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先週のカンブリア宮殿はハンデイ日高の創業者、神田会長が登場されていました。
埼玉県の日高で育った神田会長。本人いわく、村一番の貧乏家だった。父が戦争で負傷して働けず、母とともに中学時代からアルバイトをして家計を支えました。中学を卒業後すぐに就職しますが、飽きっぽい性格が災いし、実に15もの職を転々とします。
そんな頃、友人から中華料理店を紹介されます。客からその場ですぐに代金がもらえる“現金商売”に魅力を感じた神田は懸命に働きました。その後、1973年に大宮駅前に「日高屋」の前身である「来来軒」を開店します。わずか5坪の店でしたが、駅前の立地と、当時珍しかった深夜営業が受けて大繁盛し、自信をつけて行きます。
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「従業員が働いてくれるからこそ、会社が成り立つ」と話す神田会長は、毎日のように店を訪れます。従業員に感謝の気持ちを伝え、休みは取れているのか?子供は何歳になったか?などと話します。決して売上のことなどは聞きません。また“フレンド社員”と呼ぶパート・アルバイトにもボーナスを出したりと、会社の利益が予想を超えた時は必ず従業員に還元する仕組みもあります。
映像の中で、何度も社員やパートの奥様に「ありがとうな。ありがとうな。」と言葉をかけ、アルバイトが表彰されている姿を見て「ありがたい」と泣かれていました。そんな神田会長の姿に、私も涙があふれ感動しました。
また「私なんか能力ないですから。」「一つ間違えれば、段ボール生活でした」「本当に運が良かった」
「15歳で社会に出て、奇跡みたいなもの。本当に運がいい。感謝しかない。やっぱり人が全て」と話されます。だからこそ、従業員を大切にする人情経営です。
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村上龍は最後に、こう語りました。
「収録中、スタジオは何度も完全に静まりかえった。神田さんの言葉に、スタジオ内にいる全員が感動したからだ。村一番の貧乏から、東証1部、年商300億円企業のトップとなった神田さんだが、『お金の使い途がわからない』と真顔で言われた。さいたま市の会社から天王洲のスタジオまで電車で来たらしい。
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『運転手付きのハイヤーを使うくらいなら、その分、従業員の給与を上げます』本音だろう。『日高屋』は、 昔ながらの駅前の屋台をモデルとしている。赤提灯が、人の心を和らげる。だが、神田さん自身、まるで冷たい闇の中の暖かい明かりのような人物だった。『私なんか、運がよかっただけですよ』そういった言葉を聞く たびに、心が明るく、暖かくなった。 」