2005年08月03日

気持ちE!

おっさんがストレートグラスを三本の指で撫でながら言う。
「世の中のほとんどのことは志ん生に行き着くんですよ。そんなもんなんです」
いい歳ぶっこいてんのにバーボンのストレートなんて無理してカッコつけちゃってー!
と思わなくもない。
でも考えて見ればチビチビ舐めるようにしか呑んでないし、それで乱れることもない。
「志ん生って落語の?」と俺はまだビール。
「はいはい、五代目古今亭志ん生ですね」
「いまはサッカーの話をしてんのになんで志ん生が出てくんだか俺にはさっぱりだよ、おっさん」と言いながら、それはきっと矢作俊彦のパクリだろうと俺は思ってた。
「いやいや、サッカーでしょうが将棋でしょうが何でも同じことですよ。人間がやってることですから」矢作俊彦風に言うと、おっさんは常に唇の端2ミリほどで笑いながらグラスに向かって話しかける。

いつものバーでその夜は珍しくおっさんの方が早く呑んでいた。
客は俺たち以外に4組ほど。みんなカップルだ。
そうか、今日は金曜なんだ。そう思った。
俺はバーテンダーとおっさんに軽く会釈をしキリンビールをオーダーした。
ビールはキリンと決めている。
おっさんから話を切り出す事はまずない。たまには俺に話しかけろよおっさん。
「ブラジル人とかってゴールを決めたら胸のエンブレムにキスしたりするじゃないですか。あれってクラブに忠誠を誓うって意味でしょ?」唐突だとは思った。
「今日はまた随分唐突ですねぇ、ははは・・・。うーん、そりゃ忠誠の証なんでしょうね、そうだと思いますよ」おっさんがそういういきなりの話を好んでいないのはあきらかだ。
でも俺は構わず続けた。「でもあれって水面下ではとっくに移籍を決めてたりする選手が平気でやるじゃないですか。あれがわかんないだよなァ」
おっさんは何とかって言うメーカーの炭酸水をチェイサー替わりに舌先だけつけてはまた小さなカットグラスを指でなぞっている。カットの入ってるストレートグラス。
この店は酒や炭酸とか、こだわっているところには随分とこだわっているらしいんだけど俺にはほとんどどうでもいいことだ。
出て来た酒がうまくておいしい会話があればいい。
「あのですね、サッカーの選手って移籍するのが当たり前じゃないですか。いい選手であればなおさらですよねぇ。移籍するってことは受け入れ先があるってことなわけでそれは納得出来るでしょ?」「もちろん」「でもですね、たとえクラブ間同士で話がまとまって移籍したとしてもですよ、移籍先のサポーターに受け入れてもらえなけりゃ選手としてはそこで長続きすることはないですよ」「はいはい、それはわかりますよ」「それで選手はいつだってサポーターが忠誠を誓うクラブのエンブレムにキスをしてアピールするわけですね」おっさんは口調も表情も変えることなく淡々と話す。サッカーが好きなのは前に聞いたけどサッカーの話をするのは好きなんだろうか?
「いやいや、だからさー」俺はちょっとイライラして続けた。「もう移籍することを知っていてなんで辞めちゃうクラブのエンブレムにキスする必要があるのさ?白々しいじゃん!」ちょっと声が大きくなったのかも知れない、おっさんはその日初めて俺の目を捉えながら「前のチームでサポーターに自分の忠誠心を示せない人間が次のチームでサポーターの信頼を得られると思いますか?」と言った。なるほど、そういうことなのか。
「でも・・・」俺はまだ残っていたイライラを鎮めるために何か言おうと思ったけどそれについてはもう何も言うことが残っていなかった。
代わりに「なんかそんなのって変だ」とサッカーとは全く関係ないところの不満を言うしかなかった。
そこで冒頭の志ん生の言葉である。
「そこは怒るところじゃなくて笑うところなんです。本当はね」とおっさんが手本を示すように笑った。
何だかわかったようなわからないような、いやいや俺にははっきりとわからない話だ。
「志ん生・・・ねぇ」
「はい、志ん生です」
俺には考えなきゃならないことがたくさんあることだけはわかった。
サッカーはピッチの中だけで行われているわけじゃない、知ってはいたけれど。

「ところでおっさんさァ、おっさんってどっかのサポーターなの?」俺は別に聞きたいわけじゃなかったけどそう口にしていた。
「サポーター、ですか?」「うん、どっかのサポーターの方が絶対サッカー見てても面白いよね?」「サポーターねぇ・・・」「何?サポーターを馬鹿にしてんの?」俺は別に気色ばむわけでもなくそう言った。「いえいえ、そんなことはもちろんありませんよ、ありませんけど」そこで言葉を切るから悪いんだ。
「けど、何?」「いえね、恥ずかしながらワタシはサポーターの意味がまだよくわからないんですよ。どういうのがあなたの言うサポーターなんですか?」今度は俺がわずかに残っているビールを飲み干すことになった。
どういうのがサポーター?
考えてみたこともなかった。

好きなチームを応援するのがサポーターだろうに。でも応援ってなんだ?スタジアムで太鼓ドンドコ、ギャ−ギャ−騒ぐのが応援?
いや、もちろんそれだって応援だしサポーターには違いない。
ではそういうのには参加しないけど毎試合アウェイにも駆けつけて心の中で応援してるのは違うんだろうか?週に3回は練習場に通い、シーズン前のキャンプで新しく入った選手や監督を観察し、これから始まるシーズンに向けて胸を躍らせ、シーズンチケットを買い、酒を呑めば自分のチームがどれだけ素晴らしいかを我がことのように話すのは?
俺にはわかんないや。

「そんな難しい話じゃなくてさァ、好きなチームはあるのかってことかなァ」そう言いながら言いたい事とは違っていることに自分でも気づいていた。
「そりゃ好きなチームはありますよ。クライフが初めにいた頃のアヤックスとか、サッキの頃のミランとか、日本リーグの頃の読クとか・・・あと一時期の三菱重工やサントス、ボルシアMGも好きでしたし」・・・ダメだ、ついていけない。
「そういうんじゃなくってさー、どっかひとつのチームをずーーーっと応援してるチームってないの?」「あぁ、そういうのがサポーターってことなんです?」俺は何だか気恥ずかしくなってバーテンダーにメーカーズマークのゴールド、ソーダ割りを注文した。
おっさんがいる間はエズラは頼めない。

「あのですね、サポーターって言葉は英語ですよね?」「うん、そりゃそうでしょう」「じゃあサポーターって言葉の意味は知ってますか?」
おっさんは何を言いたいんだろう?
「支えるとか援助するとか、そんな意味でしょ?」「はい、そうですよね。でも耐える、我慢するって意味もあるのは知ってましたか?」
いや、知らなかった、初めて聞いた。
「へぇ、そうなん?」「はい。まぁ単なる意訳でしょうけどね」
耐える、我慢する・・・サポーター・・・。
なんだよそれ、そんなんアリかよ。ハナからそんな意味があんのかよ・・・参ったな・・・。
「ワタシ思うに、何かを支えるにはそれ相応の犠牲が必要なんですよね。これは別にサッカーに限った話じゃありませんが」
おっさんの言葉は俺に『それであなたは何を犠牲にしていますか?』と聞いているような気がした。俺が犠牲にしてるものってなんだ?金か?時間?いや、そんなもんは犠牲じゃない、単なる対価だ。物を買う、金を払う、それだけのもんだ。失敗したら二度と買わなけりゃいい。俺にとってサッカーはそんな一時的なもんじゃないはずだ。少なくとも今までそんなつもりでサッカーを買ったことはない。
犠牲・・・。
急に酔いが回ってきたようだった。
「おっさんはサッカーのために何か犠牲にしたことあるんですか?」少しずつおっさんに甘えてるのが自分でもわかる。
「まぁ、ねぇ・・・えーと」あきらかに俺は踏み込みすぎたのだろう、おっさんは答えることなくエズラ15年をおかわりした。

その日、久しぶりにマスターのJoeさんが顔を見せた。
しばらくスペインに行っていて、白いシャツに日に焼けた顔が元から整った顔立ちを精悍に見せていた。スペイン土産の「チリモヤ」というのと「アンギラス」というのをご馳走になった。うなぎの稚魚がスペインの料理にあるなんて知らなかった。3ヶ月の滞在中、3回リーガを見てシーズンが終わったそうだ。バルサの偉大な復活。

「前に教えてもらったノウカンプの地下通路、今は入れないみたいですね」Joeさんがとなりのおっさんに話しかける。
「あぁ、そうなんですか、前は試合のない時に行けば入れてくれたんですけどね」おっさんが答える。
「なんでもどこだかのアウェイチームのサポーターが、バルセロニスタのふりをして入って火をつけてから入場を禁止したってサトシさんから聞きました」
「あぁ、サトシさんが言うならそうなんでしょうね」
サトシさん?あぁ、何年前からかスペインに住んでるって言う、歳食ったホモのじいさんのことか。今もスペインにいるんだな。
「ところでふたりはここで知り合いになったの?」Joeさんが俺とおっさんを交互に見比べながら言う。
おっさんはグラスに目をやったままなので仕方なく俺が答えるしかない。
「うん、この間初めてここでね、サッカーが詳しくて俺びっくりしちゃってさァ」そう言うとJoeさんは短く乾いた笑い声をあげ、おっさんを見た。おっさんは相変わらず黙ってグラスを撫でている。
「そっか、おまえは知らないか、そうだよなぁ、知るわけないよなァ」そう言いながら自分の素焼きのコップにビールを注いだ。
俺が何かを聞く前に「まぁいろんなことがありますよ」とおっさんが言ってグラスをあげてJoeさんと無言で乾杯をした。
何だなんだよ、この空気。俺はミソッかすか?
「でも*****もサッカー好きだもんなァ」とJoeさん。
言われた俺は頷くことも出来ず、曖昧に薄ら笑いを浮かべるしかなかった。
「でもこうしてさ、日本でも普通にサッカーやってて、TVでは海外のリーグを見られるなんてホント時代変わっちゃいましたよねぇ」とJoeさんが言うと「そうですねぇ、いずれはそうなるとは思っていましたけどこんなに早くプロリーグが出来て、ワールドカップにも出ちゃうなんて本当に驚いちゃいますよねぇ」とおっさんが答える。
何だか俺の出る幕がなさそうなんですけど。

その時6人ほどの客がやって来て、その人たちはJoeさんに会いに来たようなのでJoeさんは俺たちに挨拶をしてそっちのテーブルに行ってしまった。
去り際にカウンターを出たJoeさんはおっさんに何かを耳打ちしたようだったけどもちろん俺には聞こえなかった。
「いいなぁ、スペインかぁ」俺が意味もなくそう呟くと、おっさんが急に「サッカー見てるのって楽しいですか?」と聞いてきた。
おっさんだって唐突な時があるんじゃないか。
「うーん、自分がサポート・・・応援してるチームがへタレな試合して、それが続く時はストレス貯まりますけどねぇ、でもやっぱり楽しいですよ」
「はいはい、そうですよねぇ、楽しいですよね」おっさんはそう言って後ろのJoeさんが座ったテーブルをチラリと振り返ってから「勝っても負けても結果的に楽しいのがほとんどですけど、ただ時々気持ち良くなることがあるんですよね、サッカーって。まぁごくたまにですけど」「気持ちいい、ですか?」「はい。気持ちいい、です」
どんなふうに?と俺が聞く前におっさんが続けた。
「なんて言うかこう、スコアとか全然関係なく、ずっとこのまま興奮していたいみたいな、麻薬やったらこんな感じかなって、そんなふうに気持ちよくなっちゃうんですよね」
俺はおっさんが言うその気持ち良さを共有したことはあるんだろうか?
おっさんが気持ちいいって言うのと俺が気持ちいいって言うのとは同じ意味のものなんだろうか。
「プレイヤーは汗をかいて文字通り身を削りながら戦っています。ワタシはスタンドでそれを見ながら気持ち良くなっています。まるでオナニーですよねぇ、戦う相手が目の前にいないんですから。でもオナニーにはセックスと違った気持ち良さがありますのでそれはそれでいい気もしますし、第一やめられないでしょうオナニーを覚えたら。猿みたいなもんですよ」おっさんはその顔と似つかわしくない言葉を呟いて小さなグラスを呷ると「今日も楽しかったです、ではまた今度」と席を立ち、勘定をしてからJoeさんに軽く手を挙げて店の重いドアを開いた。

俺は何がなんだかわからなかった。
俺は今日、サッカーの話をしたんだろうか?
おっさんは楽しかったと言ったけど俺はどうなんだ?
オナニー?セックス?
なんなんだ、いったい。

サラヴォ−ンの歌声がひときわ大きく耳に飛び込んできて、俺は完全に酔っ払った。

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