ドラゴンボール超のジレンの過去回想があまり評判よくないですが、強キャラはすべてを語らないほうがよいということでしょうか。

 強キャラといえば鋼の錬金術師のラスボスを「小賢しい盗人め」と言って蔵に閉じ込めるお仕置きをした宇宙の真理さんを思い出します。形状が一定でなく、いつも目がないので「口だけオバケ」なんて呼ぶ人もいますが、作中では神であり、宇宙であり、全であり1であるという究極の存在。久々に読み返したんですが、ラスボスのホムンクルスと対峙するときにラスボスは大きな目で睨み付けるのに対して真理のほうは口だけ笑ってるシーンを見て「あ、これって器官の対比だったのか」と思いました。勘違い、あるいはとっくに指摘済みかもしれないけど以下推測。

 目は情報を得るための受容器官で、ラスボス(変身後)は世界の全てを知りたくて目を多く備えてるけど真理は全部知ってるので世界を見る必要がない。対して口は情報の発信器官。真理は知識を与えることができるけどラスボスは求めるばかりで知識を与えることも交換することもなかった。
 そう考えるとラスボスの子供の一人であるプライドも目を多く備える「求める側」でした。最後も家族を求めてましたし。ところが、「求める側」が悪で「与える側」なら善かといえばそうでもなく、グリードは求めまくって生みの親にさえ逆らい、結果的には主人公達を救ってますし、エンヴィーはその口でとにかく喋り、争いの火種を与え続けてました。この嫌がらせの化身!

 作中の不死の軍団には目が一つしかなく、知性もほとんどありません。人間は両目で少し違う景色が見えるのでその意味を考えられる事との対比でしょうか。スロウスも片目変だけど、あれは見えてるの?見えてないなら彼も考える力をもらえなかった側なのかも。
 大総統はあえて片目を塞いでましたが、現実的な理由とは別に「考えるのが嫌になってやめた」という暗喩なのかなと思ったり。道具扱いに不満はあったけど創造主を否定することもできない。ホムンクルスの一人ラストも片目を髪で隠しがちでしたが、二人を同一視するのは考えすぎかなあ。


 グラトニーについては特に喋ることないわ。ごめんよ、グラトニー。まあ、彼も求めすぎた側だったということで・・・。

 さらに考えるとスカーのサングラスも何かの暗喩っぽいし、大佐が視力を失ったシーンは知識や力を求める手段が消えた恐ろしい状態で、それでも仲間に支えられて前に進む彼の生命力あるいはど根性(笑)を表してるといえるでしょう。