2011年11月09日
今この瞬間から自由になる
自由な生活とは何でしょうか。自由な仕事とは何でしょうか。
それは富や名声とは関係ありません。財産や収入、職業や地位とも関係ありません。いや、関係あるのですが、あくまでも自分が何のために働いているのか、何のためにお金を使っているのか、という、自分の行動における位置づけにおいてのみ関係あるのです。
もう少し具体的に言いましょう。
まずは自分自身がどれだけ自由で豊かな生活に恵まれているか、に事実として気づくこと。これまで何十年も生きてこられたことこそ奇跡的な恵みではないでしょうか。自分がすでに持っているものの豊かさに感謝せざるをえません。
足ることを知るのです。
その上で、「自分が本当にやりたいことはいったい何だろう?」と自問自答するのです。
そして、「自分が本当にやりたいことをやっているだろうか?」と自問自答します。
もし完全に自分が本当にやりたいことをやっているのなら、あなたは完全に自由です。
もし「やりたくないこと」をやっていたなら、それはなんのためにやっているのでしょうか。「やりたいこと」のためにやってるならとりあえずよしとしましょう。そして少しずつ少しずつ「やりたいこと」を増やしていくのです。少しずつ少しずつでいいですから、「やりたくないこと」を減らしていくのです。
それをどうやってやるかは、どんどんクリエイティブに考えます。前例に囚われず、世間常識に囚われず、他人が何と言おうとそんなことは関係ありません。自分が「やりたいこと」が大切です。
現実を観て、足ることを知る。世界の恵みに感謝する。自分自身が本当にやりたいことをやる。そのための妥協や回り道を、少しずつ少しずつなくしていく。できるだけクリエイティブにやる。他人の評価や意見を気にしない。
今この瞬間から自由になりましょう。そして創造的に自分の仕事や生活を発展させていきましょう。
田村洋一
2011年11月08日
誰にパワーを与えているか
「明らかに不当な政治支配でも、支配される側が支配する側に協力している限り、成り立ってしまう。だからこそ、わたしたち全員でその協力をやめてしまうべきなのだ。」
インド建国の父ガンジーの言葉です。
植民地支配しているイギリスの支配力は、どこから来ているのか。それは支配されているインド人から来ているのだ。インド人が自ら統治者に協力することによってパワーを与えているのだ。
ガンジーはそう看破しました。パワーのシステム構造を明らかにし、そこから「不当な支配への協力を一切やめる」という非暴力不服従の運動が生まれたのです。
これは独裁政治や国際関係だけに当てはまる原則ではありません。身近な人間関係でも、家族の間でも、職場の主導権争いでも、全て同じ構造なのです。
自分を苦しめる相手、苦手な相手を前にすると、私たちは「相手が悪い。自分は悪くない」「自分が正しい。相手が間違っている」と思いがちです。
ところが(英語の諺にある通り)タンゴはひとりでは踊れません。相手の態度やふるまいを左右しているのは、ほかならぬ自分自身の態度やふるまいです。威圧的な上司が自分を威圧しているのは、誰あろう、自分自身がそのふるまいに「協力している」からなのです。意固地な同僚がいたとしたら、誰あろう、自分自身が意固地な同僚を意固地にさせているからなのです。
これは諍いが起こっている最中にはなかなか見抜けず、頭では理解できても、気持ちの上で認めづらいことです。
自分自身が、敵対している相手にパワーを与えている。自分自身が、敵対している相手に「協力」している。「敵」と共犯関係を結んでいる。
まずはそのことに気づくことです。
気づきが生まれると、そこから自由が生まれます。自分が誰に力を与えているのか。そして、誰に力を与えたいのか。システム構造の奴隷になるのではなく、自分の主体的な意思によって自分の世界を創造していくことが初めて可能になります。
ガンジーは非暴力不服従を選びました。
あなたは、何を選ぶのでしょうか。
田村洋一
2011年11月06日
瞑想は何のためにするのですか?
先週末、みたか井心亭( http://mitaka.jpn.org/seishin )の大広間で瞑想と対話の会を開いたときにしたお話です。
瞑想には、心のトレーニングとしての側面と、日常における実践としての側面とがあります。本来は区別すべきものではないのだろうと思うのですが、説明の便宜上ふたつに分けて話してみます。
心のトレーニングとしては、ふだんの思考や感情をストップして、頭と心の中を空っぽにします。身体を止め、あるいは観察し、呼吸を整え、意識を集中し、じっくりと心の変化を待ちます。
究極的なゴールは、完全な心の自由です。何物にも囚われることのない、完全なる自由。それは完全なる幸福でもあります。西洋哲学の中では自由と幸福とが矛盾したり対立したりする概念として提起されることがあります。瞑想の完成においては全く矛盾することがありません。完全に自由で、完全に幸福です。これは瞑想の訓練中に垣間見ることがあるかもしれませんが、実践においては到達するのがなかなか困難なゴールです。
そのひとつ手前のゴールとしては、無執着の境地があります。心の中にある欲望や怒りなどの感情から離れて、執着しないでいられることです。これだけでも素晴らしいと思いませんか。
我々は日常生活で実にさまざまな煩悩に囚われながら生きています。もっとこれが欲しい、もっとあれを手に入れたい、もっと他人から評価されたい、他人に悪く思われたくない、嫌われたり憎まれたりしたくない、恥ずかしい思いをしたくない、などなど。
そういう煩悩を滅ぼし尽くさないまでも、己の感情に振り回されず本当に大切なことに集中することができたら、どれだけ自由で幸福な毎日になるでしょうか。どれだけ本来の自分の能力を発揮できることでしょうか。
さらにそのひとつ手前のゴールは、自分の執着している感情や思考を自覚して生きることです。執着から常に離れるまでいかなくても何かに執着したり怒ったり悲しんだりしたときに「は!」と気づき、自覚を育てることができる。トレーニングが進むと、怒って何かを言ったりやったりする前に、自分自身を止めることができる。これだけでも相当なアドバンテージとなるでしょう。
自分が怒りに駆られて何かをしたり、欲望に翻弄されて行動したりしていることに、ふだんの我々はほとんど気づかずに生きています。気がついたときは少し遅かったりすることもあります。完全に執着を離れられる前に、十分な自覚を育てることができたら、それだけでも儲けものです。
さらにその手前のゴールは、心を鎮めて落ち着くことです。自覚が育つにはそれなりに時間がかかります。座禅したり立禅したりするトレーニングの時間に心が落ち着くのは当然として、それが現実の日常生活の中で自然に実践されれば、それだけで我々の仕事や生活は楽になります。無駄なことをしなくなります。頭脳の回転は早くなり、直観がひらめき、仕事は早くなります。他人に余計なことを言ったりやったりすることも減ります。他人に優しく親切にできるようになります。怖れや不安が減り、勇気が増します。
これだけでも世界が少し平和で自由で幸福になる気がしませんか。
幸福や自由や平和は、遠くの世界にある理想ではありません。すぐ目の前にあるオプションです。かちんと来たときに相手を批判して非難する代わりに、自分が率先して自由や平和を体現できたなら、世界はどれだけ幸せになるでしょうか。世界はその瞬間から自由になり、平和になり、幸福になります。自分の目の前から世界が変化し始めます。
瞑想の目的は、自分が率先して幸福になることによって、その瞬間から世界を幸福にすること。自分の足元から世界を平和に、自由に、幸福に変えていくこと。
私はそう思っています。
田村洋一
2011年11月01日
敵の視座に入り込む
盗人にも三分の理ということわざの通り、どんな立場のどんな人間にも、それぞれの言い分というものがあります。どんなに間違った考え方や振る舞いであっても、その中には何がしかの真実がある。敵を知るためには批判ばかりではなく、敵の立場に立ち、敵の心に入り込み、敵の目から世界を見てみることです。
マハトマ・ガンジーがなぜ英国を震撼させるほど強力な活動を展開できたのかご存じでしょうか。ガンジーはインドを支配する英国の立場に立ち、英国の視座からインドを見ることができた稀有な人物でした。
政党や政治家、マスメディアやジャーナリストを手厳しく批判するのは簡単なことです。彼らの見落としや失策、ごまかしや錯誤に、憤慨して非難することは実に容易なことです。しかし、非難や糾弾から真の理解は生まれないものです。理解していない相手を動かすことや変えることは至難の業です。
「敵」を特定できたら、まずは気の済むまで批判したり攻撃したりすればいいでしょう。何がどのように足りないか、誤っているか、明確に網羅して論じてください。ありとあらゆる批判を、紙の上に列挙することです。
次に、列挙された批判に「敵」の立場から回答するのです。これは決して手を抜いてはいけません。おざなりの反論ではなく、本気で相手になったつもりで考え抜くのです。「自分が正しい」という、揺るがない大前提で論を張ります。論を張ったらしばらくその立場から「批判者」(つまり自分のことです)を眺めてみてください。
どんなふうに見える風景が変わるでしょうか。
戦略的に考えるためのポイントは、憤りや苛立ちをいったん置いて「敵」の視座に入り込むこと。これは意識的で徹底した練習を必要とします。いつのまにか何となく自然にできるようになる、なんていうことは決してありません。敵になりきる決意が必要です。
田村洋一
2011年10月07日
自分が本当にやりたいことを見つけるには…
仕事ができることは生きている中での最高の喜びです。それがどんな仕事であっても、誰かの役に立ち、報酬をもらえる仕事であったら、それだけで本当にありがたいことです。何かのために働けることは、この現実世界で生きていく意味を与えてくれます。
でも、なかなかそう思えないことが世間ではしょっちゅうあります。
やってもやっても終わらない仕事。頑張って働いても、誰にも感謝も評価もされず、やったことの意味を実感できない仕事。簡単すぎて、物足りない。難しすぎて、やりきれない。自分の力を発揮できない。仕事の中身に興味が持てない。十分な報酬を稼げない。
仕事がなくて苦しんでいる人たちからすれば贅沢な悩みかもしれないのですが、贅沢だからと言って簡単に解決するわけではありません。
「これが自分の仕事だ」というものに、どうやって巡り合ったらいいのでしょうか。
答えは二つしかないと思います。好きなことを仕事にしてしまうか、またはやっていることを好きになるか、です。
これには時間がかかることがあります。
好きなことを仕事にするために独立起業して大成功する人もいます。これは、やりたいことがはっきりとわかっている場合です。それでも成功するのには長い時間がかかりますし、失敗することのほうが多いのも当然です。やりたいことがわかっていれば、失敗しても大丈夫、成功するまで挑戦すればいいのです。
もしやりたいことがわからないなら、とにかくできることをしばらく続けることです。目の前の仕事を、ひとつひとつ成功させるのです。
どんな仕事でも、何かの役に立っているはずです。ひとつひとつ成功させながら、その仕事がどんなふうに役に立っているのか、観察していきます。そうすれば自ずと創意工夫が生まれます。仕事の中に創意工夫が生まれれば、興味や関心を見出すことができます。
目の前の仕事の中に興味や関心を見出すことができれば、自分が本当にやりたいことが見つかるのは時間の問題でしょう。
道楽を職業にするか。職業を道楽にするか。このテーマについては、「組織の『当たり前』を変える」(ファーストプレス)でも解説しているので、ご興味の方は図書館か書店でお手にとってみてください。
http://www.amazon.co.jp/dp/4903241378
また、5年前のblogでも触れています。
http://blog.livedoor.jp/facilitators/archives/50353698.html
人生の最大幸福は職業の道楽化にある。富も、名誉も、美衣美食も、職業道楽の愉快さには比すべくもない。(本多静六)
田村洋一
2011年09月22日
システム思考の面白さって何ですか?
システム思考は、頭から入って体を通り、世界に出てきます。
私が初めて本格的なシステム思考に触れたのは、今から25年以上前政策ディベートに没頭していた頃のことです。様々な文献を読んでいて、ジェイ・フォレスターのシステムダイナミクスの論文に遭遇したのです。
あのときの知的興奮は今でも覚えています。世界が、単純な因果律ではなく、複雑で動的な勢力によって動いていて、それを全体的に長期的に見据えれば、世界を変えることができる。そういう実感を与えてくれました。
そして、それから数年後、アメリカのヴァージニア大学のビジネススクール在籍中に出会ったのがピーター・センゲの「学習する組織」についての論文でした。
今度は、世界がわかる世界が変わるというだけでなく、自分自身が世界のシステムの一部なのだ、自分自身をしっかり観察して、自分自身を変えていくことによって世界をよくしていくことができる、という実感です。
システム「思考」というと、頭で考えることだと思ってしまいます。実は頭で考えるばかりでなく、体で感じること、感覚で知ることも含めてシステム思考だと考えたほうがいいのです。
それから二十年が経ちました。
今や自分にとってシステム思考は論文や学校で出会うものではなく、職場や生活で、社会や会社で、生きていく上で必須の方法のひとつとなっています。身近な人間関係もごく普通にシステムとして見るし、グローバルな国際関係もシステムとして見ています。もちろんファシリテーションもシステムとして見ているし、コーチングやらリーダーシップやらマネジメントやらも全て同じです。
3年前に発足したシステム思考実践研究会(STARクラブ)では、身近な仕事や生活から国際政治や社会活動にいたるまで、世の中のありとあらゆる領域を具体的に、実践的にシステム思考しています。
システム思考は極めて知性的な方法です。しかし頭脳に限定されず、身体全体で使える方法です。世界を相手に仕事をしていく職業人にパワーを与えてくれます。そして人生全体を具体的に解き明かし、充実した生活を生きていくための支えとまでなってくれます。
田村洋一
2011年08月19日
「できない」からではなく「できる」から出発する
去年お会いしてお世話になっている蛯名知子さんはピアニストです。
http://blog.livedoor.jp/kowaihanasi
初めて会ったのは去年の11月。ライブハウス月夜の仔猫でライブ本番直前のリハーサルです。その場で渡した初見の譜面で完璧に音合わせして完璧な伴奏をしてくれました。感動しました。
私にとっては驚異的なことです。逆立ちしてもできることじゃない。でも、きっとプロにとっては当たり前のことですよね。ことも無げにやってしまう。本当に凄いと思っています。心から尊敬しています。
人間の発揮する能力には、天と地ほどの違いがありますね。
ピアニストの能力に比べたら取るに足りないのですが、私にも少しは「できる」ことがあります。たとえば…
英語と日本語の同時通訳ができます。誰かが英語で喋っている内容を聴きながら同時に日本語に訳し出して喋っていきます。
これは驚異的なことです。25年以上も前に習った技法ですが、自分が実際にできるようになるまでは「人間技」とは思えませんでした。
でもできるようになってみればそれほど大したことではありません。上手い下手は別として、同時通訳をできる人はたくさんいます。職業として少々珍しいだけで、能力としては特殊な天才を要することではないのです。
他にもできることがあります。クルマの運転です。今月は一年ぶりにニューメキシコにリトリートしていたのですが、クルマにはずいぶん世話になりました。安全運転ができることによって非常に便利で自由にいられました。自動者運転はありふれたスキルですが、有ると無とではやはり大違いです。
人は誰でもいろんなスキルや能力を兼ね備えています。そのスキルや能力を持っているかいないかには雲泥の差があります。自動車運転ができない人には自動車運転ができません。同時通訳ができない人には同時通訳できません。ピアノを弾けない人にはピアノが弾けません。
自分の目的と状況に合わせて「できる」ことをすることが大切です。また「できる」ことは誰でも「学ぶ」ことができると知ることです。
自分が「できる」ことを思い浮かべてください。いつから「できる」ようになったのでしょうか。「できない」ときを思い出せますか。
二足歩行をしようとしている小さな子どもを見てください。もちろん「歩ける」か「歩けない」かは雲泥の違いです。しかし「歩けない」子どもは自分が歩けないとは思っていません。いや、自分が歩けるということを知っているかのようです。歩いているほかの人間を見ては自分も同じように歩こうとします。そして見る間に歩き出します。
そのスキルや能力が自分にとって必要なものであれば、「できない」ところから出発するのではなくて、「できる」ところを出発点にしてみましょう。
田村洋一
2011年08月11日
信念と成功は関係ない
「必ず成功する」という強い信念がなければ事業は成功しない、と説く人達がいます。どんなに優れた事業プランがあっても信念がなければ成功しない、と言うのです。
悪気はないのでしょうけれど、これは歴史的に見て全くの誤りです。
図書館に行って、歴史上に優れた業績を残した世界の偉人たちの伝記を読んでみるとよいでしょう。その中には信念に溢れた自信家もいますが、もっと多いのは、成功するかしないかわからない未知の領域に取り組み、自信などまるで持てない状況で自分を疑い、世界を疑いつつ、さまざまな幸運に恵まれながら成功した人たちの物語です。その人たちは「必ず成功する」などという信念を持っていたわけではありません。むしろ成功するしないにかかわらず自分の道を歩んでいった人たちです。
「必ず成功する」という信念を持っていることは、事業の成功とは何の関係もありません。強すぎる思い込みは現実を見据える際に邪魔にさえなります。
むしろ「失敗するのではないか」という怖れから離れることのほうが重要です。
「成功しても失敗しても構わない。ただ自分の選んだゴールに向かうだけ」と自分の意図に従って坦々と自分の道を歩むこと。思い込みを捨て、怖れを捨て、志をクリアにすることが成功の条件だといっていいでしょう。
田村洋一
2011年07月15日
リバウンドはなぜ起こるか
「少しうまくいったのにいつのまにか後戻りしている」ということを仕事や生活の中で経験することは少なくないと思います。
目標を立てて、頑張って努力して、努力した分だけ少し結果が出て、でも少し経ったら、また元の姿に戻っている。前進した分だけ後退。これじゃあ何のために努力したのかわからない。
目標と現状の間を、行ったり来たりする。
体重のリバウンドは、典型的なケースです。
体重を減らそうと思って運動したり食事制限したりする。努力した分だけ少し痩せる。結果が出て少し安心すると、リバウンドする。
最初の出発点よりも悪いところまで揺り戻すこともあります。
どうしたらいいのでしょうか。
システム思考は鮮やかにその答えを教えてくれます。
われわれは好むと好まざるとにかかわらず、例外なくシステム構造の中にいます。現状が現状であるのには、理由があるのです。現状は、居心地がいいのです。
現状が現状に押し留まろうとする理由を、リバウンドするパターンの背後にあるメンタルモデルを観察しましょう。どんな居心地の良さがあるのかを知りましょう。
システム構造を知って初めて持続する変化が可能になります。
田村洋一
2011年07月11日
困ったときほど落ち着き払って愉しむ
ほんの一瞬の出来事でした。図書館で鍵の入った小銭入れをベンチに置き忘れたまま、本を借りるためにカウンターに向かい、気がついて探しに戻ったときには、もうどこにもありませんでした。
「しまった」
ピンチだと思いました。そして次の瞬間チャンスだと思いました。
一瞬、「ここはニューヨークじゃない。東京のど真ん中だ。落し物はきっと届けられて見つかるだろう」と思いました。実際、定期入れを渋谷で落としてしまったとき、数日後に届けがあって見つかったこともあります。他人の財布を拾って持ち主に届けたこともあります。
次に最悪のことを考えました。小銭入れが二度と出てこない可能性のことです。無論ありうることです。その場合困ったことになります。図書館まで乗ってきたバイクの鍵も入っているし、自宅の鍵も入っています。バイクを停めたまま暑い中を帰っても、鍵がなければ自宅に入れません。
最悪のケースでどうしたらいいのかをシミュレーションしたところ、感情的には結構いやだけど、現実的には大したことないということがわかりました。ちょっと予定を変えればいいだけです。
ちょっとした不注意で立ち往生している自分を、時空のてっぺんから俯瞰したら、パニックや後悔のような嫌な感情を押さえ込む必要すらなくなり、さぁ、与えられたパズルをどう楽しく解いてやろうか、という、愉快な気分に変わりました。
小銭入れが見つかろうがなくなろうがどうでもいい。大したことじゃない。見つかったほうがいいけど、見つからなくてもいい。
そう思ったら、即座に無駄なく合理的な判断と行動に移れます。
困ったときほど落ち着き、明晰な知性が勝手に発動するのに任せる。
「失敗はすなわち学びである」という命題を地で行く、わかりやすくいいトレーニングでした。
そしてその日はいつも以上に優雅な午後を過ごしました。
田村洋一
2011年07月01日
「学習する組織」とシステム思考のすすめ
待ちに待った名著の日本語訳が出版されました。
「学習する組織 システム思考で未来を創造する」
ピーター・M.センゲ著 増補改訂・完訳版
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4862761011
これは知る人ぞ知る名著です。原著は1990年、今から二十年以上前に出版され、世界的なベストセラーとなりました。私自身が読んだのはアメリカのバージニア大学ビジネススクールのダーデン校に在籍した1991年のことでした。
その時から今の自分の仕事が始まったと思っています。
たった一冊の本が、人の人生を変えるようなことがあるでしょうか。
私はあると思います。
それは文学書かもしれないし、娯楽小説かもしれない。科学の本かもしれないし、芸術書かもしれない。経営について書かれた本が時代を超えて影響を持つことだってあります。
ピーター・ドラッカーの著書を女子高校生が読むことは滅多にないと思いますが、もし読めばドラマや小説のような劇的展開が待っているかもしれません。
同じピーターでもピーター・センゲは「学習する組織」を世界的運動とするきっかけとなった The Fifth Disciplineを著し、その後も極めてラディカルに組織学習の研究と実践を進めています。
The Fifth Discipline は2006年に改訂増補版が出版され、今回初めて完全な邦訳が出版されました。
原題のThe Fifth Disciplineとは、そのまま訳せば「第五の規律」とでも言うべきもので、ずばりシステム思考のことです。自己マスタリー、共有ビジョン、メンタルモデル、チーム学習と並んで、学習する組織を形作る五つのディシプリンのひとつです。
システムがわかれば世界を読める。世界が読めば世界を変えられる。
このビジョンのもとに2008年12月にシステム思考実践研究会を発足し、STARクラブと名づけて活動しています。システム思考を身体知としてマスターし、ビジョンを共有し、メンタルモデルに光を当て、創造的で生成的なチーム学習を実践していくことが研究の目的です。
今月から新規メンバーも受け入れています。また、以前研究会に参加していたメンバーの復帰も歓迎しています。
最近の活動内容を、研究会メンバーがマッピングしてくれました。
│システム 自己 メンタル 共有 チーム
│思考 マスタリ モデル ビジョン 学習
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6月:モチベーションを動かす│
外因は、内因を動かせるのか │ ○ ◎
「笛吹けど踊らず」のシステム│ ○ ◎
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5月:組織をシステム思考する│
「トライアングル」 │ ○ ◎
参加意識と受容される感の循環│ ○ ◎
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4月:社会構成主義 │
物⇔心、可知⇔不可知 │ ○ ◎
「3.11の物語」の社会共有 │ ◎ ○
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3月:2020年の日本 │
パラダイムと共約不可能性 │ ○ ◎
「未来の歴史」をプロットする│ ◎ ○
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2月:投影を活用する │
エッジとマーリンファクター │ ◎ ○
「あなたは私」プロセスワーク│ ○ ◎
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1月:ソーシャルビジネス │
ビジョンとリアリティの因果 │ ◎ ○
「マーリンズカフェ」 │ ○ ◎
──────────────┼───────────────────────
│システム 自己 メンタル 共有 チーム
│思考 マスタリ モデル ビジョン 学習
(図表が正しく表示されない場合は等幅フォントにしてください)
システム思考に興味のある方はどうぞ気楽にお問い合わせください。ともに学び、ともに実践し、ともに創造しましょう。
田村洋一
2011年06月23日
モチベーションをシステム思考する
3月の地震の翌日に、ニューヨークタイムズ紙の記者アンドリュー・レヴキンが次のように述べています:
http://video.nytimes.com/video/2011/03/12/opinion/100000000723044/japan-revkin.html
日本は大災害に対処する優れた力を持っている。すなわち、財力
(Wealth)、技術(Technologyy)、モチベーション(Motivation)
の三つ。世界の中で三拍子揃った国は日本の他には見当たらない。
三つのうち二つ揃った国はある。しかし日本に優るモチベーション
を持った国はない。
モチベーションとは何でしょうか。一体どこから来るのでしょうか。
日本人のモチベーションは一体全体どこから来るのでしょうか。
今月のSTARクラブではモチベーションという心のプロセスを観察してシステム思考してみました。
目の前のリアリティと将来のビジョンとの間に生じる「緊張構造」別名クリエイティブテンションがチームや組織の中で共有されると、そこには集団的な効力感(sense of self-efficacy)が生じます。
それは外側からあてがわれた動機づけとは異なる、内発的な衝動であると同時に、組織環境の中で育まれたクオリティでもあります。
「できる」「行ける」という集団的な効力感覚。
ひとりではできないことが、チームや組織では「できる」「行ける」という感覚に化ける。
リアリティをうらやかに観る力と、ビジョンを鮮やかに描く力。
観察分析力と想像力との併せ技。リーダーシップの真骨頂。
アメとムチのモチベーションマネジメントを遥かに超える可能性は人の心の変化プロセスをシステミックに捉えるシステム思考の営みから生まれてきます。
田村洋一
☆STARクラブは来月からのメンバー参加を受けつけています。
システム思考を教科書の理論ではなく、現場の実践として学ぶ
意欲のある方は、初心者・上級者を問わず歓迎します。興味の
ある方は随時ご連絡ください。
2011年06月17日
成功しなかったら祝福しよう
仕事が途轍もなくうまくいったら、お祝いします。打ち上げして、きっぱり成功を忘れるのです。
仕事がまずまずうまくいったら、やはりお祝いします。お祝いして、やっぱり成功を忘れます。
成功したことを引きずらないためにお祝いするのです。引きずったら碌なことがないのです。最悪の場合、成功にしがみついたりします。
さて、仕事がうまくいかなかったら、どうしますか。
もちろん大いにお祝いします。そしてお祝いしながら分析します。
うまくいかないということは学びのチャンスなのですから。
失敗は、ただの失敗ではなく、学習という果実になります。
転んだことは挫折ではなく、飛躍のきっかけになります。
失敗は成功のもとです。失敗は常に祝福しましょう。
大いに賢い失敗を重ねましょう。
失敗を祝福しましょう。
田村洋一
2011年06月15日
人生は恋愛のようなもの
人生に目的などありません。強いて言うなら、生きることそのものが目的だと言っていいでしょう。
ちょうど恋愛と同じです。恋愛に目的などありません。恋愛することそのものが目的です。何かのためにする恋愛などは、恋愛の風上にも置けません。そういうものは恋愛もどきか恋愛ゲームと呼ぶべきでしょう。
最初はただただ恋愛だったのに、いつのまにか見返りを求めるようになっていることに気づいたら、要注意です。見返りを求めるのは愛ではなく、投資をしている証拠です。投資をしたなら見返りを期待して当然です。それはビジネスです。恋愛ではありません。
そう、恋愛はビジネスとは違います。ビジネスにおいては将来を展望して先行投資を行い、計画的に利益を上げていきます。先を見越して身銭を切り、あるいは他人の資金を集め、上がった利益をさらに将来に投資していきます。
恋愛に限らず、真の人間関係においては、見返りを求める投資は禁物です。何かの見返りを期待して人に親切にするのはやめたほうがよいでしょう。困っている人がいたら助ける。それで終わりです。困ったときはお互いさま。好きな人に贈り物をする。それで終わりです。
人生に見返りを求めないようになると、生きることが少し楽になり、今この瞬間に自分ができることに全力を上げることができます。ただ毎日を一所懸命生きるだけでいい。
人生はビジネスではないのです。
田村洋一
2011年06月13日
身に覚えのない「投影」もありがたいギフト
心理学の「投影」という概念は知っていても、この概念を実生活で活用できている人はほとんどいないのではないでしょうか。
われわれが「いいな」と思うものも「嫌だな」と思うものも、ほとんど例外なく自分の心のうちにある「いいな」や「嫌だな」を対象の相手に投影しているのです。自分が良いと思っていることを相手の中に見つけて「いいな」と思い、自分が嫌だと思っていることを相手の中に見つけて「嫌だな」と思うのです。
もちろん全てが投影なのではありません。相手の中に何かがあり、自分の中に同じ何かがあるからこそ投影されるのです。
「優しい人だな」と思う人は実際に優しい人なのでしょう。でも実際以上に優しさを感じているとしたら、それは自分の中の優しさを投影しているからです。
「意地悪な人だな」と思う人は実際に意地悪なのかもしれません。でも実際以上に意地悪を感じているとしたら、それは自分の中の意地悪を投影しているからです。
裏を返せば、他人から何を投影されても気にしないほうがいいのです。
人から何か言われたら、「それって本当かな?」と自問自答して、少しでも真実があれば自分の成長のために役立てます。でも真実はたいていほんのわずかです。数パーセントでも真実があったとしたら、残りの大半は相手の投影です。気にしないことです。
他人からほめられたら、素直に喜んで受け取りましょう。そこに数パーセントでも真実があったら、ギフトとして祝福しましょう。
他人からけなされたら、謙虚に謹んで受け取りましょう。そこに数パーセントでも真実があったら、それもギフトとして祝福しましょう。
ギフトはありがたく受け取って、要らないものは丁重にリサイクルしましょう。
田村洋一
2011年06月12日
まず自分が体現すること
平和を実現したくて、平和のために戦争を始める人たちがいます。
幸せを実現したくて、幸せのために苦悩する人たちがいます。
平和のために戦争を始めないでください。
幸せのために苦悩を始めないでください。
実現したい未来を先取りして自ら体現することです。
今この瞬間の中に平和を見つけてください。今この瞬間の中に幸せを見つけてください。
ソーシャルビジネスの重要な原則は、喜びとともに実行すること。
Do it with joy.
輝かしい未来のために輝かしい現在を犠牲にしないでください。
Do it with joy.
喜びとともに実行しましょう。
語るよりも示すこと。まずは自分自身が体現することです。
田村洋一
2011年06月11日
運任せではなく、努力任せでもなく
どうやら日本人は苦行好きです。苦労しなければ成果は出せない、とでもいうような勤労観があります。
それは明らかに美徳です。どんな仕事にも成功に向けた努力が必要なことはたしかです。大仕事ほど苦労を厭わない覚悟が必要です。
しかし、美徳も過剰になると悪徳に化けることがあります。あまりに苦労や努力の必要を強調しすぎるあまり、過剰なほどの無駄な労苦を自分や他人に強いてしまう場面がどんなに多いことか。
しかも「苦労が必要だ」という思い込みは、暗黙のメンタルモデルとなって、自己予言的に無駄な苦労を生み出すことさえあります。
努力は必要です。ときには苦労することもあります。しかし、自分の努力だけではどんな仕事も成り立たないし、幸運に助けられることは悪徳ではありません。
何事も、運任せでは仕事が成就しないのと同様、努力任せであっても成功しない。
努力と幸運の協力体制が必要なのです。
田村洋一
2011年06月10日
変えようとする前に理解すること
変革の情熱は素晴らしいものです。世の中をよくしたい、人を助けたい、小さなことから大きなことまで、自分の仕事を通じて社会に奉仕して貢献したいと思っている人は驚くほどたくさんいます。
それが徒(あだ)になることも知っておきたいと思いました。
「変えたい」という思いが強すぎるとリアリティが見えなくなるのです。リアリティを知る前に変えようとすれば、敵は変わるまいとして抵抗してきます。
変えようとする前に知ろうとしましょう。
その人やその組織の現実をしっかりと見ましょう。
その人やその組織の強みや美点を見逃さずに感じ取りましょう。
人や組織は変わるべくして変わります。理解する前に変えようとすれば、変わるものも変わるまいと抵抗します。
田村洋一
2011年06月09日
夢やロマンを持たずに生きる
わたしたちは夢やロマンが大好きです。ついつい現実から離れて夢を見ます。夢を見てるほうが現実を見ているよりも気持ちいいのです。
起業家や経営者にもロマンが大好きな人がいます。大きな夢のために事業を興したり、会社を作ったりする人達です。
大きな災難に見舞われたときも「この災難には何か大切な意味があるにちがいない」などと言ってロマンを持ち続けます。
災難があまりにも辛い苦痛をもたらすときには、ロマンに逃げるのもしかたありません。「きっと将来のもっと大きな災難を避けるためにこの災難が訪れたのだ」「いや、この災難は輝かしい未来を招来するための準備でしかないのだ」などと言って現実を美化して、気持ちを紛らし、問題を誤魔化すのです。
わたしも無意識にやっていることがあります。希望的観測に基づいた合理化です。やっているときはなかなか自分では気づきません。
人間の心にはそういう弱さがあります。ロマンが心を癒すのならば、大いに夢を描き、自由に夢を語り、甘いロマンに浸ったらいい。
そしてたっぷり心が癒されたら、目を醒ましましょう。
ロマンは現実逃避です。一時的に必要な避難です。
夢から醒めたら、今この瞬間の現実を生きることです。
目が醒めた人間には夢もロマンも必要ないのです。
田村洋一
2011年06月06日
計画的に事業を廃棄する
困ったことが起こると「どうしてこんなことになったのか」と言って原因を探そうとする癖が我々にはありますね。時間をさかのぼって、「あのときこうしておけばよかった」と分析するわけです。
原因究明が必ずしも無駄だとは言いません。必要なこともあります。
しかし原因を考えたり調べたりするうちに問題が進行してしまうし、究明した「原因」も、今となっては解決とは関係のない過去の事情でしかないことも多いのです。
ビジネスにおける埋没原価の誤謬などはわかりやすい典型例ですね。過去にいくら投資したかの金額は、現在事業を継続すべきかどうかの意思決定に無関係です。今の時点で将来を展望して「この事業を継続すべきか」と問うことのみが合理的意思決定なのです。
ここまではいいですね。「元をとりたい」という気持ちはさて置き、常に新たな状況に鑑みて意思決定していくことが事業経営です。
ピーター・ドラッカーはさらにこう問います。「もしその事業を現在やっていなかったとして今また新たに取り組むだろうか」と自問してもし答えがノーならば、計画的に事業を廃棄すべきだと言うのです。
これは、極めてラディカルな問いです。実に理にかなった問いながらなかなか実践されることがありません。
経営者が計画的に廃棄しない限り、イノベーションの育まれる余地は生まれない、とドラッカーは断言します。
自問自答してみましょう。もし現在その事業をやめているとしたら、今また新たに取り組むだろうか、と。
田村洋一


