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「パンズ・ラビリンス」を観ました。
スペイン内戦後、未だ混沌とする情勢下でオフェリアの母・カルメンはビダル大尉と再婚をする。身重の母、愛のない義父・・・孤独を増すオフェリアの前に妖精が現れ、迷宮へと導いた。そこでパンは言うのだ、「あなたは王女の生まれ変わりだ」と。
素晴らしい、本当に素晴らしかったのだけど、やっぱり何度も思い返すあの場面。あれで良かった、それは頭ではわかってるんだけどさ。どうしても認めたくない自分もいるのよ、でもきっとこういう人にこそこれを観て考えて欲しかったのだろうね。
そもそもあの世界が幻だったのかどうかは問題じゃない。少なくともオフェリアにとっては現実だったのだから、誰が何と言おうとあれは現実の世界だったのだ。そう、パンズ・ラビリンスはまさしくそこにあった。
それが証拠に、あのオフェリアの肝の座り方ったらどうよ。パンに会った時も、キモガエルにあった時も、あの目玉ポロリンオヤジに会った時も微塵も恐怖を感じていない。彼女はきっと何度も空想の世界であれを観ていたのよ。
血みどろの内戦が現実なのだとしたら、どっちもどっちなのだよね。どちらの世界も分け隔てなく相当狂っている。少なくとも最後の最後以外はラビリンスも相当すさんだ感じだったもの。オフェリアにとってはその2つの世界はそもそも別の物なんかではなく、同一線上の物だったのだろう。
そういう意味ではマッチョなビダル大尉も、オフェリアとは別なレベルで幻想の中で生きている人なのだ。彼はファシズムの世界の中で生きている。彼にとってはそれが生きる指針であり、真実。
互いに別の価値観の中で世界を彷徨っているから、分かり合えるはずがない。
オフェリアにはラビリンスが本当に見えていた。だからあの最後のシーンも彼女は本当に見、そこに立っていたはずなのだ。現実を突き抜けて、彼女は欲しい物を全て手に入れた。
だけど・・・どうしても映画的・芸術的素晴らしさと、命の意味を天秤に掛けた時に、その狭間で心が乱れてしまうんだよねぇ。作品の善し悪しの問題では全然なくて、ついつい現実的な問題としてオフェリアの事を考えたくなる野暮な自分がいるのよ。
何度も上に書いているように、オフェリアにとってはあれが全て現実だったはずなのだから私がどう思おうと、彼女は満足だったはずなのよ。だけどさ・・・普通に思うじゃないのよ、だからってそれじゃあんまりじゃないかって。いつまでもいつまでもこのジレンマに苦しむのよー、観た後で(笑)。
パンが見せてくれた世界が、美しすぎるときっと私はゲンナリしたのだろう。あくまでも現実と平行にグロテスクで、どっちかというと血の匂いがするその世界観に満足。
子供には見せたくないほどに淡々と暴力を描き、私達にオフェリアと同じ視点に立つよう矯正させる監督の手腕にも脱帽。
それ以上に、冷たくも澱んだこの世界に命を吹き込んだ役者達の熱演には大拍手。もちろん美術も必見。

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