
日本講演新聞の社説に「喜べば喜んで喜びがやって来る」が掲載されていました。
共感しましたので一部を紹介します。
ドイツの文豪・ゲーテは「人間の最大の罪は不機嫌である」と言った。不機嫌な人がいると、そのマイナス感情は周りに悪影響を及ぼし、伝染して広がってしまう。ゲーテが言うように、それはもはや罪なのかもしれない。
詠み人知らずの歌だが、私が好きなこんな歌がある。
「喜べば 喜びごとが喜んで 喜び集めて 喜びに来る」

幸せの波が押し寄せてくるようで、呟くと幸せな気持ちに包まれる。
だが、この「喜び」を「悲しみ」に変えると恐ろしい歌に豹変する。
「悲しめば 悲しみごとが 悲しんで 悲しみ集めて 悲しみに来る」
まるでホラー映画のコピーのようである。
最大の罪が不機嫌なら、最大の徳は上機嫌だろう。上機嫌を示す人の表現方法はやはり「笑顔」だ。「笑顔は最も身近で、誰にでもできる世界平和活動だ」と私はよく学校講演で生徒に話す。
良いことがあると笑顔になるが、良いことがなくても笑顔でいるとなぜか良いことが起こる。まさに「喜べば……」の歌の通りのスパイラルが生まれる。

最近は量子力学の考えが広まってきているので、その現象が心に落とし込める人も多いのではないだろうか。笑顔から出ている幸せの波動が共感を呼ぶのだ。人は見えない世界でもお互い影響し合っている。
大学生の頃、さくらももこ著『もものかんづめ』(集英社)というエッセイ集を読んだ。ももこさんが経験したこんな話が載っていた。
恋人と喫茶店で別れ話になり、何とも言えない淋しさと悲しみが二人を包んでいた。そんな時に隣の四人連れのサラリーマンの一人からこんな声が聞こえてきた。
「私のパンツのシミでございますが、それは薄い黄色でございます」

必死で笑いを堪えたももこさんたち。二人の間にあったわだかまりがつまらないことに思えてきた。そして、別れ話は消滅。その後結婚に至ったそうだ。サラリーマンが発した意味不明な言葉が空気を一掃したのである。
また、「世界一幸せな歌う講演家」を自称する古市佳央さんの『生きて』という歌にはこんな歌詞がある。
♪ わたし生きるのをやめようと/死ぬ日も死に場所も決めていた/ふとコンビニに立ち寄った時/レジの子が優しく微笑んでくれた/消えかけた心に灯がともり(中略)/もう少し生きてみようかなって思えたの ?
人は無意識に人の心を照らすことがあるのだ。知らない所で傷付けていることもあるだろう。だが重要なのは自分の機嫌は自分で取って常に気持ちのギアを「上機嫌」に入れることだ。