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伊集院静さんの「誰かを幸せにするために」を本屋で見つけ読み始めています。大人の流儀シリーズ8冊目です。
伊集院さん「大人の流儀」のエッセイは知的でいいですね。

「誰かのために生きる」の章に松井秀喜さんとの話が出て来ました。
いい話ですので紹介します。

現在、松井秀喜はヤンキースのマイナーのコーチをしている。
ヤンキース配下のマイナーの選手だけでチームは100億円以上の契約をしている。
「伊集院さん、ヤンキースでマイナーではメジャーに昇格できなくても他のチームに移籍させれば十分メジャーで活躍できる可能性のある選手が何人もいるんです。彼らの将来のためにもきちんと指導をしないといけないんです」
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彼はGM補佐という肩書で、マイナーの指導をして3年が過ぎている。
その間、松井に指導を受けた3人の野手がメジャーに昇格し、1人は去年の新人王とホームランキングとなった。松井のコーチングはチームから絶大な信頼を得ている。
将来、ヤンキースの監督もあり得るのか?
そこは私にもわからないが、それもひとつの道であろうが、日本のプロ野球の指導者になることも意義のある人生だろう。

かつて、私は松井さんの半生を取材し、それをアメリカで出版したことがあった。
取材で得たものにはいくつもの輝くものがあったが、私が印象に残ったもののひとつに中学野球部の高峰コーチの思い出がある。
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「中学3年の最後の試合が夏に終わって、僕が部屋に置いてあった野球道具を取りに来たんです。夏休みで、チームも数日練習が休みになるんです。部屋を出ようとすると、誰もいないグラウンドにぽつんと人影が見えたんです。あれっ、誰だ?何をしているんだ?とよくよく見ると、コーチが一人でグラウンド整備をしているんです。炎天下で一人っきりです。
そうかコーチは毎年、こうしてたんだ。と思うと黙ってお辞儀をして帰りました」

コーチいわく、「何でもないことです。グラウンドを整備しながら、新チームをどんなチームにしたいかとか思うんです。それに石ころひとつで選手に怪我をさせたくありませんから」
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世の中には、目に映らない場所で、誰かが誰かのためにひたむきに何かをしているものだ。
目を少し大きく見開けば、そんなことであふれている。今は目に見えずとも、のちにそれを知り、感謝すこともあるのだろう。

己の幸せだけのために生きるのは卑しいと私は思う。
己以外の誰か、何かをゆたかにしたいと願うのが大人の生き方ではないか。