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日本講演新聞に「友情が積み重なって来る平和」が掲載されていましたので紹介します。
台湾で鳥山頭ダムを作った八田與市技師の話です。

先月、台湾・台南市で開催された「八田與一(よいち)84周年追悼式」で、頼清徳(ライ・チントー)総統が「国を代表して八田技師に感謝を捧げます」と述べた。

歴史エッセイストの白駒妃登美さんが昨年から八田技師の命日に合わせて企画している台湾ツアーでのこと。今年はジャーナリストの井上和彦さんがナビゲーター、ゲストに安倍昭恵さんという、贅沢な旅だった。

八田さんは金沢市出身の土木技師。1910年(明治43年)、24歳の時、台湾に赴任した。台南市に大規模な灌漑(かんがい)施設を造るためだ。
嘉義市と台南市にまたがる嘉南平原は大阪府の2.4倍ほどの広大な平野だが、そこは昔から大雨が降ると河川が氾濫して洪水となり、雨が降らない乾季には干ばつに悩まされるという、農業に適さない不毛の地だった。

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日清戦争後の台湾割譲で、台湾を統治することになった明治政府はこの現状を鑑み、この平原に水路を張り巡らすことにした。
工事は10年にも及んだ。完成したダムはその地域の名にちなんで「烏山頭(ウーシャントウ)ダム」と名付けられ、水路は末端の田んぼにまで引かれた。その総延長は1万6000キロメートル。北海道―鹿児島間を3往復するほどの長さである。

頼総統は言う。「考えてみてください。このダムと水路は100年前に造られ、それが今も使われているのです。このインフラは嘉南平原を台湾一の農業地帯に変えただけでなく、そこに住む人々の暮らしを豊かにし、そのことで子どもたちに高いレベルの教育を施すことができるようになりました。さらにこの水は、近年半導体製造に代表される科学技術の発展にも寄与しています」

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そして「目に見えない台湾の人たちの心にも大きな影響を及ぼした」と続けた。
「中国には『飲水思源』という諺があります。水を飲む時に『この水はどこから来たのか』と思うこと。『井戸を掘った人への感謝を忘れてはいけない』という意味です。日本に対する感謝の心は、この水路のように枯れることなく、100年以上、私たちの心にも流れ続けています」

頼総統は台南市長時代に、この「忘れてはいけない精神」を実行し、八田氏の旧官舎を復元。その家の前から烏山頭ダムに続く道路を「八田路」と名付けた。
総統が言う「100年以上も枯れない感謝の気持ち」とは、災害時の相互支援にも垣間見ることができる。東日本大震災の時、台湾から寄せられた義援金が世界最高額の220億円超にのぼったことは、周知のとおりだ。また震災当日、どの国よりも早く「救助隊を派遣する」と日本政府に申し出た。

残念だったのは、台湾救助隊を2日間待機させたことだ。日本政府が中国救助隊を先に入国させるために配慮したとみられている。
頼総統は言う。「今も台湾は国際的に弱い立場にあります」と。
あまり知られていないが、1969年の時点で台湾(中華民国)は70か国と国交を持っていた。それが71年に中国が国連で承認されると、台湾は国連脱退を余儀なくされた。

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その年、12か国が台湾と断交。翌年には日本が、79年にはアメリカなど主要国が断交した。70年代が終わる頃には、台湾と国交のある国は21か国にまで激減していた。
さらに2000年代。中国経済が発展するにつれて、中国の経済支援を受ける途上国が、その見返りとして台湾と断交し始めた。現在、台湾と国交があるのは12か国だけだ。

「そんな中……」と、頼総統は安倍元総理のパイナップルの話を始めた。それまで台湾パイナップルの最大の輸出相手国は中国だった。しかし、2021年3月、突然中国は台湾パイナップルの輸入を停めた。生産者は大打撃を受けた。
その時、当時の安倍総理が「今日のデザートはパイナップルです。とっても美味しそうです」という言葉を添えて、パイナップルを持った写真をSNSに投稿した。

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「台湾」という言葉は一言もなかったが、写真には「台灣鳳梨(タイワンフェンリー)」と書かれた箱が映っていた。この投稿が瞬く間に拡散し、以来、日本は台湾パイナップルの最大の輸入国になった。
「あの投稿に生産者だけでなく、台湾国民みんなが感動したのです」と頼総統。

独立国家として十分な要件を備えながらも国際政治の舞台に立てない台湾。今後、日本と台湾は、友情が政治の壁を越えるこの関係を、世界に見せつけてやればいいのだ。