神谷 和宏(批評家/教師/北海道大学 国際広報メディア 博士後期課程在籍)

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 〈著書〉  『3分あれば世界は変わる ウルトラマンが教えてくれること』(2015年 内外出版社)
       『ウルトラマン「正義の哲学」』(2015年 朝日新聞出版)
       『ウルトラマンは現代日本を救えるか』(2012年 朝日新聞出版)
        『ウルトラマンと「正義」の話をしよう』(2011年 朝日新聞出版)
       『M78星雲より愛をこめて』(2003年 文芸社)

「のび太論」2編 その一

 「こいつ全然成長しねえ!と思う主人公ランキング」で、のび太が一位になったのだという。
 これは、キャラとしての『ドラえもん』に目がいき、背景のストーリーをあまり知らない人らの投票ではないかと思ってしまう。

 のび太は実際には成長著しいキャラクターだと言える。
 時折、ドラえもんの存在がのび太をダメにしているという論を見かけるが、それは誤りで、ドラえもんが来る以前ののび太、またドラえもんと出会わないまま、大人になったであろうのび太こそ未成熟であるといえる。
 どこの会社にも採用されないからといって起業し、その会社も自身の花火遊びが原因で出火してしまい、大きな借金を残す。
 だが、のび太はドラえもんや、周囲ととも成長していき、いつかはドラえもんと別れのときがやってくることを悟ったこともあった。
 「地底のドライライト」では、どら焼きを買うお金に目がくらむドラえもんに同調せず、金もうけに失敗してしょげるドラえもんとは対照的で、冷静なのび太が描かれる。

 成長の姿はジャイアンやスネ夫にも顕著であった。
 最初期のジャイアンやスネ夫は、藤子Fの大人向け短編に出てくる、粗暴な男、あるいは狡猾な男性につながるような少年像が描かれていたのだった。しかし、二人とも、健全な少年らしさを身につけていくのであった。
 
 劇場版のときだけ成長するという論もあるがそれも間違いで、通常の連載マンガでも、成長は垣間見えるのであった。もっとも、作者晩年は劇場版のみが描かれるようになったので、のび太の成長ぶりは、そこでしか見られないのは当然のこととなってしまった。

『エスパー魔美』を久々に見て

 アニメ『エスパー魔美』の初期の数話を見る。
 1987年にアニメ化されたが、自分自身中学生に上がったときに、初めてテレビで、中学生が主人公の藤子アニメが見られるのを頼もしく思った記憶がある。藤子世界もちゃんと、中学という空間に来てくれたのだなと。
 もちろん、出生数のボリュームゾーンである1973年生まれが中学入学時に、このアニメが放映されたというのは商業的に好都合ということもあったのであろう。
 
 エスパーという、今までの自分にない能力が自分に備わっているのを知り、嬉しく思いつつも、困惑し、ときに自分の手に余る力であると感じる魔美の姿。これは、思春期にさしかかり、知らぬうちに欲望の対象と化してしまっている女子の姿でもあるように思う。(原作には、自分が欲望の対象とされてしまっていることを悟り、暗鬱とした表情を見せる魔美の姿も描かれている)
 そういう意味では、『綿の国星』などと同じ風合いを感じる。

『帰ってきたウルトラマン』「魔神月に吠える」

 久々に、根上淳の演技が見たくて、この回を視聴。
 あまりこのエピソードについて考えたことがなかったのだが、色々気付いたことがある。

 ,泙困蓮村に祀られている御神体が巨大化して暴れ出すのを見た際に村民が、「神渡り」と呼ばれる、湖面の氷が割れる現象が観光化したことで、神が怒ったのだと考える点。
 ⊆尊櫃砲榔宙人が御神体を利用していたのだが、そのことは、神渡りを観光に利用していた村民と重なる点。
 MATの伊吹隊長の娘が、(1971年当時として革新的な)ウーマンリブ派であることを宣言しつつ、神渡りという伝説的な自然現象に惹かれる点。
 じ人であるMATの隊長の家族が宇宙人に人質に取られていることを知った村民が、隊長の家に大挙して、隊長がいるから、この村が襲われたのだと非難し、まったく隊長の心情を顧みない点。
 イ修譴任い覆ら、隊長が誠意をこめて「善処します」というのを聞いて、村民が退散する点。

 公人としての使命と、一私人として、妻や娘への情を垣間見せる伊吹隊長=根上淳の演技がこの回の最大の魅力だろう。

一枚の写真 其の七

img114 大学を出て教師になったばかりの頃。
 誕生日前だろうから22歳。
 超未熟だった頃。
 今考えれば、短期間で終わった高校教師時代。
 今は机上にこうやって本は置かない。
 また机上にはワープロの愛用機も。文豪ミニ5ZV。大学3年生時にさくらやで買ったカラーワープロ。動画のキャプチャーもできた。
 この表情が、何かこの当時の自分っていう感じ。何の自信もなく。

『うんこ漢字ドリル』はなぜおもしろいか――『ウゴウゴルーガ』的センス

 『うんこ漢字ドリル』が大人気。
 まず、うんこ漢字ドリルではなく、なぜ子どもはうんこの話題の飛びつくかを考えたい。
 それは、うんこが「自分側」であるからだ。

 子どもは多くの場合、自分が大人とは違う、「未成熟な存在」であることを自覚している。
 大人は仕事をし、お金を稼ぎ、物を買うことができるが、自分にはできない。
 では、大人と変わらずにできることと言えば何か。
 それがうんこなのである。

 子どもがバスの降車ボタンを押したがるのも同じ理由だ。
 大人は社会を動かせるけど、子どもは社会を動かせない。
 そういう意識化の自覚があるから、自分の一押しで、大人の運転するバスを止めるという一定の作用をもたらすこの行為を喜ぶ。
 (自分のクレーム一声で、社会が動揺するのを喜ぶ大人は子どものメンタリティーから成熟していないということだろう)

 しかし、うんこ漢字ドリルが受ける理由はむしろ、その例文、つまり、うんことは何ら関係のない文脈に無理矢理うんこという語句を挿入するシュールなセンスにある。
 パワーストーンとお弁当が戦い、出自不明なみかん星人が蠢く『ウゴウゴルーガ』的な味わいが、その人気の秘密なのだろう。
 だからこそ、このうんこ漢字ドリルは、子どものみならず、大人にも受けている。このことは『ウゴウゴルーガ』も同様であった。

初夏の新緑

DSC_1071 晴天。
 本当にこの時期の緑は美しい。気持ちいい。
 夏至前なので、日もまだ長くなる。
 気温も上昇。
 今日はヒートテックも脱いだ。
 遅咲きの八重桜もいよいよ姿を消し、夏が近づいてきて嬉しい。

1988の巨人

 1988年の巨人はおもしろかった。
 前年に江川と松本が引退し、本拠地が東京ドームへと移ったこの年は巨人にとってターニングポイントであったのだろうと思う。
 「思う」というのは、自分はせいぜいこの前年くらいから野球に興味を持ち始めたので、実感として感じたのではないということだ。

 まず、シーズン中盤で外野手の吉村とクロマティがケガで離脱。移籍してきた簑田も不振。
 もしこの時、松本が現役でいたなら、と思った。(もっとも松本がいれば簑田の加入はなかったかも知れないが)
 前年のMVP捕手の山倉もケガで離脱。
 代わりに、有田が大活躍。一気に有田のファンになった。
 呂が外野の一角を担い、台頭してきた駒田がレギュラーを獲得。
 「いつもの顔ぶれ」的な存在は、野手では原、篠塚、中畑だけであった。
 投手では、桑田、槇原に加え、ガリクソンがローテーションを担っていた。
 巨人ファンでもないのに、この頃の巨人には何か魅力を感じる。

80年代後半は神話解体の時代だったのか

 中森明菜のデビュー時のキャッチフレーズが、「ちょっとエッチな美新人娘」という、打ち出すのも恥ずかしいようなものであったことはある程度有名な話であろう。この「美新人娘」と書いて「ミルキーっこ」と読ませる点も含めて、これが80年代の半ばくらいまでの感性であった。
 このような感性が一定期間保たれたのは、当然のことながら、それが豊かな消費生活をイメージさせる表象となり得たからだ。生産者(作り手)の紡ぎ出した神話の中に多くの人々が生きていたということにほかならない。
 しかし、80年代後半ともなると、こういう突っ込みどころのあるものは徹底的に突っ込まれることになる。それは今に持続する感性であるわけだけれど、当時は所ジョージなどによって多く突っ込まれていたように思う。
 「アフタヌーンショー」による「ヤラセ問題」の発覚も大きかった。スクープを演出するために作為的に事件を起こさせ、それを劇的に報道したテレビ番組が問題となったことで、次第に視聴者は、テレビの伝える事実に包み込まれることなく、それを鳥瞰する冷ややかな目を携えたのだった。
 80年代後半には、業界そのものを舞台としたフジテレビのドラマも放送される。つまり視聴者は、これらのドラマを通じて、入れ子のようにテレビの中にテレビ業界を見たのだった。
 そう考えると、80年代後半とは、神話解体というニヒリズムに満ちた時代であったと言えるのだろう。

動画投稿で明るみに出るのであれば

 今日の『新・情報7DAYS』で、自分の子どもに対する悪質ないたずらや、虐待としか思えないようなしつけをわざわざ動画で撮っておいて投稿するというアメリカの親のことを取り上げていた。
 再生回数を上げてお金を稼ぎたいからだろうといった意見がスタジオで出ていたが、それだけではないだろう。
 つまりデジタルツールを手にした分別のない親が、お金稼ぎや娯楽のために、このようなことをしているというよりは、デジタルツールがあろうがなかろうが、こういった分別のない行為をしていたであろう親が、自らの行為の事の重さを認識していないがために、世間に明るみに出す羽目となったという事でもある。
 つまり、このような動画を目にした私たちは、「デジタルツールがあるからこういうことをする」と批判するのではなく、「デジタルツールがなければ明るみに出なかった、とんでもない親というものが世間には一定数は存在する」と認識するべきだろう。
 

金曜日はジーンズ―――これは良いと思う

 伊藤忠商事で毎週金曜日はジーンズ出勤が奨励されるそう
 これは良いと思う。カジュアルな身なりが、良い発想や、新たなコミュニケーションを生み出す可能性があるように思う。
 以前、どこかの自治体だったと思うが、クールビズを一歩進めてアロハシャツに、などと言うのを聞いて唖然とした。
 なぜ、軽装=アロハシャツなのか。
 それに比べて今回のはずっと良い。

久々に「3時のあなた」という言葉を何度も聞く

 昨日のフジテレビ『フルタチさん』は 「〜百恵・裕次郎・あさま山荘事件…カメラが捉えた歴史的瞬間のウラ側〜」という内容で、何度も「3時のあなた」の話題が出たので嬉しかった。
 昔、幼稚園から帰って、昼3時といえば、TBSの『3時に会いましょう』かフジテレビ『3時のあなた』。「♪ル〜ル〜ル〜3時にー会いまーしょおー」と流れ、若き日の三雲孝江が出ていた『3時に会いましょう』か、「♪3時ーのあーなーたー」と流れ、森光子や須田哲夫が出ていた『3時のあなた』のどちらかを祖父母宅や自宅で見ていた。
 久々に、須田哲夫本人が出演する中での「3時のあなた」の話題を聞き、頭には幼い頃聞いたエンディングの曲がよぎる。

北大祭にはじめて行く

DSC_1051 土曜日、初めての北大祭に行く。
 相当、大きな催しだとは思っていたけど、思った以上にスケールが大きかった。
 食べ物の出店が続く続く続く。
 クレープやケバブ、カレーに削りイチゴに、箸巻も数十年ぶりに食べた。箸巻は幼い頃、スケート祭りで食べて以来か。
 医学部の学生による、様々な検査もおもしろかった。
 肺活量を測ったのだが、25歳の頃に比べて、1リットル程度もダウンしておりショック。
DSC_1054 25歳のときには5760mlだったのだけれど…。それでも、年齢から考えると相当良い数値ではあった。
 駒大にも大学祭はもちろんあった。
 でも、それは特定のイデオロギーの人たちが主催するという話だったり、何となく周囲でそれに向けて盛り上がるという機運もなく、4年間、一度も行ったことがなかったのだった。
 
 これまで、北大祭に来ようという発想もなかったのだが、自分がこの春から幸いにも、ここの大学院に入ることができたので、来てみようという気持ちになった。
 僕は、北大の院を過去に二度落ちている。
 二度とも、今回入学したのとは別な専攻なのだが、その際は修士で入ろうとして不合格であった。
 一度目などは、院試のイロハも知らず、担当して頂きたい教員への事前連絡もせずに臨んだのだから、無知にも程があると思われたことだろう。二度目の院試はその辺は確実に行ったものの、口頭試問ではまったく的外れなことばかり述べ続けた記憶がある。
 もしも、落ちたままの状態であったら、あまり北大祭は味わえなかったかも知れない。
 でも、今は僕はここの院生だし、妻もここの大学院を出ているという、二人の縁のある地として、ゆっくりとした時間を過ごしていた。

 妻と二人で歩きながら、もしも今、お互いに現役大学生であったらどんなだっただろうと話したりしてみた。
DSC_1056 もっとも、妻とは年の差が五つもあるのだから、そういうことはあり得なかったのだけれども、あくまでもイフの話として。
 今より若い分、もっと色々なことを夢中で話したりしたのかも知れない、なんて言いながら、いっぽうでは、近い将来迎える、卒業後の進路という漠たる不安を抱えたまま、接していたのかも知れない、なんて思ったりもしてみた。
 もっとも、現役で北大に入っていれば、などと本気で思っているわけではない。東京での学生生活の一日一日、そしてそこでの出会いは何ものにも代え難いものであったのだから。

 北大祭は、小雨、ときに強い雨が降る中であったが、来場者は写真(一、二枚目)の通り、それなりの出であった。若い群衆と行き交うだけで力が漲ってくるように思われる。
 トイレに行こうと思い、昨年度までのキャンパス、放送大学北海道学習センター(北大内)へ行くと、そこは眼下で賑やかな祭りが行われているとは思えぬ静寂であった。(三枚目の写真)

 再び、北大構内のメインストリートに出ると祭りに興じる人の群れ。

 この大学の末席で、学べることの幸せを再確認し、大学を後にした。

車とポップカルチャー

 僕は自分が実際に車に乗るまで、車にはまるで興味がなかった。
 そのため、車のことにはあまりに無知であった。
 一方、周囲はどうであったかというと、高校時代などはしきりに車の話をしている人も多かった。僕のように、高校生になっても、『ウルトラマン』等の特撮を愛好する人などあまりいなかったし、さらには80年代的な不良文化と車の親和性は高く、僕は車との接点をますます失っていった。(家に車がなかったという影響も大きいだろう。)
 しかし、ここ数年、車は不良文化よりもポップカルチャーとの親和性を高めている
 「痛車」がそうなのだろう。自らを「オタク」とやや自虐、自嘲的に称するように、自分の車を「痛車(=痛い車)」とする。
 嫌消費の流れの中で、車離れと言われているが、もしかするとポップカルチャーの隆盛という流れの中で車文化は再生するのかも知れない。

「〜ファースト」が招く自己責任論

 先日述べた、保護主義や「〜ファースト」への疑念だが、もう一ついうと、「〜ファースト」の問題点は、自分たちが何を最優先しているかを言語化することで、逆に優先していないものをも顕在化させてしまう点にある。
 たとえば、「私はうちの子ファーストです」と言ったとする。もともと、誰でも自分の子は他の子に対して特別なのは当たり前だ。でも、それをわざわざ言語化することによって、「他の子よりも私はわが子を優先します」という、他者への意思表示になってしまう。
 これが高じると、やがてはみんな「俺様ファースト」にいきつくことになる。反対に、そうでない人に対して、「なぜあなたは自分のことを最優先しないのか」とまでなり、自己責任論がますます色濃くなってくることはないだろうか。

今回の引っ越しで捨てたもの3

DSC_0996 これは僕が小学生の頃だろうか、親戚のおじさん(故人)が買ったワープロパソコンを形見のようにもらったもの。
 MSX全盛の頃だっただろうか。
 テレビに接続して使う。面倒だったのは変換。単語ごとに変換しなくてはならないので、「明日の天気は大雨だ」と打とうと思うと、「明日」「の」「天気」「は」「大雨」「だ」といちいち細かく変換しなくてはならない。しかもそれすら、熟語に変換できるカートリッジを使ったらの話であり、単体では漢字一文字ずつの変換となる。つまり、書く方が早い。しかも印字される文字もドットが粗いし、データの保存もカセットテープへの保存だったので、耐久性は覚束なかった。
DSC_1001 この鏡は、大学卒業後、十勝で教員になり立ての頃に、倒産したブルーハウスで机やテーブル、本棚とともに買ったもの。縁の装飾がちょっとアンティークっぽく、それなりに気に入っていたけれど、表面がくすんできてしまい捨てることに。鏡はやはり澄んでいる方が良い。
DSC_1002 これは小学生頃から使っている爪切り。
 切れ味はあまりよくなく、ただでさえ爪を切った後の感触がいやなのに、この爪切りは着る瞬間にきゅっという感触と音もやや鳴るのであまり気に入っていなかった。それでもいざ捨てるとなると、長年連れ添った何かを捨てるような気持ちで思わず写真に残してしまった。

脱グローバル化の風

 東西冷戦終結から、イデオロギーの対立は形式的には一応溶解し、かわりに西側的な価値観に由来する、市場原理が一元的に台頭したことで、グローバル化がすすんだと捉えているが、ここにきて急激に脱グローバル化の風が吹いているように思う。
 自国の産業を保護するために、輸入を統制するという保護主義もそうだし、全体よりも自分たちを優先することを明示した「〜ファースト」というのもそうだ。
 「グローバル化」という言葉が、どこか先進的で豊かな響きをもっていることから、なかなかグローバル化に懐疑的な言説が飛び交いづらかったのだろうけれど、(あるいは資本主義陣営由来の価値観を否定することで、社会主義者、あるいは左翼とレッテルを貼られることを避けたか)、この一年くらいで急に、脱グローバル化の風が吹き出したように思える。

今回の引っ越しで捨てたもの2

IMG_3519 小学校のときに親戚に買ってもらったファミコン。
 14,800円だった。
 ボタンが四角い旧型。
 最初に買ってもらったのは、『ドンキーコングJrの算数遊び』。その後『レッキングクルー』『スパルタンX』『ゼビウス』『ドルアーガの塔』等々、数々の名作に触れていった。

今回の引っ越しで捨てたもの1

IMG_3517 よくこれまで取っておいたなと思う。
 大学時代の野球のスパイク。
 みんなと同じ、そして一番無難な黒にすればいいものを、人と違うことがしたくて、かつバッティンググローブの色と合わせたくて買った青のスパイク。
 一応、右足先には「ピー皮」と呼ばれるピッチャー用の革が装着されている。

 このスパイクには思い出がある。

 大学4年生の秋、僕にとって最後の試合のことだった。
 このスパイクを履くのも今日が最後だなと、いささかの感慨に耽りながらいつものように足をはめ、紐をギュッと縛ろうとすると、ベロの部分がぷちんと切れたのだった。
 まるで、スパイクが今日が最後の役目と思ったかのようだった。
 そんなスパイクが愛しく、この春まで捨てられずにいたが、とうとう捨てた。

5月の桜

IMG_3587kai 夜桜。
 先月中旬に、12年と半月、住み慣れたアパートを離れ、新しいアパートへ転居。
 これまで同様、メゾネットの物件。
 
 そのアパートのすぐ近くに桜の花が。今週前半が満開だった。
 夜桜がきれい。背景には月光。

 桜を初めて美しいと思ったのは大学進学での上京時。18歳の春。
 夜に妖しく咲く桜を美しいと思えたのは、自分の心がそのような美しさを受容できる年齢になったからなのだろう。
 あれから25年。
 あの頃よりははるかに余裕のある気持ちで、桜を眺められる気がする。

【書評】『ドラがたり』


 今日、読了。
 今までの『ドラえもん』及び、藤子・F・不二雄の作品論の中では最も良かった。
 手塚治虫や、藤子Fレベルになると、その作家の性質を批判してはならないかのような空気がなんとなくあり、そのことでかえって、作品の本質が見えにくくなっていたように思うのだが、本書では敢えて、藤子のダークな面、未成熟な面を指摘することで、藤子作品、主に『ドラえもん』の深層が明確に照射されたように思われる。
 本書では、『ドラえもん』は既存(あるいは『ドラえもん』と併走するかのように成された)の藤子作品の縮小再生産と評しているが(これは決して作品を貶めた表現ではない)、まったく同感だ。主人公の他、ガキ大将、ずる賢い少年、美少女、(あるいは賢い友達)がいるという日常の中に、非現実的な存在が投入されるという点では、『オバケのQ太郎』の基本設定をトレースしたものと言えるし、SF短編の中に点在する、人生のやり直し、あるいは世界の創造というモチーフは『ドラえもん』の中で幾度も焼き直されている(そのどれもが傑作なのだが)。
 『未来の想い出』に登場する郷カオリとジャイ子の類似性(しかも”郷”カオリだ)については、やっぱりその解釈で良いのかと、膝を打った(もちろん本書の諸々の解釈が”正答”というわけではないが)。
 80年代の作品群が品行方正になっていったことなどは、自分も含め、それ以前の作風を知っているものにしか感じ取れない違和感でもあるだろう。
 自分としては以前から、70年代後半の作品群に妙に”すれた”感じというのか、背伸びしたような空気感が作品に漂っているのを感じるのだが、その点には言及がなかった。
 敢えて言えば、過度に主観的な解釈を一般化しようとする物言いが数カ所気になったということはあるが、そのようなことも本書全体の出来映えからすれば、些末なことに過ぎない。
 『ドラえもん』に関しては、『ネオユートピア』という有名な同人誌があるが、流通された本としては、本書が白眉の一冊ということになるだろう。原作からのコマの引用も適切であった。

節目 

(写真は卒業生であり、本人たちの承諾のもと掲載しています)

IMG_3488 苫小牧で二校目の勤務が終了。
 最後の最後、退勤時間の寸前まで卒業生が来て、話が尽きない。
 卒業式と、同窓会を小さな規模で行ったような、そんな気持ち。
 そういう気持ちを抱きつつ、2016年度終了。現任校での6年間、いろいろあったけれど、いろいろな人にありがとう。

花とハンカチ

(写真はすべて卒業生であり、本人たちの承諾を得て掲載しています)

 IMG_3486 今日も卒業生たちが来校。
 今日はどちらかというと二年生のときに担任した生徒が多かった。
 1年生、3年生の時の学級というのはインパクトが強いのだけれど、2年生の時というのは間にはさまれているせいか、どうもインパクトが弱い。

 IMG_3487 でも、こうしてその頃の面々に会うと、やはり色々と思い出す。
 嬉しかったのは、ハンカチ、そして花をもらったこと。
 物をもらえたから嬉しいというのではない。(それもあるが。先日は僕がチョコ好きなのを知って、チョコをくれたし)。
 自分にとっての掛け替えのない時間が、生徒たちにとってもきっと思い出深いものであり、その思いを目に見えるかたちにして手渡してくれた物が花であり、ハンカチであるから嬉しい。

春が来る

(写真はすべて卒業生であり、なおかつ、本人たちに承諾のもと掲載しています)

IMG_3482kai 卒業生がまた来校。
 本当に、ここ数日プチ同窓会気分。
 良いね。これはこれで。走馬燈のように色々なことがよみがえる(笑)。

 自分が高校生くらいの頃よりは大人っぽいかも。
 春らしい日差しになってきた。残雪もとけてきた。

教養

 思えば、教養などというものとは、かけ離れたところにいた。
 小学生くらいの頃は、大した勉強などしなくても、テストでそれなりの点数が取れる。中学校でもそんなものだろうと思っていると、まったくそうではなく、この頃はまったく、低迷期であった。
 結果、第2希望の高校へ進んだが、そこは進学を目指す生徒が少なく、また当時はいわゆるヤンキー校の風格をたたえ(一応、母校の名誉のために言っておくと、現在はヤンキー風の生徒などいないし、進学実績も良い)、退学者、また怠学者が多く、学年主任からはよく、「この学年は、3年間で1学級分の生徒が辞めた」と言われていた。たまたま片付けの最中に出てきた、生徒指導部の通信を見ると、「今月の目標:喫煙はやめよう」とあった。
 その高校に、来たくて来たという生徒が少ないことで、学校内に活気はなく、教師から素行を咎められると、腹いせにガラス戸を蹴破る者がいた。学校祭の準備期間は、勝手に学校を出て帰宅する者、コンビニで時間を潰す者が続出し、結果、監視の目の中で「楽しまされる」祭典となった。友達は、地域の、また札幌の進学校に進んでいたので、それらの学校の学校祭に行ってみたのだが、進学校に特有といえるような、独創的で、生徒主体の文化が披瀝されている様子に驚嘆した。修学旅行も当然、監視の下にあった。朝の出発集会で持ち物検査、自由時間後、ホテルに戻ってきたら持ち物検査…。例年、酒を買って宴会に耽ったり、刃物を買う者がいるのだという。
 7学級中、1学級だけが進学クラスであり、他は、その多くが就職を目指す高校であったので、必然的に授業中は就活対策を伴った。国語の授業では履歴書を書くこともあった。
 このような環境に不満を抱き、高校生活の前半戦は何事も周囲のせいにしていたと思う。それでも高校2年生の中頃から、与えられた状況でベストを尽くそうという、少々、思春期にしては愚直すぎる思いに至れたことは救いであった。
 大学受験者が少ないので、倫理政経とか、微分積分とか、古典、漢文の授業がなかった。僕のように、受験がある人は、国語機Ν兇慮電喫野の勉強では当然足りないので、放課後の特別講習で特訓的に勉強することとなった。英語の授業も、高3のときに、中1〜2レベルの内容。一般動詞を使った文を過去形にするような内容なので、特別講習ではやはり特訓。通常の授業のぬるま湯から急に熱湯を浴びせられるほどの刺激だったが、これがあったから大学へ行くことができたと思っている。
 優先入試という、難易度はそれなりに高いが合格点が低く、受かってから進学する学部学科を選べるという恵まれた内部進学受験で、大学に受かった。
 教養とは遠いところにいた分、教養に満ちた先生方の言葉には大いに鼓舞された。「うちの国文学科はすごいメンバーが揃っています」という言葉に、自分はこの国でも有数の先生方が揃った国文学科に来ることができたんだろうと喜んだ。(少々、誇大であったのかも知れないが、それでも当時の駒大国文学科は、各時代の文学研究における”大家”と呼ばれるような先生方が在籍していたことに違いはない。)他学科の先生が何かに寄せた歓迎の言葉だったと思うのだが、「大学では本物に触れなさい。できれば君たちが本物になれると良いのだが…」という言葉が響いた。この時鼓舞されたモチベーションは4年間、多少の波はありつつも、下がることはなかった。
 4年間の大学生活で特段の教養が身についたかどうかは別として、「勉強できなくても生きていける」といった居直りをしなくはなった。
 この経験がなければ、自分は間違いなく、反知性主義に身を落としていただろうと思う。そして歯切ればかり良くて空虚な言説を、あるいは攻撃的で偏狭なナショナリズムに満ちた言説を、元来自分が抱いていた規範意識であると疑うことなく、周囲に再話する迷惑な人間になっていたように思う。
 今春から、さらに学ぶ機会を得ることができた。このことに感謝し、少しでも学びの成果を残していければと思う。

北大博士課程

 この春より、北大国際広報メディア観光学院、国際広報メディア専攻、博士後期課程へと進むことに。
 転勤早々、二足のわらじで大変だけど、何とか規程の年数で、修了できるよう、やっていきたいと思う。
 放送大修士課程も無事修了。
 新たな学びの機会を得られたことに感謝。
 

転勤

(このブログの写真は、すべて在校生ではなく、卒業生であり、本人に了承を得てアップしています。)
IMG_3480kai この春の異動で、現任校を去ることに。
 6年間勤めた現任校は自分の母校。
 昭和61年に入学し、中3の1月に昭和が終わり、平成になって初めての春にこの学校を去った。
 それから20年の時を経て、教師として着任。
 最初は母校への赴任はあまり良い気分ではなかったけれど、今となっては、なかなか経験できない母校着任を嬉しく思った。

IMG_3478kai 転勤を知り、多くの生徒が顔を見せに来た。
 プチ同窓会状態。
 卒業してから一年が経つのに、すぐにその生徒といた時代の気持ちに戻る。
 持ち前の、些末なこと、どうでも良いことを覚えている(というより忘れられない)記憶力で、昔のことを色々語る。

 IMG_3479kai もう二十歳を迎える、一代前の卒業生たちも来た。
 もうこのくらいの年齢になると、やはりかっこうが大人っぽい。
 でも意外と中身は中学生の頃のようなあどけなさもあって、それで何だかホッとしたりする。
 大人になるのはいつでもなれるから。
 あどけなさが許されるうちは、そうするのも良い。

 IMG_3477kai 送別会に出るよりも、写真を見るよりも、やはりかつての生徒たちと会うと、これまでの自分の歩みを思い出す。
 手に手にお菓子など持ってきてくれるのも嬉しかった!
 100%オレンジジュースにチョコレート、豆乳…好きなものばかり。

 IMG_3476kai 昨年、卒業した子たちも今春から高校2年生。進路はどうするのかと聞くと、色々な答えが返ってくる。
 具体的に決まっている人、漠然としている人、かつての担任に色々話してもらっているうちに涙を流す人…。彼らにとって、人生の助走期間の終わりが近い。
 何をやるにしても10代の生き方で決まる部分があまりにも大きい。
 だから、しっかりと有益な情報を集めた上で、進路実現を目指してほしいと思う。
 
 少し、話し疲れたけど、話すのは好きなので、これはこれで、とても心地良い疲労感。
 充実した一日だった。

中高年層のネットにまつわることとフェイクニュース

 失礼ながら、中高年層の中に、ネットのモラル、リテラシーの未成熟な人がいることが目立つ気がしてならない。
 今時の子どもたちは、車に気を付けなさいと言われるくらいの頻度で、ネットの使い方に気をつけなさい、と言われているから、そこら辺は相当、刷り込まれている。
 思い出すのは、ワープロが普及しだした時代のことだ。
 手書きが主流の時代に、活字で打ち出された文書は、それだけで「正しさ」を感じさせられた。だが実際は、正しい文書だけであるはずがない。同様に、インターネット上で散見される情報は今日的に言えば、きわめてフェイクなものも相当数混ざっているのだが、どうも、公的メディアの情報との差異に鈍感な言論が飛び交っているように思われる。
 誰もがネットに触れられる時代、ネットのモラルやリテラシーを教わってこなかった世代に再教育する(啓蒙する)機会はなかなか作り得ないが、中高年がフェイクな言論に振り回され、悪意なくフェイクニュースの再生産者にならないようにしていかなければならないように思われる。

高村光太郎が今いたら

 高村光太郎の「冬が来た」という詩がある。
 みんなに嫌われる冬だが、自分は冬が好きだ、という主旨だ。
 その一節に「火事を出せ」とある。
 火事は、空気が乾燥し、暖房をよく使う冬によく出る。冬は冬らしくあれといったところだろう。
 しかし、正義原理主義が横行し、表現の自粛が求められる今日であれば、高村は批判の的にされていただろう。

フェイクニュース

 今夜のクローズアップ現代で「フェイクニュース」を特集。
 これはこれでもちろん問題だけれど、悪意に基づかない不正確な情報、つまり結果としてのフェイクニュースはこれまでもずっとあったように思う。
 世の中がフェイクにあふれているのは今に始まったことではない。
 フェイクに操られないためには、自分の身体で世の中を読み解いていくしかない。
 この読解力を高めることこそが、国語教育の最終的で唯一の目的であるといっても良い。

キングジョー

 神戸の観光振興のキャラクターとしてキングジョーが脚光を浴びているとのこと。
 使い捨て同然、大量濫造のゆるキャラを作るよりよほど良いと思う。
 キングジョーはデザインが素晴らしい。

カミソリで髪を切る

 昔、工藤静香が、髪の毛を自分で切るときはカミソリで切っていたとテレビで言っていたので、自分で少し髪をボリュームダウンしたいときにはそのようにしている。
 結構上手くいく。今ちょうど良い感じ。

『のび太の魔界大冒険』を見ていた頃

 昨日、家で妻とDVDで『ドラえもん のび太の魔界大冒険』を見た。
 公開されたのは1984年3月。春休みに友達と見にいったのを覚えている。
 
 あの頃は、42歳で結婚するなんて思わずに生きていたんだろうな〜と考える。あの頃は毎日何考えて日々を過ごしていたんだろう。
 のび太と同じ、小学4年生を生きていた頃。

きやらか銀行?

 きやらか銀行なんて、銀行があるのかと思ったら、きらやか銀行だった。
 左腕から、変幻自在の球を投げそうなネーミング。
 自分的には、右のサイドスロー、ぼすこが好き。

【書評】『東京ラブストーリー After 25 years』



 言わずと知れた、『東京ラブストーリー』、25年後の後日談。
 作品としては25年ぶりなのだけれど、この25年間を生きてきた作中人物の背負ってきた歴史が交錯していく。主要な登場人物のその後も十分読み応えがあるのだけれど、リカの子の父親であり、リカとカンチのかつての上司である和賀の人生の締めくくりに目がいった。25年前の作品で、和賀は42歳であったことが語られる。もっと上だと思っていたが、今の自分より1歳若かった。
 その和賀の25年間の生き様は、主要な登場人物の25年間と相対化される。なぜかと言えば、作品の最後に語られるメッセージ、人生を並走したものにだけ見える風景があるということを考えたとき、カンチとさとみ、三上と長崎は夫婦であり相互に並走していると言えるし、リカにも息子という並走者がいるのに対し、和賀は並走者を失った状況からの25年を過ごしていたと考えられるからだ。(もっとも、三上と長崎は節目を迎えようとしているが。)
 自分も、並走者を得るのか得ないのか、決してタイムリミットが遠くない中で、得るに至ったばかりだ。だから、自分の置かれた状況が恵まれていることを改めて感じた。

 一点だけ、気になった点を言えば、テレビ版と原作の最大の違いである、集合的なトラウマの原因、田々井アズサについて触れられていないことが上げられる。しかし、今回、決して多くない分量の中で、高校時代に自殺した同級生のことを忘れられないカンチやさとみを描くのは困難であり、物語が散漫になる可能性があったのだろうとも考えてみる。また20代の頃は払拭できなかったトラウマを50代の彼らは克服しているのだとも解釈できる。
 
 その他、気付いた点と言えば、スカイツリー、スマホ、ドローン、インターネットと質問サイトなどが出てくる点。これらはいずれも、25年前にはなかったものだ。スマホもドローンもある今を、カンチやリカが生きているのだということを印象づけていた。

 読むうちに、テレビドラマ版のBGMが頭をよぎり、知らぬうちに口ずさんでいた。

怪獣表象論講義 at鳥取大学

 先週金曜、飛行機で岡山空港へ入り、土曜日に鳥取大へ。
 昨年2月以降、3度目となる怪獣表象論講義。
 今回は、『ウルトラセブン』「第四惑星の悪夢」「あなたはだぁれ?」、『ウルトラマンティガ』「蜃気楼の怪獣」を題材に。
 私たちの社会秩序の頂きに、合理や数値が君臨することで生じる問題点--人間の抽象化--が、匿名性優位の社会を形成し、そこでは公的なものが機能不全を起こすということを論じた。そのような状況下ではポピュリズムが台頭しやすく、ポピュリズムは、素人(専門外)の多数決が何より優先される社会なので、多数派による誤った方向への舵取りが行われることにもなりかねず、それが今日の社会の閉塞感を招く。また、人間の抽象化は、さらに私たちの互換可能性を高めるという点などにも触れた。
 さらにはお招きくださった佐藤匡先生の近代論講義が相まって、自分自身も大変勉強になる有意義な二日間であった。
 また初日は、学部生の卒論発表、院生の修論発表会も兼ねており、これがまた有意義であった。多くは僕にとって未知の学問領域であったが、一言居士に徹し、思ったこと、疑問、批評を伝えた。特に教育問題を取り上げた二人の院生には、それなりに役に立ててもらえるであろうコメントは発せられたかなとは思っている。
 土日とも、夜は懇親会であったが、これがまたとても有意義であった。もう3回も会っている学生もおり、距離感を縮め、今の大学生の価値観や問題意識、ビジョンに触れることができた。
 ちょっとおいしいものも食べ過ぎた。少しカロリーセーブしようと思う。

サーグ(ほうれん草)カレー

DSC_0903 インド(またはネパール)カレーのサーグ(ほうれん草)カレーにドハマリ中。
 ナン食べ放題の店なら三枚くらい食べてしまう。サーグチキンが特に好き。
 昔、戦場カメラマンの渡部陽一が、世界を旅する中で美味しかったものはの問いに、「ほうれん草のカレー」と言っていたのを聞き、試しに食べて以来のドハマリ。
 一度だけ自分で作ってみたが、やはりなかなか上手くいかない。

焼き鳥100本

DSC_0919 大学時代、「焼き鳥100本くらい食ったことがある」と豪語した友達と、「寿司は100貫は食べられる」と豪語した友達がいた。二人とも話は盛り過ぎなのだが、前者の友達は強気で譲らす、後者の友達は本当に食べられるという風だった。
 50本の焼き鳥でもすごい量だと思った。100本は絶対に食べられない。

いじめに関する認識が平板化していないか

 「いじめは被害者側にも原因があるとする回答が3割」あったそうで、それは望ましくないとする見解が述べられた記事。
 そもそも、明確な被害者と明確な加害者がいるという旧態依然としたいじめを想定しているのだろう。そういういじめのみが存在するなら、この見解は妥当なものと言える。
 だが、最近は文科省も次のような例をいじめの例として挙げる。
「Aさんが算数の問題を一生懸命に考えていたところ、隣の席の算数が得意なBさんは、解き方と答えを教えてあげた。Aさんは、あと一息で正解にたどり着くところであり、答えを聴いた途端に泣き出してしまった。このことでBさんは困惑してしまった。」
 同様の例は見たことがないが、加害者にまったく悪意がないのに、いじめが生じるというケースはよくある。
 このケースの場合、Bさんは加害者だ。加害者が絶対的に悪いという立場に立てば、原因はともかく、結果として被害者を出したBさんは非難される。しかしBさんはAさんに対し、好意的な働きかけをしていたわけだ。なのに、ステレオタイプな観念を持っていじめ問題にあたれば、結果的にBさんを責めることになる。それだっていじめだということに思いを馳せていないように思える。(結果、新たないじめを生んでいるわけだ。)しかも、Bさんを責める人がいたとすれば、それも攻撃性というよりはAさんを庇う気持ちに拠っている可能性があるわけだ。
 深いところに病巣があるのに、皮膚上の傷を見てそこのみに処置をすればますます病状を悪化させかねない。

昔はそんなに良い時代であったか

 アメリカでもイギリスでも日本でも、とかく政治家の口から「もう一度」とか「再び」「取り戻す」「○○回帰」といった言葉が飛び交う。
 どうしてこうも、現代という時代に自虐的なのか。
 そんなに昔は良い時代であったのか。
 甘美なノスタルジーに浸っているだけなのではないかと思う。

【映画】『紙の月』

 宮沢りえ主演の映画。
 40代と思しき夫婦。妻が夫との関係に飽きたらず、若い男とくっつく展開も、自分が金融機関で働いているということで、横領に手を染めるということも(それが若い男と満ち足りた時間を過ごすためであることも)、若い男が最後は若い女に走ることも、既存の作品にあるようなことで目新しさは感じなかった。
 ただ、主人公が子どもの頃、宗教系の学校で教わった、弱者に目を向けよという教えが、偏った思想として根付き、それが大人になってからの行動も規定しているという展開こそがこの作品の特色だったと思う。

忘れられない立ち読み

 「子ども番組とそうでない番組の違いは、ベッドシーンの有無」
 「この世の始まりには宗教か哲学のどちらかがあった」

 それぞれ、別の本だったが、大学時代東京の本屋、多分渋谷のどこかの本屋で読んだ一節。
 今からでもその本にあたりたいのだが…。

ポップカルチャーを取り巻く状況が顕在化した2016紅白

 2016年の紅白歌合戦。
 SMAPが出場しないことで、4番欠場の感はあったが、それでもタモリが出ることで、画面が締まる感じはあった。
 特徴的であったのは、シン・ゴジラに関わる演出。大杉漣、長谷川博己まで出て作品世界を再現。
 そのゴジラの破壊活動を止めるには、歌の力が必要なのだという。
 そして、PPAPや、XJAPANの歌が放たれる…。
 この演出は、元来、ポップカルチャーであったはずの紅白が、さらに〈ポップカルチャーらしい〉コンテンツを入れ子構造のように取りこんだ演出であったように思う。
 

四半世紀ぶりの夢の国

IMG_2788 この冬は、放送大学院の口頭試問があったので上京。妻と二人でディズニーへ。
 高校2年生の修学旅行で、行ったきり、四半世紀ぶりの夢の国。
 賑わいの場がネットへ移行しつつある時代に、人混みが何だか嬉しかった。
 でも、この世界のキャラがmade in Japanではないことを改めて考えてしまう。
 日本製のキャラ単発ではアミューズメントパークは難しいだろうけど、ゴジラ、ジブリ、ワンピース、ドラえもん、ウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊…こんなにコンテンツがありながら、最大のアミューズメントパークが外国のキャラであるのは何とも惜しい。

神と神話

神様がいるかいないかはわからないけれど、神話は確実に存在し、太古から我々の生き方を規定してきたように思う。近代以降の世界も神話の延長線上にあることに変わりはない。

2017年 あけましておめでとうございます。

年賀状2017 あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 新婚で迎える初の正月。
 土日は執筆したり、研究したりということで休まらないのはここ数年続いていたことではあったのだけど、去年はそこに結婚の準備も加わり、本当にバタバタしてあっという間の一年。
 この年末年始はようやく少しだけ、ゆっくりできたかな。
 でも間もなく行われる、鳥取大での授業内容を練ったり、論文書いたり、間もなく忙しくなりそう。この心地良い忙しさが有難い感じ。
 

2016雑感 

 プライベートなことでいえば、今年は何といっても結婚したということが大きい。
 正直、この数年は、結婚する人生、そして結婚しない人生の両方のビジョンが頭にあった。
 独身生活が長かったためか、いまだに結婚したという実感が湧かない部分もある。

 今年は『ウルトラ』生誕50周年ということで、それに関わることも多かったのはありがたかった。
 特にNHKとTBSでのラジオ出演は本当に貴重な経験。

 修士論文も執筆終了。来年早くに口述試験があり、それをパスすれば修士課程修了。来年はさらに一歩、歩を進めたい。

2016年 雑感

 今年はとにかくブログを書かなかった。いや、書けなかった。
 もっとも、このブログで僕が何かを発信することに、そう多くの人が期待しているわけでもないと思うので、ほとんど備忘録の感覚で書いているに過ぎないのだけれども。
 
 書こうと思っていたことを、今日と明日の分でまとめようと思う。

 まず、「保育園落ちた日本死ね」問題。
 何が発端であれ、ある社会問題に関心が寄せられ、その結果、事態が少しでも改善するのならそれに越したことはない。けれどもここで懸念されるのは、この騒動の発端となった書き込みが、匿名であったということだ。
 今回、強烈なインパクトを持つ匿名の言論が社会に波紋を広げたことで、今後も匿名の意見が無視できなくなるばかりか、むしろ、匿名であるからこそ威力を持つようになるのではないかということが懸念されることではないか。
 本来、言論というものは「どんな意見か」が何より大切なのであって、「誰の意見か」は付随事項に過ぎない。しかし、その意見の是非をめぐる前に、誰の意見であるのか、その人のポリティカルなスタンスはどうかということに関心がいってしまい、自分と異なるスタンスからの意見であれば脊髄反射的に拒否、非難されてしまう。それを避ける手段として、匿名の意見こそが重んじられてしまえば、「匿名の意見(非専門家、あるいは非専門家をよそおう専門家の意見)>非匿名の意見(専門家の意見)」という倒錯した価値観がはびこってしまう。
 私たちの社会のヒエラルキーの高い位置には、匿名性が君臨し、実社会で匿名になりきれない私たち生身の人間にとってはますます生きづらい世の中になってしまうだろう。

 非専門家の問題でいえば、イギリスのEU離脱問題。
 国民投票の結果、EUを離脱することになった直後、多くの国民が深刻に後悔するシーンが報道された。
 離脱することのメリットを強調するデマを含め、不正確な意見に自分たちが扇動されたことに気付いたということだった。
 離脱の是非はよくわからない。でも、わかったことは、非専門家である素人に、重要な判断は難しいということ。

 永六輔や大橋巨泉が鬼籍に。
 永六輔は『テレビファソラシド』や、ラジオ『誰かとどこかで』が思い出深い。名人というイメージだった。
 大橋巨泉は『クイズダービー』『世界まるごとHOWマッチ』に『ギミア・ぶれいく』。欽ちゃんのような好感度はなかったけれど、この人が出ると番組に安定感があったような。

 これはまったく感覚的なことなのだけれど、社会の草食化のピークは2015年の夏から秋頃だったように思う。根拠はない。あるのは肌に感じる感覚。日常を生きていて思う主観に過ぎない。
 日本では、凶悪犯罪も少年犯罪も死亡交通事故も減少し続けてきた。増えていかなければ良いが…と思う。

週末を迎える都会の夕方

IMG_2195 今日は開校記念日で休日。
 久しぶりに平日の札幌。

 紀伊國屋書店二階のスタバは夕方が良い。雨が降っているので眼下を行き交う車のテールランプが路面に反射して綺麗。
 週末を迎える都会の夕方。すべてが心地良い。

 気持ちは穏やかだけど、やっていることは結構ハード。修士論文を含めていくつかの論文を仕上げている最中。つかの間の安息。
 

結婚式から一ヶ月半を経て

 明日は43歳の誕生日。
 結婚して初めて迎える誕生日。

 結婚式を終えて一月半。
 この間は、色々と慌ただしく、でもその隙間、隙間はちょっと細切れの時間もあって、物思いに耽ったりしていた。
 もし、20代そこそこ、あるいは30代初頭で結婚していたら、結婚式自体挙げなかった気がするし、挙げたとしても、こだわりを発揮しきれず、しかも場の空気に飲まれ切っていたように思う。
 この歳になると、段々、怖いものも減ってくるので、堂々と胸を張って結婚式とその前後を終えることができたと思っている。
 新婚旅行をどうするか考えつつ迎える43回目の誕生日。

結婚式4

IMGP2772kai 二次会は果物のビュッフェと、100%生ジュース、100%生カクテルのお店。49人もの方々が来てくれたことに感謝。
 披露宴よりもよりじっくりと、話すことができて良かった。
 僕はバナナジュースがとてもおいしかった。普段なかなか接することのない異業種の方々同士が打ち解けて話せる雰囲気を目指した。どれくらいかなっただろうか。
 IMGP2782kai その後は、17人で定山渓へ宿泊。夕食はバイキングだったが、二次会が果物中心だったこともあり、みんな結構食べていたような。夕食後も部屋に集まって色々と話す。そして温泉へ。
 最近の結婚式後の楽しみが何よりこの宿泊。2011年は定山渓、2012年は下呂温泉、2014年は十勝川温泉へ。ゆっくりと話す。昔のこと、今のこと、将来のこと。今回は初対面の人たち同士が多く、あまり込み入った話はしなかったけれど、それでも各々の背負っているものが交錯し合う時間とはなった。
IMGP2828kai 翌日は小樽へ観光。運河を見て、その後街中をぶらりと散策した。
 僕にとって、結婚式は、その前夜から始まりこの日まで続いている感覚だった。段々と参加人数はしぼられていくけれど、その分、かつて濃厚な付き合いをした面々と交わす会話が増えていく。この小樽に着いた辺りから、結婚式イベントが終わるのだなという実感が湧いてきた。
IMGP2637kai その後、参加していた色々な方々から、写真を頂く。これがまた嬉しい。プロの撮った写真もこの後、600カット以上、もらえることにはなっており、それはもちろんすごく楽しみなのだけれど、僕らを知る人たちがとったかけがえのない一枚一枚にも物語が底流している。
 こんな貴重な時間をともに過ごしてくれたみんなに感謝。
 
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