2005年12月19日

敗者の君たちへ

選手の君へ。

自分達が闘って破れたのならいい。
何が足りなくて何が余分だったのか、
そして何のために勝たなければいけないのか、
闘った君にならもうわかっているだろう。
それがわかってさえいれば大丈夫、また闘える。

死ぬまで勝負に勝ちつづけられる人間などいやしない。
世界中の至るところに転がっている無数の敗戦、無数の敗者、
それらの上に勝利はあるんだ。
勝つことはもちろん大事。
そこから得られるものはたくさんあるからね。
だけど、
負けたことから学ぶべきことだってないわけじゃない。
たとえば今の君の気持ち。
不思議だろ、そんな気持ちになるなんて。
ただボールを蹴っているだけなのにそんな気持ちになるなんて。
その気持ちをよく覚えておいた方がいい。

問題は本当に君が闘っていたかっていうことなんだ。
そこのところは時間をかけてじっくり厳密に考えた方がいい。

逃げ道はいくらでもあるよ。
監督のせいにだって出来るし、
フロントのせいにだって出来る。
練習環境やもらっている金や、なんだったら天気のせいにだって出来る。
どれも無意味な言い訳に過ぎなくても、ね。

逃げたいなら逃げればいい。
自分の人生なんだ。
だけど、闘うことを自分の職業に選んで、
そこから逃げたことは絶対に消えない。
一生消えない。
それを受け入れて、そういう道を自ら選択するのなら
あとは自分の問題だ、
他人が言えることはほとんどない。

だけどもし逃げたくなくてどうしていいのかわからないのなら、
いくつかの言葉はかけてあげられる。

まずは負けたことを受け入れることだ。
それを受け入れた上でノートの真中に線を引き、
左に足りなかったこと、右に過剰だったことを書いてごらん。
誰かに見せるわけじゃないから正直に書かないと意味がない。
君にさえわかればいい。
何だっていいよ、思いつくことを全部だ。
どれだけ考えてももう出てこなくなるまで全部。

そうしたら、それをひとつづつ、
それがどんな形になって自分に起こったのか、
それで自分がどんなふうになったのか、
出来るだけリアルに思い出してごらん。
丹念に、丁寧に、時間をかけて途中でやめることなく。

もし終わってノートが真っ白だったなら、
君には闘う準備が出来ていなかったんだ。
闘う準備が出来ていないのに君は戦場に足を踏み入れた。
戦場にいるにもかかわらず闘わない人間がどうなるかは君にもわかるだろう?

死ぬんだ。
死 ぬ 。

残念ながら死者に餞の言葉をかける時間とスペースはここにはないんだ、
そのまま静かに死んでいてくれないか。

いくつかの文字を並べた君に訊こう。
左にある不足だったことは君をどう変えた?
右の過剰なことは君をどう変えた?
その答えがつまり君がこの敗戦から得たことと失ったことの正体だ。
過不足そのものじゃなく、それによって君がどう変わったのか、そのことが。

君はそれを覚えておくだけでいい。
いつでも引っ張り出せるように、ただ覚えておくだけでいいんだ。
丁寧に皺を伸ばし、小さく折りたたんでどこかにしまっておけばいい。
お気に入りのTシャツのように。
あるいは蜜蜂の巣のように。
そうしたらあとは熱い玄米茶でも啜りながら、好きな映画のDVDを観て寝てしまえばいい。

君はまた闘える。
好きなもののために、大事なもののために、
楽しく闘えるよ、心配要らない。

闘うことは本能なんかじゃない。
心と身体に染み込んだ記憶を辿ることなんだ。
そして記憶は考えることでもない。
蜜蜂の巣が何かを考えたりしないように。

心配しなくていい、あとは練習場の芝生が思い出させてくれるよ。


サポーターの君へ。

君はちょっとばかりやっかいだ。
少々時間がかかる、それは覚悟しておいて損はない。
今の君にはたくさんの感情がバウムクーヘンのように折り重なって、
名前を付けられない、喜怒哀楽の中にはないような感情のうねりが周期的に襲っているんだと思う。

簡単に言っちゃうと時間は解決してくれるよ、ほとんどのことをね。
昔の人はそれを「日薬(ひぐすり)」と名付けたんだ。
うまいこと言うよね。
だから年寄りは侮れないんだ。
でもそれは“忘れる”ってことだからね。
時間の波は都合よく苦しみだけを洗い流してはくれないんだ。
楽しかったことも笑いあったことも一緒に忘却の海に沈めてしまう。

もしそれが嫌なら牛のように何度も何度も繰り返し思い出して、
ひとつひとつ噛み締めながら味がしなくなるまで消化してしまえばいい。
牛の胃袋にだってちゃんとした意味のある機能が備わっているんだよ。

負けたのは誰?
頑張れなかったのは誰?
誰のために頑張ってるの?
そもそもどうして頑張らなくちゃいけない?
あれもこれもじゃなくて、ひとつひとつ確実に手に入れたかい?
自分と彼らの違いはいったい何?
自分は彼らのために何をしてるの?
何かしてるのは彼らのため?
スタジアムで怒鳴ったことは街中で自分ひとりの時に彼らに出会っても言えること?
何を失った?
何を手に入れた?
自分の仕事は精一杯やってるかい?
何のために応援してるの?
自分の欲望をうまいことごまかして言葉にはしていない?
それはどこに行き着くの?
君はどこに行きたいの?

あげればキリがないよ。
でもキリがなくても君はそれをやり続けなければいけない。
なぜならそれがスタジアムでの君のアイデンティティなんだから。

苦しいよ、考え続けることはとっても苦しいんだ。
これだったらサッカー選手の方がまだマシだって思えるくらい苦しくなる。
だけどね、それはまだ今君が関わっているもののほんの一部分に過ぎないんだ。
そこで逃げ出すようじゃ先は知れてる、大人しくネットで評論家ごっこでもしてればいい。
その方がきっと君には楽しめるのかも知れないんだし。

苦い果実の皮を丁寧に一枚一枚剥いていくとね、
その内苦しみの核みたいなものが現れるはずだよ。
それをそっと取り出して反芻、咀嚼してごらん?
我慢は必要だよ、耐えることはどんな時でも必要な要素なんだ。
それを幾度も咀嚼して、いつか消化できた時、
君はなぜそんなことに耐えなければいけないかの君なりの答えを見つけるはずなんだ。
きっとそれは君が今まで味わったことのない果実で、
いつでも簡単に手に入れられるものじゃないと思う。

今なんだ。
今それを味わっておかないと、今手に入しているその果実は腐ってしまって、
二度と同じものは手に入らないんだよ。
時間は君を変えてしまうしね。

ただし。
もちろん君は右手の果実を捨てて、左手に持ったビールを飲んできれいさっぱり忘れて寝てしまう権利も手にしている。
どっちを選択するかだけは君自身が決定しなければならないんだ。

昇らない太陽はないって言うけれど、
だったら沈まない太陽だってないはずだよね。
同じように止まない雨がないのなら、曇らない太陽だってないはずなんだ。
そのことをよくわかった上で、君は君自身のことを考えたらいい。
他のことを考えるのは、この敗戦について何かを語るのは、
その後でも十分間に合うよ、そうした方がいい、前に進むためには、ね。

サッカーチームを応援するのがただ楽しいからという理由で今の君がいるのなら、
いつか楽しくなくなったらすぐに君はスタンドから姿を消すよね?
応援する仲間と一緒にいるのが楽しいとスタンドにいる君が一番の理由に挙げるなら、人間関係が悪くなればすぐに君はスタンドから姿を消すよね?
サッカーは続いているにも関わらず。
スタンドにはレフェリーがいないからそれで不許可出のイエローをもらうこともない。
オーケー、それでもいい。
君は名前を持たないただの観客のひとりなんだろ?

だけど、もし君がそれをやったら、
もう二度とサッカーは君に何も与えないことを君は忘れるな。
そんな君がサッカーから得たものは喪失感だけだ。
それ以外、君がサッカーから手にしたものは何もない。
何ひとつ、だ。

雨が降ろうが、どこに沈もうが、太陽はいつだってどこかで輝いているものなんだ。





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この記事へのコメント
当たり前の事だけど、丁寧に書かれると心にシミル。
Posted by suck at 2005年12月19日 22:08
そうですか・・・。
でも自分で書いておいてこんなことを言うのもなんなんだけど、この記事は誰(どんな人)が誰(どんな人)に向かって言っているんでしょうねぇ、まったく・・・。
Posted by 作者 at 2005年12月20日 06:05
太陽の子供達に向けて・・・それが私の解釈です。
乗り越えて本質を掴んで楽しめというメッセージだと受け取りました。
Posted by 全てひっくるめてエモいからええねやん at 2005年12月30日 05:37
うーん・・・。
私は読者に恵まれているようです。
ところで「エモい」ってどういう意味なんでしょう?
「エモーション」のこと?
Posted by 作者 at 2005年12月30日 10:55
そうです。「エモーショナル」の意味で使いました。

サッカーは、勝ち負けを超えて心を揺さぶるからこそ尊いと思っていますので。
Posted by 「This is football」という言葉に込められているのは諦めではなく、サッカー at 2005年12月31日 11:08
そうですよねぇ。
何年か前にパチンコが主婦の間に蔓延していろんな事件が起きた時、どこかの研究者か誰だかが言った「パチンコをしている時には脳内に通常では見られない脳内麻薬が発生している」というような内容の新聞記事を読んだことがあります。
その時私はもちろんサッカーのことを考えました。
世界中でこれだけ多くの人たちが文字通り熱狂するスポーツはありません。ワールドカップはスポーツのみならず、世界最大のイベントですよね。
絶対「通常では見られない脳内麻薬」が発生してると思うんですが、そういうものはもう研究されているんでしょうかねぇ。
私も「勝ち負けの彼岸」を尊く思うひとりではあります。
Posted by 作者 at 2005年12月31日 12:35