フェミニストカウンセリング堺 スタッフ日記

大阪府堺市にある「フェミニストカウンセリング堺」のスタッフが持ち回りで書く日記です。

車を手放す

運転するのは嫌いじゃない。

ほぼ、毎日運転していた。

思い立ったら、すぐ出かけられる便利さは手放せない。

 

かなり、車に依存した日々。

 

免許返納した方がいいのにと周りから心配されるようになっても、運転をやめたくなくて「私はまだまだ大丈夫」と言い張りそう。

それだけは、注意しなくてはね。

 

そう思っていた。

 

ところが、思いがけない3ヶ月の入院生活から退院してきたら、なぜか車がかさばって見えた。

私の許容量から車がはみ出ている。

 

今は、病気をして、心身共に自信がなくなっているのだと思うけれど、負担に感じるものを持っているのは、どうも落ち着かない。

 

不便にはなるけれど、車を処分しました。

 

結果

 出費が大幅に減る

 被害者、加害者になるリスクがへるのは、想定内。

 

でも、

 車で行くか、電車にするか考えなくていい。

 どこに駐車するか、考えなくていい。

 駐車料金を気にしなくていい。

 フロントガラスの汚れを気にしなくていい。

 「ガソリン160円台に」という記事も、心穏やかにスルー。

 

小さなことばかりだけれど、車に関する些事がなくなって、予想以上にスッキリ。今のところは

 

出かけるのが億劫になるかと思っていたが、そうでもない。

 

一番の想定外は、歩くのが嫌いでなくなったこと。(k)

今日から始まる新企画「こころとからだのリラクセーション」

今日から新しいボディワークが始まります。

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フェミニストカウンセリングでは第2第4木曜日に気功。第3木曜日に香功と、
これまでも体を整えるためのの時間がありましたが、
さらにもう一つ、これも木曜日なのですが、新しいボディワークが始まります。
題して「こころのからだのリラクセーション〜ブリーザ・リラクセーション・ボディワーク〜」です。

講師は「Brisaぶりーざ」主宰の栗岡多恵子さん。
栗岡さんのボディワークは「栗岡式」。そのまんまですが、
アロマテラピー、呼吸法、ヨーガ、ウォーキング等々を取り入れた独自のものです。

さまざまなストレスでこわばった体をゆっくりとほぐしていきます。
働きすぎ、トラウマ、緊張など、体をこわばらせる要素は日常生活の中に満載です。
1回1時間半を4回で1セット。これを2回計画しています。1回2000円で1セット8000円です。
木曜日の夕方、こころとからだをゆるめにフェミニストカウンセリング堺までお出かけになりませんか?
                                               (丼)

 
 


秋の花粉

今年の秋の花粉はどうなんでしょう?

例年涼しい風が吹き始めたら、私は花粉を感知して、まだ暑いのにマスクをつけねばならないのだが、今年はそんな気にならず、今でも外出するときにマスクを忘れるくらい花粉症が出ていない。他の人はどうなのかわからないが、夏が暑過ぎて、花粉もできが悪い?

いやいやそんなわけないよなと思いながら、先日の秋晴れに夏物を片付けるために、衣類や夏布団などを洗濯した。敷布団をベランダに干して、掛布団を冬物に変えた。いつもなら敷布団はぐるっとカバーにくるんで、ベランダに干すのだが、あまりに楽な秋なので、ついそのまま天日干しした。布団カバーも洗って外に干した。

そのせいで、夜じわーと頭痛が始まり、何とか寝ついたものの夜中に変な夢を見て目が覚めた。気のせいかもしれないが、どうも寝苦しい。

やっぱり布団やカバーを外に干して、花粉まみれにしたのがいけなかった!

よく寝つけないものだから、早々に起きて、カバーを外し、洗濯機を回し室内に干した。

仕事から帰ってくるころには、乾いているだろう。今日はよく寝られるように布団を整えねば。

みなさん、今年の秋の花粉症はどうですか?              (MU〜)

 

―宿題―

 ひとり暮らしをしていた母が施設に入所して以来、空家同然になっていた実家が、今年94日の台風21号によって少なからぬ損害を受けた。2階ベランダの床板が、飛んできた瓦によって一部破壊され、石と鉄でできた門扉は強風により破損。大阪万博の開催された1970年に建てた木造家屋であり、住む人のいない住居はそれでなくてもあちこちいたんでいる。今までもちこたえてきたのが不思議なくらいである。気になりながらもほとんど何の手入れもできないままに9年半の歳月が過ぎてしまっていた。しかし今回ばかりは放置しておくわけにはいかず、ない伝手を頼ってなんとか二箇所の後始末にこぎつけた。ベランダは撤去され、門扉を改修。おそらくもう二度と誰も住むことのないだろう家であるが、内部はほとんど母が出て行った時のままになっている。母の物だけでなく、亡き祖母、父、そして私たち姉妹の物までがそこには眠っているのだ。家屋も含めてそれらを何とかしなければならない時がきたのだと思う。親の家を片づける―─という大きな課題が私の人生には残されているらしい。還暦を過ぎたから、仕事を少しずつ整理して、ゆっくり人生を楽しもうなどというのは甘い夢だったのか・・・。両親から出された大きな「宿題」である。

                                   <K>

老後の食生活

遠方に住む高齢の両親のために1ヶ月に一度、帰省している。帰省中、大したことはしないが、ちゃんとした食事が出来ることが両親は嬉しいようだ。

両親は周囲に助けてもらいながら2人だけでなんとか生活しているが、困っていることの一つに食事のことがある。

 

母は5年ほど前から料理ができなくなった。

父はずっと料理をしたことがなかったが、母が作らなくなり慌てた父は自分で料理をしよ

うと料理の本を買ってみたり、凝り性の父らしく、鍋や調理器具を揃えてみたり試行錯誤

していたがうまくいかず結局自分で料理するのをあきらめた。

 

お取り寄せをしたり、お弁当や差し入れなどで食べるものに不足はない。しかし、いつも

作り置きのおかずなので、たまには作りたてを食べたいという欲求がわきあがるらしい。

なぜだか母は電子レンジで温めるのを嫌う。そこで登場したのが、旅館でよく見かけるろ

うそくの火で温める簡易コンロ。テーブルで、肉を焼いたり、煮物などを温めながら食べ

られるのが良いそうだ。母は気にせず何でも食べるが、父は雰囲気がいいと食欲が出るタ

イプ。いろいろ工夫して改善しようとするのはいいことだと思う。

 

ふと何故、自分の作る料理に飽きないのか考えた。

それって、自分が食べたいものを食べたいときに、自分の好みの味付け、量も自分で決め

て食べることが出来るからか・・・

高齢になると、食べる量が減ったり、塩分を控えなければならないし、油っこいものに

も食指が動かなくなる。美味しく食べるには自分で作るしかないのねと当り前のことを思

い直す。

 

父の窮状(?)をみて、夫も少しは料理をしておかなければという気になり、朝食を作っ

たり、手伝ったりするようにはなったが、自主的に食事を準備するところにまでは至って

いない。家族の誰もが何でもできるようにしておかないと困った状況になるのは料理のよ

うな家事に限らず、生活全般においていえることであろう。何らかの意思決定においても

同様である。

 

20年後の社会はどうなっているのだろう。老後の生活はどのように変化しているのだろう

か?両親がネットショッピングできないのと同じように、今すごいスピードで発展しつつ

あるAIを自分が果たして使いこなせるのだろうか?できれば高齢者も活用できるAI技術

で高齢者が住みやすい社会になってくれることを期待している。

 

                                     みんと

 

 

 

 

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