
日本講演新聞の社説に「手紙には想いが満ちた重みがある」が掲載されていました。
18歳の特攻隊の母への手紙に感涙しましたの紹介します。
メールで事が済む時代になったが、「手紙」という媒体は令和の今でも重みがある。結婚式をはじめ、大切な式典の案内は手紙で来る。式典当日も、祝電という形でお祝いの書面が届けられる。厳かな場においてメールは軽すぎる。
式典などの場に限ったことではなく、普段言えない想いや心から伝えたい気持ちを表すには手紙はふさわしい媒体だと思う。そう感じるのは私が昭和世代だからだろうか。
今の若い人たちはどうなのだろう。

そんなことを考えながら若者がよく観ているショート動画SNSの「TikTok(ティックトック)」を覗いてみた。そこには先月の卒業式で、先生や両親に向かって感謝の手紙を読み上げる生徒たちの姿が数多く投稿されていた。日頃伝えられない想いを託した手紙。その重みがこちらの胸にも響いた。
不思議なもので、人は一番言いたいことほど口にできない。「愛している」も、「ごめんなさい」も、近しい相手であるほど口に出せない。面と向かっては言えなかった本心が、紙の上でようやく言葉になる。だから手紙は尊い。
胸に浮かぶ一通の手紙がある。私は9年前に訪れた知覧でそれを見た。特攻隊として出撃する18歳の相花信夫少尉が書いた手紙である。
彼は実母を亡くし、父が連れて来た継母に育てられたが、心を開けず反抗ばかりしていたという。そんな彼が最後に書いた手紙は、実の父に宛てたものではなく、その継母に宛てたものだった。

「母上御元気ですか。永い間本当に有難うございました。我六歳の時より育て下されし母。継母とは言え世の此の種の女にある如き不祥事は一度たりとてなく、慈しみ育て下されし母。有難い母 尊い母。俺は幸福だった。遂に最後迄『お母さん』と呼ばざりし俺。幾度か思い切って呼ばんとしたが、何と意志薄弱な俺だったろう。母上お許し下さい。さぞ淋しかったでしょう。今こそ大声で呼ばして頂きます。お母さん、お母さん、お母さんと」
この手紙が胸を打つのは、死を前にしているからだけではない。私たちの日常にも、これと似たためらいがあるからだろう。
伝えようと思えば伝えられたのに、照れや意地や間の悪さに負けて、とうとう言えなかった。そんな言葉を、誰もが心のどこかに抱えているのではないだろうか。
私は父に手紙が書けなかったが、実は息子から短い手紙をもらったことがある。

今からちょうど10年前。当時水道工事会社で働いていた私は、技能実習生を面接するためにマニラへ行くことになった。その前の日だった。まだ8歳だった息子は夜になると急に、「日本より危険な国だからお父さんは帰って来ないかもしれない」と言って泣き出し、部屋に行ってしまった。その後戻ってきた息子は、折り紙の裏に書いた手紙を私に渡してくれた。
「かえってきてね」とだけ書いてあった。その下に私だと思われる笑顔の男のイラストが添えられていた。一枚の折り紙が重く感じた。今でも大切にとってある。
手紙は心が乗るから重いのだ。
そしてその手紙は、言葉にできなかった心を相手のもとへ運ぶ橋となる。伝えそびれた想いが、まだ間に合うことを願う。
私は84歳の母へ手紙を書き始めた。
