2008年12月05日

小説『華麗なる没落』の示すもの

『華麗なる没落』についての詳しい説明はここでは必要ないだろう。
読めばわかる。
いつの世にあっても権力者が没落していく様は、他人にとっての娯楽に過ぎない。
そしてその権力を支えていたものの正体、垣間見える権力者の人間性、取り巻く人々の思惑…。
そんなものの葛藤が、いつでも物語の根幹を成す。
しかし『華麗なる没落』はそれらとは大きく趣が違っている。
夢と現、フィクションとノン・フィクション、過去と未来、バーチャルとノミナル、
そういったものが読んでいる者をいつのまにか“どこでもない場所”へと連れて行く。
そしてその“どこでもない場所”を読者が自覚した時、そこから普遍が始まる――。

『華麗なる没落』の作者・盛合真由(もりあい・まさよし)氏に話を聞いてみた。
盛合氏はサッカー好きで知られており、国内はもちろん、イングランド、スペイン、フランス、時にはアルゼンチンなどにも出かけ、サッカーを観て帰って来るという。
氏の世界観、ドラマツルギーにサッカーはどのようにリンクしているのだろうか?

理解における時間と空間、距離と角度
―――ずいぶんお久しぶりな気がするんですが、ちょっと痩せましたか?
「一昨年あたりに一度かなり痩せて、体がしんどい感じになったんでこりゃちょっとマズイなと。それで昨年は意識して太るっていうか、肉をつけるようにしたんです。そしたら思いっきり太ってしまって。あの時どっかで待ち合わせとかしてたらおそらく見つけられなかったと思いますよ(笑)」
―――よかった、去年待ち合わせしてなくて(笑)。それでまた痩せたわけですか。
「痩せたっていうか、締まったって言って欲しいですけどね(苦笑)」
―――ああ、そうですね、締まった感じです、ええ、そりゃ締まってますとも!
「そんな万力じゃないんですから、いいですよ、無理やり言わなくても。でもねえ、やっぱり身体的なことって間違いなく精神っていうか、心の部分に影響があるってはっきりわかりましたよ、今回」
―――ほおほお、それはまたどんなふうにでしょうか?
「まずね、太ると投げやりになりますね。いや、もしかしたら僕だけなのかも知れないですけど。間違いなく投げやりになりましたね」
―――たとえばどんなことが?
「女ですよ、女。これが一番わかりやすい(笑)」
―――投げやりになりましたか、女を! にわかには信じがたい(笑)。
「なりましたねえ。きっとね、女を金で買うような人はそうはならないと思うんですよ。僕にはそういう趣味はないですから一気に投げやりになりましたね。投げやりっていうか、勝負できないなって」
―――ああ、なるほど、端から諦めちゃうわけですね?
「ええ、つまり自信をなくすってことなんでしょうね。それと同時に『こんなんなっちゃってて勝負しちゃあかんやろ』って気持ちになっちゃう」
―――なんでそこだけ急に関西弁なんですか(笑)。ああ、でもなんとなくわかる気はしますね。
「なんというか“自分のあるべき姿”というものをどこかで規定しちゃってたからなんでしょうね。それを大きく逸脱した自分がどこかで許せないみたいなね」
―――マラドーナも同じ気持ちになりましたかね? 投げやりになったかしら?
「マラドーナの場合は身体性のほかにいくらでも自分を保てるものがあるだろうからそうはならなかったんじゃないですか」
―――でも彼ほど身体性というものを無意識にでも感じ取っていた人間はそうはいない気もしますけどね。一時(いっとき)のあの体はいくらなんでも……。
「どうなんでしょうねえ、体だけのことを言うならマラドーナくらいの体はザラにあると思いますよ。むしろ体をコントロールする精神性っていうか、脳の反応が優れていたんだと僕は思いますけど」
―――そう言われればそうでしょうね。ところで今でもサッカーはよくご覧になっているんですか?
「観てますよ、海外にはほとんど行かなくなっちゃいましたけどね。Jリーグっていうか、日本のサッカーが面白いですね、今は」
―――これはちょっと意外な気もします。海外と比べてどんなところが面白いですか?
「いやいや、比べたりなんかしませんよ。どっちもそれぞれに面白いところはありますから。試合によっても全然違ってきますし。ただやっぱり細かいところなんかは僕が日本人だからでしょうけど、気持ちにしっくりくるっていうかね。海外の一流プレイヤーなんかだと、それこそ『凄いものを見せてもらった、ありがたやありがたや』みたいなのってどっかにありません? それはそれで世界のびっくり人間とか超人を観てるっていう部分で驚きと面白さは当然あるわけですよ。だけど、そこから一歩も二歩も踏み込んではなかなか理解できないわけです。それがどうにももどかしい」
―――それはつまりプレイの理解っていうことにおいて?
「ですね。プレイにはそれがどんなプレイであったとしても、それを成り立たせているものが必ずあるわでしょ? さっきのディエゴじゃないけど、仮に本人が意識してなかったとしてもさ。彼には彼の環境や彼の時間があったからこそディエゴ・マラドーナたりえたわけで。そういう意味ではやっぱり日本人の僕には理解にどうしても限度を感じざるをえない場面が往々にして出てくるわけですよ、海外のサッカーって。好きなんですよ、海外サッカーが嫌いになったとかそういうんじゃなくてね」
―――ええ、わかりますわかります。でも思うんですけどね、理解に正解ってあります?
「さて、そこなんですわ(笑)。ずいぶん前に一度『理解は誤解で成り立ってる』って話をしたことあるの覚えてます?」
―――ええ、もちろん。あの時はサッカーの話じゃなかったですけどね。
「確かにサッカーの話じゃなかったですね。人間一般、つまり普遍としての人間の話でした。でもそれってきっと同じことなんじゃないかと最近思うんですね」
―――というと?
「つまりさ、サッカー的思考ってありえないんじゃないかと思い始めてるんです。プロサッカー選手がグランドに出て審判の笛を聞いた瞬間からサッカー的思考になるってありえないでしょ? それはあくまで普段の、もっと言えばその選手がこれまでに過ごしてきた環境の中で培ってきた人間性の一部でしかありえない。簡単に言っちゃえばその人が置かれた時間と空間の産物でしかありえないと。つまりそれって僕らと何も変わらないわけですよね、意味としては。そうするとね、やっぱり誤解という理解しか成り立っていないんじゃないかと思うわけですよ。もちろんそのことのいい・悪いは別にしてね」
―――そうするとプレイしている選手同士はもちろん、選手と監督なんかもそうだし、スタンドで観ている観客なんかはもっとその誤解の誤差は広がることになりますね?
「いや、それはどうでしょ。誤解というのが理解する上で生じる彼我の誤差のことだとして、だけどたとえば僕が思っていることだけが僕の『本当』だとは限らないんじゃないかって思うんですよ。もしかしたら僕なんかよりもっと『本当の僕』の考えや思いを表現できる人がいるかもしれない。いや、きっといるんですよ、そういう人って」
―――なるほどねえ。詳しいことは忘れましたが、その昔、小林秀雄に対して「僕より僕をよく知っている」というようなことを言った作家だか何だかがいたと思うんですが、そんなようなことですかね? 落語家にとってのアンツルみたいな…。
「アンツルは違うでしょ、一緒にしちゃ小林秀雄がかわいそうだ(笑)。それでね、小林秀雄みたいな人ってきっと今でもいると思うんですよ、小林秀雄的な生き方をしてないから出会えないだけでね。そう思いません?」
―――う〜〜ん、どうなんだろ、ちょっと難しい気もするけどいるのかもしれませんねえ。ただそれってあまりにもそうであって欲しいという願望が先に立ち過ぎているような気もします。私が出会えなければ私にとっての小林秀雄はいないことと同じですしね。
「想像力っていうのはただ想像してみるだけじゃ成り立ちませんよね。想像するには基となるリアルが絶対に必要になる。それは別にサッカーじゃなくていいわけです。サッカーじゃないことをサッカーに置き換える、そこに想像力が必要になるわけで」
―――そうですね、それはよくわかる。ただ、その部分の想像力が相手に伝わるかというとそれはかなり怪しいんじゃないかと。だから誤差が生じるんじゃない?
「あのね、角度ってあるじゃないですか、角度」
―――角度って、分度器で測るあの角度?
「そうですそうです、その角度。でね、角度ってどこまでいっても変わらないじゃないですか。たとえば分度器の先っちょの部分は距離にすればほんの数ミリですよね。だけど、その距離はどんどん無限大に広げられるわけで、その無限大であっても無限に角度は同じなわけですよ」
―――ああ、なるほどね。たとえば45度の角の部分は距離にしたら数ミリで、その反対側は無限にどこまでも辺と辺の距離は広がるけれどもその角度は45度である、と。
「そういうことです。距離は変わっても角度は変わらない」
―――それでその距離と角度がどうかかわってくるんでしょうか?
「つまりですね、C.ロナウドと僕はすごい距離があるわけですよ。すごくそれを感じる。あ、ここは別に笑うとこじゃないですからね(笑)。理解しあうっていうか、まあ僕が一方的に彼を理解しようとするととてつもない距離を感じるわけです。それは何もサッカー的なこととは限らない、距離を引き離しているものがってことですけど。むしろサッカー的じゃないものが邪魔をしてロナウドのサッカーに対する理解を拒まれるというかね」
―――はいはい、わかります。
「でもね、これがたとえば大久保だとどうだろうかというと、それほどの距離は感じないわけですよ。久保だとちょっと自信ないですけどね(笑)」
―――いや、でもいくら距離が離れても角度は変わらないと言ってるわけですよね?
「いや、その角度が違うってことですよ、ロナウドとは」
―――うーん、それじゃその角度がさっき言った時間や空間ということになる?
「そうですそうです、そういうことです。僕はロナウドとは時間や空間においてあまりにも具体的にその内容が違い過ぎる。しかもその違いが何かすらわかりえていないわけで。そうなると、そもそも角度という視座が違うわけだから距離は無駄に開く一方なわけですよ」
―――いや、サッカーという視座が角度を同一にはしませんか?
「しないですね。サッカーの試合っていうのは現象ですから、その現象を引き起こしているものが何なのか僕にリアリティを持ってわからないかぎり、同一の視座にはなりにくいです。絶対不可能とは言いませんけど、かなりの部分で難しい。さっきも言いましたけど、びっくり人間っていう意味ではすごく楽しめるんですけどね」

サッカーだけじゃない教育と、2丁目のオカマと
―――だけど大久保だと同一の視座は確保できると。だからそれがたとえ誤解であったとしても理解はできると。そういうことですか?
「そうですね。もちろん大久保だって僕とは全然違う生き方をしてきたでしょう。でもさ、幼稚園行って小学校行って、中学校行ってって、同じじゃないですか。プロになるまではサッカーをしている時間よりはサッカーをしていない時間の方が圧倒的に多いわけでしょ。学校の先生に納得いかないデコピンされたり、思春期に急に照れ臭くなって近所の人に挨拶できない時がきたりさ。給食で嫌いなものを隣の奴の食器にこっそり入れたり。大部分は同じ文化、たいして違わない環境で育っていると思うんだよね。でね、よく日本のサッカーはどうするべきか、どうあるべきかって話になるじゃないですか。決定力がない、とかね。決定力なんてあるわけないんですよ、いくら急にシュート練習したって、普段の生活が決定力を欠いてるんですから。だってそうだよね、子供の頃から人と違うことをしたら『恥ずかしいからやめなさい』と言われて育って、学校に入ると『学生は学生らしく』とか言われてね、それが当然のこととして通る社会で育ってるわけですよ。『男の子らしくしなさい』とかね。とにかく人と違う人間にならないように育てられてきているわけですよ。そうやって育った人間がサッカーだからといって急に人と違う意識を持って決定力が上がるわけないじゃないですか。そうは思いません?」
―――確かにサッカーっていうよりは家庭や学校の広い意味での教育は大きく影響してるでしょうねえ。でもそうなると教育を変えないかぎり、いつまで経っても決定力は上がらないということになりますか?
「決定力がって限定したものじゃなく、日本のサッカーそのものは変わりようがないでしょうね。サッカーにおいて優れた指導者が重要なのはわかりますが、それだけじゃ足りないですよ。サッカーだけじゃない指導者、つまり学校の先生やら親が変わらないかぎりね。僕はそう思うなあ」
―――つまり極端に言うと、新宿の2丁目あたりにいるオカマなんかが増えないと決定力は上がらないということですか?(笑)
「あはは。それはそれで別な問題が出てきそうですけどね」

『華麗なる没落』の世界観とは?
―――ところで著作『華麗なる没落』ですけど、あれは盛合さんのサッカー観というか、日本のサッカー界が現在置かれている状況をかなり反映したものですよね? 穿ち過ぎでしょうか?
「いや、まったくおっしゃる通りです。ただねえ、日本の文学界というか、あ、ここカタカナにしといて下さいね、日本のブンガク界(笑)。スポーツ駄目な人が多いからそこに気づく人ってほとんど皆無なんですけどね、編集者含めて」
―――なるほど、やっぱりブンガクとスポーツはかなり乖離してるものですか?
「ブンガクとスポーツは乖離してないんでしょうけど、人がね。どこかスポーツを馬鹿にしてるっていうか、下に見ている人が圧倒的に多い気はしますね。まあスポーツ側も逆にそうなんでしょうけど。僕は僕の書いているものが文学だろうが娯楽だろうがどうだっていいんですよ。読み物、小説ではあるんでしょうけどね。それ以外は流通させる側が単に分類に必要だからカテゴライズしているだけだと思っていますから」
―――ああ、それは音楽でも映画でも同じかもしれませんね。ところで『華麗なる没落』の主人公・橘惣吉郎は川淵三郎ですよね? サッカー界をちょっとでも知ってる人間ならすぐにそう感じると思うんですが。
「そうです、間違いなく川淵三郎を骨格にはしています。だけど川淵ってだけじゃないですよ。釜本さんの部分もありますし、亡くなった長沼健さんの部分もあります。あれ書いたのは犬飼さんが会長になる前ですけど、当時浦和の社長だった犬飼さんの部分も入っていますしね。要するにサッカー界でそれなりの権力を持っている人を総合的にイメージ化したっていうことになりますかね。でもやっぱり一番大きい部分は川淵さんということになるでしょうね。あの人ってある角度から見れば、こんな魅力的な人間はいないってくらい魅力的ですから。ちょっとわかりやす過ぎるというのが難点ですけど(笑)。だからそこは他の人のキャラクターで補わざるをえなかったと、そういうことです。人間的深みを出すためにね」
―――あはは、なるほど、そう言われるととてもよくわかります。橘がお付きの運転手を帰して、初雪の降る中、表参道を歩いていく場面なんか、川淵さんじゃないですよね。川淵さんなんかだとあの場面で絶対にあんな反省なんかしない(笑)。
「まあ、それはしないですよね、川淵さんならね(笑)」
―――読んで思ったのは、どうして盛合さんにあの作品が必要だったんだろうということです。必要だったんですよね、きっと?
「はい、それは必要だったですね、かなり切実にね」
―――切実に? 
「はい。なんというか、僕は今まで圧倒的権力者になったことがないので、無意識に初めからそういう内実は書けないというか、書かないというおかしな基準みたいなものを作り上げていた気がするんです。でもそれじゃたとえばサラリーマンだとか花屋だとか、別になんでもいいんですけど、僕がやったことのない職業は書けないということになってしまう。書けないはずがないんですよ、さっきの角度の話と同じで」
―――ああ、なるほど、繋がっているんですね。
「そりゃ繋がっていますよ、世界は僕の中で全部繋がっている(笑)」
―――あれは橘の視点から書かれていますけど、そういう意味では盛合さんとしては橘を書き切ったという感じはあるんでしょうか?
「橘を書き切ったか……うーん、それはちょっと難しい質問だなあ。ただね、あれ初めは一人称で書き始めてるんですよ。一人称でずっと書き進めていて、あるところでピタッと筆が止まってしまったんです、まあPCですけど。それから先が一行も書けなくなっちゃった。それで今までのは全部捨てて、三人称で改めて書き始めたのがあの作品なんです。三人称でありながら橘の視座を確保するっていうテクニカルな部分を解決できたらあとは割とすんなり進みましたね」
―――できあがった原稿を一番最初に読んだ人は誰ですか?
「それは……ここでは企業秘密ということにしといてもらえます?(笑)」
―――誰かサッカー界に詳しい人には読んでもらっているんでしょうか?
「ああ、それはないですね、その役割は僕ができますから。それよりもむしろ地方協会の人の心情だとか、そういう部分についての方が難しかったです。設定は嘘でもそういう部分で嘘を書いちゃうと全部が嘘になっちゃって作品になりませんからね」
―――ああ、あの地方協会を回ってる時のやり取りはめちゃくちゃ面白いですよね。あそこに綺麗事は一切書かれてなくて、どれも笑っちゃうくらい切実で。
「そう感じてもらえるのは嬉しいですね。本当はね、実際に川淵さんだとか犬飼さんだとかが地方協会を回るじゃないですか、それに密着したってあんな感じにはならないと思うんですよ。もっとわかりやすい構造になっているでしょうからね。でもそれでいいのかって言ったら僕の中の世界観が許してくれない(笑)。だから実際に地方協会の人や地方で長くサッカーを教えている人なんかを取材させてもらいました。取材といっても一緒に酒を酌み交わすのがメインなんですけど。そうじゃないと警戒してあまりしゃべってくれないんですよね、田舎の人って都会から来た人に構えるところがありますから。その代り一緒に酒飲んで一回打ち解けちゃえば何でもしゃべってくれる(笑)」
―――そういう形式的ではない、血の通ったエピソードがたくさんあって、それを何とかかわそうとする橘がいてっていう、段々と心理的立場が逆転していく様子が本当に面白かった。「それじゃあウチの子を全員日本代表に選んでくれ! 俺が監督やるから!」って(笑)。
「あはは、あれね、ある地方の指導者が本当に言ったんですよ、僕と川淵さんのことを話してる時にね。『だったら川淵さんはウチの子達を全員代表に選んでくれるのか!』って」
―――だからあれだけ切実な叫びになってる、と。あと、実際にはないナショナル・メンタルトレーニングセンター、通称メントレセンの山田部長が登場します。あの人のキャラクターは際立っていますよね。
「あれ、実際のモデルがいるんです。女性ですけどね」
―――えっ! 女性ですか!?
「ええ、トレーニングの内容は別ですけど、人間的にはかなり忠実に描写できてると思いますよ」
―――なんか怖いですね、あまりお近づきにはなりたくないような……(笑)。
「実際怖いです、僕も(笑)。素敵な方ですけどね。その人が言うには、人の心も身体と同じように分類・細分化できるそうです。体だと血液やらそれに含まれている成分やら、筋肉の質や部位、脂肪のパーセンテージ、内臓の働き、いろいろ分析されていて、どのスポーツにはどういう筋肉が必要だとかかなり科学的に研究されていますよね。心も同じだって言うんです。海外には似たような部署っていうか、専門の分野がちゃんとフォローしているところがあったりするんですよね、オフィシャルでも民間でも。日本でもクラブ単位ではスポット的ではあるにしても取り入れてるところもあるようですけど。東海大学にその分野の専門家の先生がいらっしゃって、いろいろ教えていただきましたが、聞いてると面白いですよ」
―――代表の常連選手を集めて窓ガラスを引っ掻く場面があるじゃないですか。あれは読んでるこっちまで鳥肌が立ちました。
「ああいうことってのは誰でも経験があるでしょうから反応はあまり変わりませんよね、一流のアスリートだろうが、その辺の子供だろうが。でもその後“飛び込み”のトレーニングが出てきますけど、ああいうことになるとみんなそれぞれで思い描くことが変わってきますよね。自分で発想すること、つまりクリエイトすることってそういうことだと思うんです。つまりさっき話した時間と空間の違いです」
―――はいはい、確かにそうですね。それにしてもあの“精神的飛び込み”の場面はなんか苦しくなりますね、うまく言い表すのが難しいんですが。
「それはそうだと思いますよ。クリエイトすること、しかもそれに正解がないこと……と言うよりはどれも正解なわけですが、それを次から次へと連鎖させて見えない世界を具体的に形作っていくことはかなり苦しい作業だと思います。心の迷路をひとつひとつ探って明確にしていかなくちゃなりませんし、それを実際に他人に伝えていかなきゃならない。そりゃ苦しいでしょう。でも、僕らの仕事もそうだけど、サッカー選手もやってることは同じですよね。意識していないだけで」
―――ああ、なるほどねえ、確かにそうかもしれませんね。ああいったメンタルトレーニングっていうのは実際にあるんですか?
「あるみたいですね。ただあそこに書いてあるのは全部僕が考えたものですけどね」
―――今すぐ代表に合流して下さい(笑)。
「呼ばれたら考えないでもない(笑)」
―――ナショナル・トレセンは実際にあるものですよね?
「ええ、西が丘に立派な建物があります。水泳の北島康介だとか、柔道の野村だとか、日本のアスリートがうじゃうじゃいるところです。そう言えばついこの間、卓球の愛ちゃんとテニスの錦織選手が原宿駅で何やらやったあとに向かった先がそこでしたね。野球の何とかって選手とアナウンサーだかが向かう先とはやっぱりちょっと違う(笑)」

現実の日本サッカー界における川淵三郎
―――ちょっとどころかかなり違う気もしますが、ところで盛合さんは今のサッカー界についてはどう思っていますか? 川淵さんがとうとう会長を退いて犬飼さんが後任になりましたけど。川淵さんについて何か思うところはあります?
「川淵さんて人は子供の頃は野球をやっていて、その頃からずっと役者志望だったわけですよね。かなりの年齢までその気持ちはあったようですよ。フリューゲルス消滅の時や『オシムって言っちゃったね』の時のことを考えれば案外いい役者になれたのかもしれません。もしかしたらその役者ぶりを一番評価していたのは長沼さんなんじゃないでしょうか。もちろん逆説的な意味で、ってことですが。なにしろやんごとなきお方や一国の総理大臣経験者まで味方につけてしまうくらいですからね。長沼さんはそれを目の当たりにしていたわけですから、はらわた煮え繰り返っていたでしょうね」
―――うーーーーん……。
「金を持ってきましたよね、サッカー界に。そのおかげで日本のサッカーは急速に発展した。ドーハの頃のサッカーを今見ると信じられないくらい進歩しているのが如実にわかります。やっぱり金の力って凄いわけですよ。一方で、その弊害も当然あるわけで、カレンダーのことや強化試合って名目の親善試合を組まざるをえなかったり。大事なのは金と強化・普及のバランスですよね。ビジネスの論理だけが先に立っちゃいけないわけで、でも川淵さんがやったことはそういうことですよね。知ってます? クラブがJリーグに加盟するとすぐに博報堂が作成したマーケティング用語一覧が配られるんですよ。クラブの人間はそれをありがたく押しいただくと。すごいですよ、博報堂。ある部会では会議の間中、ずっとケータイをいじくってたりね。それで急に立ち上がって部屋を出て行ったりする。まわりはなんにも言わない。偉いんですよ、博報堂。さすがですよね、博報堂。それで獲ってきた放送権はスカパーですからね、いい商売です。広告代理店って言葉変えたら口入れ屋ですよ? すごい時代ですわねえ。だけど考えてみるまでもなく、そもそもサッカーそのものが独占スポーツだからビジネスはやりやすいっていうか、ビジネスの入る余地を構造的に作り出しているわけですよ」
―――それはどういうことでしょう?
「いや、サッカーっていうのはFIFAを頂点とした独占スポーツなわけじゃないですか。構造的にそうなっている。なっているっていうか、そうしたんでしょうけれど。たとえば日本にもいろんなところに少年サッカー団があります。これね、日本協会がその気になればいくらでもビジネスにできるんです。今だって現場が『上納金』と揶揄している会費を納めているんですが、もっといくらでも金を作り出すことはできる。川淵さんは結果としてJリーグと代表を通じてサッカー界に金を集めた。実際に誰が汗を流したのかは別としてね。それでよく最後まで尻尾を掴ませなかったなと。そこは感心しますね。別に偉いなんて思わないし、むしろ軽蔑する部分が多々ありますけれど、それでも最初に言った通り、ある角度からみればかなり魅力的ではあるな、と」
―――尻尾を掴ませなかったというのは?
「これは川淵さんのことをいうわけじゃないんでそこは勘違いして欲しくないんですけど、自分の所属している団体に金を集められる人間というのは、自分にも金を集められるんですよ。また、それを当然だとも思っている。それで自分に集めた金は一円だって手放したくなくなる。蓄財するわけですね。それで何をやるか? 脱税ですよ。よく捕まるじゃないですか、どっかの偉い人達が。僕は以前脱税で捕まって釈放になったある著名な方に話を聞いたことがあるんですが、脱税で捕まったことを反省というか、かなり後悔していました。でもね、それって捕まったことを後悔してるんであって、脱税そのものを後悔してるわけじゃないんですよ。むしろ、脱税するのは当然で、どうすれば見つからないかをちゃんと考えなきゃって言ってました。冗談じゃないんですよ、これ」
―――うーーーーん……。
「川淵さんて誰かに似てると思ったことありません? 顔がじゃなくて、存在というか、やり方がってことですけど」
―――ちょっと思いつかないですけど。
「元総理大臣の森喜朗に似てるとは思いませんか?」
―――森さん自体が総理としてあまり印象にないんですけど……。
「あはは、確かにそうですね、短命政権に終わりましたからね。でも失言総理と揶揄されるくらい失言が多かったり、しまいには総理の資質に欠けるとまで言われたりしたことや、消費税内閣(支持率が5%)と言われたところなんかがとても似ていると僕なんかは思うんですけどね」
―――確かに川淵さんが退任する頃に支持率調査みたいなものがあればかなり低かったでしょうね。
「それにね、森さんは政治家だから政治的手法を使うのは当然としても、川淵さんだってかなり政治的手法を使っていたようですよ。その手本は森喜朗だとも言われています。事実、川淵さんと森さんはお互いケータイで直接連絡を取り合うくらいツーカーだという話もあります。これは別に不思議でもなんでもなくて、川淵さんって1936年12月3日の生まれなんですが、あ、だから本の発売日をそれに合わせたっていうのは編集部の思いつきですけどね、それで森さんは1937年7月14日の生まれ。川淵さんは二浪して早稲田の第二商学部に入学してア式蹴球部に入っています。一方の森さんは浪人することなく、スポーツ推薦で同じく早稲田の第二商学部に入学してラグビー部に入っています。つまり、同じ大学で体育会に在籍する先輩後輩の仲なんですね。年齢は川淵さんがひとつだけ上だけど、大学では森さんが先輩。ちなみに早稲田ア式蹴球部の同窓会会長はJリーグチェアマンの鬼武さんです。でね、あれだけ華々しくJリーグが始まり、代表人気が高まれば、どちらともなくお互いにメリットを考えて近づくのは全く不思議じゃないし、出自を考えればむしろ近づかない方が不自然だとすら思えます。森さんは体協の会長ですしね。そりゃ嫌でも似て当然なのかもしれません。それでね、元総理大臣の森さんに川淵さんがメリットを感じるのはわかるんですが、逆はどうなんだって考えると、そこは金を集めた川淵さんなわけですよ……」
―――ちょっと待って下さい、盛合さん。これって公開されるんですよ? 大丈夫ですか?
「ああ、そうでしたね、すっかり忘れてました(笑)。さっきも言いましたけど、別にこれは川淵さんのことを言っているわけじゃなくて、金と政治の関係を一般的に言ってるだけですから。キャプテンなんてさわやかな公式愛称を持つ……公式愛称ですよ?(笑)そんなさわやかサブちゃんが裏金を作って政治献金なんてことをするわけがありません。これは声を大にして言いたい。決して川淵三郎は裏金で政治献金などしていません!」
――― ………。えーーーと、そろそろこの辺でやめましょうか。参ったなぁもう。
「いやいや、別に参ることないじゃないですか。僕は本気で言ってますよ? 川淵さんがそんなことをするわけがない。天下のナベツネと真正面から渡り合った人物ですよ? そんな汚いことなんか金輪際するわけないじゃないですか!」
―――と言いながら顔は笑ってるし……。さすがに『華麗なる没落』の作者だけあるって感じですね。
「でもあの小説って最後は主人公が笑って死んでいくんですよね」
―――ああ、確かに。あれってどういう意味の笑いかよくわからなかったんですよ、実を言うと。ただ、なんていうか、すごい不条理で不気味な印象が強い。
「人それぞれで全然捉え方が違うんじゃないですか? 人の心に正解なんてありませんからね。と言いますか、どれも正解なわけですから。サッカーと同じですよ。それしか僕には言うことがないなあ」
―――うーーーん、今日はずいぶんいろいろと考えさせられました。長くなりましたので、本当にこの辺にしておきましょう。また機会があれば是非お願いします。
「いいですよ、なんならこの後、場所を変えてアルコール入りで続きをやりましょうか?(笑)」
―――それだと読む人がいない(笑)。
「いいじゃないですか別に。どうせこんな話、誰も読む人なんかいやしませんって」
―――最後にそれですか(苦笑)。あ、一応本の宣伝としてアマゾンのURLを貼って締めましょう。\1,365の小説です。面白さは私が保証します。読み始めたら本を閉じられなくなります。サッカー好きに限らず、小説好きな人、活字好きな人、そして何より川淵三郎好きな人は是非ご一読を!



『華麗なる没落』 盛合真由(もりあい・まさよし)・著 2008年12月3日発行 \1,365
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 何卒ご了承下さい。



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この記事へのコメント
リンク先で爆笑!!
Posted by 来年絶対昇格 at 2008年12月05日 16:14
同じくワラタ(^Q^)/
Posted by ・ at 2008年12月05日 19:05
>このblogはバーチャルでフィクショナルなパーツにより構成されている。

なるほどフィクションなんですね、わかります。
Posted by みずし at 2008年12月05日 19:25