2005年07月31日

太陽の子

翔が突っ込んで来る。
俺は余裕を持って周りを見回し、右前にいるトクにボールを渡す。
翔は勢い俺の目の前まで来てからUの字を描くようにトクに進路を変更した。
かなり角度の緩いUの字ではあったが。

俺は真夏の午後のカンカン照りに灼かれた土のグラウンドの、なんだか懐かしい記憶を閉じ込めたような土埃の中から一心不乱にボールを追って駆けて行く翔の後姿を見ていた。
その日の午前、河川敷のグランドでは地域少年サッカー団の4チームが試合をしていた。
俺は顔見知りの人間が監督をしているチームの試合を見ながらひとりの少年に目が釘付けになった。
上手い。
寄って来る相手を軽々とごぼう抜き。
自陣ハーフウェイラインかなり手前から右サイドをドリブルで駆け上がり、とうとう誰ひとりボールに触れさせることなくシュートまで持っていった。
その間顔見知りの監督はタッチライン際に置いたパイプ椅子に腰掛け、じっとその少年を見て・・・いや、じっとは見てはいなかった。
と言うよりほとんど見ていなかったのかも知れない。大声で叫ぶ声は全て他の少年達に対してのものだった。
「タケシー、そこでいいのかーッ!」「ユーイチー、周り見ろーッ!」「ケンスケー、何ボーっとしてんだおまえはーっ!」
名前を呼ばれた少年達はネジを巻かれたように動き出す。
ドリブル少年のゴールライン右からファー側に放ったシュートは、身体が他の少年達よりひとまわりほど大きい相手GKが必死のパンチングで防いだ。
それがナイスセーブで完了しなかったのは先ほど監督に名前を呼ばれたタケシがファー側のゴール前に詰めていたからだ。
3点目を決めた左MFは満面の笑顔でチームメイトとタッチしたり頭をパシパシ叩かれたりしている。
ドリブルからシュートを放った少年は逆サイドを自陣に駆け戻りながら笑顔で両手を突き上げ、握ったコブシの親指と小指を突き立てヒラヒラとタケシに振っている。
いいチームだと思った。

「だってそりゃシュートしたいでしょう、あれだけ上手いんですから」と顔見知りの監督が真っ黒に日焼けした顔に笑みを浮かべながら言った。
俺が「あの子ひとりでやっちゃうと他の子が面白くなくなって悪影響あったりしません?監督としては何か言ったりしないんですか?」と聞いてみた答えがそれだ。
「でもねぇ、確かに難しいところではあるんですよねー。あの子、マモルって名前なんですけど攻めるのが大好きで」きっともう何度も口にしたであろう言葉に続けて「それでもね、俺にはマモルの可能性を、芽を摘んでしまう権利はないですからねぇ。それに・・・」監督はちょっと離れた木陰で父兄と一緒におにぎりを頬張っている子供達に目をやった。「他の子達にしたってマモルを活かそう、マモルに活かされようという意識が最近出て来てますしね。プレイの中では出来るだけ禁止事項を少なくしたいんですよねぇ」「禁止事項?」「ええ、『アレしちゃダメだー!コレしちゃいけない!』ってのをね、なるべく言いたくないんですよ。それを言うんなら『こうした方がいいんじゃないか?』『おまえの好きなラウールなら間違いなくこうするんじゃないか?』『ロナウジーニョはそうじゃないだろう』そう言うようにしてるんですよ」
俺は舌を巻いた。
まるでどこかのJリーグのプロ監督と変わらない指導の仕方だと思った。
言葉は他人に自分の心の中を伝えるためのものだ。
どんなに優れた知識や理論、技術を持っていても、自分がピッチに入って行ってプレイすることが許されないのが指導者である以上、選手達に伝えるコーチとしての一番重要な武器は言葉ではないのか。

「良き競馬の騎手になるために、かつて名馬であったという実績は必要ない」というのは80年代後半から90年代にかけてACミランを世界最強のチームに育て上げたアリゴ・サッキの言葉だが、「名馬必ずしも名伯楽ならず」を逆から表した言葉なのだろう。
サッキ自身、プレイヤーとしてはアマチュアの経験しかない“凡馬”だったからこそ重みを持つ言葉となった。
アマチュア経験しか持たないサッキの指導とはどんなものであったろう。
相手は馬鹿みたいな大金を稼ぐ錚々たるプロたちである。
そのプライドや自信、不遜さはサッキを遥かに凌ぎ、クライフみたいな天才を持つ人間ですら選手との間にかなりの溝を作ったことを考え併せれば、サッキの苦労が並大抵のものでなかっただろうことは容易に想像がつく。
もしサッキが口下手で、言葉ではなく行動で選手を引っ張っていくタイプの人間だったら、ACミランの栄光は愚か、その後世界を席捲した「プレッシング・サッカー」に我々が目を瞠るには数年、もしかすると数十年を待たなければならなかったのかも知れない。
さもありなん、ミラニスタにとって幸運なことにサッキはアマチュアの監督時代は靴のセールスマンだった。
イタリアで靴を売るのに口がうまくないわけがない。

そのサッキをして「私の作ったミランは完璧である。しかし私の作り上げた戦術を崩す可能性のある例外が一人だけいる。それはディエゴマラドーナだ」と言わしめたように、“圧倒的な個”は組織を凌駕する可能性を秘めている。

サッキのミラン黄金期をプレイヤーとして共に戦った選手にライカールトがいる。
05-06-12にバルサがマリノスと親善試合を行った際、バルサの監督ライカールトが俺の発した質問に対し、じっと俺の目を見ながら話すのを聞いて「ああ、この人はきっとすごく真面目な人なんだろうなぁ」と思いながら俺も負けじとライカールトの目を見つめてマイクを向けていた。ライカールトの向こうにサッキではなく、クライフの影を捜しながら・・・。
そのライカールトがバルサの監督でサッキがレアルのテクニカル・ディレクターというのはちょっとした運命の皮肉なんだろうか。
今回のレアル来日時にサッキの姿は見えなかったようだが・・・。

「マモルがね」と少年サッカー団を率いてもう十数年になる監督が言う。
「マモルがマラドーナになれるとは思わないですよ。でもさ、なれないって俺が決め付けちゃうと俺自身が面白くなくなっちゃうでしょ?」三十歳をわずかに超えたばかりの青年監督の“意中の人”は今でもマラドーナなのかも知れない。
だからと言ってマラドーナを作ろうとしているわけではないのはさっきの他の少年達に対するコーチングでわかった。
そりゃそうだ、マラドーナは作ろうとして作れるものじゃない。
「でもあの子(マモル)はロナウジーニョが好きなんですけどね。上手いんですよ、シザースとか。最近はとうとうエラシコまで得とくしちゃったみたいで今日の試合でやるって言ってたんですけどね、まだやってない」と笑った監督の視線の先には軽い食事を終えて早くもボールで遊んでいる子供達の姿があった。

翔はゲーム中はほとんど喋らなかった。
もしかしたらうまく喋れないのかも知れない。
翔が乾ききった土のグラウンドを走るたび、まるで漫画の絵のように土埃が盛大に舞う。
でもそれは翔だけではない。
翔のチームメイトの大体は足を引き摺りながら走るからそこかしこで土埃が舞うことになる。
下肢に障害を持った選手が乾いた土の上を走るとはそういうことだ。
俺は試合前に自分のチームメイトに「絶対に手を抜かないでやろう!取れるだけ点を取って思いきり大差をつけてやろう!」と言った。
みんなもその意図を汲んでくれたようだ。
俺たちはプロが子供相手に遊ぶような失礼なことはしないし、第一実際それほど実力に差があるわけでもないのだ。

翔がボールを追いかけて足がもつれて転んだ。
仲間がそれを見て声を出して笑ってる。
笑われてる翔も笑ってる。

チーム最年少の翔もロナウジーニョが好きらしい。
試合前の雑談でプレイヤー兼チーム代表がそう言っていた。
もし俺がゴールを決めたら午前中にマモルがやって見せたように、親指と小指を突き立てるロナウジーニョのポーズを翔の目の前でやってやろうと思っていたけどついにその機会は訪れないまま試合が終わってしまった。
それから両チームみんなで力を合わせゴールを所定の位置に戻し、着替えを済ませた。
それぞれがそれぞれに声をかけ、別れを告げる。

「じゃあな、翔。全日本選手権頑張れよ!」俺もそう声をかけて翔に手を振った。
翔も手を振って笑顔。
ふと見ると振ってる翔の指は複雑に捩れている。
もしかしたら不自由な指でロナウジーニョの真似でもしているのかもしれない。
もしロナウジーニョが『太陽の子』であるなら、ここにも間違いなく太陽の子はいる。

彼らのチーム名は日本語に訳すと「希望」という意味だ。

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