2007年08月12日

青山二郎の眼

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 骨董がわからない。勉強していないのだからわかるはずなどないのだが、そもそも骨董がわかるとはどういうことなのかがわからない。由来や歴史を学べばいいのか、茶を嗜むことが先決なのか。わからないから困るということはないけれど、わからないものについては考えが乱暴になってしまう。前に、目の前で「これが良い」と言いながら高い作家物の器を買っていく若い客の様子を呆然と眺めたという友人が、「良い器って何?」と訊くから、どれが良い器かわかる者はいない、これが良い器だと言い切る者だけがいて、あとは喧嘩みたいなもので、実際に戦わずに「あいつは強いらしい」と思わせ、相手に喧嘩する気を起こさせない者がいちばん強いのだろうと答えた。器について何も知らないくせによくそんなことが言えたものだと反省している。しかし、口をついてそんな言葉が出てくるのは、普段からそう思っているという証拠でもある。この考えが正しいかどうかわからないが、いや、絶対に正しくないだろうが、いずれにしても自分は、賛同者がまだいないところで「これが良い」と言い切ることができる人物が好きだ。
 世田谷美術館に行った。「青山二郎の眼」という企画展を観るためだ。自分にとって青山二郎とは言い切りの天才である。名にし負う彼の審美眼や目利きぶりを傍らにいて見てきたのでなければ、その眼力のすごさというのは簡単に実感できるものではない。だから、青山の文章の小気味よさは知っていても、「青山二郎の眼」がいかなるものか知る術がなかった。文章だけで十分にわかるだろうと言われても、わからないものはわからない。「眼」という言葉はあまりに曖昧で曲者だなと思うばかりだ。会場は四部構成になっている。青山が見いだした朝鮮や日本の古陶磁、ゆかりの人に渡った旧蔵品などが会場にずらりと並ぶ。自分の趣味ではないものも含めて、そこには美しいものが集められていた。常に手の届くところに置き、飽かず眺めたり撫で回したくなる類いの美しいもの。青山二郎、秦秀雄、そして白洲正子と所有者が代わったというデルフトのビアマグの前で足が止まり離れられなくなった。青山二郎の眼は存在する。そして、青山二郎は怖い。

青山二郎の眼展(8月19日まで開催) ¥1,000
世田谷美術館 東京都世田谷区砧公園1-2






















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