-- 有限会社大橋工業 --

2011年03月29日

震災被害

昨日、溜まりに溜まった役所関係の手続き等で相馬に出掛けました。
社会保険事務所・安定所・基準局等と・・・・・。
社会保険事務所は地震後帰宅し消防団の広報車で非難を最後まで呼びかけ大津波の犠牲になった社員と
社員の妻は原町にパートの面接の帰り浜街道を帰宅途中津波の犠牲になった
二人分の埋葬料請求や資格喪失届けの申請でしたが、埋葬料については僅か5万円だけと少額なのに驚き、今まで積んだ厚生年金は何だったのかと失望を・・・・。
亡くなった社員は小学生の子供が居て、幸い18歳になるまで遺族年金をもらえるというのがせめてものの救いだった。
ハローワーク
リーマンショックで失業した人達が殺到した時も大変な混雑でしたが
今回も会社が流され失業した人々や緊急雇用調整助成金を申請する事業主が超満員に成る程押しかけていて、私の手続きまでは今日は無理だと言うので引き返しました。
よく考えたら、原町の安定所は避難地区なので原町管轄の人も沢山押し寄せて込み合っていたのだ。


2011年3月23日0126






















亡くなった社員の家族を尋ねて避難所に・・・。
市営の福祉施設で会議や200人規模の集会やコンサートの出来る施設に彼の家族が居ると聴いて尋ねるが、遺体を火葬し新潟県に非難していて30日に相馬のアパートが借りられそうなので戻るのだと。
避難所
ガラス張りの自動ドアをくぐると
正面に受付のようなテーブルが有って、非難した人のリストが提示されていて
写真左にはジュース類やバナナなどの救援物資が自由に利用できるように成っていて
此処だけ見ている分には避難所生活も不自由が無い様に伺えた が、
一歩大きなフロアーに足を踏み入れた瞬間
異様な殺伐とした空気に思えるほど
フロアーはジュータン敷きなので板の間ほど冷たくは無いが自分のテリトリーを確保する為
布団などが敷き詰められ大きなフロアーが満杯だった
家や家族を無くした磯辺地区の方が震災後半月が過ぎても原発の放射能漏れで
一向に進まない行方不明者の捜索や復旧にいらだちを感じているのと
大きなフロアーでプラバシーも保てない状況で心まで疲弊しているように伺えた。

一刻も早く、被災した方々に仮設住宅やアパートに移れるように
無力な私は心から願うだけだ。

2011年3月23日0127

farm_an at 09:42│Comments(0)TrackBack(0)

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