2016年06月

かつては、アップすることを日課とし、励みとし、
アップしなければ、皆さんから忘れられるような、根拠の無い焦燥感のようなものも抱いていた。
まったくの幻想であった。
思い込み、とも言う。

「皆さん」って、なに?
自分が勝手に創り上げたものに他ならない。

その思い込みは、自分の中で解決した今日この頃。
氷解した。

で、・・・他のサイトをちょっとうろうろして、ため息。
なにがため息かというと、面白くないからだ。
しかし、自分が行くサイトに集まる人々の書いているものが面白くないだけであって、
自分のチョイスが良くない。
ただ、それだけだ。

もっと面白いサイトは山のようにあるのに、そこに行かない自分が悪い。

書くのもハバカラレルような感想が次から次へとアタマに浮かぶ。
書きたい衝動を抑える。
最近は、サイトにアップしている誰かの記事にコメントをつけて、そのままアップしないことが多い。
まあなんと、建設的でない虚しい無駄な時間の過ごし方。
それをわざわざ文字にして、自分の蝶ブログに書く意味・・・まったく、ない。

自分は唯一無二。
他の皆さんも、それぞれ、唯一無二。
世の中、唯一無二だらけなので、そういう人々と考えや感性が同じなわけがない。
奇跡的ピンポイント的接点はあるにしても。

ひとりで、突っ込んでみても、じつにくだらない作業である。

嫌なら見なければいいのに、なぜ、見に行くのか。
そこに、得体の知れない、(解明できるけれど、したくない)根源がある。

自分は、「こういう人が大っっっ嫌いだ」と確信を強めるのには、意味があり、意義深い。

なんでも、意味の無いものは無いってことだ。

しかし、貴重な持ち時間。
人生の残り時間がカウントダウンされるっていうのに、暇つぶし?

わたしの小学校の担任の先生が、「人生は死ぬまでの時間つぶし」とよく口にしていた、とリアル時に話題にあげると、
こう言った人がいる。
「人生は、死ぬまでの憂さ晴らし」

日中は店内の明りも点けないような薬局に私はつい寄っては何かしら購入してしまう。なぜってそこには愛想をまったく振りまかない看板猫がいるからだ。 
その臉部肌膚保養 猫の名は知らないが、ここでは話を進めやすいように紅華とでも呼ぶことにしよう ― そんな雲の上の宝塚スターのような何かが彼女にはあるのだ。
 
紅華は私が声をかけると必ずといっていいほど店の奥に置いてある、客のためだか猫のためだかいまいち判断のつかない肘掛けイスの下に、のっしのっし入って行きこちらの方を卓越した目で見返してくる。
だからといって、目は合わせてくれないのだけど。 
 
紅華はときおり薬局の敷き居まで出てきて表の通りを眺めている。
こないだも、 
「あ、猫だ」「猫、可愛いー!」
 と、互いの腕をつかみなが個人美容配方らキャピキャピとはしゃぐ女子大生っぽい二人に紅華は、『最近の若いもんは』的な煙たーい表情を見せた。
そらそうだ。人間だって見ず知らずの人に親しくなりたくて話しかける時に、「人間、可愛いね」はない。
それを言うなら、「君、可愛いね」だろう。
 
と、その瞬間、鼻で笑った私と紅華の目が合っ安利傳銷た!!
(はっ、認められた)
高揚する私の気持ちを分かっていただけるだろうか。
エリートというのはまずは意識から始まる、と言った偉い人がいたかどうかは知らんが、たぶんそういうことだろう、と確信した昼下がりであった。

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