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もうずいぶん日数がたってしまいましたが連休初日から「湯治場と被災地を結ぶライフカフェプロジェクト」に参加してきました。

前回、泥かき作業をオペレートしてくださった旅行代理店リボーンさん企画で、今回も揚げ物の廃油を燃料とする「天ぷらバス」に連れてってもらいました。ちなみに運転手さんは、前回復旧したとはいえ、まだまだバンピィな東北道を高度なドラテク(太短い中型バスはバランスが悪いのでハンドリングが難しいのです)で時間通りにクルーズしてくださったオトコマエドライバーさんアゲインでした!

今回の企画は、震災の影響で客足が遠のいてしまった東北の温泉地に泊って翌朝から活動して帰京、という1泊2日のスケジュール。車中泊で翌日戻る弾丸ツアーよりグっと楽です。

そして、「ライフカフェ」とは被災地で「うまいコーヒー&お茶」をふるまって少しでもほっこりしたひとときをお届けしよう、という企画です。今回は縁あって、南三陸の志津川高校避難所が目的地となりました。

オペレートしているのがエコツアーのリボーンさんだけあって、コーヒー豆は有機栽培のものが宮内庁ご用達の御用蔵ヤマキ醤油さんから段ボール何箱分もご提供・・・その他おからクッキーや豆乳も持ってきていただき、専務さんも参加されました。(こんな企画も・・・行きません?)

さて今回は朝に新宿西口を出発しました。ちなみにフジテレビ系列の番組がカメラをまわしてやってきて、勝手に撮影を始めた上、感じの悪いスタッフが紙をもってやってきて「個人情報の関係でぇ、サインいただけます?放映したいんですけどぉ」と言ってきたのですが、一緒に待ち合わせをしていた女子が「けっこうです」とキッパリ言ってくれて、グッジョブ!ネタに使いたいんだったら筋を通してツアーの主催者にまずネゴってからにしてほしいよね。
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今回も石巻に負けないバラエティ豊かで幅広い年齢層な参加者さんたちで、アメリカ人さんも。

連休初日ということもあり、渋滞していて今夜のお宿東鳴子温泉に到着したのは夜の7時過ぎ・・・でも5代目湯守の大沼さんにこんな手書きポスターでお迎えしていただき、和みました。ご自分で描かれたそうです。2011AprLifecafe2


お世話になった旅館大沼は源泉かけながしの温泉旅館で、この地震でもお湯が止まらなかったそうです。温泉街といってもとても静かで素朴なこのあたりは大地震があったのかどうかまったくわからないほどの外見でしたが、宿泊予約のキャンセルがあいついでおり、厳しい状況に置かれているようです。でも、津波の被災地の方に「湯治」の場を提供したり、と救援活動を続けていらして、頭が下がります。もともと、漁の合間に山間で湯治をするのが漁業に従事されている海辺の人々の習慣だとか。そんな歴史もあって、小さいながら様々なお風呂があるんです。この他にも別館もあり・・・

お料理も地のものが中心で、本当に美味。東京の大学でビジネスの勉強もされていた大沼さんを中心に様々な企画や新しい「湯治」の提案もされており、是非「わざわざ」出かけたい、と思いました。

夕ご飯では同じ日に宿泊されていた石巻に勤務するお医者さん、鳴子の400にも渡る温泉を制覇した整形外科のお医者さん、青森の観光振興会の皆さんともお話の機会ができて、とてもよい時間を過ごせました。

翌日、いよいよ南三陸町に出発、の前に東鳴子温泉を散策・・・本当におだやかな春の景色で、うぐいすまで鳴いています。
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つくし発見!なんだか「育ってね!」と声をかけたくなる気分。
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さて、登米を経て、山を越えて南三陸町に入ると、そこは想像を絶する光景でした。
被害が広範だった石巻とは異なる破壊の世界・・・
バスの中は静まり返りました。皆それぞれが真剣に「予習」してきた人ばかりだったろうし、向き合う覚悟をしながらここまで来たはずなのですが(前の晩、石巻の医師の方からお話も伺ってましたし)それでも皆ショックを受けました。

南三陸町はもともと藩の要所で、豊かで文化への意識が高く、津波の前は様々な芸術祭も開催されていたような風土の街だったそうです。家々も大きく、立派だったのに一瞬にして何もかもが破壊しつくされた・・・「自然ってすごいな」なんて思いは自分は無かったです。石巻でも同じ気持ちになったのですが「怒り」がこみ上げてきました。まあ、今でもその気持ちは変わりません。謙虚な気持ちよりもそれが正直な感想。対象のない怒りってあるもんなんだな、と不思議ですが。昔の人がナマズの絵を描いてしばいた、とかそういう気持ちがとても良くわかるっていう・・・ナマズさん自身が悪くないのは百も承知で・・・

街を挟んで両側の高台にそれぞれ志津川中学、志津川高校が建っていて、避難所になっています。今回は志津川高校の体育館の横でカフェを行うことになりました。自然食のらでぃっしゅぼーやさんからご提供いただいた段ボールでアーチストさんが家具を作ったり、これもアースデイから無償で貸していただいたアウトドアのテーブルや椅子を組み立て、メニューを書いたりして準備準備。あえて元気が出そうな真っ赤なテーブルクロスでコーディネイトして、大沼旅館から貸していただいたお花の鉢植えを飾り、それぞれが持ち込んだお茶うけも並べて(Farも前夜しこしこと仕込んだミニパイ(りんごとミート)を持ち込みました)

子供さん用にチューブ風船芸を持ち込んだ方もいて、これが大うけ。

が、ここでハプニング!反対側の志津川中学で、地元の人たちが参加して「”福”興市」というイベントの第一回目が行われており、そこでもコーヒーを出さないかとの提案をいただきました。荷物運びをしていた行きがかり上、Farは福興市チームになり、志津川中学へ向かいます。

福興市の趣旨は現地通貨である「たこ」かお金で「市」を楽しむという考え方のため、こちらは有料というルールのもと「出店」しました。もともとコーヒーをご一緒しながら、お話をお聞きしたり憩っていただく、という心の準備をしていたのですが、福興市のほうは芸人さんが来たりするステージがあったりしてとにかく賑やか。椅子がない「屋台」のため、ゆっくり会話する、という雰囲気でもなく、周りにつられて「ヘイいらっしゃーい〜おいしいよ〜」なモードに。これでいいのか・・・なんて思いもよぎりつつ。

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とはいえ、「いやーここは元気だね〜 元気いっぱいだからこっちで買うよぉ」と言ってくださるおじさんがいたり、「パイ大好きで昔からよく食べていたんですよ・・・」とFarの怪しいミニパイ2個100たこ(円)を上品そのものな雰囲気の奥様が喜んで大量に買ってくださったり(召し上がってから後悔されていたらどうしよう・・・)、と多少なりともこれはこれで何かできたかも、と思っていたらなんと売上が2万円!

売上はその場で南三陸町に寄付させていただきました。

志津川高校組も様々な出会いがあったようです。そんな全体的な感じはリボーンの主催者壱岐さんのレポートで、どうぞ・・・

ボランティアというよりも、福興市のほうをお手伝いしたことにより、結局本来生業としているショーバイにイキイキといそしんでしまったFarですが(業もここにきわまれり・・・)現地の方には「もらう人ではなく『買う人』に戻りたい」という気分も出てきている、という声もありまして、市のほうはそれで賑やかだったのではないかと思います。とはいえ、にぎやかな中学の方に「渡る」には破壊された街を横切ることとなり、それが辛いので行けない、とおっしゃっていた避難所の方もいらしたそうです。そんなのフォローもできたとすれば、今回二手に分かれた活動にも意義が見出せるのではないかと感じました。

終了後、地元の皆様のご好意で、炊き出しの食事をご馳走になりました。(本来ボランティアがやってはいけないことなのですが)炊き出しチームはなんと神戸からやってきた「だんじり」の皆さんで、阪神の震災のときの恩返しだそう。お肉いっぱいのラーメンが嬉しかったです。

また、志津川高校は自衛隊の駐屯地にもなっているのですが、自衛隊員さんと子供さんたちとの暖かい交流を知りました。ライフカフェのアトラクションで、アーチストさんと一緒にダンボールのソファを手作りした男の子が「これボクのじゃないの」と言って自衛隊のお兄さんにプレゼントしに行ったそう。死を直視する、タフな任務をこなされている中、地元の人たちにもとけこんでいらっしゃるとは本当に尊敬します。こういう関係が生まれているというのも希望のひとつだと思いました。

福興市があった志津川中学には、大漁旗がデコレーションされていました。
今、復興しようという広告があふれています。その通りです。自粛している場合じゃないと思います。でもほんとうの復興とは、被災してた港が元通りになり、漁ができるようになって、こんな大漁旗をたくさんたくさん翻しながら漁船が戻ってくることだと強く思っています。
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今回は連休だったため、有名人が慰問に来ていたり、それを狙ったメディアが搬入のジャマになるほど待機していたりと賑やかでしたが、連休後はそうした目立った活動もめっきり減って人手不足な状態になっている地域も増えています。また、避難所にはこうしたアトラクションや物資の配給があっても個人宅で被災生活を送られている方はそうした物資やイベント、情報へのアクセス自体が困難となっていることが課題となっています。

来月からはより小規模で、まだまだ手が行き届いていない津波被災地のお手伝いに向かうべく、アクセス手段を調査中です。それと同様に、前回、今回と縁ができた石巻、南三陸の支援も続けたいです。以上長文をお読み下さいましてありがとうございました。