神谷 和宏(批評家/教師/北海道大学 国際広報メディア 博士後期課程在籍)

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 〈著書〉  『3分あれば世界は変わる ウルトラマンが教えてくれること』(2015年 内外出版社)
       『ウルトラマン「正義の哲学」』(2015年 朝日新聞出版)
       『ウルトラマンは現代日本を救えるか』(2012年 朝日新聞出版)
        『ウルトラマンと「正義」の話をしよう』(2011年 朝日新聞出版)
       『M78星雲より愛をこめて』(2003年 文芸社)

【書評】『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』

 現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史 (イースト新書)は今年ここまで読んだ本の中で最も濃い一冊。
 
 この本の著者、北田暁大が、そもそもこの本を書くことになったのは、2013年の内田樹による「今の30代後半から45歳前後の世代が、”日本最弱の世代”」発言にある。しかも内田樹は、SEALDsなどの活動の目立つ今の20代を、自身の世代である60代と馴染みがよく、30代後半から40代前半を嫌うと言っているのだという。
 内田の発言の真意がよくわからないまでも、確かにこの発言は看過できない。

 北田暁大は1971年というから僕より2歳上だ。
 今でも忘れられないのは、大学に入ったときの4年生の就活が順調であったのに対し、翌年からの先輩方の就活が一気に逆風吹きまくりであったことだ。一年間でこんなに違うのか…と驚いたものだった。
 だから自分も就活には相当苦しんだ。一応新卒で正規の教職に就けたが、そこを一年で追われてからは厳しかったし、それは周囲も同じであった。43歳になる今も、思うように働けていない同世代もそれなりにいる。
 なぜか我々世代は数歳上のバブル世代と同一視されることもあるが、まったく違う。バブル期は高校時代であり、なんの恩恵にも与れなかった。
 しかし、我々が〈若者〉と呼ばれなくなり、自己責任という、半分頷けても半分頷けないようなフレーズが定着することで、就職氷河期に定職に就けなかったことで、今も苦境に置かれているということは自己責任ということになり、誰も救済の手を差し伸べなくなった。
 スポットは次世代の〈若者〉に当てられるようになった。我々の世代は本当にロスジェネになった。日本最弱の世代―――その通りかも知れない。けれどもそれはすべて個々の、あるいは我々世代の責任として帰結させてしまってよいのか。あるいは今さらこの世代を救済する手立てを講じることに意味はないのか。『SPA』なんかで、ニート中年や貧困女子の特集である種のきわもののように取り上げられることに甘んじざるを得ないのか。内輪びいきではない。自分ら世代の少なくない割合の人数が貧困のまま50代60代、そして高齢層になっていくことは国全体にも影響しないか。何せ第2次ベビーブーマーは日本の人口のボリュームゾーンでもある。リスクマネジメントの観点からも、ロスジェネ救済は必須なのではないのか。赤木智弘は敗者復活不可能な格差社会の底辺に置かれた身として、「希望は戦争」と問題提起したが、それを地で行く者だって出てこないとは限らない。そうなればmade in Japanのテロリストだって誕生しかねない。

 今自分がほとんど唯一しっかり見ているテレビ番組である『ニッポンのジレンマ』批判も読ませるものであった。それを読んでふと思った。この番組は当初、1970年以降の論者が参加資格であったが、それが最近1975年以降生まれに代わったのを見て、参加資格がなくなったなんて嘆いていたが、考えてみれば1970年から1975年生まれの世代にはもはや新たな想像力の持ち主がいないと見なされて発言権を奪われているのではないか。どの世代も自分たちの世代は特別に感じるのかも知れない、だがそういうことを言いたいのではない。本当に割を食っていく世代に発言させなくて良いのかい、と。〈現・若者〉による「〈若者〉は幸福」という論によって、ロストされていく〈元・若者〉の現況や場合によっては絶望的な未来への想像力を打ち消されて良いのかい、と。
 ただこのくだりで、三浦瑠麗を「リベラルをかぶった保守」とするのにはちょっと違和感。今さら「リベラル/保守」もないと思うのだけど。それとも一回りしてやはりこの二項対立に戻っていくのだろうか。

 「文化左翼は食うに困らないから、貧乏人の幸せの心配なんか本気でしない」。これもなんかしっくり来る。貧困層、社会的弱者が左翼的にならず、右旋回していくのもこれに由来するのだろう。佐藤優は自分としては好きな文筆家だが、それでも、大学に行くなら奨学金ではなく、公正証書を書いて親から借金しろと言ったのには驚いた。そんなお金、親にはないのだから。もっともこれを書いていたのは『東洋経済』増刊だから、その読者層には響くのかも知れない。
 「左派は状況が見えなすぎ」これも社会的弱者の右旋回の原因の一つだろう。

 「アンチエビデンシャリズム」――これは自分には痛い話題だった。
 自分の中のゆるい定義として、「学術」と「批評」の違いにエビデンスの有無というのがあった。そして、エビデンスのある前者を中心としつつも、エビデンスのとりようのない事柄を批評で扱えばよいのではないかと、さらに言えば、批評的な言説よりも、喩を用いた方が世に流通、浸透しやすければそれは小説や脚本、あるいはそれが映像化されたかたち、つまりフィクションによって語られても良いのではないかと、つい最近思って、その意味で批評には存在意義と可能性があると思っていた。なので、アンチエビデンシャリズムへの批判は少し考えさせられるものであった。

 内田樹、宮台真司、東浩紀、古市憲寿、宇野常寛等々、あまり巷では批判されない論客について縦横に批判した一書ではあったが、だからといって、本書が内田らに対しメタな位置にいるというものでもないだろう。カウンターにあるものと理解したい。
 それにしても自分も物書きの端くれ。こういった本の中で名前が出ること自体がうらやましくはある。

 全体を通して、経済学的な眼差しを欠いているのかいないのか、という部分はやはりそうなのかという感じだ。自分は全くの経済音痴。せいぜい一般教養で経済学を火曜の5限に履修した程度。ひとまず高校の政経の参考書から読んでみようと思う。

「どうにもとまらない」

 高校野球のシーズン、テレビから聞こえてくるのは山本リンダの『狙い撃ち』。
 もともと僕は、ゲーリー(中日)の応援歌として聞いた記憶がある。「ゲーリーゲーリーホームラン、この世は私のためにある」と覚えているから。
 ところで、先日の阿久悠の特番で、「どうにもとまらない」が紹介されていたが、「うわさを信じちゃいけないよ」は今の時勢に響く。
 アメリカでは、フェイクニュースを流して数千万円稼ぎ、人を雇ってまでセンセーショナルなフェイクを流していたという人も。
 うわさを信じちゃいけない。

女の子の誕生を願った理由――ジェンダーの非対称性から

 「ごはんがススムくん」というキムチのCMを見て、生まれてきた子が女の子で良かったとあらためて思った。
 キムチの最後の一片を巡って、兄妹(姉弟?)が対決。最後は女の子のキックが男の子に決まり、晴れて女の子は最後のキムチを口にする。
 
 NHKアナの黒田あゆみの著書で、今の社会では女の子の方が生きやすいと書かれていたのももう20年くらい前だっただろうか。
 僕らの世代は、「これからは女性が活躍する社会」とか「女性ならではの〜」という言葉をシャワーのように浴びてきたことは以前にも書いたように思う。
 『笑っていいとも!』の観客が圧倒的に女性が多数であったこと、『ランク王国』で最後にインタビューされて顔が出るのが女性だけであること、『アド街ック天国』でその街の女性だけが取り上げられること、ある自治体でJK課ができること、これらはジェンダーの非対称性を感じさせるものだ。
(もちろん、「見られる性」に位置づけられるリスクはあるし、また容姿その他の要素で、女子内格差が厳然とあろうことも無視はできない。)

 前述のキムチのCMがもし、逆の結末、つまり男の子が勝っていたなら、このCMは批判の的にさらされてはいなかったか。
 また、2020年の東京オリンピックのボランティアの制服が批判された際、「おじさんの発想じゃ駄目よ」といった女性がいたが、これも逆に男性が「おばさんの発想じゃ駄目よ」と言っていたならば批難は避けられなかったということはないか。

 どの性に生まれるか、ということだけではなく、どのような社会的階層に置かれるか、どの時代に生まれるか、といったことが人生に大きな影響を与えることはわかっているつもりだが、やはり性差も無視はできない。その意味で、女の子を授かったことを嬉しく思っている。

赤ちゃんの命名

IMG_4416 赤ちゃんの名付け。
 次の二つで考えていた。

 ――早菜子と結惟子――。

 早い段階から、女の子であれば早菜子(さなこ)と、思っていたが、他の名前も考えてみてはということでもあったので、考えた末に出たのが結惟子(ゆいこ)であった。
 まず、名前に対して思う点を次のように箇条書きにしてみた。

・清楚、清廉でありながら、野暮ではない感じ。
・躍動が感じられつつ、派手に大きな動きがあるものではない感じ。
・しっかりとした芯がある感じ。
・電話で漢字が説明できること。
・男女紛らわしくないこと。
・少し古い、日本的な美が感じられること。
・「子」をつけることが余分でないこと。
・耳に聞き慣れた響きでありながら、名前としてありふれていないこと。
・くどさがなく、爽やかであること。
・個性的でありつつも、個性的すぎたり、狙った感がないこと。

 そして早菜子に関しては

・「さな」は「早苗」に通じ、若々しい生命力を表す。また、農耕という日本古来の文化を想起させる。
・「早苗」ではなく「早菜」であることから、ストレートに農耕ではなく、生きものの生育を思わせる。
・「さ」は「♪さくら、さくら」「咲(さ)けよ、咲(さ)けよと ささやきながら」で「さ」の押韻が成されるなど、日本語の音の美しさ、躍動を伝える。
・「早」は「さっそう」「さっぱり」「すっぱり」「しっかり」等々、竹を割ったような動きの良さ、清廉な躍動の感じられるサ行の音。
・対して「菜」は「のんびり」「のどか」「なごやか」「なめらか」等々、穏やかな和みを伝えるナ行の音。

◎以上から、若々しい生命力を携えつつ、実りをもたらす人間になることを願うものである。日照りのもと、生きものがすくすくと育つイメージと、躍動感、しっとりした感じの両方を持ち合わせた人間性を期する。日本古来の生活美を感じさせる名でありたい。

 結惟子に関しては

・「結」…様々な人や事柄と結びつける、あるいはあるものとあるものを結び合わせること。
・「惟」…思慮深いこと。
・「ゆい」…「結ぶ」という使い慣れた響きではなく、「結う」という少し古い日本的な、そして丁寧な手作業を思わせる響き。
・「惟」のア行は、母音であり、礎となるもの。
・「結」のヤ行は、「ゆっくり」「ゆるり」等、ゆるやかさを表す。

◎以上から、多くの人や物事と結びつき、思慮深く判断する人間になることを願う。また、日本古来の美意識が押しつけがましくなく、人柄として反映することを願う。穏やかでありつつ、思慮深く芯のある人となることを願うものである。

 これらのことをよく考えた上で、決めたのは―――

 早菜子。

 あれこれ考えたりもしたけれど、結局、最初期に考えた名前に落ち着いた。
 結惟子も本当に捨てがたかったけれど、早菜子と名付けなければ、早菜子はどこへ行ってしまうのだろうという意識にさえなった。
 妻の妊娠中期には、生まれたばかりの赤ちゃんが数ミリしかなく、湯飲みに入れておいたところどこかへ行ってしまうという夢を見た。夢の中で僕は必死に「早菜子! 早菜子!」と嘆き叫んでいた。
 夢の中で一時、姿を消した早菜子はあまりに小さかったので、お母さんのお腹の中へ帰っていったのだろう。
 そして生まれる準備を整え、あらためて僕たちのところへ姿を見せてくれたのだ。
 
 今日もすやすやと眠る早菜子。
 その傍らで、出産や出産後の授乳の疲れを癒す妻が寝、自分も寝る。
 妻の味わった疲労や不安を思えば、僕など万分の一の苦労さえなかったが、それでもこの子を一生表す名を決定するには少しばかり精神力が要ったのだ。

赤ちゃんが夕べ誕生

IMG_4353 赤ちゃんが2017年8月5日19時03分苫小牧にて誕生。

 21日までに生まれなければ、入院して誘発分娩ですねと言われていて、それを懸念していたこの一週間。
 妊婦を連れて、山道を歩き、森の中をさまよい、都会の雑踏をかき分けた日々。
 助産師である妻が今まで見聞きしてきた、焼肉を食べると、その後、陣痛が始まるという説を頼りに、8月3日の夜に牛角へ。普段あまり肉を食べない夫婦なのだが、決して肉が苦手というわけではないので、結構がっちり食べる。その後、夜の苫小牧の駅周辺を散策。するとその夜中から前駆陣痛。
 8月4日午後23時から本格的な陣痛。
 僕はそんなこととは知らず寝ていた。でもそろそろなのか、あるいはもう少し先なのかと思い、浅い眠りであったように思う。そして5日未明の4時半頃、妻がやや緊張感のある声で、病院へ行く準備を一応してと言うので、スイッチオン。
 連絡し、支度をして病院へ着いたのが朝5時過ぎ。この段階で子宮口は5〜6センチ開いているとのことだった。
 つい最近読んでいた、川上未映子の『きみは赤ちゃん』で、子宮口が指一本ぶんだか、1センチだかしか開いていなくて難儀したというのを思いだし、5〜6センチなら、もうすぐでは? と早とちりしていた。
 最初の助産師さんは夜勤だったらしく、日勤の若々しい助産師さんに交替。時間的にはこの助産師さんに最も長くお世話になった。

IMG_4350 しかし実際にはここからが妻にとっては苦しい時間であった。
 子宮口が7〜8センチになるまでにはそんなに時間がかからなかった。けれどもそこからが長い。
 陣痛の間隔が短くなり、しかも痛みが増す。ところが疲労によって、陣痛が弱まるときもある。
 最初に対応してくれた助産師さんが、上手くいけば午前中かも知れません、といっていたものの、あっけなく正午を過ぎる。
 午後になり、ただただ辛い時間が過ぎ、14時過ぎに人工的に破膜。15時台には陣痛促進剤を点滴。30分が過ぎ、一度目の促進剤増量。このあたりからにわかに陣痛が激しくなる。
 しかし、出産に必要な子宮口の広さはおよそ10センチなのだという。なかなかそこに到達しない。
 ほぼ30分ごとに、促進剤を増量。辛さは倍加しているように見られた。
 最後の促進剤を増量後、日勤の助産師さんから、3人目となる夜勤の助産師さんに。

IMG_4344 この助産師さんが診察したところ、子宮口が10センチになっていることが判明。
 いよいよラストスパートへ。この時すでに17時過ぎ。
 もうここから、10分くらいなのかなと思っていたら、まだかかるので座っていて下さい、というのを聞いて、まだかかることを察知。
 ここからも苦悶の時間。立ち会い出産は感動の共有以上に、辛苦の共有なのではないかと思い続ける時間。この辛苦をかわりばんこにできるものならと本気で思った。
 18時台には生まれてほしい(自分が18時18分生まれなので)と思っていたが、それを過ぎること3分。
 19時03分に出生。エコーで教えて頂いていたとおり、女子であった。
 
 血を拭かれ、僕にへその緒を切られる赤ちゃん。
 忙しく色々な準備をする看護師さんと助産師さん。
 妻に事後的な処置を施すお医者さん。
 妻にとっては以前の同僚であるそのお医者さんと、出産したままの姿で談笑する妻。
 自分が生まれたということに、周囲がどう思っているのか、何をしているのかを察することもなく、わめいている赤ちゃん。

 赤ちゃんは最初は体色が悪く心配だったが、よくあることだそう。自力で酸素を取り込むことにやや難があり、一晩保育器に。
 それでも翌日の10時頃にはすっかり、元気そうになっていた。
 
 『ドラえもん のび太の結婚前夜』でしずかちゃんのお父さんが回想する、我が娘の生まれたときのセリフを思い出す。僕の命を継いだものが生まれたということが嬉しいというようなことだった。

 生まれたばかりの娘は今日はただただよく寝ている。泣いたり、お乳や糖水を飲むのもそこそこにただただ寝ている。
 母胎という住み慣れた心地良い空間を抜け、新たな生地に降り立つ「誕生」という大仕事を成し遂げた後の疲労感なのだろうか。
 22世紀まで生きるであろう、我が子の人生がこれから始まる。

そうか和辻哲郎も経済学も高校でやるのか

 最近、経済学をちょっとは知っておきたいと思い入門書の類を立ち読み。
 友達に、何か良いものはないかと聞くと、数冊紹介してもらい、さらには高校の政治経済の参考書も良いよと教えられた。
 早速、本屋で高校の政経の参考書を読みながら思った。

 「そうか、経済学って高校でやるんだよな。」と。
 
 自分の出身校は、当時は大学進学者も少なく、自分の学級でいえば、大学に行ったのは一割程度だし、センター試験を受ける生徒も学年に確か一人もおらず、大学受験教科を習いたいというニーズがどこにもなかった。
 だから、政治経済もなかったし、倫理もなかった。数学でいえば、基礎解析とか微積もなかった。
 漢文もないし、古典も文法はまったくやらなかった。日本史も江戸くらいまでだっただろうか。
 その代わり、履歴書の書き方や、天声人語の書き写しをやった。
 当時はそのことに恨み言をいっていたりもしたが、今はそれは違うと思っている。そういうカリキュラムを組んでいる高校に行かなかった(行けなかった)自分に非がある。

 進学校では、倫理政経などをやるとは当時から知っていたが、考えてみれば、それが大学以降の勉強や研究の基礎となっているわけで、ということは高校の参考書で基礎的なことを学ぶというのは理にかなっているように思える。

 ただこれは今年になってから知ったは倫理という教科の中身だ。
 これまで倫理という教科はその名を聞いて知った気になっていた。おそらく道徳的な内容、つまり人はどうあるべきかとか、社会はどうあるべきかを学術的に説く(といってもそのイメージはイマイチ具体化できないが)教科なのであろうと。
 だが実際は、「思想」とでもいうべき中身であった。和辻哲郎とかこういうところで出てくるのか、と驚いたものだった。(もっとも今だから、和辻哲郎などに興味があるのであって、高校時代に倫理があっても、退屈に感じたことだろう。)
 
 網羅型の分厚い倫理の参考書を今度読んでみようと思う。
 経済学は引き続き、先述の友達の推薦を踏まえて入門書を読んでみたいと思っている。

 

赤ちゃんがなかなか生まれない

IMG_4269 予定日までまだ一週間ちょっとあるとはいえ、まだ生まれて来ず。
 それで、このところ、妻との軽運動を心がけているのだけれど、今日は一日年休を取り、朝7時に起床、大学院へ出す書類をしたためた後、吉野家の朝定食を食べ、妻の祖父母のお骨がある栗山町へお参り。
 その後、由仁の神社の森というところで1.2キロの山道を歩き、その後東千歳のいつも素通りしていたおしゃれなカフェへ。
 その後、車で一分圏内の松原温泉で真っ黒の湯(これが効く)につかり帰宅。
 学資保険のことでソニーのライフプランナーさんとお話をし、有意義な一日だった。
 
 もう8月になってしまったのは少し残念だけれど、夏を満喫、サンバルカンよろしく太陽の力を得たような日だった。
 赤ちゃんそろそろ生まれてこないかな。

7月が去る

 IMG_4182 予定日まではまだ10日ちょっとあるものの、なかなか生まれる徴候がなく、妻はお腹の中にスイカをひとたま入れているかのごとく。
 昨日も散歩がてら、色々歩いたのだけれど。
 7月も31日。明日からは8月。
 7月が夏に向かっていく感じなのに対し、8月は夏が過ぎていく感じ。ちょっとさびしい。
 

憧れの職業

 「男性が結婚したいと思う女性の職業」などを見ると、いつも自分はずれているんだなと思わされる。
 大体こういう調査で上位に来るのは、「看護師」「保育士」「幼稚園教諭」など。
 自分は独身の頃いつも、「マスコミ関係(雑誌、新聞、テレビ局など)」「大学教員」「ライター」「企業でキーストーンのように働いている人」が良いと思っていた。でもあまりそういう回答ってない。

名付け

 IMG_4127kai 8月10日の出産予定日に向けて、着々と赤ちゃんの頭の位置が下がってきている。
 もうそろそろ生まれてきてほしいのだけれど、そこまでの徴候もない。

 赤ちゃんの名付けをする中で思ったのは、僕たちの多くはすでにたくさんの名付けをしてきたということだ。
 『ドラゴンクエスト』シリーズに代表されるRPGがあれだけ人気を博した理由の一つに、自由に名付けができるということがあったと思う。
 僕も様々な名前をつけた。『キカイダー』シリーズにちなんで、「いちろう」「じろう」「さぶろう」「まり」「はんへん」…などとしたり、オリジナルで考えたりもした。
 また僕の場合は、教師になってから脚本を書く中で、数多くの名前をつけた。「百合」「サトル」「トオル」「スミレ」「うるう」「シュンタ」「ルナ」「タマカ」「サナエ」…。
 
 そしていよいよ自分の子の名前をつける。100年生きるかも知れないわが子の名前、リセット不可能な人生を送るわが子の名前をつけるのだと思うと、いよいよその重責に身が引き締まる。

ね子も8歳 シニア猫

IMG_4063 年に一度のね子の予防接種。
 今回は久しぶりに、飼い始めた頃に診察してくれた先生。「700グラムだったんですね〜」なんて会話に。
 8歳ということで、もう立派なシニア層。落ち着きのないおばさん猫という感じ。
 幸い元気なので、あまり大きな心配もなく。
 元気で居続けてほしいな。

【報告】子どもが誕生予定

IMG_4014 妻が妊娠。
 といっても、妊娠したのは昨年末。
 心拍が見え次第、ブログに書こうかとも思ったけれど、万が一のことがあっても…と思いここまでこの件は書きませんでした。

 自分の子どもができる−−−。
 自分が体験し得ない、自身の生と自身の死の瞬間に匹敵するというか、今までで一番大きなことをしたのだという実感がある。
 この数年、同級生たちも出産ラッシュ。35歳を過ぎてみんな結婚しはじめ、40歳前後になり第一子、また第二子の誕生が相次いでいる。
 去年の6月に籍を入れて以来、結婚式後のいつ妊娠しても良いという思いでいつつ、万が一、妊娠に適さない体質であったり、機能的な問題があったら時間のロスは僕たちには致命的なものであるので、去年の秋から産科に受診し検査。妻もしたし僕もした。一般的には男性側はあまり検査に前向きではないものらしいけれど、もし自分に何かあれば、いち早く手を打ちたかったので、妻にも言わずに自分の精子の検査も予約した。
 妊娠できなければ年単位で対策を打ち、出費もそれなりになるものと覚悟していたので、検査後二度目の排卵の機会に妊娠できたことに本当に感謝しつつ、身の引き締まるのを感じた。
 漢方医も尋ねたし、子宝の神社も参拝した。それらの験があったのに加え、少食でつい数年前まで体重30キロ台であった妻が茶碗に2杯のご飯を食べるようになったのがめでたきことにつながったのではと思っている。

 IMG_4037 先週、臨月を迎えるまで大過なく来たが、それでも心配は絶えなかった。妻自身もともと助産師であるし、産科の先生も妻がかつて大学病院で働いていた頃からのお知り合いの先生ということで、なんの心配もなかったのではあるが、急に小さな心配が降って湧いたり、出生前検査の結果がやたらと気になったりと、そんな日々であった。

 赤ちゃんは奥ゆかしいのか、エコーの度に股間を覆う。よって男女の区別がつかずに相当の時期を過ごした。しかし何度かのエコー、また赤ちゃんの顔さえわかるという4Dエコーの際に、どうやら女の子ではということに(エコーを見る技師さんは性別の確定をしないので、こういう風に見えますね、的な感じ)。
 すでにアカチャンホンポや西松屋で女の子向けの衣料を用意。
 今日の受診では、推定体重は2,630グラム。あまり大きくなりすぎると出産時が大変そうなので、そろそろ生まれてくるようにお腹に語りかけている。

ヤクルト13連敗

 小さいころ、水たまりに入って足がぬれるのがいやだったのに、一度ぬれてしまうと、わざと水たまりの中を歩いて、長靴の中をジャブジャブにして遊んだ。そのうち、靴の中の泥水が温かくなってくのがわかった。
 
 ヤクルトが13連敗。
 ここまで負けると、負けが続くのが気持ちいい。

 90年代はヤクルトの黄金期。でもそれ以前、僕が野球に親しみはじめた頃は、大洋ホエールズと並んで、弱小の万年Bクラス球団だった。
 そんな郷愁を沸き立たせるような13連敗。
 

過度なリスクヘッジをしないのもリスクマネジメント

 あまりベストセラー系は読まないのだけれど、今『宝くじで1億円当たった人の末路』を読んでおり、その中で、日本の企業は、先んじて”ルンバ”を作る技術は持っていたが製品化しなかった。もしも自動掃除機が仏壇にぶつかって、火の着いたロウソクが落ちて火事になったら…というリスクを想定したのが理由なのだという。その結果、海外企業に先を行かれてしまったという。
 こうなると、過度なリスクヘッジをすることで、目先の収益をみすみす逃すというリスクを抱えてしまうわけで、このような過度なリスクヘッジをしないのも、適切なリスクマネジメントということになるのだろう。
 (しかしこの本、おもしろいのだが、タイトルがひねりすぎというか、もう少し別な案もあったのだろうと思うのだけれど。同様のことは、『スタバではグランデを買え!―価格と生活の経済学 (ちくま文庫)』についても思った。)

【書評】『慨世の遠吠え2』

 
 『慨世の遠吠え2』を読了。
 1に続き、今回も自分にとっては、読み応えのある良い本であったのだが、第3章の途中のみ、内田樹の反応がちょっと気になったことが。
 嫌韓本の類がよく売れるのは、中国や韓国を叩いて溜飲を下げている人がいるからで、それが情けないと鈴木邦男がいうのに対し、それで溜飲が下がる人なんているのか、というようなリアクション。またそこから、国家が強くなることと、自分自身が強くなることを同一視する人がいるという話題になった際も、理解できないという反応であった。その理由として、例えば、中国経済が崩壊すれば、日本経済に大打撃が与えられるのに、なんで中国経済の崩壊を願う人が愛国的であるのかわからないということであった。
 そこまで考えていない(日本でよく使われている意味での)反知性主義的な言論こそがむしろ、大勢であることがここ数年の、我が国の、というか世界的な問題――急速な、そして反動的なアンチグローバリズム、保護主義の台頭――の要因ではないのか。
 と、些末な批判を加えつつ、良書であったことを記しておく。
 次は、これを読む。

束の間の学生生活

 IMG_3921 昨日まで、宿泊研修だったので、今日は久々&レアな平日休み。
 北大へ行き、平日でなければできないような手続きを済ませ、しばし調べもの。
 土日は学生が少なく、観光客というか一般の市民の人たちが多い感じだけれど、平日の午前中はやはり学生に満ちている。
 自分よりも二十歳も若いような学生に混じってキャンパス内を闊歩し、手続きのために向かう窓口がわからなくて構内を迷っている自分が、やはり今より二十歳以上若かった頃の自分と重なる。
 IMG_0447 大学に来たときはまず学食でランチにするのだけれど、今日は札幌駅で13時半に妻と待ち合わせ、遅めのランチ。
 辛子明太子のやまやが経営している店へ。1,000円で明太子食べ放題、ご飯もおかわり自由、そして唐揚げが山盛りの定食を食べる。
 勉強の合間に、こういうちょっと良い店に来られるようになったのは、昔とは違うところ。妻と向かい合ってランチしているのが何より最大の違いだけれど。
IMG_3941 15時前に大学へ戻り、昼下がりのキャンパスを散策。
 いつか、ここのキャンパスをひとまわりしようと画策しており、今日そうしようかと思ったが、行ったことのないところまで足を向けると、思った以上に東西に広いことを実感し、あえなく断念。
 それでも、ある程度はまわることができた。今日のような暑い日を堪能しておきたかったということもある。北海道では30度を超えるような夏はあっという間に去っていってしまうので。
 IMG_3949 博物館にも初めて足を踏み入れた。
 北大自体の歴史がよく知られて興味深かった。今日はざっと概観に触れただけだったので、今度はもう少し時間を割こうと思う。
 東大と札幌農学校(=現・北大)が、明治期に存在した大学教育の二つの源流であり、前者が全体主義、後者がリベラルな精神を持っていたが、東大的な価値観が優勢となり、戦争にもつながったという、古い学者の評に目がいった。
 幾ばくか研究が進み、晴天のもと、今の学びの場を散策できた今日一日は至福の日であった。

7月。

 DSC_10837月が好き。
 子どもの頃、いやつい十年ちょっとくらい前まで7月は別になんていうことのない月だった。
 けれども、夏が好きになった最近、8月よりも7月が好き。
 8月は、盛り感があるけれど、31日を過ぎると、仮に残暑が酷くても、夏の終わり感が強くなる。
 7月はまだ、夏に向かっていく感じ。
 「長楽未央」という、昔習ったけど一度も使わないような言葉を思い出す。
 写真は、昨日妻といった大通りのBISSE。ここでスイーツを食べるのは一年以上ぶりかな。

「のび太論」2編 その二

 「道徳教科書「のび太に学ぼう」 長所見つけ将来考える」
 昨日とは好対照な記事。
 『ドラえもん』という作品全体ではなく、のび太という人物が道徳教材に。
 
 ここでののび太像はおそらく正しい。
 引用も、『のび太の結婚前夜』「45年後」と適切であると思う。

 しかし、払拭できないのは、このようなポップカルチャー、いや文学作品が道徳教材として使われることに対する違和感だ。以前にもそのことは書いた。

 それよりも、「のび太の結婚前夜」と「45年後」を読むことでどのようなことがわかるのかを追究したい。

 まず、「のび太の結婚前夜」を見ると、大人になったのび太とその周辺が描かれている。結婚相手のしずかはもちろん、両親、ジャイアン、スネ夫、出来杉までもが描かれている。登場しないのは…ドラえもんだ。
 つまり、作者は、大人になったのび太の前にドラえもんがいないことを伝えている。言い換えれば、大人になったのび太はドラえもんとの別れを経たのび太なのである。
 「45年後」は、45年後、つまり55歳になったのび太が中心となって話が進む。
 55歳になったのび太が10歳の頃ののび太と入れ替わり、少年時代を経験するという話である。空き地での野球、ままの小言、そして手料理に感動する。そして帰宅してきたパパに飛び付いて迎える。あの喜びようを見ると、おそらく55歳の時点でののび太はパパと死別しているのではないかとさえ思える。
 しかし、ここで気付くことがある。
 55歳ののび太はどうして10歳の頃ののび太に会うことができたか。
 そこにはドラえもんの存在があった。
 つまり、のび太は結婚以前にドラえもんと別れているのだが、それか永遠の別れなどではないということだ。
 のび太とドラえもんの別れが永遠のものであるとして、それは感動的なものにはなるであろうが、読者の多くが願う終焉ではないだろう。(他方、のび太がドラえもんと一緒のまま大人になるという展開も、多くの読者は願わないように思う。)
 だからこそ、のび太とドラえもんの縁が、おそらく断続的なものではあるだろうけれど、切れてしまうことがないことを示唆したこのエピソードに感涙しそうになる。
 
 
 

「のび太論」2編 その一

 「こいつ全然成長しねえ!と思う主人公ランキング」で、のび太が一位になったのだという。
 これは、キャラとしての『ドラえもん』に目がいき、背景のストーリーをあまり知らない人らの投票ではないかと思ってしまう。

 のび太は実際には成長著しいキャラクターだと言える。
 時折、ドラえもんの存在がのび太をダメにしているという論を見かけるが、それは誤りで、ドラえもんが来る以前ののび太、またドラえもんと出会わないまま、大人になったであろうのび太こそ未成熟であるといえる。
 どこの会社にも採用されないからといって起業し、その会社も自身の花火遊びが原因で出火してしまい、大きな借金を残す。
 だが、のび太はドラえもんや、周囲ととも成長していき、いつかはドラえもんと別れのときがやってくることを悟ったこともあった。
 「地底のドライライト」では、どら焼きを買うお金に目がくらむドラえもんに同調せず、金もうけに失敗してしょげるドラえもんとは対照的で、冷静なのび太が描かれる。

 成長の姿はジャイアンやスネ夫にも顕著であった。
 最初期のジャイアンやスネ夫は、藤子Fの大人向け短編に出てくる、粗暴な男、あるいは狡猾な男性につながるような少年像が描かれていたのだった。しかし、二人とも、健全な少年らしさを身につけていくのであった。
 
 劇場版のときだけ成長するという論もあるがそれも間違いで、通常の連載マンガでも、成長は垣間見えるのであった。もっとも、作者晩年は劇場版のみが描かれるようになったので、のび太の成長ぶりは、そこでしか見られないのは当然のこととなってしまった。

『エスパー魔美』を久々に見て

 アニメ『エスパー魔美』の初期の数話を見る。
 1987年にアニメ化されたが、自分自身中学生に上がったときに、初めてテレビで、中学生が主人公の藤子アニメが見られるのを頼もしく思った記憶がある。藤子世界もちゃんと、中学という空間に来てくれたのだなと。
 もちろん、出生数のボリュームゾーンである1973年生まれが中学入学時に、このアニメが放映されたというのは商業的に好都合ということもあったのであろう。
 
 エスパーという、今までの自分にない能力が自分に備わっているのを知り、嬉しく思いつつも、困惑し、ときに自分の手に余る力であると感じる魔美の姿。これは、思春期にさしかかり、知らぬうちに欲望の対象と化してしまっている女子の姿でもあるように思う。(原作には、自分が欲望の対象とされてしまっていることを悟り、暗鬱とした表情を見せる魔美の姿も描かれている)
 そういう意味では、『綿の国星』などと同じ風合いを感じる。

『帰ってきたウルトラマン』「魔神月に吠える」

 久々に、根上淳の演技が見たくて、この回を視聴。
 あまりこのエピソードについて考えたことがなかったのだが、色々気付いたことがある。

 ,泙困蓮村に祀られている御神体が巨大化して暴れ出すのを見た際に村民が、「神渡り」と呼ばれる、湖面の氷が割れる現象が観光化したことで、神が怒ったのだと考える点。
 ⊆尊櫃砲榔宙人が御神体を利用していたのだが、そのことは、神渡りを観光に利用していた村民と重なる点。
 MATの伊吹隊長の娘が、(1971年当時として革新的な)ウーマンリブ派であることを宣言しつつ、神渡りという伝説的な自然現象に惹かれる点。
 じ人であるMATの隊長の家族が宇宙人に人質に取られていることを知った村民が、隊長の家に大挙して、隊長がいるから、この村が襲われたのだと非難し、まったく隊長の心情を顧みない点。
 イ修譴任い覆ら、隊長が誠意をこめて「善処します」というのを聞いて、村民が退散する点。

 公人としての使命と、一私人として、妻や娘への情を垣間見せる伊吹隊長=根上淳の演技がこの回の最大の魅力だろう。

一枚の写真 其の七

img114 大学を出て教師になったばかりの頃。
 誕生日前だろうから22歳。
 超未熟だった頃。
 今考えれば、短期間で終わった高校教師時代。
 今は机上にこうやって本は置かない。
 また机上にはワープロの愛用機も。文豪ミニ5ZV。大学3年生時にさくらやで買ったカラーワープロ。動画のキャプチャーもできた。
 この表情が、何かこの当時の自分っていう感じ。何の自信もなく。

『うんこ漢字ドリル』はなぜおもしろいか――『ウゴウゴルーガ』的センス

 『うんこ漢字ドリル』が大人気。
 まず、うんこ漢字ドリルではなく、なぜ子どもはうんこの話題の飛びつくかを考えたい。
 それは、うんこが「自分側」であるからだ。

 子どもは多くの場合、自分が大人とは違う、「未成熟な存在」であることを自覚している。
 大人は仕事をし、お金を稼ぎ、物を買うことができるが、自分にはできない。
 では、大人と変わらずにできることと言えば何か。
 それがうんこなのである。

 子どもがバスの降車ボタンを押したがるのも同じ理由だ。
 大人は社会を動かせるけど、子どもは社会を動かせない。
 そういう意識化の自覚があるから、自分の一押しで、大人の運転するバスを止めるという一定の作用をもたらすこの行為を喜ぶ。
 (自分のクレーム一声で、社会が動揺するのを喜ぶ大人は子どものメンタリティーから成熟していないということだろう)

 しかし、うんこ漢字ドリルが受ける理由はむしろ、その例文、つまり、うんことは何ら関係のない文脈に無理矢理うんこという語句を挿入するシュールなセンスにある。
 パワーストーンとお弁当が戦い、出自不明なみかん星人が蠢く『ウゴウゴルーガ』的な味わいが、その人気の秘密なのだろう。
 だからこそ、このうんこ漢字ドリルは、子どものみならず、大人にも受けている。このことは『ウゴウゴルーガ』も同様であった。

初夏の新緑

DSC_1071 晴天。
 本当にこの時期の緑は美しい。気持ちいい。
 夏至前なので、日もまだ長くなる。
 気温も上昇。
 今日はヒートテックも脱いだ。
 遅咲きの八重桜もいよいよ姿を消し、夏が近づいてきて嬉しい。

1988の巨人

 1988年の巨人はおもしろかった。
 前年に江川と松本が引退し、本拠地が東京ドームへと移ったこの年は巨人にとってターニングポイントであったのだろうと思う。
 「思う」というのは、自分はせいぜいこの前年くらいから野球に興味を持ち始めたので、実感として感じたのではないということだ。

 まず、シーズン中盤で外野手の吉村とクロマティがケガで離脱。移籍してきた簑田も不振。
 もしこの時、松本が現役でいたなら、と思った。(もっとも松本がいれば簑田の加入はなかったかも知れないが)
 前年のMVP捕手の山倉もケガで離脱。
 代わりに、有田が大活躍。一気に有田のファンになった。
 呂が外野の一角を担い、台頭してきた駒田がレギュラーを獲得。
 「いつもの顔ぶれ」的な存在は、野手では原、篠塚、中畑だけであった。
 投手では、桑田、槇原に加え、ガリクソンがローテーションを担っていた。
 巨人ファンでもないのに、この頃の巨人には何か魅力を感じる。

80年代後半は神話解体の時代だったのか

 中森明菜のデビュー時のキャッチフレーズが、「ちょっとエッチな美新人娘」という、打ち出すのも恥ずかしいようなものであったことはある程度有名な話であろう。この「美新人娘」と書いて「ミルキーっこ」と読ませる点も含めて、これが80年代の半ばくらいまでの感性であった。
 このような感性が一定期間保たれたのは、当然のことながら、それが豊かな消費生活をイメージさせる表象となり得たからだ。生産者(作り手)の紡ぎ出した神話の中に多くの人々が生きていたということにほかならない。
 しかし、80年代後半ともなると、こういう突っ込みどころのあるものは徹底的に突っ込まれることになる。それは今に持続する感性であるわけだけれど、当時は所ジョージなどによって多く突っ込まれていたように思う。
 「アフタヌーンショー」による「ヤラセ問題」の発覚も大きかった。スクープを演出するために作為的に事件を起こさせ、それを劇的に報道したテレビ番組が問題となったことで、次第に視聴者は、テレビの伝える事実に包み込まれることなく、それを鳥瞰する冷ややかな目を携えたのだった。
 80年代後半には、業界そのものを舞台としたフジテレビのドラマも放送される。つまり視聴者は、これらのドラマを通じて、入れ子のようにテレビの中にテレビ業界を見たのだった。
 そう考えると、80年代後半とは、神話解体というニヒリズムに満ちた時代であったと言えるのだろう。

動画投稿で明るみに出るのであれば

 今日の『新・情報7DAYS』で、自分の子どもに対する悪質ないたずらや、虐待としか思えないようなしつけをわざわざ動画で撮っておいて投稿するというアメリカの親のことを取り上げていた。
 再生回数を上げてお金を稼ぎたいからだろうといった意見がスタジオで出ていたが、それだけではないだろう。
 つまりデジタルツールを手にした分別のない親が、お金稼ぎや娯楽のために、このようなことをしているというよりは、デジタルツールがあろうがなかろうが、こういった分別のない行為をしていたであろう親が、自らの行為の事の重さを認識していないがために、世間に明るみに出す羽目となったという事でもある。
 つまり、このような動画を目にした私たちは、「デジタルツールがあるからこういうことをする」と批判するのではなく、「デジタルツールがなければ明るみに出なかった、とんでもない親というものが世間には一定数は存在する」と認識するべきだろう。
 

金曜日はジーンズ―――これは良いと思う

 伊藤忠商事で毎週金曜日はジーンズ出勤が奨励されるそう
 これは良いと思う。カジュアルな身なりが、良い発想や、新たなコミュニケーションを生み出す可能性があるように思う。
 以前、どこかの自治体だったと思うが、クールビズを一歩進めてアロハシャツに、などと言うのを聞いて唖然とした。
 なぜ、軽装=アロハシャツなのか。
 それに比べて今回のはずっと良い。

久々に「3時のあなた」という言葉を何度も聞く

 昨日のフジテレビ『フルタチさん』は 「〜百恵・裕次郎・あさま山荘事件…カメラが捉えた歴史的瞬間のウラ側〜」という内容で、何度も「3時のあなた」の話題が出たので嬉しかった。
 昔、幼稚園から帰って、昼3時といえば、TBSの『3時に会いましょう』かフジテレビ『3時のあなた』。「♪ル〜ル〜ル〜3時にー会いまーしょおー」と流れ、若き日の三雲孝江が出ていた『3時に会いましょう』か、「♪3時ーのあーなーたー」と流れ、森光子や須田哲夫が出ていた『3時のあなた』のどちらかを祖父母宅や自宅で見ていた。
 久々に、須田哲夫本人が出演する中での「3時のあなた」の話題を聞き、頭には幼い頃聞いたエンディングの曲がよぎる。

北大祭にはじめて行く

DSC_1051 土曜日、初めての北大祭に行く。
 相当、大きな催しだとは思っていたけど、思った以上にスケールが大きかった。
 食べ物の出店が続く続く続く。
 クレープやケバブ、カレーに削りイチゴに、箸巻も数十年ぶりに食べた。箸巻は幼い頃、スケート祭りで食べて以来か。
 医学部の学生による、様々な検査もおもしろかった。
 肺活量を測ったのだが、25歳の頃に比べて、1リットル程度もダウンしておりショック。
DSC_1054 25歳のときには5760mlだったのだけれど…。それでも、年齢から考えると相当良い数値ではあった。
 駒大にも大学祭はもちろんあった。
 でも、それは特定のイデオロギーの人たちが主催するという話だったり、何となく周囲でそれに向けて盛り上がるという機運もなく、4年間、一度も行ったことがなかったのだった。
 
 これまで、北大祭に来ようという発想もなかったのだが、自分がこの春から幸いにも、ここの大学院に入ることができたので、来てみようという気持ちになった。
 僕は、北大の院を過去に二度落ちている。
 二度とも、今回入学したのとは別な専攻なのだが、その際は修士で入ろうとして不合格であった。
 一度目などは、院試のイロハも知らず、担当して頂きたい教員への事前連絡もせずに臨んだのだから、無知にも程があると思われたことだろう。二度目の院試はその辺は確実に行ったものの、口頭試問ではまったく的外れなことばかり述べ続けた記憶がある。
 もしも、落ちたままの状態であったら、あまり北大祭は味わえなかったかも知れない。
 でも、今は僕はここの院生だし、妻もここの大学院を出ているという、二人の縁のある地として、ゆっくりとした時間を過ごしていた。

 妻と二人で歩きながら、もしも今、お互いに現役大学生であったらどんなだっただろうと話したりしてみた。
DSC_1056 もっとも、妻とは年の差が五つもあるのだから、そういうことはあり得なかったのだけれども、あくまでもイフの話として。
 今より若い分、もっと色々なことを夢中で話したりしたのかも知れない、なんて言いながら、いっぽうでは、近い将来迎える、卒業後の進路という漠たる不安を抱えたまま、接していたのかも知れない、なんて思ったりもしてみた。
 もっとも、現役で北大に入っていれば、などと本気で思っているわけではない。東京での学生生活の一日一日、そしてそこでの出会いは何ものにも代え難いものであったのだから。

 北大祭は、小雨、ときに強い雨が降る中であったが、来場者は写真(一、二枚目)の通り、それなりの出であった。若い群衆と行き交うだけで力が漲ってくるように思われる。
 トイレに行こうと思い、昨年度までのキャンパス、放送大学北海道学習センター(北大内)へ行くと、そこは眼下で賑やかな祭りが行われているとは思えぬ静寂であった。(三枚目の写真)

 再び、北大構内のメインストリートに出ると祭りに興じる人の群れ。

 この大学の末席で、学べることの幸せを再確認し、大学を後にした。

車とポップカルチャー

 僕は自分が実際に車に乗るまで、車にはまるで興味がなかった。
 そのため、車のことにはあまりに無知であった。
 一方、周囲はどうであったかというと、高校時代などはしきりに車の話をしている人も多かった。僕のように、高校生になっても、『ウルトラマン』等の特撮を愛好する人などあまりいなかったし、さらには80年代的な不良文化と車の親和性は高く、僕は車との接点をますます失っていった。(家に車がなかったという影響も大きいだろう。)
 しかし、ここ数年、車は不良文化よりもポップカルチャーとの親和性を高めている
 「痛車」がそうなのだろう。自らを「オタク」とやや自虐、自嘲的に称するように、自分の車を「痛車(=痛い車)」とする。
 嫌消費の流れの中で、車離れと言われているが、もしかするとポップカルチャーの隆盛という流れの中で車文化は再生するのかも知れない。

「〜ファースト」が招く自己責任論

 先日述べた、保護主義や「〜ファースト」への疑念だが、もう一ついうと、「〜ファースト」の問題点は、自分たちが何を最優先しているかを言語化することで、逆に優先していないものをも顕在化させてしまう点にある。
 たとえば、「私はうちの子ファーストです」と言ったとする。もともと、誰でも自分の子は他の子に対して特別なのは当たり前だ。でも、それをわざわざ言語化することによって、「他の子よりも私はわが子を優先します」という、他者への意思表示になってしまう。
 これが高じると、やがてはみんな「俺様ファースト」にいきつくことになる。反対に、そうでない人に対して、「なぜあなたは自分のことを最優先しないのか」とまでなり、自己責任論がますます色濃くなってくることはないだろうか。

今回の引っ越しで捨てたもの3

DSC_0996 これは僕が小学生の頃だろうか、親戚のおじさん(故人)が買ったワープロパソコンを形見のようにもらったもの。
 MSX全盛の頃だっただろうか。
 テレビに接続して使う。面倒だったのは変換。単語ごとに変換しなくてはならないので、「明日の天気は大雨だ」と打とうと思うと、「明日」「の」「天気」「は」「大雨」「だ」といちいち細かく変換しなくてはならない。しかもそれすら、熟語に変換できるカートリッジを使ったらの話であり、単体では漢字一文字ずつの変換となる。つまり、書く方が早い。しかも印字される文字もドットが粗いし、データの保存もカセットテープへの保存だったので、耐久性は覚束なかった。
DSC_1001 この鏡は、大学卒業後、十勝で教員になり立ての頃に、倒産したブルーハウスで机やテーブル、本棚とともに買ったもの。縁の装飾がちょっとアンティークっぽく、それなりに気に入っていたけれど、表面がくすんできてしまい捨てることに。鏡はやはり澄んでいる方が良い。
DSC_1002 これは小学生頃から使っている爪切り。
 切れ味はあまりよくなく、ただでさえ爪を切った後の感触がいやなのに、この爪切りは着る瞬間にきゅっという感触と音もやや鳴るのであまり気に入っていなかった。それでもいざ捨てるとなると、長年連れ添った何かを捨てるような気持ちで思わず写真に残してしまった。

脱グローバル化の風

 東西冷戦終結から、イデオロギーの対立は形式的には一応溶解し、かわりに西側的な価値観に由来する、市場原理が一元的に台頭したことで、グローバル化がすすんだと捉えているが、ここにきて急激に脱グローバル化の風が吹いているように思う。
 自国の産業を保護するために、輸入を統制するという保護主義もそうだし、全体よりも自分たちを優先することを明示した「〜ファースト」というのもそうだ。
 「グローバル化」という言葉が、どこか先進的で豊かな響きをもっていることから、なかなかグローバル化に懐疑的な言説が飛び交いづらかったのだろうけれど、(あるいは資本主義陣営由来の価値観を否定することで、社会主義者、あるいは左翼とレッテルを貼られることを避けたか)、この一年くらいで急に、脱グローバル化の風が吹き出したように思える。

今回の引っ越しで捨てたもの2

IMG_3519 小学校のときに親戚に買ってもらったファミコン。
 14,800円だった。
 ボタンが四角い旧型。
 最初に買ってもらったのは、『ドンキーコングJrの算数遊び』。その後『レッキングクルー』『スパルタンX』『ゼビウス』『ドルアーガの塔』等々、数々の名作に触れていった。

今回の引っ越しで捨てたもの1

IMG_3517 よくこれまで取っておいたなと思う。
 大学時代の野球のスパイク。
 みんなと同じ、そして一番無難な黒にすればいいものを、人と違うことがしたくて、かつバッティンググローブの色と合わせたくて買った青のスパイク。
 一応、右足先には「ピー皮」と呼ばれるピッチャー用の革が装着されている。

 このスパイクには思い出がある。

 大学4年生の秋、僕にとって最後の試合のことだった。
 このスパイクを履くのも今日が最後だなと、いささかの感慨に耽りながらいつものように足をはめ、紐をギュッと縛ろうとすると、ベロの部分がぷちんと切れたのだった。
 まるで、スパイクが今日が最後の役目と思ったかのようだった。
 そんなスパイクが愛しく、この春まで捨てられずにいたが、とうとう捨てた。

5月の桜

IMG_3587kai 夜桜。
 先月中旬に、12年と半月、住み慣れたアパートを離れ、新しいアパートへ転居。
 これまで同様、メゾネットの物件。
 
 そのアパートのすぐ近くに桜の花が。今週前半が満開だった。
 夜桜がきれい。背景には月光。

 桜を初めて美しいと思ったのは大学進学での上京時。18歳の春。
 夜に妖しく咲く桜を美しいと思えたのは、自分の心がそのような美しさを受容できる年齢になったからなのだろう。
 あれから25年。
 あの頃よりははるかに余裕のある気持ちで、桜を眺められる気がする。

【書評】『ドラがたり』


 今日、読了。
 今までの『ドラえもん』及び、藤子・F・不二雄の作品論の中では最も良かった。
 手塚治虫や、藤子Fレベルになると、その作家の性質を批判してはならないかのような空気がなんとなくあり、そのことでかえって、作品の本質が見えにくくなっていたように思うのだが、本書では敢えて、藤子のダークな面、未成熟な面を指摘することで、藤子作品、主に『ドラえもん』の深層が明確に照射されたように思われる。
 本書では、『ドラえもん』は既存(あるいは『ドラえもん』と併走するかのように成された)の藤子作品の縮小再生産と評しているが(これは決して作品を貶めた表現ではない)、まったく同感だ。主人公の他、ガキ大将、ずる賢い少年、美少女、(あるいは賢い友達)がいるという日常の中に、非現実的な存在が投入されるという点では、『オバケのQ太郎』の基本設定をトレースしたものと言えるし、SF短編の中に点在する、人生のやり直し、あるいは世界の創造というモチーフは『ドラえもん』の中で幾度も焼き直されている(そのどれもが傑作なのだが)。
 『未来の想い出』に登場する郷カオリとジャイ子の類似性(しかも”郷”カオリだ)については、やっぱりその解釈で良いのかと、膝を打った(もちろん本書の諸々の解釈が”正答”というわけではないが)。
 80年代の作品群が品行方正になっていったことなどは、自分も含め、それ以前の作風を知っているものにしか感じ取れない違和感でもあるだろう。
 自分としては以前から、70年代後半の作品群に妙に”すれた”感じというのか、背伸びしたような空気感が作品に漂っているのを感じるのだが、その点には言及がなかった。
 敢えて言えば、過度に主観的な解釈を一般化しようとする物言いが数カ所気になったということはあるが、そのようなことも本書全体の出来映えからすれば、些末なことに過ぎない。
 『ドラえもん』に関しては、『ネオユートピア』という有名な同人誌があるが、流通された本としては、本書が白眉の一冊ということになるだろう。原作からのコマの引用も適切であった。

節目 

(写真は卒業生であり、本人たちの承諾のもと掲載しています)

IMG_3488 苫小牧で二校目の勤務が終了。
 最後の最後、退勤時間の寸前まで卒業生が来て、話が尽きない。
 卒業式と、同窓会を小さな規模で行ったような、そんな気持ち。
 そういう気持ちを抱きつつ、2016年度終了。現任校での6年間、いろいろあったけれど、いろいろな人にありがとう。

花とハンカチ

(写真はすべて卒業生であり、本人たちの承諾を得て掲載しています)

 IMG_3486 今日も卒業生たちが来校。
 今日はどちらかというと二年生のときに担任した生徒が多かった。
 1年生、3年生の時の学級というのはインパクトが強いのだけれど、2年生の時というのは間にはさまれているせいか、どうもインパクトが弱い。

 IMG_3487 でも、こうしてその頃の面々に会うと、やはり色々と思い出す。
 嬉しかったのは、ハンカチ、そして花をもらったこと。
 物をもらえたから嬉しいというのではない。(それもあるが。先日は僕がチョコ好きなのを知って、チョコをくれたし)。
 自分にとっての掛け替えのない時間が、生徒たちにとってもきっと思い出深いものであり、その思いを目に見えるかたちにして手渡してくれた物が花であり、ハンカチであるから嬉しい。

春が来る

(写真はすべて卒業生であり、なおかつ、本人たちに承諾のもと掲載しています)

IMG_3482kai 卒業生がまた来校。
 本当に、ここ数日プチ同窓会気分。
 良いね。これはこれで。走馬燈のように色々なことがよみがえる(笑)。

 自分が高校生くらいの頃よりは大人っぽいかも。
 春らしい日差しになってきた。残雪もとけてきた。

教養

 思えば、教養などというものとは、かけ離れたところにいた。
 小学生くらいの頃は、大した勉強などしなくても、テストでそれなりの点数が取れる。中学校でもそんなものだろうと思っていると、まったくそうではなく、この頃はまったく、低迷期であった。
 結果、第2希望の高校へ進んだが、そこは進学を目指す生徒が少なく、また当時はいわゆるヤンキー校の風格をたたえ(一応、母校の名誉のために言っておくと、現在はヤンキー風の生徒などいないし、進学実績も良い)、退学者、また怠学者が多く、学年主任からはよく、「この学年は、3年間で1学級分の生徒が辞めた」と言われていた。たまたま片付けの最中に出てきた、生徒指導部の通信を見ると、「今月の目標:喫煙はやめよう」とあった。
 その高校に、来たくて来たという生徒が少ないことで、学校内に活気はなく、教師から素行を咎められると、腹いせにガラス戸を蹴破る者がいた。学校祭の準備期間は、勝手に学校を出て帰宅する者、コンビニで時間を潰す者が続出し、結果、監視の目の中で「楽しまされる」祭典となった。友達は、地域の、また札幌の進学校に進んでいたので、それらの学校の学校祭に行ってみたのだが、進学校に特有といえるような、独創的で、生徒主体の文化が披瀝されている様子に驚嘆した。修学旅行も当然、監視の下にあった。朝の出発集会で持ち物検査、自由時間後、ホテルに戻ってきたら持ち物検査…。例年、酒を買って宴会に耽ったり、刃物を買う者がいるのだという。
 7学級中、1学級だけが進学クラスであり、他は、その多くが就職を目指す高校であったので、必然的に授業中は就活対策を伴った。国語の授業では履歴書を書くこともあった。
 このような環境に不満を抱き、高校生活の前半戦は何事も周囲のせいにしていたと思う。それでも高校2年生の中頃から、与えられた状況でベストを尽くそうという、少々、思春期にしては愚直すぎる思いに至れたことは救いであった。
 大学受験者が少ないので、倫理政経とか、微分積分とか、古典、漢文の授業がなかった。僕のように、受験がある人は、国語機Ν兇慮電喫野の勉強では当然足りないので、放課後の特別講習で特訓的に勉強することとなった。英語の授業も、高3のときに、中1〜2レベルの内容。一般動詞を使った文を過去形にするような内容なので、特別講習ではやはり特訓。通常の授業のぬるま湯から急に熱湯を浴びせられるほどの刺激だったが、これがあったから大学へ行くことができたと思っている。
 優先入試という、難易度はそれなりに高いが合格点が低く、受かってから進学する学部学科を選べるという恵まれた内部進学受験で、大学に受かった。
 教養とは遠いところにいた分、教養に満ちた先生方の言葉には大いに鼓舞された。「うちの国文学科はすごいメンバーが揃っています」という言葉に、自分はこの国でも有数の先生方が揃った国文学科に来ることができたんだろうと喜んだ。(少々、誇大であったのかも知れないが、それでも当時の駒大国文学科は、各時代の文学研究における”大家”と呼ばれるような先生方が在籍していたことに違いはない。)他学科の先生が何かに寄せた歓迎の言葉だったと思うのだが、「大学では本物に触れなさい。できれば君たちが本物になれると良いのだが…」という言葉が響いた。この時鼓舞されたモチベーションは4年間、多少の波はありつつも、下がることはなかった。
 4年間の大学生活で特段の教養が身についたかどうかは別として、「勉強できなくても生きていける」といった居直りをしなくはなった。
 この経験がなければ、自分は間違いなく、反知性主義に身を落としていただろうと思う。そして歯切ればかり良くて空虚な言説を、あるいは攻撃的で偏狭なナショナリズムに満ちた言説を、元来自分が抱いていた規範意識であると疑うことなく、周囲に再話する迷惑な人間になっていたように思う。
 今春から、さらに学ぶ機会を得ることができた。このことに感謝し、少しでも学びの成果を残していければと思う。

北大博士課程

 この春より、北大国際広報メディア観光学院、国際広報メディア専攻、博士後期課程へと進むことに。
 転勤早々、二足のわらじで大変だけど、何とか規程の年数で、修了できるよう、やっていきたいと思う。
 放送大修士課程も無事修了。
 新たな学びの機会を得られたことに感謝。
 

転勤

(このブログの写真は、すべて在校生ではなく、卒業生であり、本人に了承を得てアップしています。)
IMG_3480kai この春の異動で、現任校を去ることに。
 6年間勤めた現任校は自分の母校。
 昭和61年に入学し、中3の1月に昭和が終わり、平成になって初めての春にこの学校を去った。
 それから20年の時を経て、教師として着任。
 最初は母校への赴任はあまり良い気分ではなかったけれど、今となっては、なかなか経験できない母校着任を嬉しく思った。

IMG_3478kai 転勤を知り、多くの生徒が顔を見せに来た。
 プチ同窓会状態。
 卒業してから一年が経つのに、すぐにその生徒といた時代の気持ちに戻る。
 持ち前の、些末なこと、どうでも良いことを覚えている(というより忘れられない)記憶力で、昔のことを色々語る。

 IMG_3479kai もう二十歳を迎える、一代前の卒業生たちも来た。
 もうこのくらいの年齢になると、やはりかっこうが大人っぽい。
 でも意外と中身は中学生の頃のようなあどけなさもあって、それで何だかホッとしたりする。
 大人になるのはいつでもなれるから。
 あどけなさが許されるうちは、そうするのも良い。

 IMG_3477kai 送別会に出るよりも、写真を見るよりも、やはりかつての生徒たちと会うと、これまでの自分の歩みを思い出す。
 手に手にお菓子など持ってきてくれるのも嬉しかった!
 100%オレンジジュースにチョコレート、豆乳…好きなものばかり。

 IMG_3476kai 昨年、卒業した子たちも今春から高校2年生。進路はどうするのかと聞くと、色々な答えが返ってくる。
 具体的に決まっている人、漠然としている人、かつての担任に色々話してもらっているうちに涙を流す人…。彼らにとって、人生の助走期間の終わりが近い。
 何をやるにしても10代の生き方で決まる部分があまりにも大きい。
 だから、しっかりと有益な情報を集めた上で、進路実現を目指してほしいと思う。
 
 少し、話し疲れたけど、話すのは好きなので、これはこれで、とても心地良い疲労感。
 充実した一日だった。

中高年層のネットにまつわることとフェイクニュース

 失礼ながら、中高年層の中に、ネットのモラル、リテラシーの未成熟な人がいることが目立つ気がしてならない。
 今時の子どもたちは、車に気を付けなさいと言われるくらいの頻度で、ネットの使い方に気をつけなさい、と言われているから、そこら辺は相当、刷り込まれている。
 思い出すのは、ワープロが普及しだした時代のことだ。
 手書きが主流の時代に、活字で打ち出された文書は、それだけで「正しさ」を感じさせられた。だが実際は、正しい文書だけであるはずがない。同様に、インターネット上で散見される情報は今日的に言えば、きわめてフェイクなものも相当数混ざっているのだが、どうも、公的メディアの情報との差異に鈍感な言論が飛び交っているように思われる。
 誰もがネットに触れられる時代、ネットのモラルやリテラシーを教わってこなかった世代に再教育する(啓蒙する)機会はなかなか作り得ないが、中高年がフェイクな言論に振り回され、悪意なくフェイクニュースの再生産者にならないようにしていかなければならないように思われる。

高村光太郎が今いたら

 高村光太郎の「冬が来た」という詩がある。
 みんなに嫌われる冬だが、自分は冬が好きだ、という主旨だ。
 その一節に「火事を出せ」とある。
 火事は、空気が乾燥し、暖房をよく使う冬によく出る。冬は冬らしくあれといったところだろう。
 しかし、正義原理主義が横行し、表現の自粛が求められる今日であれば、高村は批判の的にされていただろう。

フェイクニュース

 今夜のクローズアップ現代で「フェイクニュース」を特集。
 これはこれでもちろん問題だけれど、悪意に基づかない不正確な情報、つまり結果としてのフェイクニュースはこれまでもずっとあったように思う。
 世の中がフェイクにあふれているのは今に始まったことではない。
 フェイクに操られないためには、自分の身体で世の中を読み解いていくしかない。
 この読解力を高めることこそが、国語教育の最終的で唯一の目的であるといっても良い。

キングジョー

 神戸の観光振興のキャラクターとしてキングジョーが脚光を浴びているとのこと。
 使い捨て同然、大量濫造のゆるキャラを作るよりよほど良いと思う。
 キングジョーはデザインが素晴らしい。

カミソリで髪を切る

 昔、工藤静香が、髪の毛を自分で切るときはカミソリで切っていたとテレビで言っていたので、自分で少し髪をボリュームダウンしたいときにはそのようにしている。
 結構上手くいく。今ちょうど良い感じ。

『のび太の魔界大冒険』を見ていた頃

 昨日、家で妻とDVDで『ドラえもん のび太の魔界大冒険』を見た。
 公開されたのは1984年3月。春休みに友達と見にいったのを覚えている。
 
 あの頃は、42歳で結婚するなんて思わずに生きていたんだろうな〜と考える。あの頃は毎日何考えて日々を過ごしていたんだろう。
 のび太と同じ、小学4年生を生きていた頃。
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