神谷 和宏(批評家/教師/北海道大学 国際広報メディア 博士後期課程在籍)

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 〈著書〉  『3分あれば世界は変わる ウルトラマンが教えてくれること』(2015年 内外出版社)
       『ウルトラマン「正義の哲学」』(2015年 朝日新聞出版)
       『ウルトラマンは現代日本を救えるか』(2012年 朝日新聞出版)
        『ウルトラマンと「正義」の話をしよう』(2011年 朝日新聞出版)
       『M78星雲より愛をこめて』(2003年 文芸社)

早菜子、明日、0歳から1歳になる

IMG_7246 昨年の今頃は、妻が前駆陣痛の中、僕はもう布団に入っていただろうか。
 間もなく、娘、早菜子が1歳に。
 子が生まれてからの時間の立ち方は本当に早い。
 というより、結婚を決めてから娘の誕生、そして今日までの時間が本当に早く感じられる。
 40代に入っている僕が一つ年を重ねるのと、生まれたばかりの赤ちゃんが一つ年を重ねるのはまったく違う。
 ただ存在することしかできなかった娘が、今日はとうとう4歩も歩き、感情も表すようになった。言葉はしゃべれないが、何とかしゃべろうともする。物事と名前の対応も多少はわかっているようだ。
 IMG_7313 0歳の娘と過ごせるのは今日だけと思うと、何でもない瞬間までもが貴重に思えてきた。もちろん、そういう考え方をするときりがなくなるのだけれど。友達に、毎日が記念日になるといわれたのだが、わかるような気がする。
 40代に入り、〃觝Г靴覆た誉検↓結婚はするが子どもはいない人生、7觝Г鬚兄劼匹發發い訖誉検↓ 銑のどれもあり得ると思っていた。僕はを望んでいただけに、この一年間をひとまず無事に終えられることを色々な人に感謝したい。そして1歳の一年も、ますます喜ばしいものになればと思っている。

”塔”としての怪獣

どうして怪獣映画は政治的に語られることが多いのか。

 もちろん広義において「政治的」でないものなどない。一見、政治とは無縁であるような文化的事象、例えば芸術や文学があったとしても、それはほとんど無意識的に大衆に内包された政治的な力学のなかで成されたものであるといって良い。しかし、怪獣映画は「戦争」「核」「日米安保」…こうした視座から語られ尽くされ、後継の論も既存の論をトレースすることで、既存の論はますますその強度を高めていく。

 ここ数年の自分の怪獣研究は、この点への疑問から始まっているといって良い。
 もちろん「戦争」や「核」は、怪獣映画の祖である『ゴジラ(第1作)』を考える上で欠かせない問題であるし、自分自身、そこに言及することはある。
 けれども、それ以上に怪獣映画やテレビ特撮番組を見ていると、例えば「家族」「子ども」「若者」…これらの描かれ方の変遷が気になって仕方がない。
 初期『ウルトラ』シリーズでは、「家族」の風景、つまり家庭というものがあまり色濃く描かれなかったのに、70年代の『ウルトラ』シリーズでは、主人公の属するもう一つの共同体としての家庭が描かれた背景にはどのような時代の状況があったのだろうか。一つの考え方としては、ホモソーシャルな疑似家族としての防衛隊の中で隊長が家長のように振る舞う「公的」組織とは別な、「私的」な共同体を紡ぎ出す必要があったということがあるだろう。さらにその背景を探れば、社会学者が論じるように、70年代の万博こそが日本の高度経済成長の臨界を告げるものであり、そこで人々が一つの目標に向かって(多くは無意識的に)結束する「大きな物語」が終焉する中で、「公」というものの価値が崩れていき、その反面、人々の私的行動が尊ばれるようになったということが考えられる。
 一時の『ウルトラ』シリーズ最終作となった『ウルトラマンレオ』終盤では、防衛隊が崩壊、主人公は病院の婦長を務める女性の家に居候する。その家庭には男性はおらず、二人の娘を持つ母親でもあるその女性が家長である。ここに「公」とともに、男性性や父性の不在を見取り、往時の時代性と関連づけていくことはそれほど難しいことではない。

 こう考えると、怪獣とは”塔”なのである。
 社会を俯瞰する塔として、怪獣は社会の日常を活写する。
 なぜ、そんなことができるかといえば、怪獣とは大いなる”非日常”だからである。
 日常とは、それが日常であるが故に、通常はそれが顕在化されることはない。例えば、我々が歯が痛くないことを意識するのは歯が痛くなった後に限られる。歯が痛いという非日常的な経験を経て、歯が痛くないという日常、考えもしないことを意識するのである。
 同様に、怪獣という非日常的な存在が現れることで、社会の日常は顕在化される。しかし、この非日常的存在はそれが巨体でなくてはならない。不特定多数の大衆が非日常を意識しなくては、社会の日常を可視化することにはならないからだ。
 『古事記』のヤマタノオロチが自然災害という、大衆にあまねく降りかかる災厄の比喩であるとされるのは、その巨体が大衆に意識されるものであるからだ。対称的に『源氏物語』に登場する六条御息所の物の怪は、六条御息所と関わりのあるものにだけ降りかかる私怨であり、それはその姿が個人レベルの目に留まる大きさであることと無関係ではない。
 「ヤマタノオロチ/六条御息所の霊」と同様に、(昭和の)『仮面ライダー』や『スーパー戦隊』の等身大の怪人には、怪獣のような塔の機能は見出されない。ショッカーの怪人が出現しているも、自衛隊や警察、あるいは政府といった公的機関は対応しない。(というより公的機関が基本的にあまり描かれない。『仮面ライダー』では、FBIやインターポールの捜査官が描かれることはあったが、彼らはあくまで上司や部下の存在を感じさせずに単独で、あたかも一私人のように行動していた。)
 怪獣という大いなる非日常の出現により、作品世界では政治、自衛隊、マスコミ、科学者…の動きが活性化し、都市部と辺境の地、海外、あるいは異境の様子が描かれ、さらにはその時代に生きる家族の様子や若者の姿が描きだされるのである。世界を模した疑似空間上に描かれた諸事象をパノラマ的に俯瞰するはたらきを持つ怪獣は、視覚重視の近代が生んだカメラオブスキュラや気球のごとく、神の視点からの眺望を人々に提供する塔なのである。
 
 このように塔とは世界を見下ろす近代的な俯瞰の装置であると同時に、大衆から見上げられるものでもある。その意味で、塔とは両義的な存在でもある。

 塔といって思い起こされるのはバベルの塔だろう。
 バベルの塔は、神の立ち位置に人間が近づいたことで、神の怒りに触れたとされるものである。
 『ウルトラ』シリーズの監督を務めた実相寺昭雄は、塔について次のように語る。

   「塔は、もはや信仰対象ではない。記念碑でも象徴でもなくなって来ている。現在、各地に林立しているの  は観光塔である。見られる塔ではなくして、そこから見るための塔である。」

   「天界への傲岸な想いに身を細らせて佇立している。ある共同体に固有のシンボルであり、また、その共  同感に身の焦がれるなつかしさをそそられるもの。心の中にそそり立つもの。」

 実相寺は、塔の両義性を認識した上で、本来的には見上げられるべき存在であるのだという。「天界への傲岸な想い」とは、人間が、自身を中心に据えた世界を構築していくことへの猜疑心や不安、後ろめたさを自覚していたことをいうものであろう。(実相寺は『ウルトラマンダイナ』の中で、塔を怪獣として出現させ、やはり近代的な人間中心主義への疑念を呈示している。)
 見上げられる存在としての塔は、人々の集団的無意識に潜む「塔を建てるような力」、つまり神や自然に統治される前近代的なヒエラルキーを否定し、自然を資材や資源として生かし、文明化していく力をもってしまった人間の能力を自戒する精神のシンボルなのである。

 『シン・ゴジラ』のラストは、放射能を出し続けているであろうゴジラが日本のど真ん中で死することなく、おそらくは暫定的に凍結されたという状態で存在し続けて終わる。ここでのゴジラが原発の比喩であることはすでに述べられている。
 原子力発電所は、原子力という新たなエネルギーを生み出すものであり、人智が神の領域に近接したのだと言える。その点で原発は現代のバベルの塔であり、『シン・ゴジラ』では実相寺のいう、見上げられる塔としてゴジラが表象されているのである。
 なお、『シン・ゴジラ』の中でも塔の両義性は発露されており、見下ろす塔としても存在している。詳細は省くが、最も顕著であると思われたのは、ゴジラ出現という非常事態が、マスメディアより早く、ソーシャルメディアによって伝えられたことだろう。
 『ゴジラ(第1作)』では、マスメディアによってゴジラ出現から撃滅までが語られ、あたかもマスコミはゴジラ出現という現象の伴走者のようであった。しかもまだまだ格差著しかった都市部と地方をつなぐのもマスメディアの役割であった。
 ロラン・バルトは『エッフェル塔』の中で、エッフェル塔から市街を見下ろすものは、その地の歴史というものを思わずにはいられないと指摘したが、怪獣もまた現在というものを俯瞰で捉えることで、現代的事象を生み出した積層というものを露わにするのであり、その意味でも怪獣は塔のようであると言えるのである。

涼しい7月が過ぎていく。娘はもうすぐ満一歳。

DSC_1678 もうすぐ7月も終わり。
 去年の今頃は、出産予定日を過ぎないお産になることを願って、妊婦妻を伴って過酷なウォーキングに赴いていたっけ。
 去年の7月はそれなりに暑かったのだが。今年の夏は本当に冷夏。7月上旬なのにストーブを焚いて過ごしていた。最近はようやく温かくなってきたが、まだ夏満喫、にはほど遠い。このまま秋になるのならあまりにも寂しい。
 娘ももうすぐ満一歳。表情も豊かに。
 何かを伝えんとする表情も見せるようになってきた。

 image1_4 立とうとしたり、しゃべろうとしたりする。
 最近は自分の名前は完全に覚えて、呼名に対して挙手をするし、なんとか「はい」と発声しようともする。
 しかも今日は、夫婦の会話の中に出てきた「郊外」という単語を発声しようとしていた。最初に発声した言葉が「郊外」ならおもしろかったのに。

『ゲンロン5 幽霊的身体』を踏まえた怪獣表象論

 『ゲンロン5 幽霊的身体』は、幽霊論と演劇論を特集したものである。数年前の自分であれば、「幽霊と演劇」という組み合わせの意味がわからないか、あるいは単に、怪談や能楽のようなもののみをイメージしていたかもしれない。しかし、実際に本書で言われるのはそういう狭い意味ではない。表象(つまり”representation”)というものが、元来、目に見えない抽象的な観念を象る意であるように、不可視であるものを束の間、可視化してみせるような(つまり、非現前のものを現前させる)働きを幽霊と呼び、その幽霊が描かれる舞台として演劇は当然に語られ得ると言うことなのである。演劇は、その一回性、あるいは視聴者と演技者が同一の空間にいるという同期性、場合によっては身体性において、映画やテレビとは違うが、それでも怪獣の表象性を考える上で、非常に示唆に富む内容であった。 

 東浩紀は、デリダが幽霊と時間の関係を意識していることに鑑み、『ハムレット』の「The time is out of joint」(時間のタガが外れた)という台詞があり、つまりは時間のズレから幽霊が生じるという点に注目している。幽霊とは「いまここ」に属さないものなのだという。その意味で「シンクロニシティ(同時代性)」ではなく「アナクロニズム(時代錯誤性)」を持つのだという。

 初の本格的な「ゴジラ論」であり、「怪獣論」を提出した川本三郎は、ゴジラを英霊であるとした。それは後に赤坂憲雄や加藤典洋、猪俣賢司らにも引用され、2001年には『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』の作中にもその解釈が生かされることになる。また香山リカは、ユング心理学的な見地から、ゴジラをグレートマザーとして捉えた。ここでいうグレートマザーとは、西洋的な近代合理主義以前の時代を懐古する意識(他には、女性原理や、意識に対する無意識の意味として使われている)のことである。
 前者と後者の論旨はまったく異なるが、旧来的なものの遺物としてのゴジラが時代錯誤的に現前しているという点では同じことであり、東がいうところの幽霊的存在であると言える。

 ただし、同じ対談中の大澤真幸の意見によれば、幽霊的存在は、過去の遺物ではなく、来たるべきものとして、未来から来訪してくることもあるのだという。僕自身、これまでどちらかというと、「怪獣=旧来的な価値観の表象」のように言っていたが、それははずれではなくとも、一面的であるということに気付かせるのが、大澤の幽霊論である。
 大澤によるデリダの解釈では、幽霊とは「来たるべき救済」だということになる。今の社会を救済するものが未来のいつの時点かで訪れるという全体主義的な考えではなく、その救済は実際には生じてはならず、常に「来たるべき存在」という立ち位置に留め置かれられなくてはならないのだという。そして来たるべき存在を現前させるのが演劇等における幽霊的な存在ということになる。大澤真幸はデリダが民主主義社会の実現というコンテクストでこの幽霊の話をしていることを踏まえているが、「来たるべき理想的、完成された社会」を仮定し、それを現前させる機能が幽霊的存在にはあると言うことにはなるだろう。 

 1960年代の『ウルトラ』シリーズには、ディストピア的未来社会が仮構されていた。2020年には、知性(≠理性)ばかりが発達して肉体と理性を喪失したケムール人が闊歩していることになっているし(『ウルトラQ』第19話「2020年からの挑戦」)、地球とよく似た第4惑星では、科学的技術と計算的理性がヒエラルキーの頂上に君臨し、人間、そして人間らしさは蹂躙され、そのような社会秩序に抗う者は葬られるし、その葬られる様さえもが、匿名的多数として描かれる観衆の娯楽的消費のためのコンテンツになってしまっていた(『ウルトラセブン』第43話「第4惑星の悪夢」)。
 これらは、高度経済成長期の日本が夢想し、やがて訪れる社会を、怪獣、あるいはサイボーグという虚構的身体によって現前せしめたものだと言える。この現前しないはずのものを現前して見せた虚構的身体こそが、大澤の言う「来たるべき幽霊」ということになるだろう。

 木ノ下裕一は、「古典芸能の幽霊は、〈歴史を再現する〉ために現れるのだ。」「権力を有した勝者が書き記す「正史」では語られない、もう一つの真実を語る。〈敗者から見た歴史〉を克明に再現しながら、今を生きる者に「お前たちの住んでいる世界は、累々と重ねられた屍の上に在るのだ。忘れているかもしれないが、忘れたふりをしているかもしれないが、この事実は、なかったことにはできないのだ」と語りかける。」とする。
 これは馬場あき子が『鬼の研究』の中で、鬼に対して指摘した点と共通するものである。

  『ウルトラマンA』では、シリーズ初のレギュラー悪といえる「ヤプール」が登場する。これは、『仮面ライダー』のショッカーに相当する敵組織を描くというねらいもあったのかもしれないが、そうであったにせよ、ヤプールが(『ウルトラマンA』構想者にして初期のメインライターである)市川森一の怪獣観を象徴的に描いたものであることは間違いない。そしてそのヤプールは敗れても敗れても生き返り、「勝者は敗者の恨みを背負って生きているのだ」と呪詛のように告げる。(ヤプールは基本的に実態のないものとして描かれていたが、この際には女性として描かれ、元来男女合体変身していたものの、そこから女性性を剥奪され、両性具有から男性化したウルトラマンAによって葬られることで、男性が女性を抹殺した点も注目されるべきことだろう。ここでの男性/女性は、男性原理であり女性原理であると解されるものである。この部分についてはすでに切通理作氏が『怪獣使いと少年』の中で触れている。)
 つまり怪獣とは、「正史」を描くような勝者によって葬られた敗者であり、忘れている、あるいは忘れたことにされかねない真実を伝えるものだということになる。

 以上の論を統括的に述べたのが、東浩紀の「生者の喧噪は時代も地域も超えられないが、幽霊の呟きは時代と地域を超えられる。」という言葉である。
 敗者(=当時の社会的秩序から外れた存在)や死者(例えば、戦死者は社会的秩序に則って行動していたわけで、敗者とは区別されるべきだろう)の怨嗟は、過去に埋葬されてしまうものだが、幽霊として未来のある地に降り立つことで、現前させることができると言うことになる(まさに”representation”であるだろう)。また、大澤が言うように、それは過去の遺物のみならず、いつか来る未来の姿を現前させることもある、という意味で、幽霊は時代も地域も超えられるのである。

 『ギルガメシュ叙事詩』の森の精としての異形フンババをはじめ、怪獣は(精)霊的存在である(実相寺昭雄監督も怪獣を「自然の霊の具現化」とする)。と、同時に、出現したのも束の間、ほとんどの場合、エピソードの終盤で葬られることを、予め制作者も視聴者も含みおかれる怪獣は、現前する(幽)霊的な存在なのである。

 「霊としての怪獣」の次は、「塔としての怪獣」について考えていきたい。

押田くんとの語らい――仏教のこと、思想のこと

IMG_7033 この週末は日本記号学会での発表のため、名古屋へ。
 名古屋には大学時代の球友、押田清秀くんがいる。押田くんは、曹洞宗の伝統あるお寺のひとつである安用寺の副住職。昨日は学会終了後、この押田くんと久々に二人で色々なことを語り合った。
 僕は酒を飲まなかったが、半ば酔ったように語り合っていたので、少し整理が着いていないかもしれないが、こんな話をした。

・仏教、またお寺というものをどのように地域に、特に若い世代にリンクさせていくか。

 これについて僕は、「観光としての仏教的体験の提供」ということを考えた。
観光はもともと「非日常」的体験であるとされていた。だが、実際には「日常/非日常」は脱構築されつつある。そこでマックスウェーバー的な「魔術的/脱魔術的」という二項対立を用い、脱魔術的=合理主義的社会である現代、魔術的=非合理、宗教的論理を平易に呈示することに、魅力を感じる人は大勢いるのではないかということだ。

 今度は、僕からの提案で、

・思想としての仏教で、言論を提供することはできないだろうか。ということを伝えた。

 例えば、仏教観でポップカルチャーなどのきわめて現代的な事象を斬ったり、そういうことはできないのだろうか、とかそんなことを想定しながら言ってみた。
 ここで押田くんから指摘されたのは、身体性の問題であった。身体性の欠けた批評というものは偏ってしまうのではないか。なので仏教のもつ身体性を意識したいと。
 普通、批評の可能性を論じるときに、すかさず身体性の問題には飛ばない。ところが、押田くんの切り返しは鋭い。仏教というのは、僕のような門外漢には及びもつかないような深遠な思想ーーもちろんそこには批評性も伴っているだろうーーを語りつつ、それを座禅のような具体性、そして身体性を伴って体現してきたという歴史がある。そこは度外視できないというのが押田くんの考えのようであった。
 東浩紀が『ゲンロン5 幽霊的身体』で演劇に注目して触れているのはこの辺りなのではないか、と思った。
 僕も、身体性の欠けた思想というものは極論的で、加減のないものであると思っていた。究極的には、0か1かの二元論に陥ってしまい、少なくとも私たちを豊かにするものにはほど遠いものになってしまうのだろうと。だから、押田くんの話を聞き、そうか、座禅などのある仏教というものは、身体性を伴った思想であったのか、と思うに至った。
 
 こうやって羅列すると、仏教には、そして押田くんの今後の取り組みには色々な地平が拓けているように思われる。しかし、実行することの難しさ、また実行してみて気付く困難というものも当然にあるのだろう。そういったものを如何に克己し新たなフロンティアを開くのか、興味が尽きない話であった。もちろん僕は、門外漢であるが故の、気楽さでぽんぽんアイデアを投げ掛けていたわけで、押田くんはそれを一つ一つ、吟味して聞いてくれていたように思う。

 押田くんは大学時代、比較的寡黙で、僕らが熱く何かを語り合うことはなかったように記憶している。でもこの人は何かやるだろう、そう確信したのは、野球サークルの卒業旅行で、みんなが青臭く将来像を語り合ったときだ。既に修士課程への進学を決めていた押田くんは、音楽を通して表現していくというようなことを決して熱い口調ではなく、しかし、しっかりと芯のある言葉で語っていた。周囲も心地よく圧倒されていたのではなかっただろうか。そしてその時の言葉のごとく、音楽で、演劇で、書で、そして本業のお坊さんとして表現し続けている。
 心地良い刺激を受けることができた。

大学論―汎用性のある「知」はインスタントには向かない

 大学というのは、塩や砂糖、こしょうやみりんを製造するところであって、レトルトカレーや、麻婆豆腐のもとを製造するところではない。
 社会に出てすぐに役立つ人材を(=ご飯の際にすぐに使える食材を)と、言われれば、レトルトカレーや、麻婆豆腐のもとが重宝されるかも知れない。
 しかし、レトルトカレーや麻婆豆腐のもとは、その料理にしか使うことができない。

 反対に、塩や砂糖、カレー粉にオイスターソース、みりんに日本酒…多くの基本となる調味料があれば、色々な料理を作ることができる。その代わり、料理を作るには少々時間がかかる。

 大学の本来的な役目はどちらか。これはもちろん後者であると思う。ただ、基礎となる調味料をどう生かすのか、どのような料理を作り得るのか、という具象化する次元との往還が必要であることは言うまでもない。

 即戦力、という響きの良さに目をひかれ、その時代、ある場面で有能な人材だけを育てようと思えば、結果的にインスタント食品を濫造するようなことになりかねない。

明日は何かあるかもという期待感と〈風景〉

 帯広からの帰路、久々にラジオを聞いていると、Winkの「愛が止まらない」が流れた。
 聞きながら、二つのことを思った。
 
 一つ目は、このドキドキ感、テンションは何なのだろうということ。
 先日、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」を久々に聞いたときも同じことを思ったのだが、これらの曲には、この後に何かドラマチックな非日常が待っているかも知れない、という空気感が付帯しているような感じがして、その正体は何なのだろう、という思いになった。
 単純に考えれば、時代なのかも知れない。前者は1988年、後者は1985年の曲で、少し先の未来は今よりも明るくなっているだろうという思いが、漠然と人々を包んでいた時代だから、それが歌に反映したのかも知れない。
 ただ、実はこれらの曲に、独自のテンションを感じるのは僕の感性という個人的なものによるであって、単純に昔聴いていた曲を久々に聴いたときに起こる思いなのかも知れない。
 
 二つ目は、風景が浮かぶという点。
 「愛が止まらない」の少し前には、松田聖子の「渚のバルコニー」が流れ、こんなに風景が浮かんでくるものなのだなと、これはもう叙景詩だな、などと思っていたが、「愛が止まらない」はもう少し閉塞的な空間が舞台ではあるものの、やはり風景と、そこに置かれた人物の表情が浮かんでくる。
 例えば、AKB48の歌にも風景は描かれている。けれども、そこには心象風景や、比喩としての風景は描かれていても、小説の舞台設定のような、小道具としてのといっても良いかもしれないような風景は不在、あるいは希薄化しているように思えてしまう。
 ちゃんとJ-popを調べているわけでもないので、いくらこのブログが雑記のようなものでも、あまりに断定的な物言いは慎まなくてはならないのかも知れないが。

久々の十勝

 平日は当然だが仕事。
 休日は育児に加え、大学院生としての研究。
 本当に休みらしい休みがないので、この連休は家族で帯広旅行。
 友達家族や、友達の両親とも数年ぶりに会い、良い時間を過ごす。
 
 十勝には、帯広市に1996年4月から、3年ちょっと住み、その後、鹿追町に11ヵ月ほど住んだ。
 この間は職が不安定であったこともあり、常に経済危機と隣り合わせで過ごしていた。
 しかも、正規雇用の教師になれるのかどうかという不安、執筆の仕事に携わりたいが叶うかどうかという不安、まずは非正規でも良いから教師を続けたかったが、臨時採用など、希望者が多くて簡単には叶わない状況であり、生活をどう支えるかという不安―これらは焦燥といった方が良いかもしれない―がこみ上げてきて、十勝では、安定して何かに打ち込んだという記憶がない。しかし、十勝にいた時代は決して空虚ではなかった。思い出としてはむしろ、おもしろかったことがこみ上げてきて、懐かしい地なのである。これは単に、時間がそうさせたとか、そういう類のものではない。お金がなく、焦燥に駆られてはいたが、楽しい時間を過ごせた地である。
IMG_6896 今こうして、妻と娘を連れて、観光で訪れる日が来るとは、当時は考えたことさえなかった。
 誰にでも、甘さと苦さの入り交じったような記憶の蘇る地というものがあるのかも知れないが、僕には十勝がそれに当てはまる。
 大学を出て、一応は非正規、期限付き等で教職に就きつつも、自らの非力さや軟弱さゆえに、何者にもなれなかった地。この場にかつての友達がおり、また新たな知り合いもでき、つまりは人によって支えられることでどうにか独り立ちできた、社会人として最初の任地は、今少しばかり心にゆとりのある状態で再訪すると、そこにはまったく異なった景色が広がっていたといって良い。
 だが、かつてそこで苦境に立っていた自分自身と、現在の自分を比べて優越感を感じる、というものでもない。むしろ、あの頃の自分の強さ、先ほど書いた非力さや軟弱さと矛盾するように聞こえるかも知れないが、弱さを自覚、自認せざるを得なくなりつつも、やや比喩めいた言い方をすれば、負けることはあっても逃げることはなかったというようなささやかな強さが、風が吹いて自分の意図に関わらず振られ続けながらも、とうとう折れることなく、風が止めばまた元の位置に戻っている小枝のようなささやかな強さが、かつての自分にはあったのではないか、ということを思い起こすのである。
 十勝で社会人生活を始めたのが22歳。今が44歳であるから、ここまでの人生の中間地点に行ってみたということになる。

時間の距離

 もう、同じようなことを何度も書いているような気もするのだけれど、時間の距離感がつかめない。
 娘はまだ生後八ヶ月で、アギュー、バブーと、言葉にならないような発音しかしていない。ハイハイはせずにお尻歩き。
 唯一、20代で結婚した友達がいるのだが、先日、娘さんが高校生になったのだという。
 15歳か。
 うちの娘が15歳になるのなんて、はるか未来という気がする。
 対して、自分が15歳の時なんてそんなに前でもないように感じる。
 でも実際には、44歳の僕にとっての15歳は29年という差があるが、赤ちゃんである娘にとって15歳までの距離は15年しかない。これが何回考えても実感が湧かないことである。

 僕にとって4歳の頃の思い出は遠く霞むようなものでしかない。おそらく、家の近くで夜、盆踊りがあり、母とそこに出かけ、レモンスカッシュとカルピスソーダをもらって帰ってきた夜が4歳頃だったように思う。
 娘にとっては、いつか遠く霞むような4歳の頃の思い出がいまだ来ておらず、未来にあるのだということこそが最も実感が湧かないことなのである。

ハイオクを少しの間入れてみようと思う

 ハイオクって何のためにあるのだろうか。
 なぜレギュラーガソリンや軽油以外で動く車が必要なのか、よくわからずハイオクについて調べていくと、思わぬハイオクの効能、エンジンの洗浄効果があるということを知り、特にエネオスのサイトによれば、2000勹薪召垢襪函■牽亜鶲幣紊留れが取れるだか、何とかということで、リットルあたり11円しか変わらないのだから、こんな事でもしかすると、少しは車が長持ちするかも知れず、そうであるならこんな得なことはないと思って、当面、ハイオクを入れて走ろうと思う。
 それにしても、軽自動車には軽油を入れるものだという勘違いがあり、セルフ給油などで思わぬトラブルが発生しているそうだが、気持ちはわかる。今でこそ、必要に迫られて車を持ち、年間1万7千キロ前後は走るユーザーとなったが、もともとは車のことなど何も興味がなく、オートマティック車を自動走行車と思い、最近話題になっているテクノロジーが、そのときすでに実現されているものだと、大真面目に90年代半ばに思いこんでいたくらいだったので、一歩間違えれば、そのくらいのことはしでかしていたように思うからだ。

はじめての合唱

 小学校中学年の頃だっただろうか、はじめて学校で合唱をした。
 そのとき思ったのは、自分の好きなパート、というより主旋律を歌いたいのに、どうして歌わせてくれないのだろうということだった。
 わがままと言われればそれまでだけど、それはそれで率直な思いだった。
 きっと他にも同じことを思っていた人はいたのだろうけれど、そんなことはとっくに忘れてしまうようなことなのかも知れない。

校則が厳しかったという過去も尾崎豊も忘れ去られていくのか

 毎日新聞の校則に関する記事が興味深い。
 しかし違和感も拭えない。まず、本紙の方ではこの記事のもととなる、五つの校則についての調査結果が出ているが、数ある質問項目の中の五つなのか、この五つだけで調査したのかが判然としない。
 たまたまこの五つの校則については概ね、最近の方が厳格化しているという意図だろうが、そもそも昔は、珍奇、理不尽な校則が多々あった。「男子は全員丸刈り」「外出時も制服を着ること」「ニキビ治療薬は使用不可」「学校で配布される校章入りの表札を玄関に掲げること」「筆入れの長さは18センチ以上」後者二つは自分の通っていた中学の校則だった。
 
 こんな訳のわからない、そして暴力的な校則に従っていた世代も今や教育の現場では中堅以上の年齢。だからだろう、校則は緩和し、目の前の生徒たちに自分たちが中学生だった時代の校則の理不尽さを伝えると驚愕する。
 たしかに、いまだに他地域では、管理主義的な教育がまかり通っているところもあるのだろう。しかし、それ以上に驚くのは、昔あんなに理不尽な校則が多く、社会問題化され、管理教育への反旗としての『僕らの七日間戦争』がそれなりの共感を持って受容されたといった過去がいとも簡単に忘れ去られているかのように思わされることである。尾崎豊だって、「この支配からの卒業」と謳っていたのは、社会が常識の名のもとに下していた学校的な束縛からの脱却だった。尾崎豊の名は今も伝説的アーティストとして思い出されても、当の尾崎が何を謳い、何が故に主に若年層を中心とした人々から、教祖の如く扱われたかということは容易く忘れ去られてしまったのかも知れない。

院のサイトで紹介していただく

IMG_6159 所属する院のサイトに、先日の対談の件を掲載いただく。
 駒大でも、放送大でもこのような経験はなかっただけにとても嬉しい。
 
 育児休業も残り一週間。

 冬の夕暮れ時も校内は美しい。

掲載―毎日新聞「特撮・アニメ対談」(下)

 今日の毎日新聞webに「特撮・アニメ対談」の後半を掲載して頂く。

 記事化された部分以外では、小新井さんの「ゴジラ怪獣惑星」解釈が実に面白かったし、自分も最近の怪獣研究の新展開を語っていたのだが、ネタバレであったり、専門的であったりして、今回は活字にならなかったが、いずれそういうのもまた披露できるかも。

 今回も、色々な方のお手を煩わせた。
 ただただ感謝。

掲載―毎日新聞「特撮・アニメ対談」(上)

 今日の『毎日新聞』のwebに「特撮・アニメ対談(上)」掲載して頂いた。
 同じ院に在籍されているアニメコラムニストの小新井涼さんとの対談。
 せっかく同じ院にいるのだから、アニメファンと特撮ファンという立場から、「アニメ版ゴジラ」を論じてみてはおもしろいのではという話が今回の企画の出だし。その後、毎日新聞のかつてお世話になった記者さんのお取りはからいで実現。
 やはり、同じポップカルチャーとは言え、アニメと特撮では異なるし、そもそも世代が大きく違うので、とてもおもしろい機会だった。
 明日の後編が楽しみ。

2018年からの子育て意識

 今が30年後だとする。

 ―時代は2048年―

 早菜子は30歳。僕は74歳。妻は69歳。
 遠方に就職した早菜子が帰省するのは年に2〜3回。

 image1 僕らはときに、早菜子が生まれてから、その日に至るまでの一コマ一コマを回想することだろう。

 もう二度と戻ってくることのない、早菜子が幼かった日々。
 生まれてきた瞬間。
 初めて歩いた日。
 初めて話した日。
 泣いて帰ってきた日…。

 現在進行中の時間として過ごしていたときには、何とも思わなかった日々の時間も含めて、その頃には輝かしく、でも決して手の届かないところにある時間になってしまう。 
image1 早菜子だけじゃない。
 まだ若々しかった頃の自分たちのことを思い出す。

 早菜子と一緒になって走り回っていた僕と妻。
 一日だけで良い、いや1時間だけでも良い。あの頃に戻れたらなんて考える。まだ40代だった僕と妻が、幼い早菜子と家で遊んでいたり、どこかに出かけていたり。時計の針を巻き戻して、みんなであの頃に戻れたら…。 でも、こんな願いが叶うことはない。

 image2 と、考えることにした。
 僕たちは実は、一度30年の年を経てしまった。74歳の僕、69歳の妻、30歳の早菜子が2048年の世界には”いた”。
 けれども、何かの力で30年前の時間に戻ることができた。
 2048年に、一時間だけでも良いから戻りたいと思っていた輝かしい時間に戻ることができたのだと。

 今朝、見た夢をはっきりとは思い出せないのだが、それにヒントを得て、今朝からこう思うことにした。
 すると、何でもない妻や娘の笑顔さえもが、手からこぼしてはならないような貴重な笑顔に思えてきた。

 これからも色々な思いを抱くことがあるだろうけれど、気持ちが曇りそうなことがあったら、今のようなことを思い出すことにしようと思う。  

(二枚目の写真、早菜子の横の絵は僕が幼い頃に描いた絵)

2018年 あけましておめでとうございます

年賀状2018 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。

 今年の秋には45歳。40代も半ばに入るこの年は、妻や娘とともに元気に生きる時間を長く確保するための健康管理と、博士号取得のための研究活動に精進していくつもり。もちろん生業である学校もね。

 年賀状には今年初めて「ね子」もプリント。

 今年は福袋も、ベビー用品ゲットへ。

2017年を振り返って――娘誕生と自身のUp Date――

IMG_5215 2017年は、娘、早菜子が8月5日に誕生。これに尽きる。
 去年の12月28日に心拍を確認して以来、丸一年以上、出生前も後も、このことばかり考えていたと言って良い。今年は、転勤、修士課程修了、博士課程入学と、大きなことが目白押しであったが、何かを思い出そうとしても、今も寝室で大の字になって寝ている娘のことしか頭に浮かばない。
 チャイルドシートも、お尻ふきも、学資保険も、授乳室の有無もこれまで僕の関心事ではなかったが、一気にこういう事物が生活に流入してきた。今後もますます流入してくるだろう。
 今見ている紅白の最新の曲さえも、早菜子にとっては記憶に残らない「物心つく前の歌」になる。こうしたことが僕にはどうにも理解できない。もちろん理屈としてはわかるが、僕にとっての色褪せた記憶が実際に40年も前のものであるのに対し、娘にとってこれから色褪せた記憶になるものが、いまだ未来に存在しているということがどうにも実感として理解しがたい。
 自分自身のこととしては先にも触れた、院での学びが大きい。一言で言えば、自分をアップデイトできたのではないかということだ。この年で、2017年時点で概ね最新と言えるような知見をシャワーのように浴びることができたのは幸福なことだった。
 妻と迎えた2016年、2017年への年越し。
 早菜子を交え、3人で迎える2018年への年越しが、間もなくやってくる。

『キジムナーKids』を読んで

 今年最も充実した読書となったのがこの本。

 『ウルトラ』シリーズや戦隊もの、宇宙刑事シリーズでメインライターを多く務めた上原正三先生の手による書き下ろし。もう僕などは、2017年の今、上原先生の最新作が読めるというだけで感慨ひとしお。
 舞台は戦後の沖縄。しかしそこは戦前、戦中と地続きの空間であり、一見、天真爛漫な少年たちが、また、放埒そうな若者たちが抱えるのは、肉親の死や、自らの身体の損傷など、大きな悲しみや苦しみだ。
 しかし彼らの織りなすドラマは悲劇的に描かれはしない。劇的というような描写自体が少ないといって良い。
 辛苦を経ていつつも、子どもらしく無邪気に過ごしていることで、かえって戦争の傷跡の深甚さを思いもする。

 この作品は上原作品の集大成であると同時に、原点でもあるように思われる。
 個性が描き分けられる5人の少年達は、戦隊ヒーローの5人のようでもあり、ウルトラシリーズの隊員達のようでもある。コメディリリーフの警官は、宇宙刑事シリーズの大山小次郎のようでもある…というように、上原先生がこれまで書いてこられた世界観の根底が今新たに示された。そんな思いを抱かせてくれる。
 物語の真髄は、主人公の父親が「幽霊と仲良くしなさい」と言うことだ。それを聞いた主人公のハナーは、周囲から異形同然に扱われる旧軍人の山城を一個の人間として接し、その時、山城も一人間としてハナーに応じるシーンだろう。これこそが、上原先生が長年提示されてきたヒーロー像にほかならないのである。
 本作は舞台こそ過去だが、我々がいよいよ意識していかなくてはならないエートスが提示されているといって良い。自分たちと異なるものを異形のように扱い、排除する社会は、幽霊の存在など信じてもいないのに、考えの違う人間を幽霊呼ばわりすることと変わらないのではないか――。ハナーの行動はそんな思いを馳せさせてくれる。
 これはまったく個人的な感想だが、本作のラストは『帰ってきたウルトラマン』最終回で、郷秀樹と次郎、ルミ子が海辺で最後の会話を交わすシーンを彷彿とし、どこからかBGMと「聞こえるかい郷さーん」の声が聞こえてきた。郷がウルトラマンであることを自然と受け入れ、何の不思議もなく、宇宙へと帰っていくウルトラマンに「郷さん」と呼びかける次郎の姿が僕には浮かんできたのだった。

 本作は集大成であると同時に原点だ。
 でももう一つの集大成がある。

 それが「M78星雲の島唄―金城37歳・その時―」(上原正三シナリオ選集所収)だ。
 『キジムナーKids』が上原作品の集大成だとすれば、「M78星雲の島唄―金城37歳・その時―」は、金城哲夫が生み出したウルトラの世界の集大成であると言える。今や”ネバーエンディングストーリー”となった感さえある『ウルトラ』シリーズだが、金城哲夫が生み出した世界と直結する、精神的な最終回こそが、上原先生の書いたこのエピソードであると思っている。

 父を求めるギャバン=一条寺烈も、母星の再興を目指して地球を去ったシャリバン=伊賀電も、『キジムナーKids』の地平を歩んでいたのかも知れない――『キジムナーKids』を読んだ後に振り返ると、これまでの上原作品に新たな世界が見えてくる。

パーティー

IMG_5568 12月23日にパーティーに出席。
 結婚式を挙げた札幌パークホテルでは、ここで結婚式を挙げた人たち限定で出席できるクリスマスパーティーが催される。僕らは去年も出たかったのだが、大雪のため札幌に向かうも参加が叶わなかったのだった。出たかったのに出られなかった僕らの思いを汲んで、プランナーさんからケーキを送ってきて下さったのがどれだけ嬉しかったことか。

IMG_5575 というわけで今年が初の参加。
 割とこぢんまりとしているパーティーかと思いきや、120名の参加だそう。やはり今年、式を挙げた人が多かったようで、必然的に自分たちより若そうな人が目立つ。
 数々の工夫を凝らした演出で、2時間はあっという間。

 IMG_5579 自分たちの式を担当してくれたプランナーさんの潟田さんと、同じく自分たちの式の司会を務めてくれた新井田さんと再会。
 式場を探すときには、パークホテルともう一つ他のホテルの二つにまでしぼったのだが、もう一つのホテルは司会者には絶対の自信があるといっており、どちらのホテルにするか迷った。それをパークホテルに話した上で、こちらも良い司会者を、といって担って下さったのがこの司会者さんであった。聞きやすい語り口であるのはもちろん、臨機応変に進行して下さり、大変良い司会であったと思っている。その調子に一年以上ぶりに触れられたことは嬉しいことであった。
 
 IMG_5603 子の誕生後、なかなかこういう場に出る機会もなかったのだが、ちょっとムーディーな空間にいられたことは心地良かった。

 大勢の参加者がいた。聞けば結婚から何年も経つ人たちも。
 結婚生活は決して良いことばかりではなかったものと察する。それでも今こうして、自分たちが式を挙げた場に戻り、束の間”あの頃”に戻ることで、また気持ちも若返るのかも知れない。
 
 早菜子は、ここで父と母が式を挙げたのだということを察することもなく、寝たり、腕をぶんぶん振ったり、ニコニコしたりしていた。

石川淳「焼け跡のイエス」読解

 石川淳「焼け跡のイエス」。

――戦後の闇市を舞台に、浮浪児のせいで小さな嫌な目に遭う主人公の物語。――

 この話には、「公権力」→「人々」→「浮浪児」という階層がある。
 あまりに異様な雰囲気を醸し出す浮浪児は、人々から怖れの混じった嫌悪感を抱かれる。しかしまた人々も、この物語の舞台となる闇市を閉ざそうとする公権力の前には無力なのである。
 浮浪児に腕っ節で負かされた主人公は、この階層の最底辺に位置づけられる。だからこそ浮浪児をこの階層の頂上、あるいは階層の枠外に位置づけるしかなく、浮浪児にイエスを重ねた。
 これは『阿Q正伝』で、本当は負けているのに自分は勝っていると思いこむことで充足する「精神的勝利」のようなものだろう。
 主人公には高尚な趣味も描かれるが、そのような高尚さなど戦後の闇市の中では無力化され、むしろ女の身体に誘惑される性の方が、この主人公の行動や、主人公に対する他者からのまなざしを規定することになる。

若松Japanとか、梨田Japanが見たい

 なぜ、野球の日本代表の監督は小久保とか稲葉とかなのか。
 もう少し上の世代、しかも監督経験者の采配が光るのでは。
 野村の後を継いで、強いヤクルトをキープした若松勉とか、パリーグを代表する梨田昌孝とか、森監督のカラーを一新した上で強いチームを作った東尾修とか、あるいはもう少しスター性を考えたとしても原辰徳とか、監督候補はまだまだいると思うのだけれど。
 なぜ、監督経験のない小久保とか稲葉なのだろう。

アニメショップの排他性と潔さ―ソフトパワーの巻き返し

 先日、はじめてアニメショップに行ったのだが、そこには見事なまでに種々のコンテンツのグッズが並んでいた。そしてキャラクターがあふれんばかりであり、個々のキャラにはバックボーンとなる物語が存在することを予見させる。
 そこには排他性があると感じられた。(それが悪いと言っているのでは決してない)
 閉じられた物語というものに触れていない人には、ほとんど接点を持つ機会がない。
 徹底してアニメのコンテンツが並べられており(『ユリイカ』もあった)、特撮作品は置かれていない。(置かれているショップもあるのかもしれない)
 この排他性には潔ささえ感じられるとともに、ある可能性を感じた。
 それは、ディズニーに対抗できるソフトパワーはここにあるのではないかということだ。
 前にも書いたが、ディズニーは多くの場合、物語を喪失したキャラクターが置かれる。そして我々日本人はそうしたキャラクターを消費することに馴致させられてしまった。しかし、アニメショップには、無数の恐らく島宇宙化した物語が渦巻く。ここからキャラクター主導のソフトパワーによって、ソフトパワーそのもののヘゲモニーをつかんだディズニーへの巻き返しが起こる可能性はないだろうか。
 そういえば、アニメショップにはディズニーグッズは見当たらなかった。

希望の高校と希望の大学

 一つ前のブログを書きながら、ふとわかったような気がしたことがある。

 僕は高校受験の結果、希望していない高校へ進学した。勉強していなかったので公立高校に落ちたからだ。必然的に併願していた私立高校へ行ったが、多くの生徒が僕と同様に「来たくないけど仕方がないから来た」生徒であり、学校祭の準備中にエスケープしたり、素行を咎められた生徒がガラス戸をけり割ったり、そんな場面もあった。もっとも、結果的にはこの高校へ来て正解であったと思うようになるのだけれど。

 一方、大学は行きたい大学の行きたい学部へ行くことができた。でも、それが少数派であることが当初まったく理解できずにいた。
 自分が国文学科が第一希望であったということを話すと、同じ国文学科の人から「なんで国文なんかに!?」と聞かれたり、逆にじゃあどういうところに行きたかったのかを聞くと「そりゃあ、早稲田の政経とか…」といった返答がくることもあった。僕は「国文学科=文学好き、(もっと単純化していえば)本が好き」のイメージがあったが、実際には経済学部や法学部に落ちたので、ここに来たという人の方が圧倒的に多かったのである。
 しかしそれは、僕が高校時代におかれていた境遇を、今度は大学に当てはめて考えることができていなかっただけなのであった。つまり、彼ら(彼女ら)も僕も同じ経験をしていたことになる。
 こんなことに気付くのに四半世紀もかかった。

批判的精神

 研究をするにあたり、僕はしばらく自分には批判的な読解ができていないと思い込んできた。
 それらしく書かれた論文を前にすると、納得してしまうことが多いからだ。

 でも、つい最近ふと思ったのは、批判的精神は相当古くから持っていたということだ。
 
 中学生のころ、管理教育の時代であったから、学校の決まりはいろいろと厳しかった。反発はしなかったが、そこに批判的精神はあった。「筆入れは18センチ以上である必要が本当にあるのか」と。
 考えてみれば、幼稚園児の頃に、幼い読者に向けた雑誌の裏表紙に、「大場久美子ちゃんとスーパーカーに乗ろう」的な広告を見つけ、胡散臭さを感じたことは今でも覚えている。スーパーカーにも、アイドルにも興味はなかったせいか(『コメットさん』は見ていたが)、「子どもってこういうの好きなんでしょ」と言わんばかりの浅ましさが非常に鼻についたのだ。(ちなみにこの業者は後に逮捕された。)

 サンタを信じられないのも、一種の批判的精神であるだろう。この手の「神話」に取り込まれることはあまりなかったように思う。
 高校生に入ってからも、この批判精神は変な部分で発揮され、新聞局でも中二病的な記事を書いていた。自分の通っていた高校が(当時は)いわゆる進学校などではなかったせいもある。

 ところが、大学に入るとそこは、高校とは全く別な世界で、本格的な学術が僕にはどうにもピカピカして見えた。以来、アカデミックなものに対しては、あまり批判的になれずにいたのだろう。
 一方、アカデミックなもの以外はどうかと言えば、教育に関する言説に対して僕は、批判的精神の塊だと言える。まずほとんどの言説を疑ってかかる。それはもう内面化された無意識のレベルに近い。納得することが多いものとしては教育社会学の言説だろう。「スクールカースト」も「ブラック部活動」も「学歴分断社会」も、現場ではほとんど語られないが、自分としては非常に核心に迫る研究であると思っている。

 ともあれ、自身の批判的精神について自覚できたことは何よりであった。

『ウルトラ』シリーズ最終回の召還

 先日、妻が毎朝みている韓国ドラマの最終回を見るとはなしに見ていると、死んだかつての権力者が、幽霊のように現れて、生きている主役を誘うかのようなシーンがあった。
 これを見て、そういえば昭和の『ウルトラ』シリーズにも仲間による象徴的な意味での召還があったということを思った。

 『ウルトラマン』ではゾフィが。
 『ウルトラセブン』ではセブン上司が。(但し、脚本中にはセブン上司という語句はない。あれはセブン自身であるようにも思えるが)
 『帰ってきたウルトラマン』でも、実は初代ウルトラマンが。
 『ウルトラマンA』では南夕子が。
 『ウルトラマンタロウ』ではウルトラの母が。
 『ウルトラマンレオ』ではセブンが。
 『ウルトラマン80』ではユリアンが。

 『ザ☆ウルトラマン』は、舞台がウルトラの星であり、エレク、ロトやアミアは出てくるが、召還ではなく、共闘という感じ。

クリスマスツリー

IMG_5433 娘が生まれたことだし、クリスマスツリーを買おうということに。
 ニトリで、180センチのを買う。
 
 小さいころから、クリスマスツリーって良いなと思っていた。高価なものであるだろうし、親にその思いを伝えたことはなかったけれども、やはり小さいころ、クリスマスツリー、というよりもツリーを飾るような雰囲気に憧れていたんだろう。サンタは決して信じない子どもであったのに。
 だから、ツリーを選んでいるときから何か満ち足りた空気に包まれたし、家で夜になりこれを組み立てているときも満ち足りた気持ちであった。夜にはよくぐずる娘も、何ができあがるのか、好奇の目でじっと見ていた。
 そしてできあがったツリーを点灯。
 ああ、これを飾るためにやってきたのだなと思った。妻もそんなことを考えたらしい。

 クリスマスといえば、1997年に出た「ドラッチ」というドラえもんの、クリスマス仕様のペア時計があり、当時ワーキングプアーで極貧状態であった僕には手の届かない世界のものだった。お金があったとしてもこれを買うことはなかったが、当時の僕には決して手の届かない豊かな世界が確実に存在することを如実に語る一品だった。
 また、小学生の頃に友達が作った非常に印象的な替え歌を除けば、鈴木亜美の「HAPPY NEW MILLENNIUM」が思い起こされる。でもこれを聞いていた時代の僕も、97年ほどではなかったものの、色々な面で豊かではなかった。
 
 今、娘の目の前で妻とクリスマスツリーを組み立てる。
 妻もこれを前にこれまでの人生の苦難を思い起こしていたのだという。

 早菜子もやがて人生の苦難を感じ、満たされない思いに包まれることも当然にあるだろう。父と母もそんなことを経つつ、娘のためと言いながら、実は自分たちのためにこのツリーを買い、幼い娘の幸福を願っていたと、遠い日のいつか、伝えたいと思う。

最近の関心事「風景論」

 哲学概念としての「観光」に触れることで、昔から哲学概念となっていた「風景」の意味が少しだけわかるようになってきた。
 今は柄谷行人、加藤典洋、切通理作さん、そして恩師の高橋文二先生の「風景論」を参照している。

 『サザエさん』の原作には、磯野家と関わらないエピソードの中で、磯野家の誰かがワンカット描かれることなどがある。それはカツオであり、ワカメであったりするのだが、彼らはそのエピソードの中では前景化しない。電柱や家屋同様に平面的に、つまり風景として描かれるに過ぎない。
 磯野家と関わらないどこかで様々なドラマがあることを描くことで、反対に磯野家のドラマも、世間の中の誰にも知られぬエピソードに過ぎないことを示すことになる。
 また、ヴォリンゲルの言う抽象衝動――〈ミメーシス=模倣〉によらない、むしろ自然に生じ得ない抽象的な風景を描くことの意味が、最近どうにも気になって仕方がない。

娘は今日で生後4ヶ月――40代の子育て

IMG_5197kai 今日で誕生から4か月。大過なく育っていることを有り難く思う。そもそも、命を授かったこと自体、本当に有り難く思っている。
 
 大学生の頃とかは、20代後半で結婚したいと思っていた。
 自分は結婚できるだろうか、という思いを抱きつつ、大人になれば結婚するのだろうという幼い頃からの漠たる思いもあり、子育ても20代後半とか30代前半のイベントであるように思っていた。
 でも僕はその年代で結婚することはなく、そればかりか、人生の大きなイベント、結婚、子育て、修士課程、博士課程と二度の受験、大学院生活が40代に集中することになった。これは20代前半の僕にはまったく想像できなかった展開だ。
 早菜子が高校を卒業する頃には還暦を過ぎ、仮に35歳で結婚するとして、その時、僕は78歳。
 できるなら、自身の心身ともに健全な中で、また経済的不安に苛まれずに、娘の結婚や出産を見届けたいと願っている。

もう一方の『ゴジラ』論がもっと語られて良い

 『ゴジラ』論に関しては、第1作のゴジラが皇居を前にしてそこを破壊せずに戻っていったことから、川本三郎の「ゴジラ=英霊」説が出され、それを踏まえて赤坂憲雄や加藤典洋がゴジラ論を語っている。この論は説得力があり、後に作中の設定にも取り入れられた魅力的な論だ。
 この「ゴジラ=英霊」説をゆるやかに否定しているのが、高橋敏夫で、戦後社会の秩序を表す場所をゴジラは破壊していたわけで、戦後10年後の時点で皇居はそれに含まれなかっただけであるとした。
 川本論が、様々に踏襲されているのと同じように、もう一方の高橋論を踏まえた論がもっと語られて良いように思われる。どうしても、怪獣映画や特撮番組は政治的に語られがちなのだが、戦争や核の問題をいったん視野の中央から外した、脱政治的な視点も必要だと思う(「政治」を広義で捉えると、「脱政治」というのはほとんど困難であるが)。

ポップカルチャー研究の課題

 ポップカルチャー研究が進むのは良いことだが、ポップカルチャーが研究の俎上に上がらなかった時期の作品が有名な作品をのぞき、あまりにも語られていなくはないか。
 今の日本のソフトパワーがあるのは、脈々と特撮やアニメ作品が生産/消費され続けてきたから。
 僕はサッカーはさっぱりわからないが、敢えてサッカーに喩えれば、Jリーグ以前のサッカー界によってJリーグが発足したのに、その途端、サッカー=Jリーグになってしまい、Jリーグ以前の日本のサッカーがコアなファン以外からは語られなくなった、という事態が実際にあるかどうかわからないが、仮にあったとしてそれと同様のことがポップカルチャーの世界でも起こっているということになる。
 先日ある文学の先生が、「昔は”文学史を編むことが大目標という前提で文学研究をするものだ”と考える人たちがいた。」と述べられたが、これはポップカルチャーにおいても同様で、そろそろそうした研究が出てくるべきだと思う。もちろん一人の手によるものにはならないだろうが。私見による限り、それに近い通史的な研究というものでは、樋口尚文の『テレビヒーローの創造』や、佐々木守の『戦後ヒーローの肖像』がある。自分が今仮に、大学のような場所で、通史的な特撮を扱う授業などをもつことがあれば、これらを教科書にしたいと考えるだろう。
 今僕が大学院で研究していることも、この通史的な発想に近い。ただ、僕の場合、アニメに関する知見があまりにも不足しているのが弱点。
 ウルトラもライダーも不在で戦隊もののみが生きながらえていた時代に現れたギャバンの意味は。
 サンライズロボットアニメの、ガンダム以前/以後の差異は。
 そうした問いが立てられ、現時点で妥当と思われる解を集積していく作業がまだまだ残されているのではないか。
 

1983年の敗戦――自国のポップカルチャー愛好者の憂鬱

 「1983年の敗戦」と題して、多少なりとも批評っぽく ↓△判颪い討たが、今回のは随想みたいなもの。

 昨日、家族でアウトレットモールに行き、娘は将来どんなおもちゃを欲しがるのだろう、等と言いつつ、キャラクターグッズやおもちゃを扱う店ものぞいてみる。
 すると、これでもかというくらい海外のおもちゃが多くて驚く。もちろんディズニーキャラが百花繚乱。ブロックも、河田のダイヤブロックはなくレゴのみ。
 ベビーカーを押しているのを見て寄ってきたのはディズニーの英語教材の営業。良い教材かも知れないが、なぜそこまでディズニーなのか。

 米を買いにスーパーに行って、もしも海外産の米ばかりが売られていたらどう思うだろう。
 日本こそが良い米を作っているよ、せっかくの自分の国の米を食べようよ、という気持ちになるのではないか。

 僕は日本のキャラクタービジネスにおいて、海外産のものばかりが並んでいるのを見ると似たような気持ちになる。なぜ、優れた日本のキャラクターを消費しないのかと。

 つまり、アメリカは上手くやったのだ。
 ナショナリストの排撃を避け、日本国民に、自国のキャラクターではなく舶来のキャラクターを消費させる戦法。 それは、ナショナリズムという政治的手法ではなく、グローバリズムという市場原理によってもたらされたのだ。

 娘を連れて、数年後にはこういうのを欲しがるかも知れないね、なんて妻と言いながら買い物をしている時間は満ち足りている。けれども、以上の状況は、自国のポップカルチャー愛好者の自分にとっては少々、やりきれない思いになるものでもある。

  

育休を取って、教師とは見られる客体であることに気付く

 育休を取って一ヶ月半。
 ここにきて、非常に思うのは、誰にも見られないということ。
 通りすがりの視線や、その他の人に集まる視線と同程度の視線は常に浴びる。それは誰しも同じだろう。
 つまりここで言いたいのは、凝視、と言っては言い過ぎかも知れないが、40人近い生徒から一斉にこちらが注目されるような状況を数十年続けており、自分が見られる客体になっていたと言うことだ。しかもそのことに無自覚になっていたのだと気付かされた。
 立ち振る舞いから言葉遣いに至るまで、このことによる影響は思いのほか大きいように感じられる。見られていなくても、見られているつもりでいた方が良いような気もする。決して道徳的な意味とかじゃなく。

放送大学大学院 入試から修了までと、自分の考えるこの大学の課題

 僕は40歳で、放送大学の修士選科生(科目履修生のようなもの)になり、半期で8科目16単位を取り、残りの反旗で2科目4単位を取り、合計20単位を取得した状態で、修士全科生(正規の修士の院生)になった。なので、実質的には2年間、修士論文に打ち込むことができた。
 放送大の場合、学部生は無試験だが、修士課程からは試験がある。
 院試は地元で一次試験が行われ、英語があったのでやや構えたが、辞書の持ち込み可でそこまで難解ではない。専門的な分野に関する論述も、自分が修士課程でやりたいことを明確に表現できればさほど心配はないようなものであったと記憶する。ただ、研究計画書等、数枚のペーパーは(自分なりには)きっちりと仕上げた。つい最近知ったが、院試の研究計画書作りというのは、参考書が出ているほどである。
 二次試験は千葉の本部まで出向く。研究計画書に基づいた質疑応答だが、どちらかというと確認という感じのやりとりで、そこまで厳しいものではなかった。
 院の場合、学部と違い、スクーリングは皆無だが、ゼミが東京で行われる。僕の場合、参加したのは入学オリエンテーション後と、その次の回、そして2年生の最後の回と、合計三回だけであった。それでも、指導教員の先生のもとに、1〜2ヵ月に一度、原稿用紙換算で10枚程度、前回から進捗した論文を送るのだが、これをきわめて懇切丁寧に朱書きし、返送して下さるので、以後の研究に大変役立った。そのようなことを実質1年半程度繰り返し、原稿用紙換算で100枚程度の修士論文を仕上げるのである。自分の場合は、180枚以上になってしまったことは反省点ではある。
 修士論文は、修士課程を終えるための条件である以上に、博士課程へ入るためのパスポートになるものだ。間違っても、修了要件を満たすため、と思ってやっつけでやるようなものではない。
 そして最後は口頭試問だが、これは大変に厳しかった。時間は1時間を優に越し(こちらも質問を仕返すなどしたからなのだが)、張り詰めた空気も漂うのだが、この経験こそ、博士課程の二次試験への心構えにつながるきわめて有益なものであったと思っている。
 こうして修了に至ったわけだが、一点、この大学の制度として不満であるのは、大学院修了後の進路を各欄が複数回答不可であることだ。
 些細なことかも知れないが、これはこの大学院の経営上、きわめて大切なことだと思う。
 つまり、この大学院は社会人学生がきわめて多く、修了後の進路は「現在の職業を継続」と回答する可能性が高い。たしかに修士でひとまず学修を終える場合はそれで良い。けれども、僕のようなケースでは「現在の職業を継続」しつつ「他の大学院の博士課程へ進学」でもあるわけで、同様の人たちが、ここに丸をつけていない可能性が十分に考えられるわけだ。
 僕としては、放送大学の修士課程でしっかりやれば、北大の博士課程につながるような実質的に身のある研究がここでできたという実感がある。そしてそういう修了者は他にもそれなりにいるのではないだろうか。そうであるならば、それをしっかりアピールすることが、放送大の価値を発信することにもつながり、志の高い学生が集う好循環を生み出すことができるだろう。少なくとも自分であれば、コツコツと修士論文作成に向けて努めた学生が、こういう研究をし、こういう大学の博士課程に合格した、という情報を目の当たりにしていたならば、さらにモチベーションは上がっていたし、そもそも、放送大学の大学院で本当に良いんだろうか、という、不安からも脱することができただろう。
 たった一つのことである。終了時のアンケートの回答欄を、複数回答可にし、そこで得られた進路状況をしっかりアピールする。
 放送大修士課程の授業は、やや概論的であることは弱点かも知れないが、そのことで逆におさえておくべき点をしっかりおさえられるものが多かった感があり、そこで学んだ知識や方法論は今にも活かされている。
 アピールばかり上手なのも困るが、あまりにアピールベタなのも良くない。修了生としては、適切なアピールをしてもらえれば嬉しいと思う。

高校生の妊娠に「おめでとう」が当たり前ということへの違和感

 妊娠した高校生に対し、退学が当たり前と考える男性教師と、当たり前なのはまず「おめでとう」と言うべきだとする女性教師の話。
 退学ありきの結論もおかしいが、「おめでとう」と言うのが当然というのもおかしい。
 当人達にとって、それが最善、つまり祝福されるべき結果であるというのなら、それは「おめでとう」で良い。
 けれども、高校生の妊娠は大部分が望まざる、予想外の妊娠である。経済的な面を中心にそこから考えなくてはならないことが山積する。
 なのに「おめでとう」が当然なのだろうか。それはあまりにも現実から目を背けていないだろうか。
 教師がするべき反応はまずは、その結果を冷静にニュートラルに受け止め、今後の当人達の意向の一助となることができるならばそれを成すということではないのだろうか。
 何より事前に、望まない結果としての妊娠がどのようなリスクにつながるのかを、啓蒙していくことが大切だと思う。

娘のお食い初め

IMG_5077kai 8月5日に生まれた娘、早菜子も早いもので、もう生後100日。
 というわけでお食い初め。
 豆腐と湯葉の店がとてもおいしかった。娘はもちろん、食べるふりをする(させられる)だけ。
 妻に抱かれる早菜子。

1983年の敗戦 ◆宗愁妊ズニーランドにおける〈物語〉の喪失

 さきに、「1983年の敗戦――コロニーとしてのディズニーランド」を書いたが、この問題はもう少し掘り下げる必要があるように思う。

 ディズニーランドの代表的なキャラクターはミッキーマウスだ。
 でも僕は、ミッキーマウスが何をしたのかよく知らない。
 いつごろ、何という映画で、何をしたのか――。
 多分、多くの人が知らないのではないか。
 調べれば出てくる。でも調べなければ出てこない。今ではwikiでも何でも簡単にアクセスできる。しかし1983年、どれだけ多くの人がミッキーマウスの〈物語〉を調べただろうか。
 つまり、東京ディズニーランドは、〈物語〉を喪失したキャラクターの存在可能性を顕示し、さらにはそれが莫大なキャラクタービジネスとして成功するという、ロールモデルを顕示したことになる。
 もちろん、白雪姫のような童話原作のものもあるし、日本でも映画公開され、その物語がよく知れ渡ったキャラクターがいることも知っている。けれども、ディズニーランドの主役はやはりミッキーマウスだ。(主役はお客さん?)
 
 日本の多くのキャラクターは〈物語〉と共存していた。ドラえもんもマリオもウルトラマンも。
 〈物語〉を喪失したキャラクターの影響力はじわじわ浸透する。

 刑事ドラマの『太陽にほえろ』はもともと、石原裕次郎演じるボスと、萩原健一演じるマカロニの群像的なものであることが当時の新聞のテレビ欄は伝える。しかし、マカロニは早々に殉職、番組を降板する。その後番組は十数年続くわけだが、つまりこれは『太陽にほえろ』が、ボス、マカロニ=石原裕次郎と萩原健一というキャラクターによる消費を脱却し、〈物語〉によって消費されたことを意味する。番組には竜雷太や松田優作、露口茂、小野寺昭…といった多彩で魅力的な個別のキャラクターに支えられた面もあるが、いずれも殉職、転勤などで番組を降板する。
 『太陽にほえろ』は80年代にはその続編も含めて終わる。
 『踊る大捜査線』も『相棒』も、あるいは『はぐれ刑事純情派』もドラマ性ある刑事ドラマだ。しかし、織田裕二を、水谷豊を、藤田まことをなくして、これらのドラマはないだろう。つまり、他者によって接がれることのない一個のキャラクター性が脊椎を成しているのである。これはディズニーランドでミッキーマウスの降板があり得ないのと同じことだ。
 (同じ、藤田まこと主演でも、70年代に始まった、時代劇の『必殺!』シリーズでは、藤田演じる中村主水が出ないシリーズもあるわけで、これが80年代後半に始まった『はぐれ刑事』との違いだろう。)
 先のブログで、キティちゃん擁するサンリオピューロランドが興行的に成功とは言えないとは書いたが、それでも他のキャラクターのアミューズメントパークが実質的に存在、存続しない中でここが成り立っているのは、ミッキーマウスが規定した、〈物語〉を喪失したキャラクターだからだろう。(それにしても、文具はじめグッズに描かれているキティちゃんでその存在を知るものにとって、キティちゃんはキャラクターというより、アイテムだ。) 

 ミッキーマウスは〈物語〉を喪失し、ディズニーランドという〈空間〉に位置づけられたキャラクターともいえる。
 「地域」「地元」を主な生息地とする、つまり〈空間〉に位置づけられたキャラクターは、ふなっしーもくまモンも小さなミッキーマウスだ。そこには〈物語〉は存在しない。

 近年の『ウルトラ』や『仮面ライダー』や『スーパー戦隊』が、キャラクターとアイテムの百花繚乱なのも、商業的な意味合いのほかに、それを正義の多様化とか、「スペック化」の面から読み解くことはできる。しかし、それらが受容され、存続している土壌には、東京ディズニーランド以降のキャラクター消費と〈物語〉の不在を読み解くことができる。

 ごく最近になり、『サザエさん』の視聴率が振るわないのだという。時代にそぐわなくなったとかそんな理由は成り立たない。むしろ、時代にそぐわないからこそ愛される昭和の商店街的な空気感を日常的なものに変換したアニメだからだ。そんな理由で低迷するのであれば、例えばバブル期に低迷していてもおかしくない。
 サザエさん(を中心とした同アニメのキャラクター)は、擬似的なミッキーマウスとしての代替物になり得ないからではないか。そこが『ドラえもん』とは違うところだ。ドラえもんは(望ましいとは思わないが)〈物語〉を喪失しても、キティちゃん的な「アイテム」として当面は生きていけるだろう。

 1983年のポップカルチャーの敗戦は、その時にあるパラダイムシフトを起こすとか、そういう衝動的な結果を強いることはなかったが、今も継続的に影響力をもたらしている。

 一方、近年の一部のポップカルチャーがドラマ性を回帰していることはよく知られている。しかしそれは、コアなファンによって支えられており、いまだマスカルチャーにはなり得ていない。それらが東京ディズニーランド的な価値観からの解放につながることを密かに願っている。
 

「他者による非表象の暴力」

 先日、当ブログ上でコメントして下さった、以前からの知人が「他者による非表象の暴力」という概念を提示下さった。
 「他者による表象の暴力」というのは岡真理の言葉であるが、そこで示される「表象の暴力」と、「非表象の暴力」は必ずしも鏡像と一致した対称軸になるわけではない。
 しかしながら、「他者による非表象の暴力」が、長年、ポップカルチャーを覆い尽くしてきたのではないかという気になった。
 僕たちは「表象」などという言葉を使うまでもなく、未就学児童の頃から表象に触れている。というか触れさせられてさえいる。多くの童話は世界のある面を切り取って濃縮したものだし、目に見えない超越者の庇護を得る七五三や初詣も、自分の住む国の信仰心を体得させる身体的な表象行為と言える。
 そしてそれらから、何かを学べ、知れと言わんばかりの態度で接せられるし、またはそれらが尊い行為であると暗黙のうちに教え込まれる。つまり、様々な表象に触れ、それを個別なもの、一回的なものとして消化してしまうのではなく、それを自身の心身のうちに記憶し、抽象化しておき、人生の様々な局面で生かせるようにしておくことが望ましいのだと教わる。
 にもかかわらず、なぜ「『ウルトラマン』からはもう卒業しなさい」等といわれてしまうのか。
 もちろんそこには、そんなものばかり見ていないで、年相応のやるべきこと(例えば勉強やスポーツ)があるでしょ、という道徳的な意味もあるだろう。実際、いくら良い内容だからといって、何歳になっても童話に明け暮れていたら、卒業しなさいと言われることはありそうに思える。
 けれどもそればかりではなく、そもそも特撮やアニメの表象性を認めていないという世間の態度が、そこにはあるように思われる。一応書いておくと、特撮やアニメが何を表象しているかいないかという多様な解答が出るような難解な話ではない。特撮やアニメは何かを表象しているかいないかという、(ほぼ)二元論的な解答が出る次元の話だ。
 長年、ポップカルチャーは他者による非表象の暴力を受けてきた。だからそれは幼少時のうちに一回的なものとして消化してしまうことが望ましいとされてしまってきたのだ。
 もっとも、ポップカルチャーは狭義としての教訓をこめたものではない。だから、『ウルトラ』シリーズを含めて、ポップカルチャー(または広く文芸的なもの)を、教訓的に読むといった行為に僕は賛成できない。
 だが、ポップカルチャーが世界の縮図であるということはどうにも避けようがない。あらゆるフィクションが、現実を生きるものによって生産され、消費される限りにおいて、表象性をもたないなどということはあり得ない。そのような真空状態こそ、私たちは作り得ないのである。
 
 (上に「『ウルトラ』シリーズを含めて、ポップカルチャー(または広く文芸的なもの)を、教訓的に読むといった行為に僕は賛成できない。」と書いた。だから僕が中学の授業で作品を扱った際には、煎じ詰めた言い方をすると、近代化の中で起こった合理主義の明暗がどう表現されているのか、またそのような世界の生き方がどう提示されているのかを読み解くという行為を行った。しかし、そのことを中学生に咀嚼するには限界があるし、学校的な空間の中で扱う限り、教訓的な解答が暗黙のうちに要求されうるという難問もあり、そのことが最近、中学生を相手にいわゆる「ウルトラマン授業」をやらないことの小さな一因ともなっている。さすがに大学生の場合はあまりそのような心配はない。)

1983年の敗戦――コロニーとしてのディズニーランド

 1980年代、日本のポップカルチャーは今のような評価を全く受けていなかった。
 『ウルトラマン』も『ドラえもん』も『ゴジラ』も『仮面ライダー』も。
 もちろんこれらの作品の知名度は高かったが、それはあくまで子どもが見るものという位置づけであった。
 かろうじて、『宇宙戦艦ヤマト』や『ガンダム』が大人受けしていたが、それも一部マニアに支持されているという評価にすぎなかった。
 だが、アメリカは知っていた。
 日本のこれらのソフトパワーが、数十年後には国内はもちろん、海外でも人気を博することを。
 優れたコンテンツを見て育った世代が成長した日本では、あらゆる世代、性別、階層の人々がポップカルチャーを愛好することを知っていたのだ。タイムマシンを駆使して、あるいは未来人の来訪によって。
 
 だからいち早く、アメリカ産のキャラクター文化(そしてそれは消費とも結びつくが)を東京(厳密には千葉だが)に根付かせた。それが1983年。
 日本最大のアミューズメントパークは、Made in USA。
 そこにはどんなに知名度が高くても、ウルトラマンも、ゴジラも、ドラえもんも、キティーちゃんも、マリオも立ち入ることはできない。
 日本国内のキャラクター消費のヘゲモニーはアメリカに渡った。運営が日本の企業であるということはここでは問われない。おそらく日本人が入っているミッキーやミニーに会いに、嬉々として日本人がそこへ行くという構図はコロニー的でさえある。

 もちろん、ディズニーランドがなかったからといって、日本のキャラクターによる集合的なアミューズメントパークができていたという保証はない。またあったからといって興業的に成功していたという保証もない。
 けれども、自らその可能性を摘んでしまったことは事実だ。
 サンリオピューロランドが興行的に成功とまでいえないのも、後発の代表的なアミューズメントパークがUSJであるのも、ディズニーの開園により方向づけられた道筋と言える。

 1983年に、この国のソフトパワーは敗戦したのだ。

 2回しか行ったことがないがディズニーランドはおもしろい。
 でも、なぜそこではピグモンが手を振り、ゴジラが火を噴かないのか、少し虚しくなる。 

『ゴジラ』アニメ化と『ザ☆ウルトラマン』

 『ゴジラ』がアニメ化されるということで、(当然かも知れないが)真っ先に考えられるのは、「(特に昨今の)アニメ的要素」と、「伝統的なゴジラらしさ」が相乗するであろうということ。
 1979年に、『ウルトラマン』もアニメ化されている。それが『ザ☆ウルトラマン』だ。
 この作品は、SEを歴代『ウルトラ』シリーズから流用していたり、シリーズの過去の怪獣の出現、ウルトラサインの使用、その他基本設定(3分しか変身できないとか、「〜ウム光線」という必殺技の名称など)において、伝統的な『ウルトラ』シリーズらしさを受け継ぎつつ、1979年当時のアニメらしさをふんだんにたたえていた。
 主人公のウルトラマンと、その人間体の声優はそれぞれ、『宇宙戦艦ヤマト』の古代進とデスラーだし、物語後半で特に顕著になる、「宇宙空間における戦艦内でのドラマ」も、『ヤマト』の設定を意識したものだ。その他、挿入歌においても『ヤマト』との近似性が指摘されている。また、少年が後に凶暴になるかも知れない怪獣をペットのように可愛がるも、やがてその怪獣との別れが来るという物語があり、しかもその少年の声を小原乃梨子が当てており、あたかも『のび太の恐竜』を先取りしたかのような中身も見られた。
 『ゴジラ』のアニメ作品も昨今のアニメ史上に置かれる一面と、ゴジラらしさを併せ持つことになるのだろう。
 ところで、『ザ☆ウルトラマン』は放映当時は決して高評価ではなかったようだが、自分的にはかなり好きな作品だ。

〈観光〉という偶然

 今になって、僕がラッキーであったと思うのは、観光を研究対象とする院に入ったことだ。
 当初は、メディア研究を前面に打ち出していることで、この院を志願したのだが、結果的に〈観光〉というものに触れたことで、今後の研究の展望が拓けた面がある。
 大学時代の恩師は、風景論を扱っていらっしゃったが、ここにきて、「観光」「風景」の諸問題が、自分の中心的な研究テーマである怪獣論とリンクしていきそうな予感もある。
 この予想外の展開も、東浩紀が言うところの〈誤配〉の一種なのかも知れない。

「ノンマルトの使者」と表象の暴力性

 『ウルトラセブン』「ノンマルトの使者」については、沖縄の歴史的背景を描いたものではないという言説が今では知られている。
 しかしながら、過去には自分も含め、多くの論者がこれを沖縄と結びつけて考えてきた。
 過酷な歴史があったからこそ、それが作品に表象されるのではなく、むしろ表象しきれない過酷な歴史があったということだってある。それを、作品を作者の意図とは切り離して考えるというテクスト論的な立場から、安易に、あるいは熟考の末であったとしても、作者が意図していなくても、無意識に沖縄の歴史的背景が表出することもあるとするのは、読みの可能性の一面を提示するものに違いはないが、それは、岡真理が言うところの、「他者による表象の暴力」にあたる可能性もないだろうか。
 表象論研究の場末にいるものとして自戒していきたい。

今さらながらTwitter開始

 mixi以来、SNSとは何となく距離を置いてきたのだけれど、Twitterを開始。
 でも、基本的に言いたいことは長文になるので、軸足はブログに置くことになると思う。

親となり最初の誕生日

IMG_4927 今日は誕生日なのでケーキ。
 いつもはアップルパイにするんだけれど、つい最近誘惑に負けて立派なアップルパイを食べたので、僕の希望で王道のイチゴショート。
 大学生の頃、一人暮らしを始めたばかりの頃から、たとえ一人であっても誕生日は意地でも祝うことにしている。
 娘が生まれてからはますます誕生日の意義を感じる。
 命を授かったことだけで嬉しい。
 命があるだけで嬉しい。
 ケーキに焦点を合わせると早菜子がぼやけ、IMG_4928 早菜子に焦点を合わせるとケーキがぼやける(笑)。
 今月中には妻も誕生日。
 またおいしいケーキが食べられる。
 
 さて今日で44歳。
 40代も半ば。
 まずは、mixi以来の(!)SNSをやろうと思う。
 

44÷2=22

DSC_1351 明日11月8日で僕は44歳。
 ここまでの人生の中間は22歳。つまり大学4年生ということになる。
 娘は先日ようやく出生から三ヶ月経った。
 僕にとっての22歳と、娘にとっての22歳が等距離というのがどうにもピンとこない。
 僕にすれば、大学4年生の頃って、そんなに昔という感じがしない。
DSC_1352 けれども早菜子が大学4年生になるのなんてまだまだはるか未来という感じ。
 でも実際にはそれが等距離。

 最近、早菜子はよく笑う。
 もともと笑うのが早い赤ちゃんであったようだが、前にも増してよく笑う。
 おそらく、なんの不安もなく(ときに「不快」なときはあるだろうけれど)、笑っていられる時間なんて人生にそうあるものじゃない。
 死を意識すれば、絶えずそのことを意識することはなくても通底する低音のようにそれは頭の片隅で響いている。生きていれば、頭のどこかに不安や猜疑心のようなものが存在するのはむしろリスクマネジメントだ。
 打席に入る以上、低確率ながら頭部にボールが来るかも知れないとほぼ無意識ながらも思うのと同じだろう。
 そんなことをおそらく、考えないでいられるのは乳児である今だけ。
 無垢な笑顔をいっぱい見せてほしい。

【映画】『仮面ライダー1号』を「観光客の哲学」で読み解く

 DVDを借りる必要があったのでツタヤへ。『仮面ライダー1号』『仮面ライダー3号』『仮面ライダー4号』と並ぶ。中には、『仮面ライダー2号』は欠品中か〜などと思う人がいるのかなと思いつつ、1号と3号を借りて帰宅。

 『仮面ライダー1号』の最大の特徴は、ショッカーから枝分かれした組織、ノバショッカーの存在だろう。

 ノバショッカーは、世界征服を狙うショッカーは旧態依然であるものとして、そこから決別し、自分たちは世界最大に企業となり経済的に世界を手中に収めようとする。
 結果、仮面ライダーたち、地獄大使の率いるショッカー、ノバショッカーの三つどもえの戦いとなる。この映画の主人公、仮面ライダー1号(=本郷猛)は一度命を落とすも、死の淵から復活し、再び参戦。それを見た地獄大使は、それでこそ本郷猛であると感銘し、なんとライダーと共闘。ノバショッカーはライダーと、旧ショッカー勢力である地獄大使によって敗れるという話であった。
 
 このショッカーの分裂は、まさに先日も触れた『ゲンロン0 観光客の哲学』の「ナショナリズム/グローバリズム」ではないかと思った。この構図はつまり、政治的な到達点としての世界国家の樹立ではなく、国境を越えた商業活動によって世界はボーダレスになっていることを言うものであったが、武力行使、つまり戦争も政治的な行為の延長線上にあると考えれば、旧ショッカーの行為はナショナリズムであり、ノバショッカーはナショナリズムにしがみつくことを愚かしいと考え、グローバリズムに走ったと捉えることができる。ただ、古いナショナリズムが新しいグローバリズムは打ち負かしてしまうことについては、昨今の脱グローバリズムとは図式が異なる(=現実にはナショナリズムが高揚しても、グローバリズムの推進力である商業活動が懐疑的に捉えられているわけではないという意味)ので、慎重に考えなくてはならないが。
 地獄大使は、かつての敵である本郷猛の不死身の精神力に心打たれ、共闘する。またノバショッカーを倒した後、地獄大使は這々の体で本郷猛に勝負を挑む。自分たちの考えの及ばぬ新興勢力を破るためには、かつての敵との共闘も果たすものの、その後に本郷猛に勝負を挑むのは、宿敵があることで自らのアイデンティティを保てるからなのだろう。今や、若い仲間に見切りをつけられるような旧態依然とした組織、ショッカーの幹部にとっては、かつての己を知る敵から、敵と認められることでしか存在意義を保つことはできない。

 ――本郷猛が夜の工事現場の作業で賃金を得ているシーン――
 僕は昔から、「ウルトラマン/仮面ライダー」の「公/私」に注目していた。これは宇野常寛の言う「ビッグブラザー/リトルピープル」とも重なることであるだろう。
 ウルトラマンの人間体はほぼみんな、公的組織に属していた。対して、仮面ライダーたちはいつも私人であった。公的組織人とタッグを組むことはあっても、自身は私人であった。今回の労働者としての本郷猛の工事作業からはそれをリアルなかたちで再認識させられたのである。
 しかし、公人としてのウルトラマンはポストモダンの状況の中で、安泰ではなかった。自身が、同僚が、隊長が「公人なのに」という理由で責められ、硬直した公的組織内で閉塞される。
 高度経済成長の終焉時、そして一時のウルトラシリーズの終焉時、何より特徴的であったのは、ウルトラマンレオ=おおとりゲンの属する公的組織が壊滅し、私人として民家に居候することであった。その家では、病院の婦長であるという女性が家長であった。公的なもの、男性的なものが機能不全を起こしていたことを『ウルトラマンレオ』は如実に描いていた。その意味では、宇野が言うように「ビッグブラザー」の時代は終わったのだ。しかし、その前から徐々に進展していたリトルピープルの時代をウルトラマンはしたたかに生き抜いていたのだが。
 話が逸れたが、『仮面ライダー1号』は大いに示唆に富む作品であった。

1970年代の早菜子!

IMG_4903 早菜子がもしも、1970年代生まれなら、こんな光景が見られたかも。
 でも、早菜子は歴とした2017年生まれ。
 今日で生後ちょうど三ヶ月。
 

2017年のくん太くん!

 北海道内のテレビ局(テレ朝系)HTBが50周年と言うことで、今日の夕方のニュース内で、あの、くん太くんが!
 前に復活したのが自分のブログによると、2007年だから、見たのは10年ぶり。
 onちゃんという、オバQのO次郎みたいなキャラに取って代わられたしまったが、くん太くんこそ、同社の元祖マスコットキャラ。1970年代に登場したということも今日は紹介されていた。
 しかし惜しむらくは、どうせそこまで紹介するなら「きらりHTB」という短時間の、自社広告番組にも触れてほしかったなー。

【読書】田山花袋『一兵卒』

 『一兵卒』は、脚気のため入院していたにも関わらず、自らの意志で戦線復帰を願い、病院を去り、自らの所属する部隊を追いかけるも、脚気衝心により死んでしまう一兵士の話。

 この作品中で、主人公は「三河国渥美郡福江村」の「加藤平作」という固有名を持ちつつ、全編を通して「渠(かれ=彼)」と代名詞で呼ばれる。おそらく、主人公のモデルは実在しつつも、戦争という一個人では如何ともしがたいうねりの中で、この兵士は「渠」という代名詞により記号化され、矮小化されてしまったのだろう。また、渠同様、国を、世界を覆う荒波の中で翻弄される数えきれない、その他大勢の渠がいることをも想起させる。歴史のうねりの中での一個人の無力さがにじみ出る。
 この小説のあらゆる要素が詰まっているのはやはり下記のラストだろう。

   渠は既に死んでいた。一番の汽車が開路開路のかけ声とともに、鞍山站に向かって発車したころは、その   残月が薄く白けて淋しく空にかかっていた。
   しばらくして砲声が盛んに聞こえ出した。九月一日の遼陽攻撃は始まった。

 彼が死のうが死ぬまいが、そんなことにはかかわらず、新たな線路が開通する。彼の死をわずかに「残月が薄く白けて淋しく空にかかっていた。」と惜しむ描写がありつつも、つんざく砲声がそれを破る。
 渠のように、小説に記されることもなく果てていった無数の命があったことが思われる。

ターニングポイントとしての『怪奇大作戦』とその後

 今、というかここ数年、僕が主として研究しているのは怪獣論。
 その前段階として、「怪獣以前」つまり、『ゴジラ』以前の日本の種々の異形はどのように比喩的に描かれてきたのか、ということを考察したのがこの3月修了した、修士課程で行った中身であった。
 そして今は、博士課程で『ゴジラ』以降を研究しているわけだが、経時的に考えた時、ターニングポイントとなるのは『怪奇大作戦』であることは自分の中ではほぼ間違いがないように思う。

 もちろん『怪奇大作戦』は怪獣映画ではない。
 
 『ゴジラ』のエッセンスを継いだのは、後続の『ゴジラ』シリーズ以上に『ウルトラ』シリーズであった。
 その初期『ウルトラ』シリーズは、金城哲夫によって一度、『ウルトラセブン』で締めくくられる。
 しかし、後番組の『怪奇大作戦』は、怪獣の出ない『ウルトラ』シリーズと呼ぶにふさわしい。
 つまり、『ゴジラ』以前の異形がそうであったように、ゴジラは比喩として描かれた怪獣であった。それはそして『ウルトラ』にも継がれ、『ウルトラ』のいくつかの怪獣、宇宙人、そしてそれらの跋扈するストーリーは比喩として機能した。
 しかし、『怪奇大作戦』はもはや、比喩としての異形を描くことなく、人間による数々の所業をストレートに人間に担わせた。つまりこれは、「人間→怪獣」として描いてきた怪獣映画の営みを、「怪獣→人間」と還元して見せたことにほかならない。もちろん、予算の関係であったり、その他商業的な都合があったことは想像に難くない。けれども結果として、異形がなくても、比喩を用いなくても怪獣映画が成り立つということを『怪奇大作戦』は証明してしまった。その意味で、『怪奇大作戦』は怪獣の出ない怪獣映画なのである。
 もちろんそれはエンターテイメントとしては物足りないものであっただろうから、反動のように『ウルトラファイト』(特段のストーリーはなく、怪獣やウルトラセブンがひたすら戦う番組)が登場し、人気を博した。
 そして、単体で成り立つはずであった『怪奇大作戦』と、『ウルトラファイト』が合わさるかのように、『帰ってきたウルトラマン』は誕生した。その意味では、『帰ってきたウルトラマン』以降の(『ゴジラ』の直系としての)『ウルトラ』は、怪獣不在でも成り立つ地平に怪獣が描かれた世界であるといっていい。
 このことが、本質的に『ウルトラセブン』以前と、『帰ってきたウルトラマン』以降を隔てているといえる。だから、特にリアルタイム世代が『帰ってきたウルトラマン』をあまり評価しない時代が続いたのは、不在でも成り立つ怪獣映画を見せられている感覚を無自覚のうちに感じていたのからかも知れない。
 でもここで思うのは、ではなぜ自分自身は『帰ってきたウルトラマン』以降に強く惹かれるのかということである。ウルトラ兄弟が出るからか。それとも『帰ってきたウルトラマン』以降は、もうそれが『ウルトラ』であるというだけで、ブランド的な意味を持つことで魅力を持ちえたのか。それらもなくはないだろう。けれども、もっと本質的なことを言えば、『ウルトラ』が変質したからだろう。大体、僕のように再放送世代は、どこから作品に入り込んでいったかという問題もあり、それが『ウルトラ』であるというだけで…の理屈は当てはまらない。(実際、僕は『帰ってきたウルトラマン』が最初に視聴した『ウルトラ』だ。)

 ここで宇野常寛の論を補助線として用いたい。

宇野は『リトル・ピープルの時代』で、『帰ってきたウルトラマン』以降を、ビッグブラザーが壊死する、つまり大きな物語が崩壊(=ポストモダン社会の到来)するなかで、ウルトラマンは機能不全を起こしているのだと説いた。でも僕の解釈は違う。もしも『帰ってきたウルトラマン』以降のウルトラマン達が、初代ウルトラマンやウルトラセブンのような存在であったなら、その指摘は当てはまる。でも実際は帰ってきたウルトラマン以降のウルトラマン達、つまりAやタロウ、レオも(一先ず、ジョーや80以降は置いておく)リトル・ピープルの時代に正対していた(個々の人間の置かれた状況に由来する諸問題がストーリー中に反映されていた)という意味で、『ウルトラセブン』以前とは異なる世界を描いていた。これにはリトル・ピープルという概念の受け取りの差異もあるかもしれないが、帰ってきたウルトラマン以降のウルトラマンはまさに、リトル・ピープルの時代に機能するかたちに変質したのだといえる。ウルトラマンはもっと大きなものと対峙していたのではなかったか――そのような違和感を『帰ってきたウルトラマン』以降のシリーズは感じさせる部分があるのかもしれない。だが、その変質があったからこそ、このシリーズ、そして怪獣映画は70年代を生き延び、かろうじて――軽佻浮薄、過激、おもしろくなければテレビでないような――80年代の荒波を耐え抜き、90年代以降、確固たるジャンルとして根付いたのだ。
 そのターニングポイント、つまり異形の力を借りず、そして後半言ったようなリトル・ピープルの時代を描き出したのが『怪奇大作戦』であったといえる。
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神谷和宏(かみやか...

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