神谷 和宏(批評家/教師/北海道大学 国際広報メディア 博士後期課程在籍)

 〈Official Site〉 http://kgs2.main.jp/
 
 〈著書〉  『3分あれば世界は変わる ウルトラマンが教えてくれること』(2015年 内外出版社)
       『ウルトラマン「正義の哲学」』(2015年 朝日新聞出版)
       『ウルトラマンは現代日本を救えるか』(2012年 朝日新聞出版)
        『ウルトラマンと「正義」の話をしよう』(2011年 朝日新聞出版)
       『M78星雲より愛をこめて』(2003年 文芸社)

1983年の敗戦――コロニーとしてのディズニーランド

 1980年代、日本のポップカルチャーは今のような評価を全く受けていなかった。
 『ウルトラマン』も『ドラえもん』も『ゴジラ』も『仮面ライダー』も。
 もちろんこれらの作品の知名度は高かったが、それはあくまで子どもが見るものという位置づけであった。
 かろうじて、『宇宙戦艦ヤマト』や『ガンダム』が大人受けしていたが、それも一部マニアに支持されているという評価にすぎなかった。
 だが、アメリカは知っていた。
 日本のこれらのソフトパワーが、数十年後には国内はもちろん、海外でも人気を博することを。
 優れたコンテンツを見て育った世代が成長した日本では、あらゆる世代、性別、階層の人々がポップカルチャーを愛好することを知っていたのだ。タイムマシンを駆使して、あるいは未来人の来訪によって。
 
 だからいち早く、アメリカ産のキャラクター文化(そしてそれは消費とも結びつくが)を東京(厳密には千葉だが)に根付かせた。それが1983年。
 日本最大のアミューズメントパークは、Made in USA。
 そこにはどんなに知名度が高くても、ウルトラマンも、ゴジラも、ドラえもんも、キティーちゃんも、マリオも立ち入ることはできない。
 日本国内のキャラクター消費のヘゲモニーはアメリカに渡った。運営が日本の企業であるということはここでは問われない。おそらく日本人が入っているミッキーやミニーに会いに、嬉々として日本人がそこへ行くという構図はコロニー的でさえある。

 もちろん、ディズニーランドがなかったからといって、日本のキャラクターによる集合的なアミューズメントパークができていたという保証はない。またあったからといって興業的に成功していたという保証もない。
 けれども、自らその可能性を摘んでしまったことは事実だ。
 サンリオピューロランドが興行的に成功とまでいえないのも、後発の代表的なアミューズメントパークがUSJであるのも、ディズニーの開園により方向づけられた道筋と言える。

 1983年に、この国のソフトパワーは敗戦したのだ。

 2回しか行ったことがないがディズニーランドはおもしろい。
 でも、なぜそこではピグモンが手を振り、ゴジラが火を噴かないのか、少し虚しくなる。 

『ゴジラ』アニメ化と『ザ☆ウルトラマン』

 『ゴジラ』がアニメ化されるということで、(当然かも知れないが)真っ先に考えられるのは、「(特に昨今の)アニメ的要素」と、「伝統的なゴジラらしさ」が相乗するであろうということ。
 1979年に、『ウルトラマン』もアニメ化されている。それが『ザ☆ウルトラマン』だ。
 この作品は、SEを歴代『ウルトラ』シリーズから流用していたり、シリーズの過去の怪獣の出現、ウルトラサインの使用、その他基本設定(3分しか変身できないとか、「〜ウム光線」という必殺技の名称など)において、伝統的な『ウルトラ』シリーズらしさを受け継ぎつつ、1979年当時のアニメらしさをふんだんにたたえていた。
 主人公のウルトラマンと、その人間体の声優はそれぞれ、『宇宙戦艦ヤマト』の古代進とデスラーだし、物語後半で特に顕著になる、「宇宙空間における戦艦内でのドラマ」も、『ヤマト』の設定を意識したものだ。その他、挿入歌においても『ヤマト』との近似性が指摘されている。また、少年が後に凶暴になるかも知れない怪獣をペットのように可愛がるも、やがてその怪獣との別れが来るという物語があり、しかもその少年の声を小原乃梨子が当てており、あたかも『のび太の恐竜』を先取りしたかのような中身も見られた。
 『ゴジラ』のアニメ作品も昨今のアニメ史上に置かれる一面と、ゴジラらしさを併せ持つことになるのだろう。
 ところで、『ザ☆ウルトラマン』は放映当時は決して高評価ではなかったようだが、自分的にはかなり好きな作品だ。

〈観光〉という偶然

 今になって、僕がラッキーであったと思うのは、観光を研究対象とする院に入ったことだ。
 当初は、メディア研究を前面に打ち出していることで、この院を志願したのだが、結果的に〈観光〉というものに触れたことで、今後の研究の展望が拓けた面がある。
 大学時代の恩師は、風景論を扱っていらっしゃったが、ここにきて、「観光」「風景」の諸問題が、自分の中心的な研究テーマである怪獣論とリンクしていきそうな予感もある。
 この予想外の展開も、東浩紀が言うところの〈誤配〉の一種なのかも知れない。

「ノンマルトの使者」と表象の暴力性

 『ウルトラセブン』「ノンマルトの使者」については、沖縄の歴史的背景を描いたものではないという言説が今では知られている。
 しかしながら、過去には自分も含め、多くの論者がこれを沖縄と結びつけて考えてきた。
 過酷な歴史があったからこそ、それが作品に表象されるのではなく、むしろ表象しきれない過酷な歴史があったということだってある。それを、作品を作者の意図とは切り離して考えるというテクスト論的な立場から、安易に、あるいは熟考の末であったとしても、作者が意図していなくても、無意識に沖縄の歴史的背景が表出することもあるとするのは、読みの可能性の一面を提示するものに違いはないが、それは、岡真理が言うところの、「他者による表象の暴力」にあたる可能性もないだろうか。
 表象論研究の場末にいるものとして自戒していきたい。

今さらながらTwitter開始

 mixi以来、SNSとは何となく距離を置いてきたのだけれど、Twitterを開始。
 でも、基本的に言いたいことは長文になるので、軸足はブログに置くことになると思う。

親となり最初の誕生日

IMG_4927 今日は誕生日なのでケーキ。
 いつもはアップルパイにするんだけれど、つい最近誘惑に負けて立派なアップルパイを食べたので、僕の希望で王道のイチゴショート。
 大学生の頃、一人暮らしを始めたばかりの頃から、たとえ一人であっても誕生日は意地でも祝うことにしている。
 娘が生まれてからはますます誕生日の意義を感じる。
 命を授かったことだけで嬉しい。
 命があるだけで嬉しい。
 ケーキに焦点を合わせると早菜子がぼやけ、IMG_4928 早菜子に焦点を合わせるとケーキがぼやける(笑)。
 今月中には妻も誕生日。
 またおいしいケーキが食べられる。
 
 さて今日で44歳。
 40代も半ば。
 まずは、mixi以来の(!)SNSをやろうと思う。
 

44÷2=22

DSC_1351 明日11月8日で僕は44歳。
 ここまでの人生の中間は22歳。つまり大学4年生ということになる。
 娘は先日ようやく出生から三ヶ月経った。
 僕にとっての22歳と、娘にとっての22歳が等距離というのがどうにもピンとこない。
 僕にすれば、大学4年生の頃って、そんなに昔という感じがしない。
DSC_1352 けれども早菜子が大学4年生になるのなんてまだまだはるか未来という感じ。
 でも実際にはそれが等距離。

 最近、早菜子はよく笑う。
 もともと笑うのが早い赤ちゃんであったようだが、前にも増してよく笑う。
 おそらく、なんの不安もなく(ときに「不快」なときはあるだろうけれど)、笑っていられる時間なんて人生にそうあるものじゃない。
 死を意識すれば、絶えずそのことを意識することはなくても通底する低音のようにそれは頭の片隅で響いている。生きていれば、頭のどこかに不安や猜疑心のようなものが存在するのはむしろリスクマネジメントだ。
 打席に入る以上、低確率ながら頭部にボールが来るかも知れないとほぼ無意識ながらも思うのと同じだろう。
 そんなことをおそらく、考えないでいられるのは乳児である今だけ。
 無垢な笑顔をいっぱい見せてほしい。

【映画】『仮面ライダー1号』を「観光客の哲学」で読み解く

 DVDを借りる必要があったのでツタヤへ。『仮面ライダー1号』『仮面ライダー3号』『仮面ライダー4号』と並ぶ。中には、『仮面ライダー2号』は欠品中か〜などと思う人がいるのかなと思いつつ、1号と3号を借りて帰宅。

 『仮面ライダー1号』の最大の特徴は、ショッカーから枝分かれした組織、ノバショッカーの存在だろう。

 ノバショッカーは、世界征服を狙うショッカーは旧態依然であるものとして、そこから決別し、自分たちは世界最大に企業となり経済的に世界を手中に収めようとする。
 結果、仮面ライダーたち、地獄大使の率いるショッカー、ノバショッカーの三つどもえの戦いとなる。この映画の主人公、仮面ライダー1号(=本郷猛)は一度命を落とすも、死の淵から復活し、再び参戦。それを見た地獄大使は、それでこそ本郷猛であると感銘し、なんとライダーと共闘。ノバショッカーはライダーと、旧ショッカー勢力である地獄大使によって敗れるという話であった。
 
 このショッカーの分裂は、まさに先日も触れた『ゲンロン0 観光客の哲学』の「ナショナリズム/グローバリズム」ではないかと思った。この構図はつまり、政治的な到達点としての世界国家の樹立ではなく、国境を越えた商業活動によって世界はボーダレスになっていることを言うものであったが、武力行使、つまり戦争も政治的な行為の延長線上にあると考えれば、旧ショッカーの行為はナショナリズムであり、ノバショッカーはナショナリズムにしがみつくことを愚かしいと考え、グローバリズムに走ったと捉えることができる。ただ、古いナショナリズムが新しいグローバリズムは打ち負かしてしまうことについては、昨今の脱グローバリズムとは図式が異なる(=現実にはナショナリズムが高揚しても、グローバリズムの推進力である商業活動が懐疑的に捉えられているわけではないという意味)ので、慎重に考えなくてはならないが。
 地獄大使は、かつての敵である本郷猛の不死身の精神力に心打たれ、共闘する。またノバショッカーを倒した後、地獄大使は這々の体で本郷猛に勝負を挑む。自分たちの考えの及ばぬ新興勢力を破るためには、かつての敵との共闘も果たすものの、その後に本郷猛に勝負を挑むのは、宿敵があることで自らのアイデンティティを保てるからなのだろう。今や、若い仲間に見切りをつけられるような旧態依然とした組織、ショッカーの幹部にとっては、かつての己を知る敵から、敵と認められることでしか存在意義を保つことはできない。

 ――本郷猛が夜の工事現場の作業で賃金を得ているシーン――
 僕は昔から、「ウルトラマン/仮面ライダー」の「公/私」に注目していた。これは宇野常寛の言う「ビッグブラザー/リトルピープル」とも重なることであるだろう。
 ウルトラマンの人間体はほぼみんな、公的組織に属していた。対して、仮面ライダーたちはいつも私人であった。公的組織人とタッグを組むことはあっても、自身は私人であった。今回の労働者としての本郷猛の工事作業からはそれをリアルなかたちで再認識させられたのである。
 しかし、公人としてのウルトラマンはポストモダンの状況の中で、安泰ではなかった。自身が、同僚が、隊長が「公人なのに」という理由で責められ、硬直した公的組織内で閉塞される。
 高度経済成長の終焉時、そして一時のウルトラシリーズの終焉時、何より特徴的であったのは、ウルトラマンレオ=おおとりゲンの属する公的組織が壊滅し、私人として民家に居候することであった。その家では、病院の婦長であるという女性が家長であった。公的なもの、男性的なものが機能不全を起こしていたことを『ウルトラマンレオ』は如実に描いていた。その意味では、宇野が言うように「ビッグブラザー」の時代は終わったのだ。しかし、その前から徐々に進展していたリトルピープルの時代をウルトラマンはしたたかに生き抜いていたのだが。
 話が逸れたが、『仮面ライダー1号』は大いに示唆に富む作品であった。

1970年代の早菜子!

IMG_4903 早菜子がもしも、1970年代生まれなら、こんな光景が見られたかも。
 でも、早菜子は歴とした2017年生まれ。
 今日で生後ちょうど三ヶ月。
 

2017年のくん太くん!

 北海道内のテレビ局(テレ朝系)HTBが50周年と言うことで、今日の夕方のニュース内で、あの、くん太くんが!
 前に復活したのが自分のブログによると、2007年だから、見たのは10年ぶり。
 onちゃんという、オバQのO次郎みたいなキャラに取って代わられたしまったが、くん太くんこそ、同社の元祖マスコットキャラ。1970年代に登場したということも今日は紹介されていた。
 しかし惜しむらくは、どうせそこまで紹介するなら「きらりHTB」という短時間の、自社広告番組にも触れてほしかったなー。

【読書】田山花袋『一兵卒』

 『一兵卒』は、脚気のため入院していたにも関わらず、自らの意志で戦線復帰を願い、病院を去り、自らの所属する部隊を追いかけるも、脚気衝心により死んでしまう一兵士の話。

 この作品中で、主人公は「三河国渥美郡福江村」の「加藤平作」という固有名を持ちつつ、全編を通して「渠(かれ=彼)」と代名詞で呼ばれる。おそらく、主人公のモデルは実在しつつも、戦争という一個人では如何ともしがたいうねりの中で、この兵士は「渠」という代名詞により記号化され、矮小化されてしまったのだろう。また、渠同様、国を、世界を覆う荒波の中で翻弄される数えきれない、その他大勢の渠がいることをも想起させる。歴史のうねりの中での一個人の無力さがにじみ出る。
 この小説のあらゆる要素が詰まっているのはやはり下記のラストだろう。

   渠は既に死んでいた。一番の汽車が開路開路のかけ声とともに、鞍山站に向かって発車したころは、その   残月が薄く白けて淋しく空にかかっていた。
   しばらくして砲声が盛んに聞こえ出した。九月一日の遼陽攻撃は始まった。

 彼が死のうが死ぬまいが、そんなことにはかかわらず、新たな線路が開通する。彼の死をわずかに「残月が薄く白けて淋しく空にかかっていた。」と惜しむ描写がありつつも、つんざく砲声がそれを破る。
 渠のように、小説に記されることもなく果てていった無数の命があったことが思われる。

ターニングポイントとしての『怪奇大作戦』とその後

 今、というかここ数年、僕が主として研究しているのは怪獣論。
 その前段階として、「怪獣以前」つまり、『ゴジラ』以前の日本の種々の異形はどのように比喩的に描かれてきたのか、ということを考察したのがこの3月修了した、修士課程で行った中身であった。
 そして今は、博士課程で『ゴジラ』以降を研究しているわけだが、経時的に考えた時、ターニングポイントとなるのは『怪奇大作戦』であることは自分の中ではほぼ間違いがないように思う。

 もちろん『怪奇大作戦』は怪獣映画ではない。
 
 『ゴジラ』のエッセンスを継いだのは、後続の『ゴジラ』シリーズ以上に『ウルトラ』シリーズであった。
 その初期『ウルトラ』シリーズは、金城哲夫によって一度、『ウルトラセブン』で締めくくられる。
 しかし、後番組の『怪奇大作戦』は、怪獣の出ない『ウルトラ』シリーズと呼ぶにふさわしい。
 つまり、『ゴジラ』以前の異形がそうであったように、ゴジラは比喩として描かれた怪獣であった。それはそして『ウルトラ』にも継がれ、『ウルトラ』のいくつかの怪獣、宇宙人、そしてそれらの跋扈するストーリーは比喩として機能した。
 しかし、『怪奇大作戦』はもはや、比喩としての異形を描くことなく、人間による数々の所業をストレートに人間に担わせた。つまりこれは、「人間→怪獣」として描いてきた怪獣映画の営みを、「怪獣→人間」と還元して見せたことにほかならない。もちろん、予算の関係であったり、その他商業的な都合があったことは想像に難くない。けれども結果として、異形がなくても、比喩を用いなくても怪獣映画が成り立つということを『怪奇大作戦』は証明してしまった。その意味で、『怪奇大作戦』は怪獣の出ない怪獣映画なのである。
 もちろんそれはエンターテイメントとしては物足りないものであっただろうから、反動のように『ウルトラファイト』(特段のストーリーはなく、怪獣やウルトラセブンがひたすら戦う番組)が登場し、人気を博した。
 そして、単体で成り立つはずであった『怪奇大作戦』と、『ウルトラファイト』が合わさるかのように、『帰ってきたウルトラマン』は誕生した。その意味では、『帰ってきたウルトラマン』以降の(『ゴジラ』の直系としての)『ウルトラ』は、怪獣不在でも成り立つ地平に怪獣が描かれた世界であるといっていい。
 このことが、本質的に『ウルトラセブン』以前と、『帰ってきたウルトラマン』以降を隔てているといえる。だから、特にリアルタイム世代が『帰ってきたウルトラマン』をあまり評価しない時代が続いたのは、不在でも成り立つ怪獣映画を見せられている感覚を無自覚のうちに感じていたのからかも知れない。
 でもここで思うのは、ではなぜ自分自身は『帰ってきたウルトラマン』以降に強く惹かれるのかということである。ウルトラ兄弟が出るからか。それとも『帰ってきたウルトラマン』以降は、もうそれが『ウルトラ』であるというだけで、ブランド的な意味を持つことで魅力を持ちえたのか。それらもなくはないだろう。けれども、もっと本質的なことを言えば、『ウルトラ』が変質したからだろう。大体、僕のように再放送世代は、どこから作品に入り込んでいったかという問題もあり、それが『ウルトラ』であるというだけで…の理屈は当てはまらない。(実際、僕は『帰ってきたウルトラマン』が最初に視聴した『ウルトラ』だ。)

 ここで宇野常寛の論を補助線として用いたい。

宇野は『リトル・ピープルの時代』で、『帰ってきたウルトラマン』以降を、ビッグブラザーが壊死する、つまり大きな物語が崩壊(=ポストモダン社会の到来)するなかで、ウルトラマンは機能不全を起こしているのだと説いた。でも僕の解釈は違う。もしも『帰ってきたウルトラマン』以降のウルトラマン達が、初代ウルトラマンやウルトラセブンのような存在であったなら、その指摘は当てはまる。でも実際は帰ってきたウルトラマン以降のウルトラマン達、つまりAやタロウ、レオも(一先ず、ジョーや80以降は置いておく)リトル・ピープルの時代に正対していた(個々の人間の置かれた状況に由来する諸問題がストーリー中に反映されていた)という意味で、『ウルトラセブン』以前とは異なる世界を描いていた。これにはリトル・ピープルという概念の受け取りの差異もあるかもしれないが、帰ってきたウルトラマン以降のウルトラマンはまさに、リトル・ピープルの時代に機能するかたちに変質したのだといえる。ウルトラマンはもっと大きなものと対峙していたのではなかったか――そのような違和感を『帰ってきたウルトラマン』以降のシリーズは感じさせる部分があるのかもしれない。だが、その変質があったからこそ、このシリーズ、そして怪獣映画は70年代を生き延び、かろうじて――軽佻浮薄、過激、おもしろくなければテレビでないような――80年代の荒波を耐え抜き、90年代以降、確固たるジャンルとして根付いたのだ。
 そのターニングポイント、つまり異形の力を借りず、そして後半言ったようなリトル・ピープルの時代を描き出したのが『怪奇大作戦』であったといえる。

「観光客の哲学」で「第四惑星の悪夢」を再読

 僕はある時期から、『ウルトラセブン』「第四惑星の悪夢」の表象性について、ヒエラルキーの問題で解釈している。
 つまり、中世までの神、または神の力を委託されたとする王をヒエラルキーの頂点に置き、人間を統治する時代が終わり、イデオロギーがヒエラルキーの頂点に立ち、人間を統括する時代が到来する。そのイデオロギーは、日本でいえば、戦前は「戦争に勝つこと」であり、戦後は「欧米化する中で豊かになる」ということであった。イデオロギーの統括は、「大きな物語」の存在と言い換えていい。
 しかし、豊かさの享受が現実化すると(個々の人々がどれだけ豊かになったかという問題はあるが、一応ここでは既存の見解である、1970年あたりで国民は豊かさを享受した、という論を参照したい)今度はイデオロギーによる統括も機能しなくなる。
 では何が私たちを統括しているかというと、それは数値や論理といった合理であるというのが僕の持論だ。そして「第四惑星の悪夢」はそんな世界を表象している。
 あのエピソードが怖いのは、やがて人工知能が人間を支配するといった類のSF的な脅威だけではない(それも十二分に怖いが)。むしろ立法、司法、行政に加え、マスコミまでもがすべてデータ処理によって支えられているという点である。そしてこれはいまや、半ば現実化しており、数値化による人事評価などはもちろん、アマゾンやグルメサイトで、不特定多数、つまり誰が票を入れたともしれない数値を頼りに消費行動をとることも十分、第四惑星化と言えるのである。
 最近、『ゲンロン0 観光客の哲学』を読んでいるのだが、そこで東が言う「ナショナリズム」と「グローバリズム」の二層構造の話が、「第四惑星」の問題を考えるうえで、示唆的であった。
 東はかつての哲学者は、人間は市民を経て国民になることが求められたことを指摘しつつ、以前は国民国家を超越する「世界市民」、「永遠平和」が仮想されていたとする。つまり、ナショナリズムは、国民が国家の成員であると自覚することがゴールなのではなく、その上に、世界というものをイメージし、最終的には個人個人が世界の一員であると自覚することで、永遠の世界平和への上昇を志向していたというものである。しかし実際には、グローバリズムの台頭、つまりボーダレスに広がる世界市場が世界平和に取って代ったと東は説く。
 ここからは僕の考えだが、世界の市場化の特徴は当たり前だが、国境を越えて商品が売買されることだ。さらに言えば、市場原理で、市場以外のことも考えるようになってしまうという特徴がある。
 本来でいえば、武者小路実篤の書いた小説と、昨日出たばかりのマンガと、ピカソの画集が同一の次元で数値化されるわけがない。あるいは、きりたんぽ鍋とドーナツが同一の次元で評価されるのはやはりおかしい。なのに、個々の特性を鑑みず、すべての対象物を商品とみなし、スペック的に評価し、永遠に相対化し続けていくのが、世界の市場化の中で起こる動きだ。実際の市場がそう単純な原理で動いていなかったとしても、市場以外の場で、本来数値化できないものまで数値化して相互に相対化可能にしてしまうことが起こるのだと考える。
 とすれば、第四惑星は世界の市場化、つまり人間さえもが合理主義の下、数値的に処理された世界を描くエピソードであるといえる。
 また、同じ時期に『ウルトラセブン』で放映された「あなたはだぁれ?」は、社会の画一化の中で記号化していく人間を追ったものだと言えるだろう。

テンキー電卓

 長年使っていた(多分13年くらい)テンキー電卓が壊れたので、新しいものを買いに。
 今まで使っていたものを買ったのはだいぶ前だったから、最近は値段も安いんだろうなー。昔は地味ないかにも電卓という感じのデザイン、色のものしかなかったけども、いまどきはきっとオレンジとか紫とかもあるかも、と期待を抱きつつ、ヤマダ電機へ。
 なかなか見当たらないので、店員さんに聞くと「テンキー電卓?ですか…。」という感じで案内されるも結局取扱いなし。
 もう一軒のヤマダへ行くとようやくあったものの、取り扱いは一種類のみ。デザインは…まあ、悪くはないけれど、いかにも電卓というデザイン。「Windows xpとvistaに対応」って…。価格については、ネット上のヨドバシカメラが安かったので、それと同じ価格とポイント付加にしてもらえたことが救いだった。
 ノートパソコンの軽量化、小型化でテンキーなんて省かれているのだから一定のニーズのある商品化と思ったが、実際にはほとんど需要がないのだろう。スマホで代替えしているのかな。
 

自由研究がしたかった

 僕の中で、自由研究はパン食い競走と同様に、過去のほんの一時期、学校教育で行われたことがあるものの、実際には行われていないものというイメージがある。
 自分の小中学校では自由研究などという宿題はなかったし、今、中学教師をしているが(今は育休中だが)、小間の学校でもその前の学校でもその前の学校でもそのような課題はなかったからだ。
 ところが自由研究は今多くの学校で行われているのかも知れない。最近の毎日新聞でも、この自由研究の代行業の存在、罪悪感なくそこに依頼する親、それを黙認する学校の共犯関係が伝えられていた。
 僕は小中学校時代、むしろ自由研究がしたかった。好きなことを研究できる。みんながそんなもの研究なのと首をかしげることが研究できる、そう思ったからだ。しかしこの地域では伝統的にそういうのはなかった。
 小学校高学年のとき、担任の先生が書きたい人は好きなテーマで壁新聞を作ってきても良いと言ったので、嬉々として取り組み、大きな模造紙に線を引いて、『怪獣新聞』を作った。当時は社会で四大公害病などを習った直後であったので、公害と怪獣の関係を『スペクトルマン』など題材に書いたのだった。担任の先生はその出来映えを褒めてくれ、教室の後ろに掲示してくれた。しかしある朝、学校に行くと、誰かにマジックでグチャグチャにされていた。
 中学生のときは、文化祭の主張発表があり、何か発表してみないかと言われ、予稿として「日本の特撮」というのを書いたが結局相手にされなかった。
 自由研究に取り組みたいという欲求はますます募ったが、このフラストレーションがモチベーションに転化して、今やっているようなことになったのだと思う。
 そう考えると、自由研究のような機会があり、そこで小さな成果をみんなに褒め称えられでもしていれば、そこで案外、僕の自由研究熱は冷め、今みたいなことはしていなかったかも知れない、なんて思ったりもする。
 自由研究があれば良かったのか、なくて良かったのか。
 書いているうちにわからなくなってきてしまった。

地図が必要になったとき

地理嫌いが高じて、視野に入る地理だけがわかれば生きていける、などと変にフレーズめいた虚勢を張っていた僕が、地図を必要としたのは中学二年のときだった。
ロンタルギアにはどう行けば良いのか。
ドラクエ兇旅粁には地図が欠かせなかった。
翌年には、アリアハンを起点に疑似世界旅行。
僕にとって地図は現実を生きるためではなく、バーチャルを生き抜くためのアイテムだった。

多分、このあたりが最初であったり転換期であったり

 最初に全国的に有名になった「ゆるキャラ」(当時はそういう言い方がなかったが、背景に物語のないゆるいマスコットキャラ)って、「バザールでござーる」では。

 白や黒や灰色以外、あるいは銀色ばかり、のように特定の色ばかりが流通しやすい商品において、カラフルな商品展開をしたのって1999年のiMACからでは。

 それなりの普及率であったクレジットカードが加速度的に普及したのって、インターネットと、ETCの登場時では。

 3番目のは調べればわかりそうなので今度調べてみようと思う。
 

巨視と行間

巨視的であることと、行間を読むことが大切であると思われる。

怪獣研究の微妙な立ち位置

かつてテレビなどで、僕が『ウルトラ』を学校で扱っていることが報道される際、他のオーディエンスから批判的な意見が聞かれることがあった。そのほとんどが、「学校で見ることで自由な意見が言えなくなる」というものであった。(確かに、ある特定の方向に解答を寄せさせる空気感を醸成してしまえば、その危惧は当たるだろう。けれども自分は道徳的な規範意識をバッサリ捨てて、解釈の多様性(って月並みだが)でやってきたと思っている。)
しかし、実際には今では教育現場、殊に大学でのポップカルチャー研究は全くビビッドではなく、むしろその研究のために留学してくる人も多い。
それはそれとして、僕のやっている怪獣研究というのは実に微妙な立ち位置であると最近感じ出した。
つまり、ポップカルチャー研究自体は旬だが、怪獣研究はまったく旬などではないということだ。
かといって、(ゴジラは別として)ウルトラマンなどをしっかりと包括してこなかった従来のサブカルチャー研究には物足りなさがあるし、僕が扱いたいウルトラマンや、シリーズとしてのゴジラなどというものは非常に宙ぶらりんな研究対象ではないかと思う。
だがこれはいたずらに自らを卑下しているのではなくて、元祖や古典と、旬ばかりを研究するのではなく、そこをつなぐ例えば1970年代〜1980年代をしっかりとやる必要があるのではないかという問題意識から発露しているものだ。玉石混淆のマンガやアニメ、特撮が量産されたからこそ、今日のポップカルチャーがあるのだから。
国文学でも、鎌倉以降が等閑視されていたことを風巻景次郎が指摘しているが、ポップカルチャー研究史においても同様のことが生じるのではないかと思う。

SNS

 TwitterもLINEもフェイスブックも、インスタグラムもやらない自分だが、ちょっとSNSをやろうかという気持ちにもなる。考え中だが。

育児記録

 娘が誕生し、二ヶ月以上が経った。
 改めて、たった二ヶ月でこんなに変化を遂げるものかと驚いている。
 笑うようになったのは、一ヶ月半くらいから。最初はたまたまかと思ったけれど、絵本を読んで上げると高確率(10回中8回くらい)で笑う。
 最近は、言葉にならないような音声で、何かを伝えようとしてくるので、うんうん、そっかーと返すとさらにしゃべろうとする。
 この一週間くらいは、「早菜のお話聞かせて〜」とお願いすると、一所懸命にアフアフとしゃべろうとする。こちらの言っている意味が伝わっているのかな、って思ってしまう。
 まああまり過大な期待はしないようにしようとは思う。

「一太郎」→「Word」の困難

 およそ20年来の「一太郎」ユーザーだから、「Word」がきつい。
 慣れた一太郎だと、表作成も画像添付もあっという間なのだが、Wordだと思うようにならず苦戦。
 これからもメインは一太郎でいくのだが、論文等の作成でWordに慣れなくてはならないので、ちょっと大変。
 一太郎には、ワープロ専用機に慣れたユーザーのために「文豪」「書院」「オアシス」等との互換性を持たせた機能があったので助かった思い出があるが、Wordにも一太郎からの乗り換え、あるいは並行して使用するユーザーを補助する機能があればいいのに。

育児休業取得

 育児休業取得。
 決心し、申請し、代替の方が見つかり、晴れて取得。
 10月10日から来年の2月5日まで。
 有意義な時間を得られたことに本当に感謝。

結婚式から早一年

 9月18日という日付は去年、特別な日になった。
 去年のこの日、結婚式を挙行。
 日取りを決めたのは半年前余りだった。それからの半年あまり、常にこの日を頭に刻んで行動していたのだった。
 そしてその日が過ぎ、明日で丸一年となる。
 早かった。
 あれから、12月末には妻の妊娠が判明、修士課程を修了し、博士課程に合格し、勤務先を転勤し、転居し、子が誕生…。
 
 濃い一年だった。本当に子どもの誕生はあまりにも大きな出来事。
 時々錯覚に陥る。
 我が子は自分自身なのではないかと。どこかで自分はこの子になり、元の自分ではなくなった自分が赤ちゃんとなった自分を育て直しているのではないかと。あまりにも自分の顔に似ているからそう思うのだろう。
 時々自分の意識がこのこの中にあるような、そんな不思議な感覚に包まれる。
 結婚式から一年。明日はケーキでも食べようかな。健康診断でも血糖値は良い感じだったし(空腹時血糖79)。

「かも知れない」という思考回路の欠如

 意味のない、若者バッシング、また若者擁護、その両論とも好きではない。
 しかし最近、「気の利かない人が増えている」という意見を本で読んで、それはちょっとそうかも知れないと思った。
 気が利かないということは天然ボケである。
 今や、単に”あの人、天然入っているよね”と言えばその天然は当然に「天然ボケ」の意であるほど、天然という語が定着した背景には、天然ボケの人の増加があると思われる。
 ちょっと抜けているくらいがチャーミング、そういう話で終わるのなら、さしあたり問題はない。でも、事態はそう悠長に構えてもいられないように思える。
 天然ということは、気が利かないということなのだ。
 
 相手が私の話を聞き返してきたのは、相手のせいではなく、自分の話し方、声の小ささのせいなのかも知れないとか、無数に例があるだろうけれど、こういうことが積み重なって、何か人命に関わるようなミスにつながらないか心配になる。

娘の未来とドラえもん

IMG_0714 今日は言わずと知れたドラえもんの誕生日。
 2112年9月3日の誕生だから、マイナス95歳と言うことになる。

 95年後にはドラえもんがついに誕生。

 女性の二人に一人は90代まで生存するのだという。
 ということは、うちの早菜子はドラえもんの誕生に立ち合うのかも知れない。
 
 僕は無駄に記憶力が良い。
 友達曰く、博覧ではないが、強記ではあると。
 まさにその通りだと思う。

 幼い頃の記憶は無数にある。その一つ一つが具体的で、今でも周囲を驚かせる。 
 
 最も古いのは、飛行機の管制塔(?)で赤、青、黄のボタンが手元にあるような夢を見た記憶。
 夏の夜だったと思う。近所で盆踊りか何かをやっていて、こぢんまりとしていたけれど、夜の賑やかな雰囲気が子ども心に好ましく、お土産にレモンスカッシュと、カルピスソーダをもらった記憶。
 幼稚園に入る前、三つの幼稚園を見学した記憶。
 車のラジオから流れるラジオドラマか何かを聞いて、「彼」という単語を聞いて意味がわからず「カレー」を連想したときの記憶。
 天気予報を見て、日本の周りの海はすべて日本海かと思った記憶。
 天気予報で「明日は雨になりましょう」と言っているのを聞いて、「信号を渡りましょう」の「しょう」と同じ用法であると思う、なぜこの人は天気に呼びかけているのかと思って親に尋ねた記憶。
 
 これらはどれも僕にとって相当古い記憶。遠い遠いところにある記憶だ。
 なのに、早菜子にとって、いつか遠い記憶となる出来事はこれから、やってくる。つまり早菜子にとっての遠い記憶は今は未来にある。
 このことが僕にはどうにも不思議で、しかも心がぶるぶるっと来るような心地を誘う。
 僕にとって、親にとって、あるいは早菜子以外の誰にとっても、忘却するしかないかすかな出来事が、この子の小さな脳に小さなイメージを刻印するのかも知れないと思うと、一瞬一瞬がかけがえのないものに思えてくる。
 そしてできることなら、ここ数年で焼き付くであろう、遠い昔の記憶をときに思い返しながら、ドラえもんが生きる世紀を生きてほしいと願う。

アウトローとポップカルチャーのミスマッチなマッチング

 元来、車の改造のようなアウトローともいえる嗜好と、ポップカルチャーなど無縁であった。もちろんヤンキー的な世界に親和性のあるマンガは昔からあったが、それはそもそもマンガの世界が手塚―寺田ヒロオ―藤子・F・不二雄的な世界と、さいとうたかを的な劇画と言われる世界に二分しており(手塚や藤子もダークなものは多々書いているが)、その片側は暴力を前景に描く点でヤンキー性と融和するというものであった。
 しかし今日のイタ車は車の改造という、一種ヤンキー的な名残のある事柄であり、それでありながら初音ミクや、種々の(ヤンキー性のない)マンガ、アニメをペイントしているという点において、アウトローとインドアのミキシングともいえるものであった。
 そしてここにきて、「ヲタトゥー」なのだという。
 入れ墨こそは、改造車と違い、若気の至りで済まないようなアウトローなものの一つであろう。それなのに描くのは、アニメ調の美少女。アウトローとポップカルチャーがこのようなかたちで融合していくことには驚きもあるし、また多くの場合は後の後悔を生む入れ墨への入り口にポップカルチャーが存在しているのならば、それはそれで危惧されることであるようにも思う。

ようやく男性差別の問題意識が出てきたような

 この間の日曜の朝日新聞で取り上げられた問題。

 「消臭剤のCMで男性が女性に取り囲まれ臭いなどと批判を受けている場面は女尊男卑のように思える。これらが女性・男性反対に描かれていたらどうだろう。」

 ようやくこの手の話題が出るようになった。
 つい先日も、我が子が娘であって良かったと思う理由を述べたばかりだが、もっと広く共有されるべき話題ではないのか。

2017年の8月という特別な月

 今まで8月に思い入れがなかった。

 7月が好きだということは、以前このブログにも書いたとおり。夏に向かっていく感じが好きなのであって、8月は夏の盛りではあるが、終焉が見えてくるのが何とも寂しい。
 しかし、僕にとって8月は特別な月になった。
 それは娘が生まれたから。

 早朝はいつも張り詰めた空気に包まれている。
 空気がひんやりしているから。
 人があまり出ていないから。
 早朝に起きるということ自体、その後にいつもとは違う何らかの予定が入っているから。

 8月5日の早朝もそうだった。
 妻の「病院へ行く用意して」の声に、寝起きの悪い僕が瞬時に飛び起きた。
 早朝に起きるいつもがそうであるように、この朝もやはりピンと張り詰めていた。
 陣痛を痛がりつつ、どこか冷静に産院へ電話を掛ける妻の声を聞きながら、ひげを剃り、顔を洗う。どこかにドライブにでも行くようにペットボトルを3本。ポカリスエットに麦茶に、午後ティーのレモン、それにこの日のために買っておいたやや高級な、大丸の地下にしかないようなゼリーをもって、またあらかじめ用意しておいた入院グッズをもって病院へ。そんな朝だった。
 我が子の出産が間近というその時は、今考えても妙な精神状態だった。
 「今まで自分はどんな人生を送ってきたのだろうか」
 「何人と付き合うかではなく、誰とどんな付き合いをするかが大事だよな」
 そんな雑念といっても良いような思念が湧く。
 陣痛の激しさが増す中で、雑念どころではなくなり、今度は、何時に生まれるのか、それによってホロスコープのハウスの位置や月の位置、アセンダントが変わるという気持ちに変化していった。
 この日ほど、時間の立ち方がスローで、なおかつ慌ただしかったこともない。気付けば8時になり、11時になり、夕方になっていた。

 そんな8月5日が過ぎ、8月が終わろうとしている。
 夏しか知らない我が子は、明日からの秋の風をどう感じるのだろう。
 目にはさやかに見えない秋の空気を掴もうと、また手足をもがもがと振るうのかも知れない。

桑田VS篠塚


 篠塚のバット裁き、一塁をまわってからの仕草。
 見応えありすぎ。
 この試合こそテレビ中継してほしかった。食い入るように見ただろうな。
 こういうのを流せば野球ファンも戻ってくるだろうに、と思う。

”挨拶だけはできる子に”ってどうなのだろう

 たまにテレビで、我が子には「挨拶だけはできる子になってほしい」というのを聞くと、どうなのだろうと思ってしまう。とっさにマイクを向けられて出てきたのがたまたまそういう言葉なのかも知れないけれど。
 挨拶ができる子に、というのはもちろん大切な目当てではある。挨拶ができないのは困る。けれども、挨拶さえできれば何とかなるような世界ってあるのだろうか。少なくとも自分にはピンとこないし、仮にあるとしても、そういう空気感の中で我が子に生きてほしいとも思えない。
 「理屈より気合い」みたいのはやはりおかしい。理屈も気合いも両方必要なのだから。

外ではよそ行きの顔でいたい。気取った顔でなくても。

 これは社会的階層とも関係しそうな感じがするが、買い物していてすごく不機嫌そうな人とすれ違うことがままある。
 僕も一人でいるときや、職場でちょっと何か考えているときなど、そういう顔になることはある。
 でも、外ではやはりそういう顔にはなりたくない。
 別に気取った顔でなくても良い。ニュートラルな表情があるとして、それを下回らない表情を保てればいいのではないか。(完全にニュートラルな顔という表情があったならそれはそれで無機質な不気味さを感じるが)

娘が誕生し、結婚や妊娠を振り返る

 そろそろ結婚もありだよな、と思ったのが30代前半くらい。
 なので、結婚したいしたいと思いつつ、自分の場合、10年くらいは要した。紆余曲折もあったが、これが長いのか短いのかはよくわからない。
 ただ友達が35歳を超えてから結婚し出したので、少しは焦りだしたし、精子にも加齢リスクがあるとは聞いていたので、あまり悠長にもしていられないと思った。
 なのになぜか、周囲からは結婚願望に乏しいとか、まして子どもがほしいように見られない、ということもあったように思う。自分には何かそう見せる雰囲気があったのかも知れない。

 そうして昨年6月に結婚し、9月18日に式を挙げ、そこから妊活に入った。その時点で僕は42歳、妻は37歳。
 もしかしたら、時間とお金、そして根気を要する不妊治療が待っているのではと思った。
 新聞記事には、不妊治療の止めどきの話題が載り、ある機会に話をすることになった方からは長い不妊治療と、それを断念するに至った経緯を聞き、もしかしたら自分の進み行く道であるのかも知れないと思い暗鬱な気持ちになったりもした。
 だから昨年の12月に妊娠の徴候があった際は嬉しかった。しかし、流産する確率は決して低くなく、まして自分たちの年齢の場合、そのリスクはますます高いだろうと思うとやはり暗鬱な気持ちが高まることもあった。
 大晦日近くに心拍が確認できた際には嬉しい気持ちと、灯ったばかりの小さな火を消すまいという気持ちが起こった。
 その後、出生前診断に臨んだ。何らかの障害を抱える確率が仮に平均より高いとして、ではどうするのか、その回答はなかなか得難かったが、それでも出生前診断に臨んだ。幸い良い結果であった。
 受精から誕生に至るまで、本当に心配事が尽きなかった。
 望んでいても最終的に子を持たない人生を歩まれる人もいるわけだから、自分たちはこの年齢でありつつ、望んでからわずか二ヶ月で妊娠に至ったことを本当に有り難く思っている。

 産科で卵管造影(この検査で卵管の癒着が改善され、卵子の通りがよくなることで妊娠しやすくなる)などの検査をし、排卵誘発剤を使うなど、科学的な正攻法を軸としつつ、かかりつけの内科に行って夫婦ともに、体を温める漢方薬や下半身の血行を改善する漢方薬を処方してもらい、子授かりの霊験で有名な札幌の諏訪神社をお参りした。
 1月に大学院の口頭試問のために上京した際には、妻も同行し鶴岡八幡宮、箱根神社等、鎌倉の大仏さまなど各所で安産を祈願した。

 そんないきさつも知らず、娘は今も母乳を吸っている。補助的に使おうと思っていた粉ミルクをほとんど受け付けず心配していたが、それも明治の粉ミルクに変えることで解決。
 授かった命に感謝しつつ、子育てを楽しみたい。

【書評】『知育絵本ピカピカひかるピアノ』


 同様の、ピアノの絵本を数冊探した。
 ミキハウス、金の星社、たまひよ、東京書籍など。
 その中でもこれを選んだのは、次に弾く鍵盤が光るという点にあった。
 生後間もない娘は当然まだ興味を示さないので、自分が弾いたのだが、まさに、ジャイアント馬場よろしく「僕にも弾けた」だった。
 『大岡越前』や『江戸を斬る』の主題歌を夫婦で弾いて遊んでいるのを黙って聞いている娘。

【書評】『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』

 現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史 (イースト新書)は今年ここまで読んだ本の中で最も濃い一冊。
 
 この本の著者、北田暁大が、そもそもこの本を書くことになったのは、2013年の内田樹による「今の30代後半から45歳前後の世代が、”日本最弱の世代”」発言にある。しかも内田樹は、SEALDsなどの活動の目立つ今の20代を、自身の世代である60代と馴染みがよく、30代後半から40代前半を嫌うと言っているのだという。
 内田の発言の真意がよくわからないまでも、確かにこの発言は看過できない。

 北田暁大は1971年というから僕より2歳上だ。
 今でも忘れられないのは、大学に入ったときの4年生の就活が順調であったのに対し、翌年からの先輩方の就活が一気に逆風吹きまくりであったことだ。一年間でこんなに違うのか…と驚いたものだった。
 だから自分も就活には相当苦しんだ。一応新卒で正規の教職に就けたが、そこを一年で追われてからは厳しかったし、それは周囲も同じであった。43歳になる今も、思うように働けていない同世代もそれなりにいる。
 なぜか我々世代は数歳上のバブル世代と同一視されることもあるが、まったく違う。バブル期は高校時代であり、なんの恩恵にも与れなかった。
 しかし、我々が〈若者〉と呼ばれなくなり、自己責任という、半分頷けても半分頷けないようなフレーズが定着することで、就職氷河期に定職に就けなかったことで、今も苦境に置かれているということは自己責任ということになり、誰も救済の手を差し伸べなくなった。
 スポットは次世代の〈若者〉に当てられるようになった。我々の世代は本当にロスジェネになった。日本最弱の世代―――その通りかも知れない。けれどもそれはすべて個々の、あるいは我々世代の責任として帰結させてしまってよいのか。あるいは今さらこの世代を救済する手立てを講じることに意味はないのか。『SPA』なんかで、ニート中年や貧困女子の特集である種のきわもののように取り上げられることに甘んじざるを得ないのか。内輪びいきではない。自分ら世代の少なくない割合の人数が貧困のまま50代60代、そして高齢層になっていくことは国全体にも影響しないか。何せ第2次ベビーブーマーは日本の人口のボリュームゾーンでもある。リスクマネジメントの観点からも、ロスジェネ救済は必須なのではないのか。赤木智弘は敗者復活不可能な格差社会の底辺に置かれた身として、「希望は戦争」と問題提起したが、それを地で行く者だって出てこないとは限らない。そうなればmade in Japanのテロリストだって誕生しかねない。

 今自分がほとんど唯一しっかり見ているテレビ番組である『ニッポンのジレンマ』批判も読ませるものであった。それを読んでふと思った。この番組は当初、1970年以降の論者が参加資格であったが、それが最近1975年以降生まれに代わったのを見て、参加資格がなくなったなんて嘆いていたが、考えてみれば1970年から1975年生まれの世代にはもはや新たな想像力の持ち主がいないと見なされて発言権を奪われているのではないか。どの世代も自分たちの世代は特別に感じるのかも知れない、だがそういうことを言いたいのではない。本当に割を食っていく世代に発言させなくて良いのかい、と。〈現・若者〉による「〈若者〉は幸福」という論によって、ロストされていく〈元・若者〉の現況や場合によっては絶望的な未来への想像力を打ち消されて良いのかい、と。
 ただこのくだりで、三浦瑠麗を「リベラルをかぶった保守」とするのにはちょっと違和感。今さら「リベラル/保守」もないと思うのだけど。それとも一回りしてやはりこの二項対立に戻っていくのだろうか。

 「文化左翼は食うに困らないから、貧乏人の幸せの心配なんか本気でしない」。これもなんかしっくり来る。貧困層、社会的弱者が左翼的にならず、右旋回していくのもこれに由来するのだろう。佐藤優は自分としては好きな文筆家だが、それでも、大学に行くなら奨学金ではなく、公正証書を書いて親から借金しろと言ったのには驚いた。そんなお金、親にはないのだから。もっともこれを書いていたのは『東洋経済』増刊だから、その読者層には響くのかも知れない。
 「左派は状況が見えなすぎ」これも社会的弱者の右旋回の原因の一つだろう。

 「アンチエビデンシャリズム」――これは自分には痛い話題だった。
 自分の中のゆるい定義として、「学術」と「批評」の違いにエビデンスの有無というのがあった。そして、エビデンスのある前者を中心としつつも、エビデンスのとりようのない事柄を批評で扱えばよいのではないかと、さらに言えば、批評的な言説よりも、喩を用いた方が世に流通、浸透しやすければそれは小説や脚本、あるいはそれが映像化されたかたち、つまりフィクションによって語られても良いのではないかと、つい最近思って、その意味で批評には存在意義と可能性があると思っていた。なので、アンチエビデンシャリズムへの批判は少し考えさせられるものであった。

 内田樹、宮台真司、東浩紀、古市憲寿、宇野常寛等々、あまり巷では批判されない論客について縦横に批判した一書ではあったが、だからといって、本書が内田らに対しメタな位置にいるというものでもないだろう。カウンターにあるものと理解したい。
 それにしても自分も物書きの端くれ。こういった本の中で名前が出ること自体がうらやましくはある。

 全体を通して、経済学的な眼差しを欠いているのかいないのか、という部分はやはりそうなのかという感じだ。自分は全くの経済音痴。せいぜい一般教養で経済学を火曜の5限に履修した程度。ひとまず高校の政経の参考書から読んでみようと思う。

「どうにもとまらない」

 高校野球のシーズン、テレビから聞こえてくるのは山本リンダの『狙い撃ち』。
 もともと僕は、ゲーリー(中日)の応援歌として聞いた記憶がある。「ゲーリーゲーリーホームラン、この世は私のためにある」と覚えているから。
 ところで、先日の阿久悠の特番で、「どうにもとまらない」が紹介されていたが、「うわさを信じちゃいけないよ」は今の時勢に響く。
 アメリカでは、フェイクニュースを流して数千万円稼ぎ、人を雇ってまでセンセーショナルなフェイクを流していたという人も。
 うわさを信じちゃいけない。

女の子の誕生を願った理由――ジェンダーの非対称性から

 「ごはんがススムくん」というキムチのCMを見て、生まれてきた子が女の子で良かったとあらためて思った。
 キムチの最後の一片を巡って、兄妹(姉弟?)が対決。最後は女の子のキックが男の子に決まり、晴れて女の子は最後のキムチを口にする。
 
 NHKアナの黒田あゆみの著書で、今の社会では女の子の方が生きやすいと書かれていたのももう20年くらい前だっただろうか。
 僕らの世代は、「これからは女性が活躍する社会」とか「女性ならではの〜」という言葉をシャワーのように浴びてきたことは以前にも書いたように思う。
 『笑っていいとも!』の観客が圧倒的に女性が多数であったこと、『ランク王国』で最後にインタビューされて顔が出るのが女性だけであること、『アド街ック天国』でその街の女性だけが取り上げられること、ある自治体でJK課ができること、これらはジェンダーの非対称性を感じさせるものだ。
(もちろん、「見られる性」に位置づけられるリスクはあるし、また容姿その他の要素で、女子内格差が厳然とあろうことも無視はできない。)

 前述のキムチのCMがもし、逆の結末、つまり男の子が勝っていたなら、このCMは批判の的にさらされてはいなかったか。
 また、2020年の東京オリンピックのボランティアの制服が批判された際、「おじさんの発想じゃ駄目よ」といった女性がいたが、これも逆に男性が「おばさんの発想じゃ駄目よ」と言っていたならば批難は避けられなかったということはないか。

 どの性に生まれるか、ということだけではなく、どのような社会的階層に置かれるか、どの時代に生まれるか、といったことが人生に大きな影響を与えることはわかっているつもりだが、やはり性差も無視はできない。その意味で、女の子を授かったことを嬉しく思っている。

赤ちゃんの命名

IMG_4416 赤ちゃんの名付け。
 次の二つで考えていた。

 ――早菜子と結惟子――。

 早い段階から、女の子であれば早菜子(さなこ)と、思っていたが、他の名前も考えてみてはということでもあったので、考えた末に出たのが結惟子(ゆいこ)であった。
 まず、名前に対して思う点を次のように箇条書きにしてみた。

・清楚、清廉でありながら、野暮ではない感じ。
・躍動が感じられつつ、派手に大きな動きがあるものではない感じ。
・しっかりとした芯がある感じ。
・電話で漢字が説明できること。
・男女紛らわしくないこと。
・少し古い、日本的な美が感じられること。
・「子」をつけることが余分でないこと。
・耳に聞き慣れた響きでありながら、名前としてありふれていないこと。
・くどさがなく、爽やかであること。
・個性的でありつつも、個性的すぎたり、狙った感がないこと。

 そして早菜子に関しては

・「さな」は「早苗」に通じ、若々しい生命力を表す。また、農耕という日本古来の文化を想起させる。
・「早苗」ではなく「早菜」であることから、ストレートに農耕ではなく、生きものの生育を思わせる。
・「さ」は「♪さくら、さくら」「咲(さ)けよ、咲(さ)けよと ささやきながら」で「さ」の押韻が成されるなど、日本語の音の美しさ、躍動を伝える。
・「早」は「さっそう」「さっぱり」「すっぱり」「しっかり」等々、竹を割ったような動きの良さ、清廉な躍動の感じられるサ行の音。
・対して「菜」は「のんびり」「のどか」「なごやか」「なめらか」等々、穏やかな和みを伝えるナ行の音。

◎以上から、若々しい生命力を携えつつ、実りをもたらす人間になることを願うものである。日照りのもと、生きものがすくすくと育つイメージと、躍動感、しっとりした感じの両方を持ち合わせた人間性を期する。日本古来の生活美を感じさせる名でありたい。

 結惟子に関しては

・「結」…様々な人や事柄と結びつける、あるいはあるものとあるものを結び合わせること。
・「惟」…思慮深いこと。
・「ゆい」…「結ぶ」という使い慣れた響きではなく、「結う」という少し古い日本的な、そして丁寧な手作業を思わせる響き。
・「惟」のア行は、母音であり、礎となるもの。
・「結」のヤ行は、「ゆっくり」「ゆるり」等、ゆるやかさを表す。

◎以上から、多くの人や物事と結びつき、思慮深く判断する人間になることを願う。また、日本古来の美意識が押しつけがましくなく、人柄として反映することを願う。穏やかでありつつ、思慮深く芯のある人となることを願うものである。

 これらのことをよく考えた上で、決めたのは―――

 早菜子。

 あれこれ考えたりもしたけれど、結局、最初期に考えた名前に落ち着いた。
 結惟子も本当に捨てがたかったけれど、早菜子と名付けなければ、早菜子はどこへ行ってしまうのだろうという意識にさえなった。
 妻の妊娠中期には、生まれたばかりの赤ちゃんが数ミリしかなく、湯飲みに入れておいたところどこかへ行ってしまうという夢を見た。夢の中で僕は必死に「早菜子! 早菜子!」と嘆き叫んでいた。
 夢の中で一時、姿を消した早菜子はあまりに小さかったので、お母さんのお腹の中へ帰っていったのだろう。
 そして生まれる準備を整え、あらためて僕たちのところへ姿を見せてくれたのだ。
 
 今日もすやすやと眠る早菜子。
 その傍らで、出産や出産後の授乳の疲れを癒す妻が寝、自分も寝る。
 妻の味わった疲労や不安を思えば、僕など万分の一の苦労さえなかったが、それでもこの子を一生表す名を決定するには少しばかり精神力が要ったのだ。

赤ちゃんが夕べ誕生

IMG_4353 赤ちゃんが2017年8月5日19時03分苫小牧にて誕生。

 21日までに生まれなければ、入院して誘発分娩ですねと言われていて、それを懸念していたこの一週間。
 妊婦を連れて、山道を歩き、森の中をさまよい、都会の雑踏をかき分けた日々。
 助産師である妻が今まで見聞きしてきた、焼肉を食べると、その後、陣痛が始まるという説を頼りに、8月3日の夜に牛角へ。普段あまり肉を食べない夫婦なのだが、決して肉が苦手というわけではないので、結構がっちり食べる。その後、夜の苫小牧の駅周辺を散策。するとその夜中から前駆陣痛。
 8月4日午後23時から本格的な陣痛。
 僕はそんなこととは知らず寝ていた。でもそろそろなのか、あるいはもう少し先なのかと思い、浅い眠りであったように思う。そして5日未明の4時半頃、妻がやや緊張感のある声で、病院へ行く準備を一応してと言うので、スイッチオン。
 連絡し、支度をして病院へ着いたのが朝5時過ぎ。この段階で子宮口は5〜6センチ開いているとのことだった。
 つい最近読んでいた、川上未映子の『きみは赤ちゃん』で、子宮口が指一本ぶんだか、1センチだかしか開いていなくて難儀したというのを思いだし、5〜6センチなら、もうすぐでは? と早とちりしていた。
 最初の助産師さんは夜勤だったらしく、日勤の若々しい助産師さんに交替。時間的にはこの助産師さんに最も長くお世話になった。

IMG_4350 しかし実際にはここからが妻にとっては苦しい時間であった。
 子宮口が7〜8センチになるまでにはそんなに時間がかからなかった。けれどもそこからが長い。
 陣痛の間隔が短くなり、しかも痛みが増す。ところが疲労によって、陣痛が弱まるときもある。
 最初に対応してくれた助産師さんが、上手くいけば午前中かも知れません、といっていたものの、あっけなく正午を過ぎる。
 午後になり、ただただ辛い時間が過ぎ、14時過ぎに人工的に破膜。15時台には陣痛促進剤を点滴。30分が過ぎ、一度目の促進剤増量。このあたりからにわかに陣痛が激しくなる。
 しかし、出産に必要な子宮口の広さはおよそ10センチなのだという。なかなかそこに到達しない。
 ほぼ30分ごとに、促進剤を増量。辛さは倍加しているように見られた。
 最後の促進剤を増量後、日勤の助産師さんから、3人目となる夜勤の助産師さんに。

IMG_4344 この助産師さんが診察したところ、子宮口が10センチになっていることが判明。
 いよいよラストスパートへ。この時すでに17時過ぎ。
 もうここから、10分くらいなのかなと思っていたら、まだかかるので座っていて下さい、というのを聞いて、まだかかることを察知。
 ここからも苦悶の時間。立ち会い出産は感動の共有以上に、辛苦の共有なのではないかと思い続ける時間。この辛苦をかわりばんこにできるものならと本気で思った。
 18時台には生まれてほしい(自分が18時18分生まれなので)と思っていたが、それを過ぎること3分。
 19時03分に出生。エコーで教えて頂いていたとおり、女子であった。
 
 血を拭かれ、僕にへその緒を切られる赤ちゃん。
 忙しく色々な準備をする看護師さんと助産師さん。
 妻に事後的な処置を施すお医者さん。
 妻にとっては以前の同僚であるそのお医者さんと、出産したままの姿で談笑する妻。
 自分が生まれたということに、周囲がどう思っているのか、何をしているのかを察することもなく、わめいている赤ちゃん。

 赤ちゃんは最初は体色が悪く心配だったが、よくあることだそう。自力で酸素を取り込むことにやや難があり、一晩保育器に。
 それでも翌日の10時頃にはすっかり、元気そうになっていた。
 
 『ドラえもん のび太の結婚前夜』でしずかちゃんのお父さんが回想する、我が娘の生まれたときのセリフを思い出す。僕の命を継いだものが生まれたということが嬉しいというようなことだった。

 生まれたばかりの娘は今日はただただよく寝ている。泣いたり、お乳や糖水を飲むのもそこそこにただただ寝ている。
 母胎という住み慣れた心地良い空間を抜け、新たな生地に降り立つ「誕生」という大仕事を成し遂げた後の疲労感なのだろうか。
 22世紀まで生きるであろう、我が子の人生がこれから始まる。

そうか和辻哲郎も経済学も高校でやるのか

 最近、経済学をちょっとは知っておきたいと思い入門書の類を立ち読み。
 友達に、何か良いものはないかと聞くと、数冊紹介してもらい、さらには高校の政治経済の参考書も良いよと教えられた。
 早速、本屋で高校の政経の参考書を読みながら思った。

 「そうか、経済学って高校でやるんだよな。」と。
 
 自分の出身校は、当時は大学進学者も少なく、自分の学級でいえば、大学に行ったのは一割程度だし、センター試験を受ける生徒も学年に確か一人もおらず、大学受験教科を習いたいというニーズがどこにもなかった。
 だから、政治経済もなかったし、倫理もなかった。数学でいえば、基礎解析とか微積もなかった。
 漢文もないし、古典も文法はまったくやらなかった。日本史も江戸くらいまでだっただろうか。
 その代わり、履歴書の書き方や、天声人語の書き写しをやった。
 当時はそのことに恨み言をいっていたりもしたが、今はそれは違うと思っている。そういうカリキュラムを組んでいる高校に行かなかった(行けなかった)自分に非がある。

 進学校では、倫理政経などをやるとは当時から知っていたが、考えてみれば、それが大学以降の勉強や研究の基礎となっているわけで、ということは高校の参考書で基礎的なことを学ぶというのは理にかなっているように思える。

 ただこれは今年になってから知ったは倫理という教科の中身だ。
 これまで倫理という教科はその名を聞いて知った気になっていた。おそらく道徳的な内容、つまり人はどうあるべきかとか、社会はどうあるべきかを学術的に説く(といってもそのイメージはイマイチ具体化できないが)教科なのであろうと。
 だが実際は、「思想」とでもいうべき中身であった。和辻哲郎とかこういうところで出てくるのか、と驚いたものだった。(もっとも今だから、和辻哲郎などに興味があるのであって、高校時代に倫理があっても、退屈に感じたことだろう。)
 
 網羅型の分厚い倫理の参考書を今度読んでみようと思う。
 経済学は引き続き、先述の友達の推薦を踏まえて入門書を読んでみたいと思っている。

 

赤ちゃんがなかなか生まれない

IMG_4269 予定日までまだ一週間ちょっとあるとはいえ、まだ生まれて来ず。
 それで、このところ、妻との軽運動を心がけているのだけれど、今日は一日年休を取り、朝7時に起床、大学院へ出す書類をしたためた後、吉野家の朝定食を食べ、妻の祖父母のお骨がある栗山町へお参り。
 その後、由仁の神社の森というところで1.2キロの山道を歩き、その後東千歳のいつも素通りしていたおしゃれなカフェへ。
 その後、車で一分圏内の松原温泉で真っ黒の湯(これが効く)につかり帰宅。
 学資保険のことでソニーのライフプランナーさんとお話をし、有意義な一日だった。
 
 もう8月になってしまったのは少し残念だけれど、夏を満喫、サンバルカンよろしく太陽の力を得たような日だった。
 赤ちゃんそろそろ生まれてこないかな。

7月が去る

 IMG_4182 予定日まではまだ10日ちょっとあるものの、なかなか生まれる徴候がなく、妻はお腹の中にスイカをひとたま入れているかのごとく。
 昨日も散歩がてら、色々歩いたのだけれど。
 7月も31日。明日からは8月。
 7月が夏に向かっていく感じなのに対し、8月は夏が過ぎていく感じ。ちょっとさびしい。
 

憧れの職業

 「男性が結婚したいと思う女性の職業」などを見ると、いつも自分はずれているんだなと思わされる。
 大体こういう調査で上位に来るのは、「看護師」「保育士」「幼稚園教諭」など。
 自分は独身の頃いつも、「マスコミ関係(雑誌、新聞、テレビ局など)」「大学教員」「ライター」「企業でキーストーンのように働いている人」が良いと思っていた。でもあまりそういう回答ってない。

名付け

 IMG_4127kai 8月10日の出産予定日に向けて、着々と赤ちゃんの頭の位置が下がってきている。
 もうそろそろ生まれてきてほしいのだけれど、そこまでの徴候もない。

 赤ちゃんの名付けをする中で思ったのは、僕たちの多くはすでにたくさんの名付けをしてきたということだ。
 『ドラゴンクエスト』シリーズに代表されるRPGがあれだけ人気を博した理由の一つに、自由に名付けができるということがあったと思う。
 僕も様々な名前をつけた。『キカイダー』シリーズにちなんで、「いちろう」「じろう」「さぶろう」「まり」「はんへん」…などとしたり、オリジナルで考えたりもした。
 また僕の場合は、教師になってから脚本を書く中で、数多くの名前をつけた。「百合」「サトル」「トオル」「スミレ」「うるう」「シュンタ」「ルナ」「タマカ」「サナエ」…。
 
 そしていよいよ自分の子の名前をつける。100年生きるかも知れないわが子の名前、リセット不可能な人生を送るわが子の名前をつけるのだと思うと、いよいよその重責に身が引き締まる。

ね子も8歳 シニア猫

IMG_4063 年に一度のね子の予防接種。
 今回は久しぶりに、飼い始めた頃に診察してくれた先生。「700グラムだったんですね〜」なんて会話に。
 8歳ということで、もう立派なシニア層。落ち着きのないおばさん猫という感じ。
 幸い元気なので、あまり大きな心配もなく。
 元気で居続けてほしいな。

【報告】子どもが誕生予定

IMG_4014 妻が妊娠。
 といっても、妊娠したのは昨年末。
 心拍が見え次第、ブログに書こうかとも思ったけれど、万が一のことがあっても…と思いここまでこの件は書きませんでした。

 自分の子どもができる−−−。
 自分が体験し得ない、自身の生と自身の死の瞬間に匹敵するというか、今までで一番大きなことをしたのだという実感がある。
 この数年、同級生たちも出産ラッシュ。35歳を過ぎてみんな結婚しはじめ、40歳前後になり第一子、また第二子の誕生が相次いでいる。
 去年の6月に籍を入れて以来、結婚式後のいつ妊娠しても良いという思いでいつつ、万が一、妊娠に適さない体質であったり、機能的な問題があったら時間のロスは僕たちには致命的なものであるので、去年の秋から産科に受診し検査。妻もしたし僕もした。一般的には男性側はあまり検査に前向きではないものらしいけれど、もし自分に何かあれば、いち早く手を打ちたかったので、妻にも言わずに自分の精子の検査も予約した。
 妊娠できなければ年単位で対策を打ち、出費もそれなりになるものと覚悟していたので、検査後二度目の排卵の機会に妊娠できたことに本当に感謝しつつ、身の引き締まるのを感じた。
 漢方医も尋ねたし、子宝の神社も参拝した。それらの験があったのに加え、少食でつい数年前まで体重30キロ台であった妻が茶碗に2杯のご飯を食べるようになったのがめでたきことにつながったのではと思っている。

 IMG_4037 先週、臨月を迎えるまで大過なく来たが、それでも心配は絶えなかった。妻自身もともと助産師であるし、産科の先生も妻がかつて大学病院で働いていた頃からのお知り合いの先生ということで、なんの心配もなかったのではあるが、急に小さな心配が降って湧いたり、出生前検査の結果がやたらと気になったりと、そんな日々であった。

 赤ちゃんは奥ゆかしいのか、エコーの度に股間を覆う。よって男女の区別がつかずに相当の時期を過ごした。しかし何度かのエコー、また赤ちゃんの顔さえわかるという4Dエコーの際に、どうやら女の子ではということに(エコーを見る技師さんは性別の確定をしないので、こういう風に見えますね、的な感じ)。
 すでにアカチャンホンポや西松屋で女の子向けの衣料を用意。
 今日の受診では、推定体重は2,630グラム。あまり大きくなりすぎると出産時が大変そうなので、そろそろ生まれてくるようにお腹に語りかけている。

ヤクルト13連敗

 小さいころ、水たまりに入って足がぬれるのがいやだったのに、一度ぬれてしまうと、わざと水たまりの中を歩いて、長靴の中をジャブジャブにして遊んだ。そのうち、靴の中の泥水が温かくなってくのがわかった。
 
 ヤクルトが13連敗。
 ここまで負けると、負けが続くのが気持ちいい。

 90年代はヤクルトの黄金期。でもそれ以前、僕が野球に親しみはじめた頃は、大洋ホエールズと並んで、弱小の万年Bクラス球団だった。
 そんな郷愁を沸き立たせるような13連敗。
 

過度なリスクヘッジをしないのもリスクマネジメント

 あまりベストセラー系は読まないのだけれど、今『宝くじで1億円当たった人の末路』を読んでおり、その中で、日本の企業は、先んじて”ルンバ”を作る技術は持っていたが製品化しなかった。もしも自動掃除機が仏壇にぶつかって、火の着いたロウソクが落ちて火事になったら…というリスクを想定したのが理由なのだという。その結果、海外企業に先を行かれてしまったという。
 こうなると、過度なリスクヘッジをすることで、目先の収益をみすみす逃すというリスクを抱えてしまうわけで、このような過度なリスクヘッジをしないのも、適切なリスクマネジメントということになるのだろう。
 (しかしこの本、おもしろいのだが、タイトルがひねりすぎというか、もう少し別な案もあったのだろうと思うのだけれど。同様のことは、『スタバではグランデを買え!―価格と生活の経済学 (ちくま文庫)』についても思った。)

【書評】『慨世の遠吠え2』

 
 『慨世の遠吠え2』を読了。
 1に続き、今回も自分にとっては、読み応えのある良い本であったのだが、第3章の途中のみ、内田樹の反応がちょっと気になったことが。
 嫌韓本の類がよく売れるのは、中国や韓国を叩いて溜飲を下げている人がいるからで、それが情けないと鈴木邦男がいうのに対し、それで溜飲が下がる人なんているのか、というようなリアクション。またそこから、国家が強くなることと、自分自身が強くなることを同一視する人がいるという話題になった際も、理解できないという反応であった。その理由として、例えば、中国経済が崩壊すれば、日本経済に大打撃が与えられるのに、なんで中国経済の崩壊を願う人が愛国的であるのかわからないということであった。
 そこまで考えていない(日本でよく使われている意味での)反知性主義的な言論こそがむしろ、大勢であることがここ数年の、我が国の、というか世界的な問題――急速な、そして反動的なアンチグローバリズム、保護主義の台頭――の要因ではないのか。
 と、些末な批判を加えつつ、良書であったことを記しておく。
 次は、これを読む。

束の間の学生生活

 IMG_3921 昨日まで、宿泊研修だったので、今日は久々&レアな平日休み。
 北大へ行き、平日でなければできないような手続きを済ませ、しばし調べもの。
 土日は学生が少なく、観光客というか一般の市民の人たちが多い感じだけれど、平日の午前中はやはり学生に満ちている。
 自分よりも二十歳も若いような学生に混じってキャンパス内を闊歩し、手続きのために向かう窓口がわからなくて構内を迷っている自分が、やはり今より二十歳以上若かった頃の自分と重なる。
 IMG_0447 大学に来たときはまず学食でランチにするのだけれど、今日は札幌駅で13時半に妻と待ち合わせ、遅めのランチ。
 辛子明太子のやまやが経営している店へ。1,000円で明太子食べ放題、ご飯もおかわり自由、そして唐揚げが山盛りの定食を食べる。
 勉強の合間に、こういうちょっと良い店に来られるようになったのは、昔とは違うところ。妻と向かい合ってランチしているのが何より最大の違いだけれど。
IMG_3941 15時前に大学へ戻り、昼下がりのキャンパスを散策。
 いつか、ここのキャンパスをひとまわりしようと画策しており、今日そうしようかと思ったが、行ったことのないところまで足を向けると、思った以上に東西に広いことを実感し、あえなく断念。
 それでも、ある程度はまわることができた。今日のような暑い日を堪能しておきたかったということもある。北海道では30度を超えるような夏はあっという間に去っていってしまうので。
 IMG_3949 博物館にも初めて足を踏み入れた。
 北大自体の歴史がよく知られて興味深かった。今日はざっと概観に触れただけだったので、今度はもう少し時間を割こうと思う。
 東大と札幌農学校(=現・北大)が、明治期に存在した大学教育の二つの源流であり、前者が全体主義、後者がリベラルな精神を持っていたが、東大的な価値観が優勢となり、戦争にもつながったという、古い学者の評に目がいった。
 幾ばくか研究が進み、晴天のもと、今の学びの場を散策できた今日一日は至福の日であった。
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