August 16, 2006
リボン
前回のエントリを書くにあたり、自分の心の中を支配していたのは、
紺野あさ美の卒業という実感の無さと、小川麻琴の卒業がどんなカタチで迎えられるのか、
そんなフワフワした感情だった。
そのキモチを“ソラノトビカタ”というコトバで表現することでひとつ落ち着かせられたのが、
リボンの騎士を観劇した友人たちから聴こえてくる賞賛の声だった。
確実に“先へ”と進んでいることを実感出来たこともそうだけれど、
その舞台が“先へ”飛び立つのに相応しい場としてつくられ、上向きに進んでいるのだな、
と実感出来たことで なぜだかちょっと気分が落ち着いた。
まだその姿を見ていないのでぼんやりとだったけれど、
“ソラノトビカタ”を思い描くことが出来たから。
当初ちょうど盆休みと重なっていた 8/15 昼公演のチケットを購入していたものの、
はやくその姿を見たいぞ、という感情が沸き上がってくるのを感じていたところに、
友人からの当日券があるという報せが入り、8/6 夜公演を観劇することが出来た。
それまでに抱いていたフワフワした感情も、その姿が見られることへのワクワク感も
どこか遠くへと飛んでいってしまうくらい、突然訪れたその機会にただただ流されるままに。
観劇後、まず抱いたのがもの凄くありきたりなんだけれど、
「すっげー良かった!」という感情だった。
伝え聞いてはいたけれど実際にこの目で確かめないとな、
というちょっとしたネガな感情もどこ吹く風か、
ただひたすらに舞台へと引きずり込まれている自分に気づいた。
どういった視点で見るかによって評価は当然わかれるのだろうけれど、
手塚治虫×タカラヅカ×モーニング娘。美勇伝という新たな試みを絶対に成功させてやるんだ
という強い意志が舞台の至る所から伝わってきて、強く強く心を揺さぶれた。
そこにあったのは紛れもなく上昇気流そのもの。
どこまでも飛んでいけ、そう叫びたくなるくらいの。
その感情は観劇時だけにとどまらず、
部屋で台本を読んでは舞台で輝きを放つ姿を思い出し、楽曲を聴いてはその場面を蘇らせる。
そして、仲間内でこの場面はこういった読み方が出来るんじゃないか、と深く想いを巡らせる。
そんな楽しみ方を見つけながら、過ごしてたりする。
8/15 昼公演の観劇も合わせ、印象に残った場面やこんな視点で見てみると面白いんじゃん、
みたいなところについては、先に書いたように、いろんな読み方を交えながら、
後日書き残せていけたらいいな、と思う。まだ全然まとまりきれていないのだけれども。
娘。に小川麻琴がいなくなる日、舞台から飛び立つ姿をこの目で見ることは出来ないけれど、
その日、その瞬間まで、楽しみながら思い巡らせることが、いまは出来る。
8/15 昼公演でのレビューの場面、好きな先輩 吉澤とアイコンタクトを交わしながら、
満面の笑みを浮かばせる小川の姿に、いかにこのリボンの騎士という舞台を経験することで、
充実した日々を送っているのかが、みてとれたから。
いろいろな願いが込められたリボンみたく、しっかりと結ばれた絆とともに。
紺野あさ美の卒業という実感の無さと、小川麻琴の卒業がどんなカタチで迎えられるのか、
そんなフワフワした感情だった。
そのキモチを“ソラノトビカタ”というコトバで表現することでひとつ落ち着かせられたのが、
リボンの騎士を観劇した友人たちから聴こえてくる賞賛の声だった。
確実に“先へ”と進んでいることを実感出来たこともそうだけれど、
その舞台が“先へ”飛び立つのに相応しい場としてつくられ、上向きに進んでいるのだな、
と実感出来たことで なぜだかちょっと気分が落ち着いた。
まだその姿を見ていないのでぼんやりとだったけれど、
“ソラノトビカタ”を思い描くことが出来たから。
当初ちょうど盆休みと重なっていた 8/15 昼公演のチケットを購入していたものの、
はやくその姿を見たいぞ、という感情が沸き上がってくるのを感じていたところに、
友人からの当日券があるという報せが入り、8/6 夜公演を観劇することが出来た。
それまでに抱いていたフワフワした感情も、その姿が見られることへのワクワク感も
どこか遠くへと飛んでいってしまうくらい、突然訪れたその機会にただただ流されるままに。
観劇後、まず抱いたのがもの凄くありきたりなんだけれど、
「すっげー良かった!」という感情だった。
伝え聞いてはいたけれど実際にこの目で確かめないとな、
というちょっとしたネガな感情もどこ吹く風か、
ただひたすらに舞台へと引きずり込まれている自分に気づいた。
どういった視点で見るかによって評価は当然わかれるのだろうけれど、
手塚治虫×タカラヅカ×モーニング娘。美勇伝という新たな試みを絶対に成功させてやるんだ
という強い意志が舞台の至る所から伝わってきて、強く強く心を揺さぶれた。
そこにあったのは紛れもなく上昇気流そのもの。
どこまでも飛んでいけ、そう叫びたくなるくらいの。
その感情は観劇時だけにとどまらず、
部屋で台本を読んでは舞台で輝きを放つ姿を思い出し、楽曲を聴いてはその場面を蘇らせる。
そして、仲間内でこの場面はこういった読み方が出来るんじゃないか、と深く想いを巡らせる。
そんな楽しみ方を見つけながら、過ごしてたりする。
8/15 昼公演の観劇も合わせ、印象に残った場面やこんな視点で見てみると面白いんじゃん、
みたいなところについては、先に書いたように、いろんな読み方を交えながら、
後日書き残せていけたらいいな、と思う。まだ全然まとまりきれていないのだけれども。
娘。に小川麻琴がいなくなる日、舞台から飛び立つ姿をこの目で見ることは出来ないけれど、
その日、その瞬間まで、楽しみながら思い巡らせることが、いまは出来る。
8/15 昼公演でのレビューの場面、好きな先輩 吉澤とアイコンタクトを交わしながら、
満面の笑みを浮かばせる小川の姿に、いかにこのリボンの騎士という舞台を経験することで、
充実した日々を送っているのかが、みてとれたから。
いろいろな願いが込められたリボンみたく、しっかりと結ばれた絆とともに。
August 05, 2006
ソラノトビカタ
気づいたら、あっという間に8月になっていて、いまの自分を言い表すとしたら、
なんとも宙ぶらりんで ふわふわしてて、着地点がうまいこと見つけられない、そんな感じ。
いま あらためて聴くラジオドラマ「ああサクラバシ」は、切なさ10.5倍だし、
3年前のちょうどいまごろ、シャボン玉のプロモーションで出演したラジオ番組で、
芸能界に入る前に娘。のなかで誰が一番カッコいいと思ってたのは誰ですか、という問いに
「私、カッコいいというか、あのー、のんつぁんのファンだったんです。辻希美ちゃん」
と辻の名前を挙げていた紺野に、そういえばミラコーだったな、となんだか嬉しくなったり、
OH-SO-RO! の“「梨華ちゃん」と呼ぼうドッキリ企画”はやっぱりハンパなかったなと、
娘DOKYUや恋サル、ハロモニ。で卒業メッセージを画面を通して見ているにも関わらず、
懐かしむように軌跡を辿っていたりすることもあってか、どうにも実感が湧かないでいる。
みつきほどまえ、SSAで見えた様に感じた、ふたつのツバサ。そんな背景もあってか、
ハロモニ。コントでのゼベット爺さんとピノキオの姿を見返していて思い浮かんだのが、
ダイダロスとイカロスだった。なぜだかわからないけど 思い浮かんだ。
ミノタウロスを閉じ込める迷宮を設計した名工ダイダロスと、その息子イカロス。
ダイダロスがミノス王の怒りをかい、二人は塔に閉じ込められ、
その塔を抜け出すために、鳥の羽を集めて、翼をつくった。
大きい羽は糸で、小さい羽は蝋で、繋ぎとめられた翼を。
その翼を背中につけ、二人は脱出したとき、父ダイダロスは、息子のイカロスに言う。
「イカロスよ、空の中くらいの高さを飛ぶのだよ。
あまり低く飛ぶと波しぶきで濡れ重くなり、
あまり高く飛ぶと、太陽の熱で溶けてしまうから。」
けれど、イカロスは夢中になり、父の忠告を忘れ、高く、高く飛んでしまい、
太陽に近づくと、羽をとめた蝋が溶けてしまった。
そして、羽は舞い散り、イカロスは翼を失い、海の藻屑と消える。
このはなし、有頂天になってはいけない、みたいに否定的な教訓として語られる事が多い。
また、最後のくだりは、太陽の神ヘリオスは、
神聖なる神の場所へ近寄ろうとするイカロスに腹を立て太陽の熱を強めた、とされている。
だけど、自分はイカロスを肯定的に解釈していたりする。
上を、さらに上を、と目指す方がカッコいいじゃん!と思うから。
イカロスだって気づいてたんじゃないかな。太陽に近づくと翼が壊れるってことを。
それでも、飛ぶという自由を全身で感じたかったんだ。
程よい感じで そこそこの楽しさを味わって終わるより、一瞬の輝きを得たかったんだ。
憧れの太陽に一歩でも近づきたかったんだ。 どこまで飛べるのか試したかったんだ、きっと。
めいいっぱい。
がんばりすぎはよくないよ、って はたから見てると思ってしまうこともあるけれど、
がんばりすぎなきゃいけないんだ、そんな叫びが透けて見えると、グイッと心を持ってかれる。
ダイダロスとイカロス、ふたりへと かけてあげるとするならば、と思い浮かんだのは、
「目指す先にあるものへ 孤独なんかじゃない いざ進め ふたりの熱い奴ら!」
という声。それはそのまま、あの娘たちにもかけてあげたい声だったりする。
娘。に紺野あさ美がいなくなった日、 娘。に紺野あさ美がいなくなった瞬間ではなかったけど
見ることが出来た昼のステージ、その最後に手を繋ぎながら花道を一歩一歩大事にしながら
涙まじりながらも満面の笑みで声援に応えていた姿が印象的だった ふたりに。
娘。に紺野あさ美がいなくなった日から、娘。に小川麻琴がいなくなる日まで、
やっぱり宙ぶらりんで ふわふわしてて、着地点がうまいこと見つけられないんだけど、
ダイダロスがイカロスへと空の飛び方を教えたときの情景が重ね合わさるかのように、
先に飛び立った紺野を見送ったカタチとなった小川麻琴の空の飛び方は どんな感じなのかな、
といまはただぼんやりと、リボンの騎士という舞台から飛び立つ姿を思い巡らせてたりする。
好きな先輩に見守られながら、好きな先輩を歌った盟友に見守られながら、
そして、好きな先輩として見守られながら 飛び立つ姿を。
なんとも宙ぶらりんで ふわふわしてて、着地点がうまいこと見つけられない、そんな感じ。
いま あらためて聴くラジオドラマ「ああサクラバシ」は、切なさ10.5倍だし、
3年前のちょうどいまごろ、シャボン玉のプロモーションで出演したラジオ番組で、
芸能界に入る前に娘。のなかで誰が一番カッコいいと思ってたのは誰ですか、という問いに
「私、カッコいいというか、あのー、のんつぁんのファンだったんです。辻希美ちゃん」
と辻の名前を挙げていた紺野に、そういえばミラコーだったな、となんだか嬉しくなったり、
OH-SO-RO! の“「梨華ちゃん」と呼ぼうドッキリ企画”はやっぱりハンパなかったなと、
娘DOKYUや恋サル、ハロモニ。で卒業メッセージを画面を通して見ているにも関わらず、
懐かしむように軌跡を辿っていたりすることもあってか、どうにも実感が湧かないでいる。
みつきほどまえ、SSAで見えた様に感じた、ふたつのツバサ。そんな背景もあってか、
ハロモニ。コントでのゼベット爺さんとピノキオの姿を見返していて思い浮かんだのが、
ダイダロスとイカロスだった。なぜだかわからないけど 思い浮かんだ。
ミノタウロスを閉じ込める迷宮を設計した名工ダイダロスと、その息子イカロス。
ダイダロスがミノス王の怒りをかい、二人は塔に閉じ込められ、
その塔を抜け出すために、鳥の羽を集めて、翼をつくった。
大きい羽は糸で、小さい羽は蝋で、繋ぎとめられた翼を。
その翼を背中につけ、二人は脱出したとき、父ダイダロスは、息子のイカロスに言う。
「イカロスよ、空の中くらいの高さを飛ぶのだよ。
あまり低く飛ぶと波しぶきで濡れ重くなり、
あまり高く飛ぶと、太陽の熱で溶けてしまうから。」
けれど、イカロスは夢中になり、父の忠告を忘れ、高く、高く飛んでしまい、
太陽に近づくと、羽をとめた蝋が溶けてしまった。
そして、羽は舞い散り、イカロスは翼を失い、海の藻屑と消える。
このはなし、有頂天になってはいけない、みたいに否定的な教訓として語られる事が多い。
また、最後のくだりは、太陽の神ヘリオスは、
神聖なる神の場所へ近寄ろうとするイカロスに腹を立て太陽の熱を強めた、とされている。
だけど、自分はイカロスを肯定的に解釈していたりする。
上を、さらに上を、と目指す方がカッコいいじゃん!と思うから。
イカロスだって気づいてたんじゃないかな。太陽に近づくと翼が壊れるってことを。
それでも、飛ぶという自由を全身で感じたかったんだ。
程よい感じで そこそこの楽しさを味わって終わるより、一瞬の輝きを得たかったんだ。
憧れの太陽に一歩でも近づきたかったんだ。 どこまで飛べるのか試したかったんだ、きっと。
めいいっぱい。
がんばりすぎはよくないよ、って はたから見てると思ってしまうこともあるけれど、
がんばりすぎなきゃいけないんだ、そんな叫びが透けて見えると、グイッと心を持ってかれる。
ダイダロスとイカロス、ふたりへと かけてあげるとするならば、と思い浮かんだのは、
「目指す先にあるものへ 孤独なんかじゃない いざ進め ふたりの熱い奴ら!」
という声。それはそのまま、あの娘たちにもかけてあげたい声だったりする。
娘。に紺野あさ美がいなくなった日、 娘。に紺野あさ美がいなくなった瞬間ではなかったけど
見ることが出来た昼のステージ、その最後に手を繋ぎながら花道を一歩一歩大事にしながら
涙まじりながらも満面の笑みで声援に応えていた姿が印象的だった ふたりに。
娘。に紺野あさ美がいなくなった日から、娘。に小川麻琴がいなくなる日まで、
やっぱり宙ぶらりんで ふわふわしてて、着地点がうまいこと見つけられないんだけど、
ダイダロスがイカロスへと空の飛び方を教えたときの情景が重ね合わさるかのように、
先に飛び立った紺野を見送ったカタチとなった小川麻琴の空の飛び方は どんな感じなのかな、
といまはただぼんやりと、リボンの騎士という舞台から飛び立つ姿を思い巡らせてたりする。
好きな先輩に見守られながら、好きな先輩を歌った盟友に見守られながら、
そして、好きな先輩として見守られながら 飛び立つ姿を。
July 18, 2006
We're INVINCIBLE
後ろに引かれた ゴールラインという名の境界線。
飛び越した体、飛び越せない心、そんなギャップに涙を流す。
何度も引いた ボーダーライン。
こぼした弱い心、居座る強い感情、そんなピースに記憶は映る。
感情も、信念も、思想も、ただ流れるだけ。ゆらゆらと形を変えて、流れるだけ。
そういったものに線を引くことで、辛さを抱えていたりしたのかな。
そして、その辛さを二人のゴレイロとして共有していたんだろうな。
二人のゴレイロのことを想うとき、ふと浮かぶのはこんな感情だったりする。
食いしん坊で憎めないキャラ、そんな共通のイメージも同時に浮かぶのだけれど。
あのアツかった駒澤で、リードを許しながらも熱い闘志を体いっぱいに漲らせる背番号12。
その姿を二人しか残されていない寂しさ漂うベンチから熱い視線で見守る背番号1を思い起こす。
すると、二人のゴレイロの心のウチを彷彿とさせる、とある詩にぶつかった。
MUSEの新譜に収められた " INVINCIBLE " という曲。“無敵”という冠のついた曲だ。
Follow through make your dreams come true don't give up the fight
最後まで夢を叶えるために この闘いを諦めないで
you will be all right because there's no one like you in the universe
きっと何とかなるから だってこの宇宙に こんこんみたいな人、他にいないんだから
Don't be afraid of what your mind conceives
怯えないで その心にひらめいたことに
you should make a stand stand up for what you believe
立場をはっきりさせてみよう 一度信じたら、主張しようよ
And tonight we can truly say together we're invincible
そしたら今夜は心から言うことができるよね 二人は“無敵”だって
Do it on your own it makes no difference to me
一人になりたいならいいんだよ のんはどっちでもかまわない
what you leave behind and what you choose to be
こんこんの置きみやげは こんこんが選んだものなんだから
and whatever they say your soul's unbreakable
誰が何と言おうと こんこんの魂は永遠に壊れないよ
During the struggle they will pull us down
闘いって相手を引きづり下ろそうとするものだよね
but please, please lets use this chance to turn things around
けれどどうか、どうかこのチャンスをモノにして事態を好転させたいんだよ
And tonight we can truly say together we're invincible
そしたら今夜は心から言うことができるよね 二人は“無敵”だって
結果的には、飛び越した体、飛び越せない心、そんなギャップに涙を流すカタチとなったけれど、
6番、9番、10番を身に纏って登場した7人の姿に、“10人のGatas ”の姿を見て取れたし、
Oranje を身に纏った北澤監督から、“メザスヒカリノサキニアルモノ”は伝わって来た。
そして、二人のゴレイロからもらってきた“いままで”と“これから”を感じることが出来た。
いつの日かベンチへと応援に駆けつけた紺野と“無敵”を受け継いだ辻とがアツく抱擁する姿。
Tonight we can truly say together we're invincible
今夜は心から言うことができるよね 二人は“無敵”だって
そんな会話を交わす二人の姿が見られたらいいな、なんて想像するだけでグッとくる。
飛び越した体、飛び越せない心、そんなギャップに涙を流す。
何度も引いた ボーダーライン。
こぼした弱い心、居座る強い感情、そんなピースに記憶は映る。
感情も、信念も、思想も、ただ流れるだけ。ゆらゆらと形を変えて、流れるだけ。
そういったものに線を引くことで、辛さを抱えていたりしたのかな。
そして、その辛さを二人のゴレイロとして共有していたんだろうな。
二人のゴレイロのことを想うとき、ふと浮かぶのはこんな感情だったりする。
食いしん坊で憎めないキャラ、そんな共通のイメージも同時に浮かぶのだけれど。
あのアツかった駒澤で、リードを許しながらも熱い闘志を体いっぱいに漲らせる背番号12。
その姿を二人しか残されていない寂しさ漂うベンチから熱い視線で見守る背番号1を思い起こす。
すると、二人のゴレイロの心のウチを彷彿とさせる、とある詩にぶつかった。
MUSEの新譜に収められた " INVINCIBLE " という曲。“無敵”という冠のついた曲だ。
Follow through make your dreams come true don't give up the fight
最後まで夢を叶えるために この闘いを諦めないで
you will be all right because there's no one like you in the universe
きっと何とかなるから だってこの宇宙に こんこんみたいな人、他にいないんだから
Don't be afraid of what your mind conceives
怯えないで その心にひらめいたことに
you should make a stand stand up for what you believe
立場をはっきりさせてみよう 一度信じたら、主張しようよ
And tonight we can truly say together we're invincible
そしたら今夜は心から言うことができるよね 二人は“無敵”だって
Do it on your own it makes no difference to me
一人になりたいならいいんだよ のんはどっちでもかまわない
what you leave behind and what you choose to be
こんこんの置きみやげは こんこんが選んだものなんだから
and whatever they say your soul's unbreakable
誰が何と言おうと こんこんの魂は永遠に壊れないよ
During the struggle they will pull us down
闘いって相手を引きづり下ろそうとするものだよね
but please, please lets use this chance to turn things around
けれどどうか、どうかこのチャンスをモノにして事態を好転させたいんだよ
And tonight we can truly say together we're invincible
そしたら今夜は心から言うことができるよね 二人は“無敵”だって
結果的には、飛び越した体、飛び越せない心、そんなギャップに涙を流すカタチとなったけれど、
6番、9番、10番を身に纏って登場した7人の姿に、“10人のGatas ”の姿を見て取れたし、
Oranje を身に纏った北澤監督から、“メザスヒカリノサキニアルモノ”は伝わって来た。
そして、二人のゴレイロからもらってきた“いままで”と“これから”を感じることが出来た。
いつの日かベンチへと応援に駆けつけた紺野と“無敵”を受け継いだ辻とがアツく抱擁する姿。
Tonight we can truly say together we're invincible
今夜は心から言うことができるよね 二人は“無敵”だって
そんな会話を交わす二人の姿が見られたらいいな、なんて想像するだけでグッとくる。
June 20, 2006
日曜日よりの使者
このまえの日曜日、あっちぃピッチのウラ側から届いた声の はなし。
毎週ラジオから聴こえる いつもの素の“ウチ”向きな声。
久しく聴いてないなかった よそゆきの“ソト”向きな声。
ひとつの声なのに、なんだか二人の女の子がハモっているように聴こえる。
その二人の声の、そのあいだ。そこにある隙間に魅力を感じる。
石川梨華の声は、そんな声。
彼女の歌声は技量という名の秤にかけてみると、自己主張へは傾かない。
でもただ、声のなかの隙間をソッと聴く人に向けて開けてくれる、
詞の言葉を届けるのではなく、詞の言葉を使ってその隙間を更新していく。
自分はその隙間に吸い込まれて、何も考えられなくなってしまう。
大袈裟な物言いだけれど、そこでは考えること、考えをまとめることが難しい。
鋭利に光る論理が なりをひそめて どすーんと沈没して、
かき消されていた記憶のかすかな明かりが、その明滅がぼんやり浮かんでくる。
そして自分は決して、その明滅に焦点を合わせることはしない。
それはしちゃいけないことになっている、ということを何となく知っている。
さわれないことになっているから=ガキさんの名言なことは、よーく知っている。
焦点を合わせないことで、そのポジとネガという明滅の繰り返しは更新される。
そのひとつひとつの明かりには、ネガティブ石川な陰影がくっきり刻まれていて、
だからこそ、そこに手を伸ばしてしまいそうになるのだけれど、
それは、しちゃいけないことになっている。さわれないことになっている。
「そんなときがあったんです」と笑顔でさらっと流しちゃうくらいがちょうどいい。
こんなことは、ひとりの普通の声や、別の二人から発せられる声では、起こらない。
そこには隙間がなく、もしくは隙間というには大きすぎるスペースが広がるから。
あくまで、隙間、ひとりになれる他者の感触、身動きがとれない不自由さの豊かさ。
石川梨華の声は、そんな声。
ピンクなワンピにヨーヨー姿、とどめのカチューシャ きりりと輝く。
シャララ〜ラ ラララ ラ〜ラ♪ とハイとロウなヒトたちのサビとともに、
「あなたがいるから〜」とセンチメンタルな風に寄り添いながら、
「梨華ちゃんのおかげで〜」なんていう謳いをも思い起こさせる。
“だぶるはい”の対岸から届いた、“日曜日よりの使者”の声。
毎週ラジオから聴こえる いつもの素の“ウチ”向きな声。
久しく聴いてないなかった よそゆきの“ソト”向きな声。
ひとつの声なのに、なんだか二人の女の子がハモっているように聴こえる。
その二人の声の、そのあいだ。そこにある隙間に魅力を感じる。
石川梨華の声は、そんな声。
彼女の歌声は技量という名の秤にかけてみると、自己主張へは傾かない。
でもただ、声のなかの隙間をソッと聴く人に向けて開けてくれる、
詞の言葉を届けるのではなく、詞の言葉を使ってその隙間を更新していく。
自分はその隙間に吸い込まれて、何も考えられなくなってしまう。
大袈裟な物言いだけれど、そこでは考えること、考えをまとめることが難しい。
鋭利に光る論理が なりをひそめて どすーんと沈没して、
かき消されていた記憶のかすかな明かりが、その明滅がぼんやり浮かんでくる。
そして自分は決して、その明滅に焦点を合わせることはしない。
それはしちゃいけないことになっている、ということを何となく知っている。
さわれないことになっているから=ガキさんの名言なことは、よーく知っている。
焦点を合わせないことで、そのポジとネガという明滅の繰り返しは更新される。
そのひとつひとつの明かりには、ネガティブ石川な陰影がくっきり刻まれていて、
だからこそ、そこに手を伸ばしてしまいそうになるのだけれど、
それは、しちゃいけないことになっている。さわれないことになっている。
「そんなときがあったんです」と笑顔でさらっと流しちゃうくらいがちょうどいい。
こんなことは、ひとりの普通の声や、別の二人から発せられる声では、起こらない。
そこには隙間がなく、もしくは隙間というには大きすぎるスペースが広がるから。
あくまで、隙間、ひとりになれる他者の感触、身動きがとれない不自由さの豊かさ。
石川梨華の声は、そんな声。
ピンクなワンピにヨーヨー姿、とどめのカチューシャ きりりと輝く。
シャララ〜ラ ラララ ラ〜ラ♪ とハイとロウなヒトたちのサビとともに、
「あなたがいるから〜」とセンチメンタルな風に寄り添いながら、
「梨華ちゃんのおかげで〜」なんていう謳いをも思い起こさせる。
“だぶるはい”の対岸から届いた、“日曜日よりの使者”の声。
May 10, 2006
Neutral tone
考えてみれば、いつも、そうだ。
自分だけかも知れないけど、いつだって引き延ばされた二つの間に立ってしまう。
楽しみと悲しみのあいだ。嬉しさと切なさのあいだ。
どっちがどっちかを凌駕したり、どっちがどっちかを塗りつぶしたり、
そんなのやってみても上手くいかない。上手くいけばいいなーと思う。
そしたら辛くなくなるのに、と思う。でも、そうそう上手くはいかない。
“紺野あさ美と小川麻琴、モーニング娘。卒業”の報せを受けてからもそんな感じだった。
横須賀凱旋コンサートで笑顔いっぱいな姿があった、ということを受け想像を膨らませ、
急遽二人での放送となった面白ラジオにやばいくらいテンションあがったりして。
けど、やっぱりどこかで“卒業”の二文字がちらついて、やっぱりどっちつかずなあいだに。
そんな心境のまま、5月7日にSSAで開催われたコンサートへと向かうことに。
開演前にふたりのことを思い浮かべるとついついこんな感じになるんだよな、と想いを巡らせる。
「鳥は誰に飛び方を教わるのかなー」
なんて素頓狂なことを言い出すマコトに、
「鶏と言えばあそこの親子丼美味しいらしいよー!」
とトリちがいな回答のコンコン。
「いまの無理問答だったらやっぱりコンコンの負けになるのかなー」
つっこみどころ間違ってるマコト。
「ナンバー吾っていう漫画に出て来た名フレーズだよね、私も好きだなー」
2周遅れな回答、いいぞコンコン。
コンサートに行く前にゴロッキーズのDVDを見直していたこともあってか、
そんなやりとりがあってもおかしくないだろ、な二人を色に喩えるならニュートラルなトーン。
いずれにも片寄らない、中立的で場を和ませるようなイメージがしっくりくる。
SSAのステージ上で、10人のど真ん中でどっしり構えてみんなを引っ張るというよりも、
ステージいっぱいにひろがり、2人で10人を包み込む様位置することが印象的だったその姿が、
モーニング娘。の両翼と成って飛び立つ姿を想起させ、それが二人の出した“飛び方”なのかな、
と、思わずさっきの妄想への結びがふっと頭に浮かんで来た。
スポフェスの“無敵”に続けと、MCにて“無敵の19歳”という名フレーズが飛び出し、
“ラヴ&ピィ〜ス!”な曲に続いて流れ出した、「深く考えすぎるのも良くないんだぞ」
と言われてるかのような気分になる、ゆるーい空気感漂うラストソングを聴きながら、
スクリーンへとVTRが映し出されるなか、締めるかたちで流されたた二人のメッセージに、
曲調とメッセージのあいだにある、緊張と緩和の絶妙な さじ加減に、強く心を揺さぶられた。
二人の娘。ラストコンサートであり、紺野あさ美が迎えた19回目の誕生日だったこの日は、
楽しさと悲しさが、切なさと嬉しさが入り交じった、記念となる日。
アディオス BYE BYE チャッチャ!と、ありがとう!が入り交じった、 忘れられない日。
卒業の報せから10日以上が経ち、こうして自分の気持ちを書き残すことで、
ようやくニュートラルなところまで辿り着けたような気がしてきた。
ギアが噛み合ず動力が伝達されない状態ともいえるけれど、
まずはここから、ゆるりゆるりと、ニュートラルなトーンで。
自分だけかも知れないけど、いつだって引き延ばされた二つの間に立ってしまう。
楽しみと悲しみのあいだ。嬉しさと切なさのあいだ。
どっちがどっちかを凌駕したり、どっちがどっちかを塗りつぶしたり、
そんなのやってみても上手くいかない。上手くいけばいいなーと思う。
そしたら辛くなくなるのに、と思う。でも、そうそう上手くはいかない。
“紺野あさ美と小川麻琴、モーニング娘。卒業”の報せを受けてからもそんな感じだった。
横須賀凱旋コンサートで笑顔いっぱいな姿があった、ということを受け想像を膨らませ、
急遽二人での放送となった面白ラジオにやばいくらいテンションあがったりして。
けど、やっぱりどこかで“卒業”の二文字がちらついて、やっぱりどっちつかずなあいだに。
そんな心境のまま、5月7日にSSAで開催われたコンサートへと向かうことに。
開演前にふたりのことを思い浮かべるとついついこんな感じになるんだよな、と想いを巡らせる。
「鳥は誰に飛び方を教わるのかなー」
なんて素頓狂なことを言い出すマコトに、
「鶏と言えばあそこの親子丼美味しいらしいよー!」
とトリちがいな回答のコンコン。
「いまの無理問答だったらやっぱりコンコンの負けになるのかなー」
つっこみどころ間違ってるマコト。
「ナンバー吾っていう漫画に出て来た名フレーズだよね、私も好きだなー」
2周遅れな回答、いいぞコンコン。
コンサートに行く前にゴロッキーズのDVDを見直していたこともあってか、
そんなやりとりがあってもおかしくないだろ、な二人を色に喩えるならニュートラルなトーン。
いずれにも片寄らない、中立的で場を和ませるようなイメージがしっくりくる。
SSAのステージ上で、10人のど真ん中でどっしり構えてみんなを引っ張るというよりも、
ステージいっぱいにひろがり、2人で10人を包み込む様位置することが印象的だったその姿が、
モーニング娘。の両翼と成って飛び立つ姿を想起させ、それが二人の出した“飛び方”なのかな、
と、思わずさっきの妄想への結びがふっと頭に浮かんで来た。
スポフェスの“無敵”に続けと、MCにて“無敵の19歳”という名フレーズが飛び出し、
“ラヴ&ピィ〜ス!”な曲に続いて流れ出した、「深く考えすぎるのも良くないんだぞ」
と言われてるかのような気分になる、ゆるーい空気感漂うラストソングを聴きながら、
スクリーンへとVTRが映し出されるなか、締めるかたちで流されたた二人のメッセージに、
曲調とメッセージのあいだにある、緊張と緩和の絶妙な さじ加減に、強く心を揺さぶられた。
二人の娘。ラストコンサートであり、紺野あさ美が迎えた19回目の誕生日だったこの日は、
楽しさと悲しさが、切なさと嬉しさが入り交じった、記念となる日。
アディオス BYE BYE チャッチャ!と、ありがとう!が入り交じった、 忘れられない日。
卒業の報せから10日以上が経ち、こうして自分の気持ちを書き残すことで、
ようやくニュートラルなところまで辿り着けたような気がしてきた。
ギアが噛み合ず動力が伝達されない状態ともいえるけれど、
まずはここから、ゆるりゆるりと、ニュートラルなトーンで。