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みやざき中央新聞の社説に、鈴木中人さんの「命の授業」が紹介されていましたので、全文紹介します。
新幹線の中で読みながら、涙が溢れました。

大切な人から託されたいのちを生きる

「お願い、もうやめて」、そう言っているように聞こえた。意識がほとんどない状態で、かぼそい声だったが、父親の鈴木中人(なかと)さんの耳にははっきりそう聞こえた。
鈴木さんは「もういいよ。もう頑張らなくていいよ」と答えた。親としてわが子に言える最後の言葉だった。
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3歳の時に小児がんを発症した景子ちゃん。3年間、頑張った。抗がん剤治療にも耐えた。小学校に入ってからは「あと数か月」という体で勉強も宿題も頑張った。途中、車いすになっても登校した。みんなでアサガオの種も植えた。しかし、花を見ることはできなかった。

あの日から5年の歳月が流れたある日、こんな詩と出会った。
「人は必ず死ぬから/いのちのバトンタッチがあるのです/死に臨んで先逝く人が『ありがとう』と言えば/残る人が『ありがとう』と応える/そんな一瞬のバトンタッチがあるのです…」

鈴木さんは、娘から渡されたいのちのメッセージを学校などで伝えようと思った。やっと前を向けるようになれた。

さらに5年の月日が流れた。大手企業に勤務していた鈴木さんは、本格的に「いのちの授業」をやろうと何のあてもなかったが会社を退職した。そして「いのちをバトンタッチする会」を一人で立ち上げた。47歳の時だった。
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周囲からは「いのちの活動で飯が食えるか」と大反対されたが、その時、鈴木さんは何かに突き動かされていた。
先月、鈴木さんの地元・名古屋市で「広げよう! いのちの授業 第15回記念大会」が開催された。娘さんの発病から闘病、そして別れ。その後の「いのちの授業」の活動の15年を、鈴木さんは振り返った。

活動を始める時、(株)イエローハットの創業者・鍵山秀三郎さんから「良いことをする空しさにくじけないでください」と言われたという。
どういう意味か。鍵山さんは自らのトイレ掃除の経験からこう続けた。
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「良いことを百万回してもすぐには変わりません。見向きもされません。その空しさにくじけて多くの人が途中でやめてしまいます。でも10年、20年続けると途(みち)ができます。一途に続けてください」

講演会の問い合わせの電話があった時、講師料の話になり、「鈴木さんは亡くなった娘さんのことを飯の種にされているんですね」と言われ、言葉を失った。

落ち込んでいる鈴木さんに仲間の一人が言った。「『その通りです』と答えたらいい。『だから私はいのちを賭けてやっているんだ』と言ってやれ!」
景子ちゃんの死から20年が過ぎた頃、一通のメールが来た。テレビのニュースで鈴木さんの活動を見たという。

景子ちゃんがいた小児病棟で看護師をしていた伊藤敦子さんという人だった。大学病院では高度な医療技量が求められ、新人当時は「ミスをしてはいけない」という重圧で潰れそうだった。
さらに、どんなに一生懸命看護をしても一人、また一人、亡くなっていく。伊藤さんは心身ともに限界を感じ、辞表をバックにしのばせていた。
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ある日、景子ちゃんの病室に検温に行くと、「伊藤さん、この頃怖い顔をしているよ。優しい看護婦さんになってね」と言われ、手紙をもらった。入っていたのは伊藤さんの笑顔の絵だった。涙が溢れた。
「景子ちゃんがこんなに頑張っているのに私は何を悩んでいるんだ」。その日から伊藤さんはその絵をネームプレートの裏に入れて医療現場に立ち続けた。

今は訪問看護をしている。お年寄りの方から「伊藤さんに出逢えてよかった」と感謝される。伊藤さんは「看護師を辞めなくてよかった。景子ちゃんのおかげです。今も景子ちゃんは鮮やかに私の心の中で生きています」と鈴木さんに話した。

20年経った今でも伊藤さんのネームプレートの裏にあの時もらった絵が入っているそうだ。
鈴木さんは言う。「いのちって大切な人から託されたバトンなんです。全ての人が託されたいのちを生きているんです」