フェミニストカウンセリング堺 スタッフ日記

大阪府堺市にある「フェミニストカウンセリング堺」のスタッフが持ち回りで書く日記です。

「京都ぎらい」

 井上章一著『京都ぎらい』、タイトルを見て読んでみたいと思っていたが、ベストセラーになっていると聞いて驚いた。もちろん買っている人がみな京都ぎらいかどうかはさだかではないが、このタイトルに触発された人は多いということだろう。

この本は、京都のいやらしさをズバリと言い表してくれている。著者は嵯峨に生まれ育ち、洛内の人たちからは、洛外と扱われ、京都人ではないと言われた話が登場する。

 私自身は京都府の北部、丹波の出身なので、京都人などと一度たりとも思ったことはない。まったくのよそ者である。ただ祖母が京都の洛内の出身で、遠い親戚筋にあたる祖父に大正時代にとついできたときの「こんな田舎に来るなんて、さびして、嫌で嫌で…」という話は何度も何度も聞かされた。田舎に来ても京都人である彼女の気位は高く、言葉を変えることはなく、娘を京都洛内に結婚させ、京都に凱旋を果たした。晩年事業にある程度成功し、悠々自適の暮らしができるようになった祖父母は、月1回程度京都に出かけて娘の家を訪問し、京都のデパートで買物をすることを楽しみにしていた。その祖父母に連れられ、田舎育ちの私は洛内の京都人とたびたび遭遇することになる。

 丹波出身のはずの伯母だが、言葉をすっかり変えて京都弁を使うようになり、いとこたちはネイティブの京都弁が使えるので、私は話すたびに引け目を感じていた。真似して話すこともできたが、「あなたは京都の人やないでしょ!」と言われそうで、とてもじゃないけど使えないし、自分の地元の言葉を使うことも嫌になっていた。

 祖母の実家は洛内にあり、当時は建具屋で、大きな家を構え、そこに行くのはもっと気が重かった。私より年下の女の子がいて親切に遊んだり、ピアノを私に教えてくれるのだが、田舎者と言われているようで、子ども心にも楽しくなかった。もちろん相手方に悪意はない。京都人としての誇りがそうさせたのだと思う。

 その後、私は公務員試験を受けたが、その時おじは京都市で公務員をしていたので、「京都受けたんか?」と聞いて来た。「ええ。京都ですけど。」と私が答えると、「エッ?京都やないんか!」と驚いた。「うちは京都ですから…。」と私は答えたが、そのくらい京都といえば京都市なのである。京都府なんて、想定外も想定外、彼らにとってはありえない話なのである。

 そんなこんなで言い出せばきりがないが、こういうことをほかの人に言ってもわかってもらえない。それがわかってもらえてうれしい気持ちになったが、嵯峨生まれの著者が亀岡出身の人に「結構お近くだったんですね」と言われた、というくだりでは、嵯峨と亀岡(京都市内ではないが嵯峨と隣接している)を一緒にしてほしくないという思いが赤裸々に語られており、“やっぱりあんたも一緒か…と正直がっくりした。ただそこを正直に認めているところはいいとしよう。

以上のようないろいろな思いがあり、私は京都の大学は避けて、遠方の大学に進学した。そして出身を聞かれるたびに「京都出身です。」と答えるのだが、「いいな〜京都!!」と返される。すぐさま「京都でなくて、京都!!日本海に近い方!」と言うが、何度繰り返してもわかってもらえなくて、めんどくさい。

 でもそういうのって、大阪とかほかの土地ではそんなにないように思うのだが、どうなのだろうか。

京都人特有のいけずを小気味よく包み隠さず書いてくれた『京都ぎらい』に、私のように賛同する人は案外多いのかもしれない。誰にも言えなかった京都の愚痴をつらつらと語ってみました。

MU〜)

─ミス・パープルより愛をこめて─

「気まぐれ事務所日誌」のパープルから久しぶりのお便りです。

 今トリイ・ヘイデンの「ひまわりの森」(早川書房 1999)を読んでいる。トリイ・ヘイデンは、アメリカの児童心理学者で、情緒障害児教室や医療機関での児童との交流を綴った「シーラという子」等のノンフィクションや「機械じかけの猫」等の小説の著者でもある。作品が発表されたのは1980年〜2005年で、かなり以前のことだが、私自身がそれらにめぐれ会ったのは、ごく最近である。読み始めると、その面白さに夢中になり、ノンフィクション8冊は既に読み終え、今度は小説の方に手を伸ばしたという次第。

 この小説の主人公マーラはハンガリー人で、第2次世界大戦の時にたまたまドイツの大学生だったが為に、ナチスに幽閉され、彼らの性的欲望の犠牲となり、子どもまで産まなければならなかった。その後強制収容所に送られ、かろうじて生き残ることはできたが、過去のトラウマをぬぐい去ることができず、悲劇的な最後を遂げる。このように、ナチスの犯した残虐行為の対象は、ユダヤ人に限られず、同じヨーロッパ人に対してもその被害は及んでいるのである。

 しかし決してナチスだけが残虐だったわけではない。歴史は語っている。かつて日本政府がハンセン氏病の患者さんたちに対して行った隔離政策や、戦争という大義名分のもとに多くの人間を戦場に送り、敵国に対し行った行為の中にもそれは見られる。集団の魔力は人を負の方向に走らせることがあり、一つ間違えば人間は幾らでも残酷になれる存在なのだ。だからこそ「戦争」のほうには一歩も近づいてはならないと私は思う。今の日本は果たして大丈夫なのだろうか?

今だからこそ少し真剣に、平和について、人間について、社会について、みんなで考えてみませんか?

「語り合う公開講座 フェミトーク+」2回目はそのチャンスです!

日時は6/26(日)13:00からのスタートです。詳しくは講座案内をご覧下さい。

                              <ミス・パープル>

自己主張トレーニング 最終回 コミュニケーションカードより

自己主張トレーニング 最終回

2月からスタートした自己主張トレーニングも、
5月23日に最終回をむかえました。
受講生のみなさんが書いてくれたコミュニケーションカードを
アップします。
(ブログ、ホームページの公開に○をつけてくれたものです)

☆全8回、充実した時間を過ごさせて頂きました。ありがとうございました。もっと、もっと自分を高めたいという思いが強くなり、生きる課題ができた事、うれしく思います。加藤先生、中川先生、☆ありがとうございました☆感謝!

 

☆自己主張トレーニングに参加できて良かったです。ロールプレイで進めていくやり方でした。はじめは、ロールプレイは苦手やなあーと逃げたかったのですが、実際にやってみて良かったです。

 

☆年が20才はなれていると、いつも年下に頼られてた、、、 しんどいです。大人もいっしょなんだなあと、思いました。可能な限り、関係が固定しない状態でいるためには、普段、どうすればいいのかなと思いました。

怒っていてもいいんだと思えるようになって、交渉事などのストレスが減りました。

虐待の通報で緊急時なのに、「落ち着いて」と言われたので、「落ち着けません」と言いました。こういうと前なら、頭が痛くなったりしたけど、脱力感ですみました。

 

☆非主張的な人は相手と自分の区別がつかない人。この定義は、またまた新しい発見でした。本当にその通りで、それは甘えの一種のような気がします。自分にも思い当たるところが多々あります。

おかげ様でこのシリーズのわずかな期間で、自分の言い方、態度に変化が起きはじめて、大変うれしく思っています。この上昇気流に乗って、これからも自己トレーニングをしていきます。本当にありがとうございました。又、是非よろしくお願い致します。

 

☆毎回、とても充実した内容に、本当に勉強になりました。あとにため込まない為にも、なるべく早く、適切な主張が出来るように、とにかく練習していこうと思います。なかなか、他では出せない自分の本音の思いを、この場で、皆さんに聞いて頂き、先生の的を射た助言を聞かせて頂き、とてもスッキリしました。お世話になりまして有難うございました。

 

8回講座、とても学びになりました。本を読むだけでは得られない様々な方法や、考え方を知る事が出来たので、生活の中で、どんどん使っていきたいと思います。本当に有難うございました。

 


 

みなさん、ありがとうございました。加藤・中川

さくらんぼの木

 我が家の庭にはさくらんぼの木があります。植えてから24~5年になります。当時幼稚園児だった娘が、生協のパンフレットに「さくらんぼの木の苗」と書かれているのを発見し、「買って!」とせがまれて購入しました。本当にさくらんぼが実るのか?半信半疑ながら庭の隅に植えました。特に肥料や手入れをするでもなく、ただそこにありました。そして10年ちょっと前くらいから、小さい小さい実が生るようになりました。でも小さいし、酸っぱいし、なのにすぐに鳥たちが食べてなくなってしまう・・・。ずっとずっとそんな状態でした。

 ところが今年は、5月初めに気がつくと、かなり実が大きくなっているではありませんか!その上たくさん生っている!一番紅そうなのを口にいれると、甘いとまではいかないけれど酸っぱくはない♪そこで翌日単身赴任先から帰宅した夫に出してみると、「これは酸っぱくて食べられない」と・・・。今まででは一番甘いんだけどなあと思いながらも、もうしばらく置いておけばもしかするともっと大きくもっと甘くなるかもと期待をし、いざ1週間後に木を見ると、なんと実は一粒も無い!木の下にも食べかけの実さえも落ちていない!落ちているのは種だけでした・・・。鳥さんたちにすっかり食べ尽くされていました・・・。

 そこで来年こそはしっかり毎日チェックしようと心に決めました。そしていつか、より大きく甘くなったら、堺の事務所にも持っていきますね〜!

 ちなみに「さくらんぼの木」というものは無く、バラ科の桜桃(おうとう)という木の実で、西洋実桜というそうです。

                              〜りく〜

いつかは死ぬ …… 生き方は?!

多感な思春期に、色々考え『人間はいつか死ぬ』と納得した。

絶対、いつかは死ぬのなら、楽しく生きたいと思い、自分なりに楽しく生きる努力?をした。

しかし、中年期後半いや初老になり、まさか!に遭遇している。

夫は、「なんぼ健康に注意しても、あんたはオッチョコちょいやから事故に遭い死ぬわ」と笑いながら言っていたが、実際になった。

交通事故や暴力の被害者になり、後遺症を軽減するための治療を受け、さらに健康の保持増進を願って続けていた治療で死にかけた。

55才を目前に、手術がうまくいかなかったら『これで人生終わり。無念。』と考えると自然に涙がこぼれていた○年前の5月。

幸い、手術は成功した。これら3つの事故の傷は、時々身体の痛みとして教えられるが、予想外の“人生の事故”のような出来事は起きる。

絶対、いつかは死ぬのだから、後悔しないように楽しく生きたい。

そのためにはしたいことをしようと。しかし、介護と再育児はそれを許してくれない。○○をしたい。○○に行きたい。と思っても限りある時間、身体のメンテナンスに時間がかかる。さらに、方向転換のための身辺整理。

一応、今まで納得して生きてきたつもりだが、現状をなかなか受け入れられず、私の欲望と思想の葛藤(仕事を始めた最初よく体験した)。ある物から決別し、新たな物を選択できるよう身辺整理しているがすすまない。木蔭でボーッと考え、夕方になる。“分かっちゃいる事”を実行するために話そう!言魂のエネルギーを回復しよう!     
                                             
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