだ。しかも、先月授けていった “作戦” も…実行してくれた。それは “長下肢台”を作製し、『FUN mo-ve』とドッキングさせて入浴介助を行う “レベル4” の秘策である。
( “入浴法” ? これも企業秘密です…笑)
幸せの意味幸せの意味





到着して、出迎えてくれた “みんなの顔” が眩しかった。
「先生、ぜひ(その方を)見てあげてください」と言われ、みんなとお部屋に会いに行った。寝姿は…先月と差ほど変わりはないが、お顔は穏やかな…いや!微笑んでおられるようだった。
きっと、この1ヶ月…“この方” は、間違いなく “幸せ” だったのだろう。
そして、このことをご家族が泣いて喜ばれたとのこと。(なにより!)
関われた…みんなも “幸せ” だったよねぇ。(でも、これからだぞ!…笑)

ありがとう!みんな…。
僕は、君たちを指導させてもらえることを、心から誇りに思います。
そして僕も…大いなる “幸せ” をいただきました。感謝!

※さて、この『新町(若い集団)』が、こんなに頑張れる、もう一つの理由が…「看護師」の存在である。特にそのリーダーである “Uさん”…その存在の大きさは、お姉さん…というか、お母さん…というか、○○さん…というか(ん?)まあ、とにかく優秀なのだ…と言うか “clever” と言ったほうが…正しい。まさに “精神的支柱” だ。(上野が誉めるのだから…間違いない!)
またいつか…彼女の話は “ブログ” に登場すると思うが、今回の見事な “長下肢台” を作製してくれた人が、どうも “Uさん” のご主人…らしい。
このことも…また(笑)。
幸せの意味幸せの意味
左が「現在」(^^)/
右が「将来」(^_-)

初詣

鶴橋なう! 今から、近鉄特急に乗りますw! 厳かな気持ちで…(・_・

到着!「宇治山田駅」…天気予報では “曇天” と言われていたのに…快晴!! さぁ…いざ!(^^)/
じゃ〜ん!到着ですw!! そうです…『伊勢神宮(内宮)』です。
初詣初詣









『元気の素』は、毎年恒例で “初詣” に来させていただいております。
「一生に一度は…お伊勢参り」と言われているので、毎年詣でられる僕らは幸せだなぁ。それでは…m(_ _)m
さあ、本殿へ…スゴイ人、人、人…です。
みんなで! “みんなの幸せ” を…願おう!!
初詣初詣









今年も、新たな気持ちで “お誓い” ができた(凜とするなぁ)。
参拝を終えて…新しい御札をいただきます。(^^) しかし、あんなに多くの人たちの “思い” や “祈り” を受けとめる『天照大神』は…大変だなぁ(^^;;
内宮をあとに… やっぱり晴れた!(^^)v
初詣初詣









そして、厳かな…外宮へ!
ん? こんなもの…昨年はなかったはずだが…!?(・_・;?
若い女性が “賽銭” を投げ、手をかざしている…。
新たな “パワースポット” か⁉ 誰かご存知でしたか?
初詣初詣









帰りに…外宮参道、伊勢の宿「山田館」さん前の『Cocotte 山下』さんで、“白玉ぜんざい” をいただきました!
う、うまい!! 冷えた身体が…温まりまするw(^^)
しかし…老舗だな〜(古い…とも言う⁉ (^^;)
往時は “花形旅館” だったろうなぁ。(千と千尋の “小さい版” )(^_-)
初詣初詣









今年も、健やかな心で詣でることができました。ありがとうございました。

ふくやま〜!(FM)

…と言っても、僕の “敬愛する” 『ましゃ〜!(福山雅治)』ではありません(苦笑)。広島県福山市のことです。
2012年の “仕事始め” は、本日の『エフエムふくやま』のラジオ出演(電話インタビュー)からでした(語呂としては…おめでたい!)。
主題は、14日(土)に福山市で開催する『元気の素地域論セミナー』のこと、それに加え…「元気の素(上野)って…何 (!?) 」とういう内容でした。
それにしても、慣れていないとはいえ…大変ですねぇ(苦笑)。
「生放送」は、何度やっても…難しいなぁ(めったと “難しい” は口にしない【上野】なのですが)。“噛むし” 、“カブるし” 、“アセるし” … (>_<) 。
一番大変なのは、“お会いしてない方(顔の見えない方)” と、“不特定多数の方々” が聞いている媒体で話すことです。しかも、“お屠蘇気分の三が日” …なのに、今日は、朝から “禁酒” 状態(苦笑)。
担当のMさん…大変でしたでしょうねぇ…ご迷惑をおかけしました m(_ _)m 。でも、慣れなきゃねぇ…今後も増えるし… (^^;)

君の椅子

新年 あけましておめでとうございます。
みなさまのおかげをもちまして、『元気の素』は…10年目の “新年” を迎えることができました。本当にありがとうございます。
これからも、ますます “世の中のために” 、“全ての人のために” 頑張ってまいります。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

ところで話は変わるのですが…(^^;)
『君の椅子倶楽部』というプロジェクトをご存知ですか?
旭川大学の磯田憲一先生を中心に、「新しい生命」、「新しい市民」が、あたたかな眼差しに見守られながら健やかに成長することを念じ、地元で誕生した赤ちゃんに、「君の居場所はここにあるよ」という思いを託し、北海道の家具職人が心を込めて製作してくれた “椅子を贈る” プロジェクトです。
それがここ数年、反響を呼び全国に希望者が広がっているのです。
デザインは暦年ごとに異なり、シリアルナンバーや名前・生年月日が刻印された…文字通り “世界に一つだけの椅子” なのです。
※全国でご愛用いただいている『間(あわい)・EASER(イーザー)』も、北海道旭川市が “故郷” です(笑)。
君の椅子





さて実に “個人的なこと” ですが、僕の甥に…一昨年(2010年)女の子が誕生しました(ちなみに名前は『徠子(ここ)ちゃん』と言います)。そこで、プレゼントするため『君の椅子』を製作していただきました。それがXmasに届いたそうで(送り主の)僕は今回の帰省で “対面” してきたのです(笑)。
「2010年モデル」は、事前に北海道で見ていたので差ほど感動はしない…と思っていたのだが、対面の瞬間…息が止まった。何か…“愛おしい生命体” を見たような、まさに “目が釘付け” 状態でありました。
「ようこそ…君は “世界に一人だけ” なんだネ」と、思わず呟いてしまった。
君の椅子君の椅子









☆世界に一つだけの『君の椅子』☆
新しく生を受けた君に、この椅子を贈ろう。
君の名前と誕生日が印された、君だけの椅子だよ。
君がこの椅子に座れるのは、ほんの数年かもしれない。
たくましく成長していくのだから…。
そして大きくなった君は、この椅子を忘れてしまう時があるかもしれない。
でも、この椅子は、君との思い出を刻んだまま、ずーっと側にあるからね。
君の居場所は、ここにあるからね。
いま、この地に生を受けた君に、この椅子を贈ろう。
生まれてくれて ありがとう。
                         『君の椅子倶楽部』

誰もが皆…如何なる者も、みんな “祝福” されて生まれてくる。
無論、あなたも、そして僕も… “祝福” されて生まれてきたのだ。

2012年…ぜひ! “悲しみ” よりも “喜び” の多い年にしよう。
「みんなで幸せになろう!」

感謝 m(_ _)m

本日「11月16日」は…不肖私、上野 文規の誕生日でありました。(^^;)
今日一日…全国の多くのみなさまから、誕生日メールをいただきました。
本当にありがとうございました。m(_ _)m

常に『目標』を掲げ…
“まっすぐに! 生きていく” 一年にします。
※先日、浅草から『東京スカイツリー』を観ながら…そう決めました。

より高く
より強く
より美しく…

どうぞ、この一年も…よろしくお願いいたします。

P.S.例年言っている事ですが、本日は(30歳の時に “制定した” )「僕を、こんな面白い “世の中” に誕生させてくれた “両親に感謝する日” 」です。(^^)v

…ということで、今朝ほど “母” に電話をしました。
今年も、共に喜び合えて嬉しかったです。
感謝!m(_ _)m

スカイツリースカイツリー

リンゴの唄

♪赤いリンゴに くちびる寄せて
 だまって見ている 青い空
 リンゴは何にも 言わないけれど
 リンゴの気持ちは よくわかる
 リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ
 (作詞:サトウハチロー 作曲:万城目正 歌唱:並木路子)

戦後…焦土と化し荒廃した街並み、そして人々の心も “信じていたもの” が瓦解し…否、瓦解というより “裏切られた” 感の強い失望感に荒み、皆が下を向いて途方にくれていた時…日本中に “この歌” が流れた。人々は、この歌に一条の希望を見出し、元気をもらい “前を向いて” 歩み出した。
※ “上を向いて…” は、もう少し後から !?(笑)

さすがに僕は、この歌が流行し、この国が “立ち上がっていった” 様を Liveで見てはいない(苦笑)。しかし、その復興していこうとする人々の “底力” の凄さ・素晴らしさは、小さい頃に家族から、親戚から、村の人から、書物で、TV映像で…と、たくさん教えてもらった。
国でも、自治体にでも、義援金にでもなく…先ずは!何にも頼らず、名も無き一個人…一人ひとりが「生きていこう!みんなで…」と動き出したのだ。
「がんばって生きていくんだ」「いつかきっと良いことがある」…みんなが『リンゴの唄』を聴きながら、そして歌いながら。

『歌』の持っている “力” とは凄いもので、素晴らしいものだなぁ…と熟々感じる。僕は、この歌の歌詞はもちろんだが、“曲” が素晴らしいと思う。何せ…僕が初めてこの歌を聴いたのは1〜2歳の頃、自宅のステレオ(というほどでもないが)で、レコードからだった。幼子の僕に歌詞の意味がわかるはずもなく(笑)まさしく “曲 (音)” から覚えたのである。前奏・間奏・後奏と、見事な構成で、とにかく!あの前奏を聴くと “元気” が出るのです(笑)。いやぁ〜万城目正(まんじょうめただし)さんは “天才” だなぁ。きっと当時の人たちも、あの前奏にワクワクし、笑顔になり、大きな声で歌ったのだろう。これからやって来る “新しい時代” に、不安よりも “希望” を持って。

今般の大震災を、大戦後の様と“同比較”する識者が多くいる。
確かに似ている…一瞬(短時間)で奪われた尊い生命とその夥しい人の数。その人数の何倍もの “幸せのかたち” が、焦土・瓦礫と化した被害の実態や風景等、そして “信じていたもの(あの頃より大した“根拠”がないのだが)” が瓦解したことも、そっくりである。
しかし…僕には「まったく違う!」としか思えない。震災でいうと『阪神淡路大震災』と比較されるが、それとも「まったく違う!」のだ。
※大都市と田舎(多くが第一次産業中心の町)という “単純” 比較ではない。

歌の持っている力も変わってはいない。むしろ近年の音楽は『リンゴの唄』の頃よりも、遙かに高度で洗練されている。アーティストたちも「僕らは歌うしかない。歌の持っている力を信じている。歌で元気や勇気を…」と言っている。それも間違いない!(ただ皆が “金太郎飴” のように同じことしか言わないのは、如何なものか…と興醒めするのですが)(>_<)
(それはさておき)確かに今も、歌に力はあるのだが、“多様性の時代” とでも言えばいいのだろうか…生き方も、価値観も、そして歌も、一人ひとりに “それぞれ” なのだ。
インタビューされれば、必ず皆が「国(議員と官僚)が」「自治体が」「T社が」と言い、“加害者と被害者” の線引きをして “単純二元論” にしてしまう。確かに一面は「そのとおり!」なのだが…でも、なんだかなぁ…。

現代は、みんなが “ひとつ” になれない、みんなで歌う『リンゴの唄』がない、そして…その先にあるはずの “希望” が見出せない…のは確かで、真っ直ぐ “前” を向けていない…そんな “不幸感” なのかもしれない。
今の時代、今の日本に『リンゴの唄』はないのだろうか…。

盆休み…レコードを聴いた座敷で仏壇の清掃をしながら…もの思ふ。

そうだ!「 “リンゴの唄” を歌った時、どんな気持ちになったの?」
と、明日…母に聞いてみよう! きっと “前を向く” ヒントがあるはずだ。
みなさんも…ぜひ!!

新航路への出発(たびだち)

HPでも『元気の素・総合パンフレット』でも、昨年末からお知らせしていた『カーサ月の輪 開設記念 F講座』が、先日5月28(土)・29日(日) の両日…華やかに開催された。
施設長になられる「日比晴久氏」は、元気の素(8年間)が開催する、さまざまな講座やセミナーに初期の頃からほとんど参加してくれていた “元気の素塾生” である。もちろん上野も設計等の監修をさせていただいた。
ということで、この施設は、元気の素の “考え方(ソフトとハード)” を具現化し、日比さん(塾生みんなの代表として)の “実践” とが融合して出来た、今までにない「我が家(カーサ)」となるであろう。
だからこそ!とても楽しみである(笑)。

話は変わるが…僕の郷里(福井)では、結婚が決まった娘さんのお家に “嫁入り道具” が納められると、近所の人たちが、連日大勢やって来て、タンスを開け…中の着物や洋服等々を出して全て見る “慣習” がある(もちろん“手垢”も付く…苦笑)。「え〜、そ…そんな〜!」と思われるかもしれないが、これが “縁起” であり “お祝い” なのである。(ところ変われば…であるなぁ)

ということで、今回の講座は “我が郷里の慣習” にあやかり「まだ “真っ新” の建物設備を、全部使わせてもらおう(手垢も付けよう…笑) プログラム!」と題して、いつもと若干趣向を変えた。
通常なら、入浴以外の実技は、会場にベッドやイス・テーブルをセットしたり、トイレ介助も…イスを便器に想定して、入り口やスペースを “想像” しながら “架空トイレ” での実技なのだが、今回は居室のベッドから車イスに移り、行き先が “本物の” トイレやサロン(食事・ティーラウンジ)へ…。
間(あわい)・EASER(イーザー)も、FUNレストテーブルも、FUN mo-veも、V6(ビーグル6)も…大活躍する!という、正真正銘の “実技” であった。
(そういう意味でも、実に有意義な講座だった…笑)

ところで今回も、日比さんの “仲間たち”(「介護リーダーの条件」執筆者)が、全国から “受講生” として…駆けつけてくれた。
「日比さん “出発の会” (Fコース)」にご参加くださり、本当にありがとう!何よりの “お祝い” でした。やっぱり “仲間” はイイものですねぇ。

そして『カーサ月の輪』の新人さん、及び幹部の皆さんたち(みんな若い!)の、不安と希望に満ちた顔が、とても新鮮で気持ちが良かったです。
やっぱり “仲間” はイイものですねぇ。
(気持ちのイイ “しなやかな” 若者たちが、とっても多いなぁ!)
※この先 “山有り谷有り” なのでしょうが…(苦笑)。
でも、それもこれも含めて「 “可能性” や “困難” に挑んでいく!」というのは、眩いばかりに素晴らしい。しかも佳き仲間たちと…。

さて、1日目夜の懇親会の時に、上野は “お祝いのメッセージ !? ” として、こんなことを言った。「日比さんたち “仲間” は、それぞれ状況は違えども…全員(再び…三度 !?)“岐路” に立っていますね。今後は “同じ事業”(特養とかデイとか…)をしていると言っても、「目指す “目線の先” に何を見据えているか…」で、全く異なる生き方になります。つまり…(事業)名は同じでも結果が異なり “比較対象” にもならなくなる。もっとシビアに言うと、もうただの仲間ではなくなり『仲間≦ライバル(高いステージを “実現する” 責任ある者同士)』になり、時代や後進(若者たち)に “道” を示せぬ者は仲間ではなくなる!(少し大袈裟ですが、そのくらいの “不退転” の気持ちで)」。皆、感慨深く…引き締まったイイ顔で聞いてくれていた。各々…期するものがあったに違いない。
その後、仲間たちの心のこもった祝福に…感極まった日比さんは号泣した。
日比さん…おめでとう! 今日は思う存分泣くがいい。いっぱい泣いて、いっぱいみんなから力をもらおう。明日からは “戦い人” になるのだから…。

さあ!次代のリーダーたち、そして “しなやかな” 若者たちよ…
真っ新な海図に、まだ誰も描いていない “新航路” を示してくれ! 
応援するぞぉ!!

本日『カーサ月の輪』は…その大海原へ船出した。
カーサ月の輪カーサ月の輪

○○…Birthday

今日は『昭和の日』という祝日である。
ところで…いつ変わったのだろう (!?) 少し前まで『みどりの日』だったよねぇ…。いつの間にか? それは5月4日に…??(祝日が変わり過ぎる…怒)
でも「4月29日」と言えば…昭和生まれの僕たちにとっては “生まれた時から”『天皇誕生日』という祝日だった。そして1989年 1 月7日まで…。

ということで…本日は『昭和』を思う。
昭和…いろいろあったなぁ( “途中出場” の僕だが…苦笑)。
客観的&図形(折れ線グラフ)的に言うと…前半と後半で“極端な”「V字」で表せるだろう。言葉で言うと「前半 “山あり谷あり”…しかし後半 “上昇気流” にも乗っちゃって…何処まで行くの〜?」って感じ(笑)。
そしてそれが「V字からW…になりかける」手前で…昭和は終わった。

何事にも “功罪” と “幸不幸” はあるものだ。人にも時代にも…。
しかしそんな難しいことを論ずるつもりは、今日はないのだ!(笑)
とにかく、僕にとっては…とっても “魅力的な時代” だった。
個人の “生き方” を基本に、国中皆が「豊かさ」と「幸せ」を求めて一所懸命だった。“人生” を真面目に考え、しっかりと向き合っていた(向き合おうとしていた)…大人も若者たちも…。
ゆえに成功にも挫折にも、それぞれ “意義” が存在していた。
『時代』を後世に残す表現媒体である、文学、映画やドラマ、そしてマンガや歌などにも…愛おしいほどにそんな作品が多かった。またその “反面鏡” のように、風刺やアンチテーゼ、そしてコントやコメディー等の娯楽分野にも…深い味わいがあった。「テレビや冷蔵庫が、こんなにも “嬉しい” と思える時代に生まれて良かったなぁ(笑)」。

僕は、典型的日本型 “家制度”…つまり「 “三世代同居” の大家族」に生まれ、その集合体である “村社会” で育った。人も、家も、地域も、そして時代にも…まだまだ “明治〜大正” の慣習等が、生活や考え方に色濃く残っていた。
そんな “田舎生まれの田舎育ち” の僕には、小学生の頃にあった『万博』は “鮮烈”であった。“世界観”…とまでは言わないまでも、意識が大きく変わったのは間違いない。ビートルズを聴いたのも、プレスリーに憧れたのも、ギターを覚えたのも…昭和。恋もしたし失恋もした、夢も持ったし挫折もした。そして「これではいけない!」と、新たな勉強を始めたのも…昭和。
『昭和』…何とも言えない “愛すべき夢のような時間” であった。まだまだ語りたいことが…あまりにも多過ぎて、とてもとても書き切れない(苦笑)。そうだ!今度…帰省した時に「クラス会」で大いに “友と語らん”(笑)。
そしていつか(上野なりの)『論文』を書こう!

ところで今日は、個人的に言うと…僕にとって「天皇誕生日」というよりも、“生まれた時から”『 “姉” の誕生日』なのである(笑)。…ということで、今日も(毎年のことであるが)“朝一番” に「Birthday mail」を送った。


Welcome!ようこそ…♪

先週末の土曜日、僕は早朝から『清水寺』の仁王門前に立っていた。
ある方たちを出迎えるために…。
実はその日、ブログによく書く “第二の故郷”『栃木県鹿沼市』より、保健師さんら10名が「清水寺&元気の素 見学ツアー」に、来てくださったのだ。
そして僕は、到着を待って…終日 “ナビゲーター” をしたのです。(^^)v

これは遡ること8年前…。僕が東京から大阪に拠点を移すことになった際、鹿沼市のみなさんが大変残念がってくださり、お別れ会の時に「いつかみんなで先生の事務所を見に(会いに)行きますからネ…」と言ってくださっていた。それが今回実現する…言わば “8年越しの悲願達成” なのです。
当初は…スタッフ・リハビリ教室会員(脳卒中等の方々)・ボランティアさんたち等々、“大軍団” での来阪となるはずであったが “ある事情” で、スタッフ(一部)だけとなった。しかも「1泊3日」という “超!弾丸ツアー”。
金曜仕事を終え、夜の7時過ぎにバスにて鹿沼を出発して、サービスエリアでの “車中泊” 早朝再び出発し、遠路はるばる…清水寺へ。そんなみなさんの “想い” に、唯々…有り難くて、有り難くて…胸が熱くなり泣けた。

「大災害の最中に何を…」と思われるかもしれません。そうなのです…その “ある事情” というのが、今般の『東日本大震災』だったのです。
鹿沼市は(以前のブログにも書きましたが)、集団避難して来られた『福島県飯舘村』のみなさんの支援を震災直後からしていました。役所職員・保健師さんたちが中心となり、それこそ「リハビリ教室」にも関わってくれていた市内の専門職・ボランティアさんたち等々が、土日も年度末・始めも関係なく “市民一丸” となって…。

でもこの計画は、1月から予定されていました。「FUNレストテーブルが清水寺に設置されたことは、(鹿沼の)私たちにとっても自分たちのことのように嬉しい!(ついでに !? )上野先生の事務所にも行きましょう!!」と、計画していたところ…『3.11』でした。一時は断念しかけたそうですが、残る “仲間たち” が「ぜひ!」と “後押し” してくれたので、計画は縮小しましたが、“任務をやり終えて” この日晴れて…でした。(感激です!)

ですからナビゲーターの僕は、いつにも増して “超” 張り切って!境内を案内しました(笑)。昨年、大西英玄様にご案内いただいた時の内容を、思い出しながら(苦笑)

その後、清水坂〜産寧坂〜二年坂を下り、円山公園を通り抜け、八坂神社に参拝し、祇園白川通りを散策し、四条大橋袂…『南座』横、“にしんそば” の『松葉』で舌鼓(上野の “得意コース”…笑)。
そして一路…『元気の素』目指して、バスは西へ走る!
ようこそようこそ





朝から、少々アクシデントがあったので、全ての日程がずれ込んで、当初の予定より到着が遅れたが、『ねこのたまご』では、スタッフの高畑さんが料理を用意して待っていてくれた。高畑さんとも再会を喜び合い「念願の元気の素」ということで、舘内を見学していただいた後、“暫しの” 歓談をした。暫し…と言うのは、その後に “ある企画” を予約していのだ。
その名も『大阪市内・川の環状線 “なにわ探検クルーズ” 』。せっかく大阪に来てくださったので(中には初めての方も)「 “駆け足で” 大阪を満喫!」と、高畑さんが提案してくれたのだ。
※ただ、時間が押せ押せ…だったので、元気の素が “暫しの” となりました。

東京では、隅田川や東京湾でクルーズしたことがあった僕も、大阪では…初めてであった。驚いた…とっても良かった!“クルーズナビゲーター” は、若手の落語家さんで、名所旧跡・大阪歴史秘話・“謎かけ(整いました…笑)” クイズ等々盛り沢山で…全く飽きさせない105分間でした。大阪の街も夜景が…節電中でしたが綺麗でした(大阪が綺麗なのは夜だからか !?…苦笑)。圧巻は道頓堀です。頭上には…もちろん!ミナミのシンボル「グリコ」が。その反対に向き合っているのが…「おぉ〜 “福山龍馬” ぜよぉ!」
(でも僕だけでした…福山を撮っていたのは…苦笑)
そして下船後は、みんなのリクエストで…やっぱり(笑)「お好み焼き」を食べに行きました。(…らしいなぁ)
ようこそようこそ









こうして、待ちに待った…楽しくて楽しくて…なが〜い なが〜い “修学旅行” のような1日は終わりました。

翌日朝、ご一行は帰路につき、途中『馬籠』に立ち寄って、21時頃 無事…鹿沼に到着したとのこと。そして…全50時間の “旅” をエネルギーに、今日からは再び(被災者支援を含む)仕事に就かれた由。

本当に、おつかれさまでした。
そして、心から感謝しています…ありがとうございました。
そしてまた(離れていても)一緒にがんばりましょう! 日本のために…。

☆…3つ!

本日は、午前中(1本)の会議のため、早朝の新幹線で江戸へ。
直近の話ではないが “近い将来” を見据えたプロジェクト…という内容の話は、とても刺激的だった。(その話は、いずれ…後日に)
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」
…鷹山の言葉を思い出す。
※長崎空港でかかってきた電話…は、この会談だったのです(笑)。

終了後…ランチNow!会議が東京駅近くのホテルであったので…「どうしても行きたい!」と思っていたお店に行った。
それは『チューボーですヨ!』でも“街の巨匠”に取り上げられた、東京駅日本橋口にある朝日生命ビル28Fの『東京ジョンブル』です。いつも“定宿”にしているホテルの真向かいだから、毎回フロント越しに見えていて…「一度行きたいなぁ」と思っていたのだが“近くて遠い”店だった(苦笑)。
お目当ては…もちろん!巨匠ご自慢の「“オムライス”…を、いただきぃました〜‼(堺正章 風に)(^^) う、うまい!☆3つ!!」(笑)。
ジョンブルジョンブル
ジョンブル










そして午後、帰阪!
「“東京日帰り”は、東京に住んでいる頃…以来だなぁ」(ヘンな言い方…でも不思議な感じ…苦笑)。ところで…震災以来、初めての“東下り”だったが、今日も会談中に地震があった。まだまだ “真っ最中” だと実感した。(・・;)
東日本の皆様…毎日本当に大変です。心からお見舞い申し上げます。

P.S.帰阪後、事務所に帰り“一仕事”「東京って…近い!」(^^)/

来たがぜよぉ〜

長崎にぃ〜来たがぜよぉ〜!(笑)
なぜ『長崎』に来たか? 「それは〜 “亀山社中” に行くためぜよぉ〜」…
ではなく(苦笑)、“友人” が主催する起業企画の会議があり、その会場が…長崎だったのです。(その話は、また後日…)
それはさておき…久しぶりの長崎!少し散策してみよう。
「昨年はぁワシ(龍馬伝)のせいで〜観光客が凄かったけぇのぉ〜」(笑)。
そこで…まずは『グラバー公園』に行ってみた。
九州

登る直前に『大浦天主堂』がしなやかにお姿を見せる。「こんな位置関係だったっけ !? 」
…と独り言をつぶやきながら、一礼をする。





公園はエスカレーターを乗り継いで…「こんなシステムだったっけ !? 」と思いながらも「 “清水寺” もバリアフリーだもんねぇ」と、また独り言。そしてようやく頂上に…。「おぉ〜素晴らしい!」暫し感慨にひたった。
長崎の街が一望でき、江戸の昔より “世界の玄関” だった長崎港を見下ろし、長崎市民が仰ぎ見る稲佐山。それらを全て眺望するこの対岸から…グラバーや岩崎弥太郎、そして龍馬は、いったい何を観ていたのだろう。
150年程前にタイムスリップしたようで、とても雄大な気持ちになった。
九州九州





龍馬とも…再会ぜよ!(笑)
ところで “お登りさん” トリビア…
グラバー公園内に『幸福を呼ぶ Heart Stone』という石が3箇所あり、全部見つけると「幸せになれる」という(よくある…そして全館歩かせる…苦笑)スポットがあった(いつからこんなものが !? )。もちろん上野は全部見つかった(笑)。ちなみに…すれ違った小学生の女の子が「あった!」と叫んだので、(きっと大喜びしているのだろうと…)振り返ると、ナントその子はハート石を…踏みつけていた。しかも、何か “大嫌いなもの” をこの世から消し去るかのように何度も何度も…。あの子の幸せは…んー(汗)
その後の “長崎巡礼” の内容と行き先は割愛するが…「あ〜ぁ久しぶりに堪能したがぜよぉ〜」でした(笑)。
九州九州









友人に空港まで送ってもらい、フライトまでの待ち時間…夕方の柔らかい陽を浴びた有明海を観ながら、ビールで乾杯をした…瞬間 “彼(友人)” の電話が鳴った。もちろん他人の電話なので、聞き留めることもしなかったのだが…「うわぁ〜何という偶然!今、私の目の前にいらっしゃいますよ…」と、彼は僕の顔を見た。(ボク?)
「わかりました…一度お願いをしてみます」と言って彼は電話を切った。
(何だろう !? と)戸惑う僕に…
彼 :「先生、明後日…東京におられませんか? ぜひ(上野先生に)会わせてほしいという方がおられるのです」。
そんな唐突な…
と思いながらスケジュール表を見て「明後日はダメですよぉ…」と言うと…
彼 :「では翌日はどうですか?」
上野:「13日かぁ…なら何とか…。でも午前中だけしか…」
彼:「わかりました。先方様ともう一度調整して、改めてご連絡します」

充実した想いと、少し “気がかり+高揚” する気持ちで、僕を乗せた(初めて乗る)“スカイマーク148便” は長崎空港を離陸した。

西海へ

博多から車で、西に向かっている。佐賀県に入り、途中『唐津城』に立ち寄った。何度か車窓から “遠目に” 眺めていたが、初めて来たのは…高校の修学旅行の時だった。「懐かしいなぁ(という程は覚えちゃいない…苦笑)」。城址公園内は “桜満開” でした(桜が終わると “藤” なんですねぇ…日本は素晴らしい)。天守に登ると「WAO!美しい!!」と叫ぶ程の絶景であった。
その後、『嬉野温泉』に立ち寄り…いよいよ。
九州九州
九州九州

よか街、よか人、よか季節…

『JR久留米駅』のタクシー乗り場では、全車が “あるルール” を決めて徹底されているそうだ。それは、ロータリーを出て一般道に出るまで「メーターを入れない!」というルールである。先々月、久々に久留米駅に降りてタクシーに乗った時、おや?と思い「運転手さん…メーターを入れてないですよ」と言うと、その話をしてくださった。『九州新幹線』乗り入れで “駅全体で”「ようこそ 久留米へ!」という一環らしい。(^_-)
でもメーターだけではなく、運転手さんは毎回どなたも親切で、とても気持ちが良い。“僕の姿(荷物)” を見ると、直ぐに降りて来てトランクを開けて、丁寧に荷物を納めてくださる。いつも大きなキャリーバッグを持っている僕にとっては、とても助かる。全国でタクシーに乗る僕にとっては、これが一番の “ランキングポイント” である!イイ街だなぁ(^^)/
※中には自動ドアを開けて、(自動で)トランクを開けるだけ!…の運転手も “まだまだ” 多い。仕事に “喜びと誇り” がないのかなぁ…実に悲しい。

ただ…(これも “親切” なのだろうなぁ…^^;)とにかく車中で “い〜っぱい” 話をしてくださるのだ (^^;; しかも “正調” 久留米弁で(一部 listening 不明…苦笑)。んー、疲れている時は…ちょっと大変 σ(^_^;) 土地柄ですねぇ(^^;;
来る時も『さくら』で、久留米は “桜満開” で…よか季節ですたい!
(ちょっと違う⁉)!?(・_・;?
九州九州

日本人なんだから…

先日のブログで、僕の“第二の故郷『鹿沼市』”に「よ〜し!僕も何かをさせてもらおう!!」と書きましたが、「いったい何がイイのだろう…?」と考えあぐねた結果…“これ”に決めました。
それは(ジャーン)「お米…それも“コシヒカリ”…しかも“福井米”!」です(笑) “故郷”から“故郷”へ、そして…“日本人”には“何より”なのでは!…と確信しました。そう思い…母に相談したところ「それは(米袋に)“福井米” と書かれた “お米” が一番!あなたの “気持ち” も一番伝わるわぁ…。 斎藤さん(※)に、母さんの気持ちも贈りたいわ…」と、“力強い”お言葉(笑)。
※ 鹿沼市の保健師『斎藤真理子さん』…僕との仕事上の関係はよく知られているところだが、プライベートでいうと…父が亡くなった時、母のことをとても心配してくださって、以来…毎年季節ごとに、いろいろなものをお贈りいただき大変お世話になっている。“親不孝”の息子の代わりに(^^;) “孝行”をしていただいています。(ありがとうございます!)m(_ _)m

…ということで、迷わず!「福井コシヒカリ 一俵」を、贈りました(笑)。

そして、本日朝「先生…ありがとうございました!お米が届きました…」と、斎藤さんから元気な声でお電話をいただいた。
前ブログでも述べたように、鹿沼市には『福島県』から被災された方々が来られる。当初2,000名余りに方々が来られる予定であったが、諸々のご事情や最終的に故郷を離れる“踏ん切り”が着かなかったのであろう(よ〜くわかります)…ということで、今回は700名余りの方が来られたそうだ。
市役所職員を中心に…市民のみなさんは“温ったか〜く”受け入れてくださっているそうだ(笑)。そして、「みんな、先生からで(お米)大喜びです。毎日お弁当は出ますが…やっぱり “温ったかいもの” がイイですよねぇ。早速 “炊き出し” をしよう!と、盛り上がっています」。と、電話の向こうのスタッフたちの笑顔が見えるような、嬉しい電話だった。
意外だったが“お米”が届いたのは、ナント初めて!だったそうだ。
なぜだろう? でも…だから余計に喜んでいただいたようです。ホントよかったなぁ(笑)。日本人なんだから! ねぇ…やっぱり“お米”ですよ!!(^^)/

そして夜、今度はメールをいただいた。
『今日は“大切なお米”を、沢山お送りいただきありがとうございました。
早速、上司と副市長、そして市長に“先生と鹿沼の関わり”と、この度のお米の件を報告しました。皆、とても喜んでいます。市長、副市長共に「避難所で炊き出しに使わせていただこう!」と喜んでいました。
どうぞ、お母様にも、鹿沼市長はじめ皆がとても喜んで、感謝の気持ちでいることをお伝えください。
衷心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。』

心が奮えるほど嬉しかった。少しだけ鹿沼に“恩返し”ができたかな…(^^;)
でも…あ・た・り・ま・え…です!
だって僕らは…世界に冠たる“共助の国”『日本人』なんだから!(笑)
「がんばろう!日本!!」 でも、まだまだ…これからだ!

P.S.母には、先程…電話で知らせました。
「ウチのお米が “世の中のために” なれたことは光栄だねぇ」と言ったら…
「そう…そう…よかったぁ」と(うるうるして)大変感激しておりました。

被災地へ…

震災直後から、連絡が付かなかった “ある人” と、本日 “やっと” 電話で話ができた。その人とは『江澤和彦さん』である。※もちろん直後から、お互い何度か電話をかけていたのだが、たまたま受信できないことばかりで…。ただ “着信あり” なので「無事なんだぁ」と、お互い安心はしていた(苦笑)。

ちなみに…江澤さんの “フランチャイズ” は岡山・山口なので、震災とは直接関係ない…はずなのだが、僕同様…否、僕以上に “超多忙” な方で、ここ近年は「フランチャイズは東京」のような生活なのだ。案の定…聞いてみれば、11日は東京で、そして前日(10日)はナント!仙台で講演だったそうな…(驚)。そんなこんなで、僕の安否の話も含めて…久しぶりだったのでいろいろな話をした。しかし電話で話していた時間は、岡山で…お母上様と食事中だったそうなので、「大切な時間なのに失礼しました。お母様によろしくお伝えくださいねぇ…」と、切ろうとしたら「上野さん…僕、明後日から “南三陸町” へ行くんですよ…10日間程 “倉敷(江澤さんの病院)のスタッフたち” と」。聞いた瞬間…僕は武者震いがして「そうかぁ!それはそれは…素晴らしいことだぁ!江澤さん、ありがとう!!」と思わず叫んだ。
それはきっと “もどかしい思い” でいながらも “何も出来ない”(間接支援しか出来ない)でいる「僕の気持ちも “同行” させてほしい…」そんな想いで言ったのだろう。すると江澤さんは「今は “医療” が一番必要だけど、来月以降は “介護” が重要な役割になってくる。その時は必ず上野さんたちの “力” が必要ですよ。だから、僕が先に行ってきますから…」。胸が熱くなった。
「江澤さん…ぜひ!存分なご活躍を…。“チーム江澤” が現地に行くことで、きっとたくさんの “命” が助かるはずです」。
そして、その “助かった命” が、もう一度「○○さん(その方らしく)」に戻っていただくためには必ず、そう…“介護” が必要になるはずだ。

備えをしておこう…。僕が直接行く、行かないに拘わらず…。
※行かないまでも、僕の講座等々を受けてくれた “精鋭たち” が、どこかで…誰かのために活躍してくれているはずだ。

被災地より

3月11日…大震災のあった日、真っ先に!気がかりで連絡(メール)したのが『佐藤伊知子さん』だった。幸いなことに彼女は、関東地方に学生たちと “合宿” に来ていて、難を免れることができたそうだ。
しかし、報道等で目の当たりにする “故郷” の惨状に心を痛めていた。
その後は(もちろん)帰郷したのであろう。しかし(僕は)気にはなりながら「それどころじゃないし、迷惑だろうなぁ」と、連絡の期を逸していた。
そんな本日…伊知子さんからメールをいただいた。

『1週間経ちました。3月だというのに今日も雪です。学生の安否確認も八割がた進んだのですが、未だ連絡が取れない学生の住所が津波のあった地区だったりすると胸が締め付けられるような気持ちです。ガソリン不足のため、車がめっきり減りました。街は死んだようですが…人は元気です。徒歩、自転車で買い出しに整然と並んでいます。地震、津波に加え原発と、天災、人災の恐ろしさを実感しております。そんな中、人々に妙な連帯感と絆が生まれています。また人間が好きになりそうです。』

穏やかで淡々とした文章だが、自分のことよりも…まず! “愛弟子たち” のことに心を砕き、その一方で…黙々とまた精一杯生きることをはじめた “住民の皆さんたち” のことを、頼もしく思い、温かく見守りながら微笑んでいる(のだろうなぁ)「優しい “伊知子さんらしい” 」便りに、心が熱くなった。

そんな伊知子さんに、僕は 2010年 8月 8日の「ブログ」に書いた文章を送った。さまざまな “想い” を込めて…。

P.S.みなさんも今一度、読んでくださると嬉しいです。

ろうそくの燈

直接の被災地ではないが、とても気になる…僕の“第二の故郷”『鹿沼市』。
本日、保健師さんに連絡(メール)をさせていただいたところ、嬉しい返事が戻ってきた。

『ありがとうございます。みんな無事です。
鹿沼は、幸い負傷者は少なくて助かりました。
ガソリンと食料不足、計画停電がありますが、“ろうそくの生活”に「昔、雷で停電し、ろうそくの下で祖母の話を聞きながら眠ってしまった」ことなどを思い出しています。
今、置かれた状況をそれなりに受け入れて、たくましく元気にしています。
これからは福島からの避難者の受け入れが始まります。
「温かく迎えたいね」と、みんなで話しています。』

福島からの “みなさん”「鹿沼の人たちは…優しく、温か〜い!ですよぉ!!きっと “ろうそくの燈” のように…」。
鹿沼市役所、そして市民のみなさま…どうぞよろしくお願いいたします。
ぜひとも、心も身体も…癒して差し上げてください。m(_ _)m
僕の気持ちまで温められました。よ〜し!僕も何かをさせてもらおう!!

一番 大切なこと…

昨年、福井県・名田庄診療所の「中村 伸一 医師」とコラボした『地域論セミナー』は、今までこの国が“一番誇れて”、今日一番“壊れかけていて”、今こそ“一番大切なこと”…を伝えるために開催した。

「自助・共助・公助」
「自助」はもちろんであるが、近年は「公助」ばかりを求めている…。
大切なこと、そして僕らが伝えたことは『共助』なのだ。
日本人が、世界中の誰にも負けず、一番誇れる “力” です。

今回の『東日本巨大地震』の映像を見れば見るほど、一層強くそう思う。
被災者のみなさま、どうぞ…本当にがんばってください!

P.S.それから…昨日から今日にかけて、僕の“安否確認”のため、メールやお電話をくださった全国各地のみなさま…ご心配くださり、ありがとうございました。“つながっている”って感じで、とても心丈夫でした。
僕かぁ幸せだなぁ…(涙) 感謝!

政府・行政のみなさま…
「公助」も、「1,000年に1度の“災害”」であるのならば、“大所高所”に立ち、前例など度返しで、国内外のお力を最大限活かし、精一杯の対応をお願いします! しかも、明日明後日は…“時間との勝負” です!!から。

下記の文章は、そんな「公助」のために (!?) なれば…と、阪神大震災を免れた僕が、その頃書いたものです。
※これは『新しい排泄介護の技術』(中央法規出版)の序文に掲載しました。

『排泄は大切』
1995 年 1 月17 日 私たちは未曾有の大災害を、(映像をとおして)目の当たりにした。
阪神淡路大震災である。“平和ボケ”とまでは言わないにしても、平和や文明は「今日も明日も…そして未来永劫つづくもの…」と根拠もなく漠然と思っていた私たちには、あの映像は衝撃であった。まるで怪獣映画か、地球上のどこか見知らぬ国の紛争地域を見せられているようで…。しかし、あれは間違いなく「このニッポン…神戸」なのだった。
被害状況や被災者の数が連日刻々と報道されたが、その中で、あまり大きく取り上げられなかったが、恐ろしく悲惨な、そして盲点ともいえる重要な事実があった。
それは、餓死者と自殺者がことのほか多く出た…ということだ。
たしかに当初は、ほぼ“初めての経験”ともいうべき甚大さに、救援・復旧作業や支援物資の輸送配給等の遅れが生じるなど、対策やシステムの問題はあった。しかし“その事実”は復旧作業が進み、物資も充分に行渡るようになった後…つまり震災そのものとは直接関係のない“二次的被災”なのだった。
ではその理由はなにか? 答えは意外なことに「トイレが足りなかった」…ということだった。聞いて一瞬…絶句したが、これはまぎれもない真実なのだ。
全ての生きるものにとって、“食べる”ことと“出す”ことは不可欠…つまり『食事と排泄』は2つでセットなのである。ゆえに支援も、「食べる」ことを保障したならば、「出す」保障も応分にしなければバランスを欠き…生きていけないのだ。
「非常時にトイレなんて…、昔のことを思えばどこでだって…」と多くの方が言われるであろう。一義的にはそれも同感である。しかし排泄とは言うまでもなく、美味しく食べることができ、かつ健康であるからこそやってくる生理現象で…正に“生きている(幸福の)証”なのである。それゆえ、その行為が「どこで・どのように」成立するかは、人間として「自尊心を保てるか、崩壊させられるか」の分水嶺であるもあるのだ。
これは、なにも被災地での話や教訓ではない。私たちのすぐそばにも、そんな“被災者”が毎日いる。だからこそ『排泄は大切』なのだ。
プロフィール

遊びリテーションの第一人者。「ひと・もの・はこ」の総合プロデュースも多く手がける。介護総合研究所「元気の素」代表。