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「モーターサイクル・ダイアリーズ」を観ました。
1952年、エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(のちのチェ・ゲバラ)は23歳喘息持ちの医学生。30歳を目前に控えた友人・アルベルトと共にオンボロバイクで南米を縦断する無謀な旅へと出発する。金はないが持ち前の明るさとタフさで険しい道のりを進んでゆく。アンデス山脈・チリ・ペルーと広大な自然が彼等の目の前に広がる。そして旅先で出会う貧困にあえぐ人々、そして隔離されて生きるハンセン病患者と接するうちに、医者としてではなく、「現状を打破したい」という新たなる使命感がエルネストの中に沸き立つのだった・・
毛沢東とボブ・マーリーと並んで?(と私が勝手に思っている)日本の3大Tシャツ画像の1人、チェ・ゲバラがチェ・ゲバラとしての生き方を見つける以前、まさに「夜明け前」のある旅路を描いたこの作品。余りにも有名で、そして実像をよく知らなかった私には彼は至って「普通の青年」に見えました。そしてその「普通さ」故に行く先々で出会う矛盾にその都度心を痛め、その原因を探り、そしてこの先その矛盾に自分がどう立ち向かってゆくのか真摯に考えられる姿勢こそ、あの時、ラテンアメリカにおいて求められていた人物像だったのだなぁと改めて理解できた気がしています。
エルネスト・ゲバラが元々上流階級のボンボンであるということは観ているとすぐにわかる。この当時南米で大学に進学し、医者になろうと思える人など最初から選ばれた人間なのだ。旅の途中で「共産党員だから」という理由で警察から土地を追われ鉱山へと向かう夫婦に旅の理由を聞かれる場面でもそうだ、「なぜ旅を?」と聞かれて「旅をするためだ」という無茶苦茶な返事をして夫婦は一瞬たじろぐ。そう、このご時世「旅」という事も当然贅沢な事だったのだ。
この旅路のような出逢いや衝撃は、この旅のような極端な状況でなくとも大なり小なり誰にでも起きる可能性はある事だ。じゃあ誰もが「チェ・ゲバラ」になるか?と言えば(って私も極端な聞き方だけど)決してそうではない。それこそ上流階級だったが故に純粋培養で、裕福だったからこそ自分が生まれ育った土地以外の場所へも赴くことが可能であり、そしてアルベルトが言う「バカ正直さ」や南米の気質がブレンドされて初めて、彼が革命家になる土壌となったのだろう。
もちろん彼は目覚める直前の状態で、まだ何者にもなってはいない。この旅の終わりにはアルベルトは地に足のついた生活をするべく、まさしく青春に幕を下ろす。一方でゲバラはここからまた新たなる旅が始まるはず、この映画の中では語られることはなかったけれど(多分・・・アルベルトだけは「変化」に気付いてたんだろうけどね)。広大な美しい大地を巡る中で、彼はまさに自分の内面を旅していたんだろうなぁ。
丁度良い所でストーリーも終わっていたように思います、あの先のキューバ革命なんかが描かれるとどうしても政治色が強くなって是非に関して触れざるを得なくなる。それはまた別の話として、あくまで「旅」の間に焦点を絞ったのが良かった。この先、チェ・ゲバラとして生きてゆくのはわかっていても、まだ二転三転彼の人生は転がり続けるのだろうという予感と期待をさせるエンディングです。
ゲリラ戦線の途中で非業の死を遂げ、後に「赤いキリスト」と呼ばれる彼の事をスタッフを始め、南米の人々が未だに敬意を払い愛している事が端々からよく伝わってきました。

ちょっと脱線するけど(笑)
実はポデローサ号がアッサリいっちゃった時にはビックリしました「えー!聞いてないよぉ」って。確かにあの悪路、あの気温変化では耐えられないのは当然なんだけどね。
2人の旅においてバイクがきっと大きな役割を果たしていたんだろうなぁって思います。バイクで旅をする、という事自体である種の脳内革命が起こるんだと私は感じます。自立走行すら出来ないあの乗り物を己の制御下に置き、危険と引き換えに大地を我が物にして滑走する快感は乗った人間でなければわかるまい。前に進むこと、しか考えられなくなった脳味噌に全ての景色が以前とは違って見えるのよ。
それが旅と呼ぶのなら、そして当時の南米なら格別だっただろうよ。