「企業は人なり、人は教育なり」私の人材育成のテーマです。
若い皆さんに良い影響を与え、明日からのエネルギーにしていただくことは、とても嬉しいことでやりがいがあります。教育とは刺激なんですね。
今日のカフェチェーンの店長研修の冒頭に孫正義(ソフトバンク社長)の話をしました。
限界ラインを引いたのは誰か!
「少年の家は、旧国鉄の線路脇の空き地にあった。戦前から鉄道作業員として集められた朝鮮の人たちが、勝手にバラック小屋を建てて住みついていたのだ。だから少年の家の住所は無番地だった。幼少の頃、親は養豚業をやっていた。豚のエサにする残飯を民家を回って集めるリヤカーに乗っていたのを、60歳を過ぎた今でも鮮明に覚えているそうだ。
小学校に入ると、成績の良さが群を抜いていた。不思議そうに我が子を見つめながら、『ひょっとするとお前は天才じゃないか』と父親がよく言っていた。
また『お前は大物になるぞ』とか『お前は日本一になるぞ』とよく言われて育った。少年もひょっとしたら俺は天才かもしれんと思いこむようになった。
運命の歯車が大きく動き始めたのは高校1年の夏休みだった。アメリカに1か月間語学留学をしたのだ。
帰国後、『高校を退学してアメリカに留学したい』と言い出した。両親も先生も高校を卒業してからにしろと反対したが、『人生は短い。今行動しないと後悔する』と押し切った。
アメリカの四年制高校の2学年に編入できた。レベルが低かったため、校長先生に3年生にしてくださいと頼んだ。
校長判断で3年生になれた彼は、食事中もトイレでも、歩いている時でさえも教科書を離さず猛勉強した。その様子を見て校長は3年生の5日後、4年生になる特例を認めた。
その3週間後、大学入学の検定試験に挑戦した。ハードルはとてつもなく高かったが、本人は合格を信じていた。
語学のハンディがあるため、辞書の持ち込みと時間延長を必死で訴えた。なんと教育委員会は彼の主張を認めた。2週間後、合格通知が届いた。彼は大学生になった。彼の凄さは頭の良さだけではなかった。日本人女子留学生と恋もした。
3年後に結婚して、親からの仕送りを断った。彼が選んだ経済的自立の道は、アルバイトではなく発明だった。
教授の協力を得て、声が出るコンピュータ辞書と液晶ディスプレイを合体したもの開発し、日本のメーカーに持ちかけた。シャープが興味を持ち、1億円の契約料を支払った。これが後の『音声機能付き電子翻訳機』だ。
先日、ソフトバンクが連結決算を発表した。総売上高8兆9000億円・純利益が1兆4000億円を超えていた。裸一貫から始めてわずか30年で巨大なNTTドコモを抜いた。」
純利益で1兆円越えはトヨタに次いで2社目なのです。
人間の可能性には限界がないことを孫正義は証明しました。
こんな川柳あります。「限界のラインを引いたのは私」
(参考加筆 日本講演新聞 社説)