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3年前のブログ「やまとしぐさ」の新聞記事が急浮上して来ましたのでもう一度紹介します。

欧米社会はどうだか分からないが、近現代における欧米人の生活様式やスポーツなどを見ていると「型」というものを重要視しているとは思えない。
だから余計に日本社会に古くから伝わっている「型」に妙に心が惹かれる、そんな年齢になった。

京都市在住の辻中公(つじなか・くみ)さんはその「型」を「やまとしぐさ」と名付け、講演や勉強会で伝え続けて16年になる。

「しぐさ」だから人の目に晒(さら)される。その何気ない「しぐさ」は見えない内面からの品性を醸し出し、それがその人の際立った魅力になっている気がする。
「やまとしぐさ」の歴史は千年以上も遡る。親や祖父母からの伝承によるところが大きい。それが戦後わずか七十数年で消滅しそうである。その「やまとしぐさ」を辻中さんは近著『あなたの才能が輝く!“やまとしぐさ”お稽古』(ごま書房新社)の中で21個紹介している。

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たとえば「お辞儀」。お辞儀はあいさつとセットになっていることが多い。あいさつは言葉で、お辞儀はその時の「型」だ。

「おはようございます」「こんにちは」とあいさつをする時は背筋を伸ばしてお辞儀をする。そこには相手への感謝や敬意の念が感じられる。だから「お辞儀」から「お」は外せない。
背筋を伸ばすという「型」には「天に繋がる」という意味があるそうだ。お天道様に恥ずかしくない生き方をしていることをお辞儀をすることで確認していたのである。お辞儀は人にしているようで、お天道様にしているというわけだ。

それから「敷居を踏まないでまたぐ」
日本家屋の玄関の引き戸や障子、襖には敷居があり、昔から「敷居は踏んではいけない」といわれていた。敷居は家の内と外、あるいはこちら側とあちら側を分ける「結界」だからだそうだ。

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「結界」とは宗教的な言葉で、神聖な領域と俗的な領域の境界線のこと。神社では鳥居が内と外を分ける「結界」の役割をしていて、境内に入る時と出る時、鳥居のところで一礼するのは本殿がある内側の空間に敬意を示すためだ。

一般家庭でも玄関の敷居を踏まないのはその家に対する敬意なのだろう。昔の人は「敷居はご先祖様の頭」という言い方をして、敷居という「結界」を踏ませないようにしていたそうだ。
それから家の人が出掛ける時やお客様が帰られる時、見えなくなるまで見送るのも「やまとしぐさ」

日本人は未来のことを考えるより「今」「ここ」という瞬間を大切にしてきた。その気持ちが「見送りのしぐさ」に表れている。見送りながら、その別れの瞬間に相手の幸せ、安寧、無事を祈る。だから姿が見えなくなるまで目が離せない。その時の心の状態を「余情残心」というそうだ。

意外だったのは「毎日空を見上げる」という行為。これも「やまとしぐさ」である。
なるほど、空を見上げると「悔しい」「畜生!」「無理、無理」「もうダメ」というマイナスの気持ちが吹き飛ぶ。空を見上げるという「型」には気持ちを前向きにする不思議な力があるようだ。

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昔から空は「天」を意味していた。「天」とは神であり、宇宙であり、自然界の真上に位置して全体を覆っている。その空を見上げて人はつらい気持ちを吹き払い、前向きに生きようと決意してきたのだ。
また日本語には「お願いします」と言うところを、「何卒宜しくお願い申し上げます」と、心のこもった言葉を幾重にも重ねて気持ちを表現する文化がある。

出会いに対しても感謝を重ねるのが「やまとしぐさ」。目の前の人に感謝し、その人を紹介してくれた人に感謝し、さらにその人を紹介してくれた人にも感謝をする。感謝の気持ちを重ねることで信頼関係に奥行きが出てくるとのこと。

「しぐさが美しいのは、その型をつくる精神性が美しいんです」と辻中さんは言う。
千年以上も伝承されてきた「やまとしぐさ」を、我々の代で途絶えさせるわけにはいかないだろう。