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3年前の日本講演新聞の社説「ありがとうという日本語にありがとう!」がブログランキング上位に入って来ましたので、もう一度紹介します。

これは、小学校1年生の松橋一太君の作文です。あたりまえの日常にもっと感謝しなければと反省しました。ありがとう!一太君。

朝日学生新聞社が小学生を対象に毎年開催している「いつもありがとう作文コンクール」に最優秀賞を受賞したのは6年生でも5年生でもなく、1年生の松橋一太(まつはし・いった)君だった。
一人っ子の彼は、お母さんからお腹に妹ができたと聞いてとても喜んだ。妹の名前を考えたり、ぬいぐるみでオムツ替えの練習をしたりしてワクワクする日々を過ごした。

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「ご飯を食べたり、テレビを見たり、公園で遊んだり…、今までずっと3人でやってきたことをこれからは4人でやるんだ」、そんなことを思いながらその日が来るのを楽しみにしていた。

ある日のこと。お母さんがトイレですごく落ち込んだ様子で泣いていた。状況は分からなかったが、彼はその時、何となく「これからも3人かもしれない」と思ったという。

淋しくて、悲しくて、胸が張り裂けそうな気持ちを彼は言葉に出さずにぐっと堪えた。言葉にすると両親をさらに悲しませると思ったからだ。

病院の待合室でお母さんが出てくるのをお父さんと待つ一太君。しばらくすると車椅子に乗ったお母さんが診察室から出てきた。
一太君がその車椅子を優しく押すと、お母さんは悲しそうな顔で歯を食いしばり一太君の手を握り締めた。

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数日後の暖かい春の日。一太君の家族は初めて4人で出かけた。一太君はそのことを「妹とバイバイするため」と書いている。
納骨のために善光寺へ向かったのだった。

一太君は妹に手を合わせながら、「僕の当たり前の毎日はありがとうの毎日なんだ。お父さんとお母さんがいることも、笑うことも食べることも話すことも、そんな当たり前だと思っていたことは全部ありがとうなんだ」と気づく。

私が「ありがとう」の反対語は「当たり前」だと知ったのは大人になってからだ。しかも知識として知っただけだった。一太君は、流産で消えた妹の命の儚さ、貴さを心で実感したのだ。作文は次のように締められている。

それをおしえてくれたのは

いもうとです。

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ぼくのいもうと、ありがとう。

おとうさん、おかあさん、

ありがとう。

いきていること、ありがとう。

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ぼくには、

てんしのいもうとがいます。

だいじなだいじな

いもうとがいます。

先に述べた「今生きていることは有り得ないことが起こっている状態と同じ」ということを、改めて一太君に教わった。
そして「有り難し」を「感謝」という意味を持つ「ありがとう」という日本語にした先人の崇高な感性に感謝したい。