2010年01月24日
『地下室の手記』 / フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー
『罪と罰』、『白痴』、『カラマーゾフの兄弟』、『未成年』、『悪霊』などのドストエフスキー後期作品群への転換点とみなされている作品。地下室で暮らす厭世的な男を主人公とする。本作では19世紀中頃のロシアに現れた「一世代の代表者」たる彼が手記を通して自身の見解を披露する。
上記に示したドストエフスキー後期作品群によく見られる、社会的にねじ曲がっているものと判断される「理想」を抱えた主人公の原型がこの作品で示されている。物語は主人公が40歳の今を語る独白の第1章と、その主人公が24歳の時の事件を語る第2章の、2部構成となっている。
第1章での40歳の彼は、親戚が遺した財産によって生活の目処が立ったため、それまで勤めていた役所を辞め、ペテルブルグのはずれで一人暮らしている。彼はその40年の人生で「意地悪にも、お人好しにも、卑劣漢にも、正直者にも、英雄にも、虫けらにも」なれなかった、「何者にもなれなかった」と自らを語る。
第2章での24歳の彼は、まだ役所に勤める小官吏だった。しかし、この頃から彼は「陰気くさい」、「しまりのない」、「人間ぎらいといえるほど孤独」な生活を送っていた。彼は語る。「現代のちゃんとした人間は、すべて臆病者で、奴隷であるし、そうでなければならないものなのだ」。
「絶望のなかにこそじんと灼けつくような快楽がひそんでいる」と考える彼。自らの発言に嘘を含ませたくはないと考える彼。そんな彼が24歳の時は、社会から隔絶されていたいと考えると同時に、社会のただ中に飛び込みたいという欲求も抱いていた。そんな中、女遊びやかつての同級生の送別会への参加、娼婦との関わり合い等の出来事が発生する。
その当時の事を振り返り、40歳の頃の彼は「当時のぼくときたら、人恋しさに自分がいまにも病気になりそうな状態であった」と回想する。しかし、当時の事を思い出すと彼は「なんとも後味の悪い思い」をせざるを得ない。こうして彼は物語を打ち切ることにする。<生きた生活>に対するある種の嫌悪を表明して。
以上が物語の概略である。また、新潮文庫版の裏表紙では以下の一節のようにして本書が紹介されている。
新潮文庫版の訳者である江川卓氏が巻末に寄せている解説で述べられている『悲劇の哲学』の著者として知られるシェストフの見解によると、本作はドストエフスキーが処女作『貧しき人々』以降持ち続けていた人道主義・理性・人間への信頼というものが喪失し、永遠に希望の消え去った中でなお生き続けなければならない<悲劇>の領域へと足を踏み入れたものであるようだ。このシェストフの見解を受け、シェストフのこの発見の30年後の昭和9、10年頃の日本では<シェストフ的不安>という言葉が知識人の間で流行するに至ったらしい。
しかし、このシェストフの見解、すなわちドストエフスキーが理性・人間への信頼の喪失に伴い見出した<悲劇>を、そのまま新潮文庫版『地下室の手記』の裏表紙の一節に描かれているように「非合理性」へのある種の信仰へと繋がるとする見解は果たして正確なものであるのだろうか。
彼が西欧合理主義的なものを晩年の作品で批判している事は疑いようのない事のように思えるが、それがすなわち人間の本質は非合理なものであるとする事には疑問を覚える。
というのも、後期作品を見るに多くの場合、世の中を批判的に眺める彼の主人公は極めて論理的で、一種の知性的な人物であるかのように描かれているからである。それはまるで論理的・知性的、すなわち理性的であるからこそ、このように病んだ思想を持ちうるになってしまったように思えてしまうような描かれ方に思えるのである。
こういった解釈の違いというものは「理性」という概念をどのように解釈するかという問題に直接繋がるものであろうか。
理性というものを論理的、知性的、そしてそれを信仰する「人間的なもの」と考える僕は、合理的である事が理性的であり、科学は唯一の真実であるという信仰の下で非理性的に振る舞うに至っているのはドストエフスキーが晩年描いた主人公達ではなく、むしろ、そんな主人公達が疑問を抱く一般の人々であるかのように考えてしまう。そして、理性的なドストエフスキーの主人公達こそがまさに合理化の帰結としてそのような病んだ状態に至ってしまったと考えてしまうのである。
こうした考え方ってのは若さ故の異端的な考え方なのだろうか?
第1章での40歳の彼は、親戚が遺した財産によって生活の目処が立ったため、それまで勤めていた役所を辞め、ペテルブルグのはずれで一人暮らしている。彼はその40年の人生で「意地悪にも、お人好しにも、卑劣漢にも、正直者にも、英雄にも、虫けらにも」なれなかった、「何者にもなれなかった」と自らを語る。
第2章での24歳の彼は、まだ役所に勤める小官吏だった。しかし、この頃から彼は「陰気くさい」、「しまりのない」、「人間ぎらいといえるほど孤独」な生活を送っていた。彼は語る。「現代のちゃんとした人間は、すべて臆病者で、奴隷であるし、そうでなければならないものなのだ」。
「絶望のなかにこそじんと灼けつくような快楽がひそんでいる」と考える彼。自らの発言に嘘を含ませたくはないと考える彼。そんな彼が24歳の時は、社会から隔絶されていたいと考えると同時に、社会のただ中に飛び込みたいという欲求も抱いていた。そんな中、女遊びやかつての同級生の送別会への参加、娼婦との関わり合い等の出来事が発生する。
その当時の事を振り返り、40歳の頃の彼は「当時のぼくときたら、人恋しさに自分がいまにも病気になりそうな状態であった」と回想する。しかし、当時の事を思い出すと彼は「なんとも後味の悪い思い」をせざるを得ない。こうして彼は物語を打ち切ることにする。<生きた生活>に対するある種の嫌悪を表明して。
以上が物語の概略である。また、新潮文庫版の裏表紙では以下の一節のようにして本書が紹介されている。
極端な自意識過剰から一般社会との関係を絶ち、地下の小世界に閉じこもった小官吏の独白を通して、理性による社会改造の可能性を否定し、人間の本性は非合理的なものであることを主張する。人間の行動と無為を規定する黒い実存の流れを見つめた本書は、初期の人道主義的作品から後期の大作群への転換点をなし、ジッドによって「ドストエフスキーの全作品を解く鍵」と評された。
新潮文庫版の訳者である江川卓氏が巻末に寄せている解説で述べられている『悲劇の哲学』の著者として知られるシェストフの見解によると、本作はドストエフスキーが処女作『貧しき人々』以降持ち続けていた人道主義・理性・人間への信頼というものが喪失し、永遠に希望の消え去った中でなお生き続けなければならない<悲劇>の領域へと足を踏み入れたものであるようだ。このシェストフの見解を受け、シェストフのこの発見の30年後の昭和9、10年頃の日本では<シェストフ的不安>という言葉が知識人の間で流行するに至ったらしい。
しかし、このシェストフの見解、すなわちドストエフスキーが理性・人間への信頼の喪失に伴い見出した<悲劇>を、そのまま新潮文庫版『地下室の手記』の裏表紙の一節に描かれているように「非合理性」へのある種の信仰へと繋がるとする見解は果たして正確なものであるのだろうか。
彼が西欧合理主義的なものを晩年の作品で批判している事は疑いようのない事のように思えるが、それがすなわち人間の本質は非合理なものであるとする事には疑問を覚える。
というのも、後期作品を見るに多くの場合、世の中を批判的に眺める彼の主人公は極めて論理的で、一種の知性的な人物であるかのように描かれているからである。それはまるで論理的・知性的、すなわち理性的であるからこそ、このように病んだ思想を持ちうるになってしまったように思えてしまうような描かれ方に思えるのである。
こういった解釈の違いというものは「理性」という概念をどのように解釈するかという問題に直接繋がるものであろうか。
理性というものを論理的、知性的、そしてそれを信仰する「人間的なもの」と考える僕は、合理的である事が理性的であり、科学は唯一の真実であるという信仰の下で非理性的に振る舞うに至っているのはドストエフスキーが晩年描いた主人公達ではなく、むしろ、そんな主人公達が疑問を抱く一般の人々であるかのように考えてしまう。そして、理性的なドストエフスキーの主人公達こそがまさに合理化の帰結としてそのような病んだ状態に至ってしまったと考えてしまうのである。
こうした考え方ってのは若さ故の異端的な考え方なのだろうか?